ターコイズへ
- 山崎行政書士事務所
- 10月5日
- 読了時間: 2分

波打ち際に立つと、コ・クラダンの海は目の高さからでも底模様まで透けて見えた。膝下の浅瀬は薄いミント色、数歩先でターコイズへ、さらに沖で藍に沈む。水面には陽が編んだ細かな網目がゆらぎ、白砂の上に明滅する。足を入れると、ぬるい膜のあとにひんやりした芯が触れ、くるぶしを撫でた水が砂粒をさらさらと転がしていく音がした。
右手から「ドドド…」と長い尾のプロペラが唸り、ロングテールボートが斜めに近づいてくる。艫のエンジンは金属の塊のまま剥き出しで、油と潮が混じった匂いが風に乗る。舳先には赤や黄の布が結ばれ、陽光を受けて薄く透け、海の色に差し込む短い炎のようだ。布屋根の下、船頭が片手で舵棒を押さえ、もう片方の手で赤いクーラーボックスを足で引き寄せる。船体は磨かれた木の色で、波紋を切るたびに琥珀の光を返す。
沖合には別のロングテールがゆっくり横切り、さらに遠く、白い船影が一直線の航跡を残して走る。水平線にはトランの島々が影絵のように並び、低い雲がその背に薄い影を落とす。空は洗いざらしの青。炎天下なのに、海風がときどき背中の汗をさらっていく。
上空から眺めれば、この海はもっと単純だ。白砂が島を淡く縁取り、浅瀬の帯が翡翠のリボンとなって弧を描く――その真ん中を、木の舟が小さな点となって滑る。だが目の前の海は、単純どころか、細部の連続でできている。水面に浮いた木片、砂に消えていく小魚の影、寄せた波が引き残す泡の粒。そして、岸辺の人影に合わせて速度を落とすこの一そうのボート。
船が止まると、音がすっと引き、海のさざめきと遠くのエンジン音だけが残る。濡れた舷に手を置けば、木は熱を持ち、指先にざらりとした塗料の感触が残る。舳先のリボンがまた風に揺れ、色だけが時間を持って前へ進んだ。船頭がにこりともせず顎で合図し、海へ出る準備が整ったことを告げる。
コ・クラダンの一日は、こんな静かな瞬間の積み重ねだ。白砂のきめ、潮の匂い、木と油の混じった船の気配。海は色を変え続け、同じ場所で同じ形を二度と見せない。やがてプロペラが再び水を噛み、ロングテールは浅瀬を離れる。船尾から伸びた細い波が、足もとで崩れて砂に吸いこまれていく。振り返れば、浜には何も残らない。けれど胸の内には、ターコイズの層が確かな重みで沈んでいた。トランの海、コ・クラダン。記憶は、いまも潮の音の調子で続いている。





コメント