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カシミヤの温度 ― 冬のデパート戦線異状あり ―

  • 山崎行政書士事務所
  • 10月19日
  • 読了時間: 3分

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12月の風が、都会のショーウィンドウを磨くように吹いていた。マネキンが巻くマフラーのひとつひとつが、まるで小さな戦場だった。どのブランドが一番「上質」か。どの客が「選ばれる客」か。冬のデパートは、見えない階級闘争の舞台だ。

第一章 彼女とマフラーと温度差

主人公・西園寺 凌(さいおんじ りょう)は、地方都市のIT企業に勤める中堅エンジニア。ボーナスの封筒を握りしめて、彼はデパートのエスカレーターを上がっていた。目的はただひとつ――彼女へのクリスマスプレゼント。

「5万円以内で、上質なカシミヤのマフラーを探しています」

そう言った瞬間、店員の眉が微妙に動いた。“カシミヤ”と“5万円以内”――この二つの単語を同時に口にした客を、彼らは“中流の迷い子”と呼ぶ。

「こちらなどいかがでしょう? 純カシミヤで、手触りも柔らかく…」勧められたマフラーは、淡いキャメル色のリバーシブル。タグには確かに「100% CASHMERE」とある。だが、凌の指先が感じたのは、“本物のぬくもり”というより、“マーケティングの努力”のようなものだった。

第二章 ブランドの哲学は繊維の中に

隣のカウンターに目をやると、別のブランドの販売員が誇らしげに語っていた。

「うちは“ヒマラヤ産カシミヤ”です。 1頭の山羊からわずか150グラムしか取れない希少な毛。 つまり、このマフラー1枚には“5頭分のぬくもり”が詰まっています」

――5頭分。それを聞いて、凌は少し泣きそうになった。なんて尊い命の物理的換算だろう。

だが、隣でカップルが別の店員に尋ねている。

「これ、カシミヤ100って書いてあるけど…“再生繊維”って何?」「リサイクルです。環境にやさしいですよ」「つまり…他の誰かが巻いたマフラーの…再利用?」彼女の顔がわずかに引きつる。

その瞬間、凌は悟った。カシミヤとは、素材ではなくストーリーなのだ。「どんな物語を身につけるか」が、真の価値を決める。

第三章 ぬくもりの正体

結局、凌が選んだのは――「ブランド名のないマフラー」だった。地元の商店街で、小さな老夫婦が営む店。タグには「内モンゴル産」とだけ記されていた。価格は4万8千円。デパートで勧められたどのマフラーよりも、彼の指先を“やさしく包む”感触があった。

「これはね、娘が中国の寒村で仕入れてくるの。 ブランドがついていないだけで、繊維は一級品なのよ」老婦人の言葉は、冷えた冬空に溶けるように静かだった。

クリスマスの夜、凌はそのマフラーを彼女に渡した。彼女は目を閉じ、ゆっくりと首に巻きながら言った。「ねえ、これ……温かいね。 なんか、あなたが包んでくれるみたい」

凌は思わず笑って答えた。「ブランド料が入ってないから、その分、気持ちが多めなんだ」

第四章 冬のデパート、再び

年が明け、デパートでは早くも冬物セール。あの5万円のカシミヤマフラーは、30%オフで山積みになっていた。その横を、彼女が巻く“名もなきマフラー”が軽やかにすり抜ける。

デパートの風が冷たく吹くたびに、凌は思う。「高級って、何だろう?」「希少って、どこまで本当なんだろう?」それでも――カシミヤの温もりは、まだ信じていい気がした。なぜなら、それを選んだ人の“心の温度”が、繊維より確かに存在しているからだ。

エピローグ カシミヤの哲学

冬が終わりかけたころ、凌はそのマフラーを自分でも巻いてみた。風が頬を打つたびに、指先が思い出す。あのとき、デパートの照明よりも温かかった老婦人の声。「いいものっていうのはね、触った人の誠実さで変わるのよ。」

その夜、鏡の前で彼は小さく呟いた。「このぬくもりは、“価格”じゃなく、“記憶”でできている」

そして彼は、ゆっくりとマフラーをほどいた。そこには――5万円の価値を超えた“ひと冬の物語”が、静かに巻かれていた。

 
 
 

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