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ノリオー二の「ノリ寸(すん)」——オーダースーツ事件簿

  • 山崎行政書士事務所
  • 9月21日
  • 読了時間: 6分
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噂その一。ノリオー二のオーダースーツは、肩幅と胸囲のほかに「場のノリ」を採寸する。噂その二。採寸室にはメジャーのほか、拍子木と笑い声センサーが置いてある。噂その三。裏地の柄は、依頼人の黒歴史からランダム生成される(※伏せ字対応可)。

 私は三浦タクミ(29)。妹の結婚式で司会を任され、人生最大の緊張を迎えていた。そこで選んだのが“空気の読めるスーツ”で名を馳せる高級ブランド、ノリオー二のオーダーラインだ。入口のドアマンが低く囁く。

「本日の合言葉は?」「……胸ポケット」「ノリがいい。どうぞ」

 店内は静かな海の朝みたいな匂い。壁には「採寸とは、あなたの現在地の詩である」とレオナルド・ノリオー二の言葉。スタッフの女性・加賀さんが、銀色の拍子木と柔らかいメジャーを持って現れた。

「まずはサイズより**間(ま)**を測ります。三浦様、こちらの“間ミラー”の前で自己紹介を三回。鏡は0.7秒遅れて返事をします」「え、鏡が遅刻するんですか」「司会は“喋り<間”ですから」

 私は鏡の前で名乗る。0.7秒後、鏡の中の私が名乗り返す。やりづらい。そこで加賀さんが拍子木を「カンッ」と鳴らし、笑い声センサーのランプがチカッと光る。

「はい、三浦様の“ノリ寸”は、初速は弱め・追い上げ型。緊張してると序盤が細くなる。肩パッドは控えめ、芯地は“アガリ強化”にしましょう。あと胸ぐせは“ツッコミ寄り”で」「胸ぐせって何ですか」「共感→ツッコミへ移る体のクセです。スーツで補正できます」

 採寸は続く。腕を広げると、袖口の中でメトロノームが「コツ、コツ」と鳴る。「これは?」「三浦様の拍手テンポです。披露宴はBPM110前後がちょうどいい。袖ボタンに“拍手誘導モード”を入れておきますね。パチパチ音はしません、気配だけ出ます」

 生地選び。私はネイビーを指すが、加賀さんは首を振る。

「妹様の式なら“鰹出汁ネイビー”がよろしい。見た目はふつうのネイビーですが、場が硬すぎるとほんのりあったかい雰囲気を纏います」「匂いは……?」「無臭です。食べられません」「(前科があるのかこのブランド)」

 裏地はどうしますかと尋ねられ、私は無難にドットを指す。だが加賀さんがタブレットを差し出す。

「ノリオー二名物、“裏地は恥”も選べます。『中学の合唱でソロを外した夜』や『就活で社名を噛んだ午後』など、着る人にだけ見えるうっすら透ける反省プリント。場が重くなったときに思い出し笑いブレンドが流れ、肩が下がります」「それ、強い薬みたいですね。じゃあ、『三年目の昇進面談で“成長痛です”と答えた事件』で……」「渋いですね。大人の負け戦柄、人気です」

 ネーム刺繍は胸ではなく内側のツッコミ位置に入るらしい。「(ここで笑う)」と金糸で刺すのはさすがに恥ずかしく、「(ここでうなずく)」にしてもらった。

「お会計は、現金・カード・川柳からお選びいただけます」「また来た」「季語は“祝辞”でお願いします」

祝辞とは のどの渇きと 親戚力

「いい“渇き”ですね。3,000円オフです」

 仮縫いの日。肩は吸い付くのに、胃袋のあたりだけそっと逃げ道がある。加賀さんが説明する。

「ここに“逃げ腹ダーツ”が入っています。緊張で胃が固まっても呼吸が浅くならない。あと、ラペルのここを触ると“間(ま)延長”。数秒だけ空気がふわっと遅くなります」「物理法則がゆるい」「ノリの範囲内です」

