ノリオー二の「ノリ付け襟芯」——外商さん、家に来る
- 山崎行政書士事務所
- 9月21日
- 読了時間: 6分

噂その一。ノリオー二のオーダーシャツは、首回り・裄丈のほかに「場のノリ回り」を採寸する。噂その二。襟芯は硬さだけでなく「敬語角度」を選べる(35°=フランク、45°=丁寧、60°=土下座未満)。噂その三。カフスの内側には、拍手を起こす代わりに「相槌のきっかけ」が仕込まれている。噂その四。支払いは現金・カード・**川柳(季語指定)**から選べる。
私は広告会社の平社員、斎藤アキヒロ(31)。来週、最大手クライアントの重役就任パーティーで司会をやるハメになった。「首から上が不安だから、せめて首から下を完璧に」と先輩に言われ、百貨店の外商部に電話した。ほどなく、外商の十文字(じゅうもんじ)さんが自宅にやって来た。
ドアが開いた瞬間、部屋の湿度が3%下がった気がした。濃紺のスーツ、銀の名刺入れ、そして黒いアタッシュケース。十文字さんは丁寧すぎない会釈で言う。
「斎藤様、ノリオー二のオーダーシャツで“首回りの人生”を整えましょう。採寸というより**採談(さいだん)**になります」
「採談?」「お話を測るのです。まず、今日いちばん言いにくい謝罪文をどうぞ」「えっと……昨日出した見積り、単位が“個”じゃなくて“個々”になってまして……」「ありがとうございます。ノリ計、動きました」
アタッシュケースから出てきたのは、メジャー、針、カラーブック、そして見慣れない小さな箱。十文字さんが私の肩と喉仏の間に箱を当てると、ピッと光った。
「斎藤様の“場のノリ回り”は初速弱め・敬語強め。襟はセミワイド45°、芯は“ことば芯・共感寄せ”をおすすめします。第一ボタンは声の高さに連動。カフスは“うなずき誘導”にしておきましょう」
「うなずき誘導?」「握手のタイミングでカフスが1ミリだけ重くなります。相手が『あ、いま締めると気持ちいい』と脳内でうなずく程度の細工です。合法です」
採寸は続く。裄丈、肩傾斜、第二ボタン位置。十文字さんは要所で拍子木を小さく鳴らし、私の言葉の“間”を測っていく。ときどき、メジャーの端についた小さな海苔(のり)みたいなシールを襟台に貼り替える。
「それ、何ですか」「ノリ付けです。糊でも海苔でもなく“ノリ”。場の伝導率を上げる導電シール。雨で溶けたりはしません(食べられません)」
生地は「白出汁(しろだし)ブロード」を勧められた。真っ白なのに、場が固くなるとほんの少しだけ温度を持つ白になるらしい。ストライプは「まばら会議」。細い線がところどころで自己主張をやめるデザイン。私にやけに似合う気がした。
「襟の裏側には、“はい・なるほど・承知しました”の位置を金糸で刺繍します。どれを選びますか」「“はい”で」「よろしい。はいの人は司会に向きます」
「支払いは、現金・カード・川柳から」「来ましたね……季語は?」「**“御用聞き”**でお願いします」
御用聞き 襟でうなずく 声整う
「2,000円オフです。きれいな“整い”ですね」
◆
納品は百貨店の貴賓室。ノリオー二のトランクショーの端っこだ。入口ではドアマンが囁く。
「合言葉は?」十文字さんが私の耳に風のような声で告げる。「襟芯の角は心の角」私が復唱すると、カーテンがするりと開いた。中は静かな海の朝。壁にはレオナルド・ノリオー二の言葉が掛かっている。
「シャツは謝罪の制服ではない。会話の白旗だ」
仮縫い。袖を通した瞬間、喉の奥がすっと広がった。十文字さんがニヤリ。
「第一ボタン・呼吸可動域拡張、効いてますね。苦しくないでしょう? ボタンは一見同じですが、上から二番目だけほんの少しだけ軽い。“やめ時”のボタンです」
「やめ時?」「話を長くしないボタン。司会者の命です」
鏡の向こう、丸い影が動いた気がした。誰かが拍子木をひとつ。影は一礼し、消えた。たぶん、レオナルド本人だ。
