ノリオー二の「NY三揃え」——歩行者信号は心の中に
- 山崎行政書士事務所
- 9月21日
- 読了時間: 6分

噂その一。ノリオー二の3ピース・オーダースーツ NYエディションは、上着・ベスト・パンツそれぞれに「シティ回路」が入っていて、Wi‑Fiは使わず交差点の空気だけで動く。噂その二。上着ラペルの「礼度角」は、35°=Downtown(無礼講)/45°=Midtown(丁寧)/60°=Wall Street(詫び最適化)に親指一撫でで切り替わる。噂その三。ベストには「Uptown/Street/Bridge」の三態モードがあり、会話が縦に深まる/横に広がる/橋をかけるを選べる。噂その四。パンツのプリーツは「地下鉄遅延ダーツ」。遅延報告を聞いてもため息が言い訳に変わらない。噂その五。ポケットチーフは「Times Squareディマー」。眩しい話題を30%だけ落として聞きやすくする。噂その六。支払いは現金・カード・**川柳(季語指定)**から選べる(NY限定季語には「イエローキャブ」「ベーグル」「ハドソン」がある)。
私、三浦タクミ(29)。突然、ニューヨーク出張が決まった。朝:TriBeCaで投資家と朝食/昼:Midtownで取締役会プレゼン/夜:Brooklynの屋上でネットワーキング。首から上は時差でダメそうなので、首から下だけでもNY化しておきたい。成田のゲートで慌てて百貨店の外商部へ連絡すると、外商の十文字(じゅうもんじ)さんから一通のメッセージ。「SoHoの出張サロンでお待ちします」。外商、翼あるの?
◆ SoHo:採寸ではなく採“談”
石畳の小路。古いロフトに「N」のちょうどいい看板。ドアマンが低く囁く。
「合言葉は?」「……Everything Bagel」「ノリがいい。どうぞ」
中は静かな港の朝の匂い。壁にはレオナルド・ノリオー二の言葉が額装されている。
「スーツは鎧ではない。交差点で迷わないための地図だ」
十文字さんは、濃紺のスーツで風のように現れた。アタッシュから柔らかいメジャー、拍子木、海苔みたいな導電シール。そして掌サイズの小箱。
「三浦様、NYは間(ま)の単位がメートルではなく“ブロック”になります。採寸というより採談(さいだん)。まず、一番言いにくいNY向け謝罪文をください」「えっと……“すみません、信号が点滅してたので渡りました”」「ありがとうございます。ノリ計、動きました」
喉仏と肩の間に小箱を当てるとピッと光る。十文字さんが頷く。
「三浦様の“場のノリ回り”は、初速弱め・敬語強め・笑い後追い。NYにおけるデフォルトはMidtown 45°。Downtownの朝は35°、Wall Street帯では60°も視野に。ベストは午前『Street』、午後『Uptown』、夜『Bridge』へ。パンツは地下鉄遅延ダーツ強め。タクシー捕獲用に裾の折り返しを1ミリ重くします。合法です」
「拍子木はニューヨークで鳴らすんですか?」「音は出ません。気配だけです」
導電シールがラペル裏へ移動する。「ノリ付け」です、と十文字さん。糊でも海苔でもなく“ノリ”。雨で溶けないし、食べられません(先に言う)。
生地は「ハドソン・ナイトネイビー」。見た目は普通の濃紺だが、クラクションが三回続くとほんの少し湯気のない温度を帯び、声の芯がブレない。ストライプは「Manhattan Grid」。見る人の脳内でアベニュー(縦)とストリート(横)が整う幅だという。裏地は「薄墨ブロードウェイ」。ド派手な話題も脇道に逃がせる。
「支払いは現金・カード・川柳から。季語は**“イエローキャブ”**でお願いします」
イエローキャブ 袖で止まって 話は進む「2,000円オフです。袖の使い方がNY」
◆ 朝:TriBeCa(Downtown 35°)
上着の礼度角35°/ベスト=Street/地下鉄遅延ダーツONでカフェへ。投資家は黒タートル。いかにも速そう。彼が「So—」と言いかけた瞬間、店の外でクラクション三連。胸の奥でハドソンがすっと温かい。私はやめ時ボタンを指でタップ。言葉が短く整列した。
「今日は“三行ピッチ”で。課題・仮説・検証。以上」
投資家の眉が上がる。ベストのStreetモードが、会話を横へ広げ、彼の過去案件の笑えない逸話が笑える角度で出てくる。途中、彼が席を立つ。ベーグルの粉が飛ぶ——が、ポケットチーフのTimes Squareディマーが話題の派手さを30%落とし、会話の明るさはそのまま。NY、基礎体力がちがう。
◆ 昼:Midtown(45° Uptown)
高層ビルの会議室。礼度角45°に親指一撫で、ベストをUptownへ切替。議題が縦に深くなる。エレベーターの鏡で髪を直しながら、パンツの地下鉄遅延ダーツにそっと触れる。言い訳の芽が出そうになるたび、前身頃が1ミリだけブレーキをかける感覚。便利すぎるが合法らしい。
取締役の一人が、資料のスライド9で重箱の隅をつつき始めた。私は袖の助け舟(本切羽)を一度だけ開ける。拍手が一往復分だけ起こり、話が次の議題に乗る。ハドソン・ナイトネイビーがふわりと温かい。うまくいっている。と思った矢先、私はやらかした。
「このROIは“ややテムズ寄りでして——」(ここNYだよ!)