 最後に、黒い影がすっとカーテンの向こうに立った。丸いシルエット。声は低くやわらかい。

「仕上がりは笑い二割増しにしときなさい」「レオナルド・ノリオー二……さんですか?」「影だけで失礼。影が濃いほど、人は軽く笑える。覚えなさい」

 影が消えると、加賀さんが微笑んだ。「本番、楽しみですね」

 いよいよ当日。私はノリオー二の箱からスーツを出し、タグを読む。

取扱注意・緊張で口が乾いたら、チーフでグラスの結露を拭く(想定内)・拍手乞いは1回まで(やりすぎ注意)・食べられません(やはり)

 会場はホテルの中ホール。新郎新婦はすでに涙腺がゆるい。親戚は強そう。私は深呼吸してマイクへ――のはずが、胸の内側で何かが「コトッ」と鳴った。裏地の“思い出し笑いブレンド”が一滴落ちたらしい。胃のあたりがふっと軽い。

「本日はお日柄もよく……えー……お日柄、どれくらい良いかといいますと、親戚の字が読めるくらいに良いです」

 笑い声センサーが袖の中で小さく点滅。間ミラーで練習した0.7秒の“間”が勝手に身体に入る。場が温まった。私は調子に乗り、袖ボタンをそっと撫でた。拍手誘導モード。すると会場の拍手が、波のようにちょうどBPM110で広がる。出汁ネイビーがすこしだけ温かくなる。やれる、今日はやれるぞ。

 ――が、中盤の余興で事件は起きた。新郎の友人代表が、ほぼ無音のガチのスライドを始めたのだ。写真が静かに流れ、静かに終わる。空気が、沈む。

(ここでうなずく)

 胸の内側の金糸が、じんわり熱を帯びた。ツッコミ寄り胸ぐせ補正が働く。私は無意識にラペルを触った。間延長。空気がふっと伸び、スライドの最後の写真—新郎が鼻毛を気にしているアップ—に、ほんの0.7秒の余白が生まれた。

「……ちゃんと見てあげて

 言ってから、自分で驚いた。会場が“助かった笑い”でほどける。友人代表も笑って頭を下げ、マイクが戻る。私は袖の中のメトロノームをBPM108に落とし、乾杯へ軟着陸。肩は軽く、胃袋は逃げ腹ダーツで守られている。スーツがノらせてくれている。私のノリ寸は今、たぶん最適だ。

 クライマックスの新婦の手紙。私は喋らない。ただ立つ。そのとき、スーツの内ポケットの底が少しだけ深くなった。後で気づいたのだが、これは“泣きポケット”。ハンカチを落とさず受け止めるために、着る人の心が揺れると重力より先に伸びるらしい。物理法則、今日もゆるい。

 式はつつがなく終わり、新郎の父が近づいてきた。

「君のスーツ、いいなあ。なんだか場が片付くんだ」「ありがとうございます。ノリオー二の――」「予約は要るかね?」「合言葉が要ります」

 後日、店に御礼に行った。加賀さんは、例の拍子木で軽く「カン」。笑い声センサーが私の記憶に反応したみたいに、ちかっと光った。

「三浦様、ノリ寸が一段上がりましたね。では、アフター調整を。次は謝罪会見用に“土下座でシワにならない”プレスをかけておきます」「なぜ予告なくそういう怖いことを」「社会人の備えです。もちろん食べられません

「あと、レオナルドから伝言です」「はい」「“影を磨いておきなさい。影が整えば、人は勝手に前へ出る”と」

 私はネイビーの袖を見下ろす。誰にも見えないところで、裏地の“恥”がそっと光る。言い間違い、空回り、あの小さな敗戦たち。ぜんぶ縫い目の力になっている。たぶん、それがオーダースーツの正体だ。

 帰り際、お会計の端末に小さく表示が出た。「本日の割引:川柳“余韻” 2,000円」。私はペンを取り、季語なしで一首。

ネクタイを ほどく手前の ひと呼吸

「いい余韻です」と加賀さんが笑う。レジがピッと鳴った。

 ノリオー二のオーダースーツは、やっぱり食べられない。けれど、場の空腹を満たすことはある。 スーツは人を飾るもの。でも、ノリを縫い合わせるものでもある。 私は今日も鏡の前で、0.7秒だけ遅れて笑ってみる。間は、ちゃんと私に採寸済みだ。

 
 
 

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