租特の谷 ― 特別措置の影に沈む声 ―
- 山崎行政書士事務所
- 10月19日
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第一章 白昼の会食
霞が関、秋。永田町から霞門へ抜ける路地に、古びた料亭「翠泉」はあった。白い暖簾には墨で書かれた一文字、「和」。かつて官僚たちが通い詰め、政治家と財界の密談が重ねられた場所だ。
その一室で、政調会長の鷲尾敬一郎は、笑みを浮かべながら箸を置いた。「——まあ、表向きは“地域未来投資促進税制の延長”だ。けど実際は、あんたたちの新工場に補助金を流すための“形”だよ。」
向かいに座るのは、大手電機メーカー「光栄テクノロジー」の副社長、神田章吾。神田は一礼して、静かに答えた。「先生のお力添えがなければ、投資なんて踏み出せませんでした。EVバッテリー事業——あれは日本の未来ですから。」
鷲尾は笑った。その声には疲労と確信が混じっている。「未来? 違うな。あれは“票と資金”の未来だ。お互いに、な。」
テーブルの下では、封筒が音もなく滑り込んだ。金ではない。政策提案書という名の献金目録。そこには「脱炭素技術促進助成(拡充要望)」「研究開発税制(控除率25%維持)」の文字が並ぶ。
第二章 補助金という名の献金
数日後、経済産業省内の特別会議室。資料のタイトルは「カーボンニュートラル投資促進税制 改正試案」。官僚たちが読み上げる条文の中に、微細な修正が紛れ込んでいた。
第四十二条の十一の三二 当該投資が地方創生基本法に基づく認定を受けた事業である場合は、控除率を十五パーセントとする。
その数字を指差して、若手審議官が眉をひそめた。「十五……? 去年までは十パーセントだったはずでは。」
課長は低く言った。「政調会の要請だ。“地方創生型”を名目に、特定企業の設備投資を対象に入れろと。」
若手官僚は黙る。形式上は「地方創生支援」。だが、裏では光栄テクノロジーのバッテリー工場、三重県津市の敷地が指定予定地として既に書類に盛り込まれている。つまり補助金は、**個別企業へのルート化された“租税特別措置”**として再構築されていたのだ。
第三章 メディアの沈黙
その構図を嗅ぎつけたのが、経済誌「フロンティア」記者の相沢結衣だった。内部文書をリークした経産官僚の匿名メールにはこうあった。
「補助金の名を借りた政治献金ルートがある。鷲尾が推す大企業群が“形を変えた優遇”を受けている。研究開発税制・地域未来投資・GX投資、どれも“租特”を温存するための政治的取引だ。」
相沢は上司に報告するが、編集部の答えは冷たかった。「スポンサーが絡んでる。紙面は出せない。Web連載なら検討する。」
テレビ局も新聞社も、同じ補助金で新社屋建設を進めている。メディア自身が、形を変えた大企業優遇の受益者だった。だからこの国では、誰も声を上げない。租税特別措置は、霞が関でもなく、企業でもなく、沈黙によって守られている。
第四章 崩壊の序章
やがて、政調会長の秘書が贈収賄容疑で逮捕された。しかし鷲尾本人には火の粉が及ばない。国会答弁では、彼は静かにこう述べた。
「私は企業を支援した。それが結果的に日本経済の成長に寄与しただけのことです。」
租税特別措置法は、また改正された。「制度を一本化」「効率化」と称して、補助金を法人減税枠へ組み替える。名目は変わり、構造は残る。——まさに、形を変えた優遇。
終章 声なき納税者たち
冬の夜、相沢は税務大学校の講堂で講演を終えた。最後のスライドには、こう書かれていた。
「特別措置とは、本来“例外”である。だが日本では、それが“常態”となった。租特は政治の鏡であり、沈黙の罪の集合体である。」
拍手はまばらだった。聴衆の中には、財務省の若手職員と、かつての内部告発者の影。相沢は小さく呟いた。
「誰が正義を税法で測れるというのだろう。」
外では、雪が降り始めていた。真白な闇の中、次の「改正案」が静かに書き換えられていく。それがこの国の、現実の音だった。





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