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海と森のあわい(続編)

  • 山崎行政書士事務所
  • 11 分前
  • 読了時間: 5分

プロローグ:薄青い波

 巡回展を無事に終えた幹夫(みきお)は、海辺の町にもうしばらく滞在することにした。主催者側の好意で、町外れの岬にある小さな民宿を借りられることになったのだ。 岬の先端に立つと、水平線の向こうに森のような影がかすかに揺れている。実際に木々が生えているわけではないはずだが、朝の光に包まれる波間を見つめていると、森の気配がうっすら溶け込んでくるように思われるのだった。 「もう少しだけ、海と森が交わる瞬間を探してみたい……」 そんな気持ちに動かされ、幹夫は鞄に画材を詰め、しばらくの間ここで過ごすことを決めたのである。

第一章 岬の民宿にて

 木造の民宿はこぢんまりとしていて、塩の香りがほんのり染みついた廊下が妙に懐かしい。女将さんは、ゆったりした口調で幹夫を迎えてくれた。 「この先はあまり観光客も来ないけれど、代わりにゆったり過ごせますよ。昔はここの沖合に、白い波が馬のように見える場所があったんですって。地元の漁師さんたちが、 ‘白馬岬’ と呼んでましたねえ」 「白馬岬……」 その言葉を耳にした瞬間、幹夫の胸が静かにざわめいた。父の絵を通じて知った白馬、森の奥で目撃したあの幻影。海辺にも、同じように白い馬が現れるのだろうか。 部屋に荷物を置き、さっそくスケッチブックを携えて岬を巡ってみようと外に出ると、朝日が低い角度で波打ち際を照らしていた。

第二章 波打ち際の森の気配

 岬の遊歩道をたどると、ひなびた小さな灯台が見えてくる。その先には遮るもののない海原が広がり、微風が幹夫の髪をそっと撫でた。 遠くを見つめれば、蒼く穏やかな海面の上に、淡い雲が浮かんでいる。雲の陰が海に落ち、まるで森の木立が立ち上るようにも見えるのが不思議だ。 幹夫はスケッチブックを開き、鉛筆を走らせる。森とは違う色彩の重なりを目の前にしながらも、ふと内面には木々のせせらぎや獣の吐息がよみがえる。 「森でも海でも、きっと同じ静寂があるんだな……」 波の音に混じって、いつか耳にした森のざわめきが聞こえる気がして、幹夫は筆を動かす手を止めた。空と海と大地の境目が溶け合って、どこにも限界がないような感覚に包まれる。

第三章 海の中の白馬

 夕刻、幹夫は民宿の女将さんと話し込んでいた。かつて漁師たちの間で囁かれていた「白馬伝説」について、彼女が古い地元誌を見せてくれたのだ。 「ほら、ここ。 ‘夜明け前の沖合に、白い波頭がかたまりになって馬群のように駆けていた’ と書いてあるでしょう。嵐の前兆とも言われ、漁師たちは船を出すかどうか迷ったって……」 幹夫の胸は高鳴った。森の奥に佇む白馬は、父の面影を宿す幻影として彼の人生に寄り添ってきた。そしてここには、海の“白馬”が確かに人々の記憶を揺さぶっていた形跡がある。 海と森。まるで対極のような場所でも、白い馬が時を超えて息づいている。幹夫はページをめくりながら、その古い記録の行間に、かすかな波の音を感じていた。

第四章 夏子からの想い

 その夜遅く、幹夫のスマートフォンが震え、画面に夏子(なつこ)からのメッセージが表示された。「そっちの海はどう? 白馬もいるのかな」 短い言葉に、幹夫は思わず微笑む。彼女とは普段、手紙でやりとりすることが多いが、時折こうしてメッセージを交わすこともある。 幹夫は即座に返信する。 「海にも、白い馬がいるらしいんだ。森の白馬とつながってるのかもしれない。いつか一緒に見に来ようね」 返信を送ると、窓の外には月が昇り始めていた。波の音が小さく聞こえ、まるで森のそよぎと呼応し合っているように感じる。深い青の夜気が部屋に浸透し、幹夫はあたたかな眠気に包まれながら、白馬岬の夢を見そうだと思った。

第五章 波間に溶ける木々の影

 翌朝、まだ薄闇が残るうちに民宿を出た幹夫は、岬の突端を目指した。女将さんの話では、夜明けの風が弱い日に、白馬の姿が現れるかもしれないという。 遠くを見晴らすと、水平線のあたりがほのかに銀色に染まりはじめ、しんとした空気の中で海原がうっすらと息づいている。 「現れてくれたら、どんなに素敵だろう……」 そう思いながら待ち続けたが、その朝は波の上に白い馬影は見えなかった。けれど、森の朝靄のような淡い霧が海面に漂い、木々が揺れるかのような形を作っては消えていく。 幹夫は胸が締めつけられるような感動を覚え、そっと目を細めた。そこには確かに、森と海が一つに溶け合う気配があったからだ。

第六章 森と海のあわい

 日が高くなり、幹夫は海岸沿いを散策していた。潮風にさらされた断崖や、打ち寄せる小さな波、そして時折すれ違う地元の人々の穏やかな笑顔。どれもが不思議なくらい静かで、すべてが調和している。 そっと岩肌に手を当てると、湿った冷たさとわずかな温もりが混じり合う感触が伝わる。森に触れるときのように、自然の息遣いが手のひらを通して教えてくれるようだ。 幹夫はふと遠い空を仰ぎ、故郷の山並みを思い浮かべる。そこにも、同じ静寂が広がり、夏子が酒蔵で忙しく立ち回っている姿があるのだろうか。森のざわめきと海鳴りが、どこかで共鳴しているような気がした。

第七章 潮騒の白馬(エピローグ)

 幾日か過ぎた朝、再び薄暗いうちから幹夫は岬へ向かった。昨日の夕暮れから風が弱まり、海面が鏡のように穏やかだと女将さんが教えてくれたからだ。 まだ夜の名残を含んだ空気の中、沖合を見晴らしていると、波が重なり合う部分が淡く白い帯のように光り始める。やがて薄青い海面が揺らめき、かたまりとなって駆け抜ける一瞬があった。 「……白馬……!」 口には出さなかったが、幹夫の胸は確かに高鳴っていた。波頭が勢いよく立ち上がっては消え、また形を変えていく。ほんの一瞬、そこには群れを成す白馬が走り去っていったかのように見えたのだ。 潮騒の中、幹夫はじっと目を凝らす。馬の幻影はすでに波に溶けこんでしまったが、その神秘的な光景が瞼の裏に焼きついている。 ──森の奥に立つ白馬、そして海を駆ける白い波。二つはまるで表裏一体のように、彼の魂を揺さぶり続ける。 遠くに浮かぶ朝日がすべてを淡い色に染め上げるころ、幹夫はスケッチブックを開いて鉛筆を握った。森と海が交わる「あわい」を描きとめたい。その想いが、涙に似た静かな熱となって胸を満たす。 いつの日か、またここに戻り、森とも故郷とも繋がる絵を完成させたい。そう願いながら、幹夫は朝焼けに染まる波打ち際を眺め続けた。

 
 
 

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