空気が凍りかける。ラペルの礼度角を60°へ。Wall Street詫び最適化。0.7秒。「失礼、ハドソン寄りでした。海流は違えど、潮の満ち引きは同じです」 薄墨ブロードウェイが脇道を作り、笑いが戻る。助かった。スーツが退路を作ってくれた。
◆ 夜:Brooklyn(35° Bridge)
屋上のフェンス、遠くにスカイライン。DJがちょうどいい音量で“盛り上がりすぎない曲”を流す。私は礼度角35°、ベストをBridgeへ。知らない人と知り合いの人の間に会話の橋が勝手に架かる。名刺の往来がスムーズだ。パンツの裾はタクシー捕獲モードで1ミリ重い——のだが、ここBrooklynでは自転車が主役だ。十文字さんからメッセージ。
「Bridgeモード+“両手ふさがり”対策でどうぞ」
私はカフスを二段目までクリック。拍手誘導ではなく、相槌→名刺救出の順で重くなるNY仕様らしい。両手がカップでふさがった相手から名刺がスルッと出てくる。物理法則、今日もゆるい。
そこへ丸い影が風を切って現れた。タイムズスクエアの看板みたいに存在感はあるのに、音はない。
「影が先に街を歩く。人はそのあとでいい」 レオナルド・ノリオー二の声だ。影は拍子木をチンと一打、消えた。NYの夜は、星が少ない。代わりに人の輪郭がよく見える。
◆ 翌朝:SoHoサロン(アフター)
外商サロンは羊羹みたいに静か。十文字さんが微笑み、アフター調整を告げる。
「三浦様、礼度角が一晩で2°寝ました。良い疲れです。ベストに**『結論から』プリーツを追加しましょう。入口が大きく、途中が細く、出口がまた大きい——NYの会議が短く**なります」「それはマンハッタンの地価並みに価値がありますね」「外商は便利の外で仕事をします」
「タグもNY版にしておきます」
取扱注意(NY)・やめ時ボタンはタップのみ(長押し厳禁)・助け舟は一晩に一回・**礼度角60°**のままピザを二折りすると過剰誠実に見えます・雨で溶けません(食べられません)・Jaywalking自動補助は搭載していません(ご自身の判断で)
会計端末が恒例の表示を出す。「本日の割引:川柳“ハドソン”」。私はペンを取り、書いた。
ハドソンや 背で風受けて 声が立つ
「1,800円オフでございます。風の“立ち”が良い」と十文字さんが拍子木を一打。ほとんど音はしないのに、胸の奥でコツと信号が“WALK”に変わる。
ノリオー二のNY三揃えは、もちろん食べられない。けれど、場の空腹は満たす。 上着は角度、ベストは地図、パンツはブレーキ。 Times Squareは眩しすぎるけれど、ディマーがある。地下鉄は遅れるけれど、ため息を言い訳にさせないプリーツがある。交差点は騒がしいけれど、0.7秒の間がある。
帰り道、ブルックリン橋の上で風が強くなった。私はラペルを45°に撫で直し、胸の中で三三七を一回だけ刻む。 ——信号は、もう私の中で青になっている。





コメント