仕上げに、十文字さんが襟芯を3枚差し出す。「本番用が“ことば芯・共感寄せ45°”。念のため、“詫び芯60°”と“ジョーク芯35°”もお渡しします。カフスに**“相槌スイッチ”、胸ポケットに“困ったときの前振りメモ”**が磁気で出たり入ったりします。Wi-Fiは使いません」
「どうしてそんなに機能が……」「襟は小さな司会台ですから」
◆
そして本番。会場は名門ホテル。私は白出汁ブロードにセミワイド45°。十文字さんは客席の隅、外商席で水のように存在しない顔をしている。いざ開会。私は深呼吸し、第一声を出した。
「本日はお忙しい中――」
ピッ。襟の内側で極小の合図。敬語角度がほんの少し立つ。会場の空気が「ちゃんとしてる」側に流れた。カフスを軽く合わせる。向こう側のテーブルで、一人、二人、うなずきが伝染する。白出汁の白がふっと温かい。いいぞ、いける――。
……と、次の瞬間、祝電の読み上げで漢字を思い切り読み間違えた。頭が真っ白。空気が沈む。私はとっさに「やめ時ボタン」に指を置いた。二番目のボタンが1グラム軽くなる。口が閉じる。沈黙、0.7秒。
「……失礼いたしました。読みは“あらた”でございます。気持ちは“あらたまっております”」
会場から助かった笑いが起きる。十文字さんが外商席で、ほとんど見えない程度の拍手を一回。襟の中で“共感寄せ45°”がわずかに寝る。呼吸が戻る。
しかし事件は二次会で起きた。予定外のご指名で、重役のサプライズ・カラオケ司会をすることに。私は慌てて**ジョーク芯35°に取り替え……たつもりが、手元が狂って詫び芯60°**を挿してしまった。
「それでは……えー……誠に申し訳ございません、皆さまの喉に最大限の配慮をし――」
司会がすべて謝罪文になった。会場がざわつく。やばい。十文字さんが外商席から視線だけでテレパシーを送ってくる(気がする)。スマホが震えた。“襟芯、前から2mm引け”とLINE。私はネクタイを直すふりで襟に指を滑らせ、詫び芯を1ミリ抜きつつ、ジョーク芯を横からそっと差し足す。
「……先に謝っておきました。うますぎる歌は禁止です」
空気が戻った。白出汁ブロードがほわっと湯気のない温度を帯び、テーブルごとにうなずきが連鎖。重役の「天城越え」は、音程は越えなかったが和やかに越えた。私は無事に夜を航海したのだった。
◆
翌日。私は百貨店にお礼に行った。外商サロンは羊羹のような静けさ。十文字さんは、薄い笑みとともにアフター調整を告げる。
「斎藤様、敬語角度が一晩で2°ほど寝ました。良い疲れです。次回に向けて“雑談用やわ芯”を作りましょう。名刺交換が3往復まで延びます」「便利すぎません?」「外商は便利の外で仕事をするのです」
「あと、ノリオー二より伝言です」「レオナルドから?」「はい。『襟が先に謝ると、人は前を向ける』」
私は思わず襟を触った。そこに**金糸の“はい”**がある。読み間違い、言い間違い、場の冷え——あの小さな事故たちが、刺繍の力になっている気がした。
会計の端末に、恒例の表示が出る。「本日の割引:川柳“外商”」。私はペンを取り、書いた。
外商や 襟に寄り添う 拍子木よ
端末が小さくピッと鳴る。十文字さんがうれしそうに拍子木を一打。「1,500円オフでございます」
帰り際、十文字さんがアタッシュケースを閉めながら言った。
「斎藤様、次は**“報告会・資料弱め”用のシャツもお作りします。ボタンホールが“結論から”の形になっております」「どういう形ですか」「入口が大きく、途中が細く、出口がまた大きい。話が短く**なります」「それは社会貢献ですね」「はい、食べられませんが」
ノリオー二のオーダーシャツは、やっぱり食べられない。けれど、場の空腹は満たす。 襟は小さな司会台。カフスは小さな相槌。 そして、外商さんは目立たないところで拍子木を鳴らす人だ。
次の大きな場まで、私は**「はい」の金糸**を指先で確かめる。 0.7秒後、鏡の中の私がうなずく。 ——間も、襟も、もう採寸済みだ。





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