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還流の設計図 ―「形を変えた補助金」と政治

  • 山崎行政書士事務所
  • 10月19日
  • 読了時間: 8分

※本作はフィクションです。実在の人物・団体・制度・事件とは関係がありません。

ただし描かれる構図や手口は、現実の制度運用で起こり得るものを題材にしています。

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1|白い箸袋

政界の冬は、音がしない。衆院第二議員会館の来客用ラウンジは絨毯が深く、足音が埋もれる。政調会長・秋庭遼は、白い箸袋を折り目正しく二つに割った。対面には産業複合体「東海エネルギー機械」副社長の香坂。背広の襟は霜の朝のように硬い。

「——補助金ではない。法だ」秋庭は小さく笑う。「“特定脱炭素転換促進税制”。税額控除と特別償却に組み替える。見た目は租税特別措置だ。現金は動かない。だが実質は補助金と同じだよ」

香坂は頷く。「会計上は税効果。株主は喜ぶ。先生は“財政再建の旗”を降ろさずに済む。ありがたい」

テーブルの下で封筒が滑り、秋庭の秘書が無言で回収する。中身は札ではない。政策連携覚書。寄附は別の窓口、政治資金規正法の内側。だが覚書の条文はもっと生々しい。

・適用対象設備:総容量〇〇MWh以上の固体電解質ライン・稼働開始期限:令和×年×月末・地域指定:三県二市(特定地域再生計画と連動)

工場の図面に合うよう、要件は刃物のように削られている。

2|条文職人たち

夜、霞が関の会議室でパソコンの光がじわりと壁を染める。民間のコンサルと税理士、政策秘書、若手官僚が机を寄せる。“条文職人”と揶揄される人々だ。「“生産性向上率二%以上”は広すぎる。**“ライン当たりエネルギー原単位△%改善”**に置き換えれば、狙った設備だけが通る」「控除上限は法人税額の二〇%? グループ通算なら余剰を吸える。繰越期間は——」「“地域未来枠”を重ねれば、地方創生の看板が立つ。新聞は叩きにくい」

紙の角が、ひっそりと揃えられる。補助金は“審査”が目立つ。税制なら申告の陰で消える。彼らは知っている。政治が必要とするのは反発の小さい支出、企業が欲するのは確実な還元。租特は、両者の接着剤だ。

3|秘書という関節

秋庭の第一秘書・御影は段取りの鬼だった。政務三役、各省審議官、与党税調、地方首長、そして与野党の“ぶつけどころ”。「制度名を“投資促進”に。補助金の“予算枠”という言葉は避けましょう」「先に“整理解雇回避”の文言を入れる。労組に貸しを作る」「マスコミは“地方局の送信所更新税制”を別に用意。一本、封じる

一枚の絵が、等高線のように浮かぶ。中央に法案名、その周りを政治資金、雇用、地方、メディア、学者の「提言」が囲む。矢印は一方向ではない。還流する。御影は指先で矢印を増やしていく。誰にも見えない循環の配管図

4|記者の嗅覚

週刊誌「フロンティア」記者、早乙女海は、経産省の古い喫煙所で小さなメモを受け取った。

“形を変えた補助金”の中身を見てほしい。“脱炭素”の飾りの下で、特定の設備だけが通る寸法になっている。省内の若手より」

メモの角は濡れている。「若手」と名乗ることは、たいてい若くない。早乙女は鼻を鳴らす。臭うとき、言葉は少し湿る。彼は国会図書館の端末に向かい、似た条文の過去の履歴を洗った。数年前の「高度情報連携設備投資促進税制」。要件の数式は似ている。係数だけが違う。企業のカタログスペックに寸分たがわない数字。——条文が、製品仕様書のようだ。

5|持たれ合いの町

三県二市の一つ、海藍市。かつて造船で栄え、いまは巨体の工場が空を塞ぐ。市長の南條は、秋庭の高校の後輩だ。「うちに誘致できるなら、なんでもやる。条例も税も**“最適化”する」南條は言う。「住民は“雇用”で票を入れる。反対派には“環境基金”**で口を閉じる。補助金? いらないよ。東京が“税”でやってくれる

市役所の廊下には、新工場の完成予想図が並び、保育園の増設計画が貼られ、給食費の無償化が赤い字で踊る。誰も“財源”を問わない。租特は、地方の夢の姿で降ってくる。

6|メディアの沈黙装置

全国紙の経済部デスクは、早乙女の原稿を読んで言った。「つまらん。違法性はどこだ。癒着は? 写真は?」早乙女は黙ってタバコを揉み消す。「これは合法的に形を変えた補助金の話です。違法性は、——上手く避けてます」デスクは鼻で笑う。「紙面は炎上でしか売れない」

別室では編成局長が地方局の更新税制の資料を見ている。電波塔の耐震補強、災害時の中継機材更新。善い話だ。局長はつぶやく。「これを通すなら、秋庭さんに借りができるな」その夜、経済面の「特別企画」は地方創生の成功例で埋まった。行間は白い。沈黙の色だ。

7|若手官僚の夜更け

経産省の若手、白石晴臣は、深夜のフロアに一人残った。端末には条文案。カーソルは「対象設備」の定義の行で点滅し続ける。白石はコーヒーに砂糖を落とす。——自分たちが書いた言葉が、ひとつの企業のためにしか通らない。知っている。でも、政治は言う。「雇用が守られる」「投資が増える」「脱炭素が進む」。そして上司は言う。「反対する理由がないだろう?」

白石はキーボードを叩く。数値を一つ、曖昧にした。“またがない”ように見えるが、実務では広く取れる。心のどこかが、静かに軋む。若手ができる反抗は、言葉の幅を残すことだけだった。

8|税調の密室

与党税調の会合。記者は入れない。古い木の机に紙が積まれ、年季の入った議員たちが数字を撫でる。「——控除上限の二〇%は重い。税収が減る」「しかし成長が増える。将来税収で回収できる」「財務はうるさい。だが選挙が近い」「“グローバル競争”だ。“海外はもっと手厚い”」

結論は最初から決まっている。控除率は一五%特別償却は三〇%賃上げ要件を添えて、ポスターが作れる。大企業も、条件さえ満たせば堂々と使える。形を変えた補助金は、資金を潤す。法に罪はない。運用に匂いがあるだけだ。

9|公開ヒアリング

表の舞台が整えられる。公開ヒアリング、配信カメラ、整然と並ぶ識者たち。大学教授、労組代表、地方首長、産業界の旗手。異論は用意される。だが反対の言い方も用意されている。「効果検証が不十分」「対象が限定的」——是々非々の声の形をした賛成

秋庭は滑らかに語る。「これは補助金ではありません税制です。企業の自助努力を後押しし、国家戦略雇用に資する。——反対の理由が、ありますか?」

拍手。カメラは笑顔を拾い、細部を映さない。

10|交差点

早乙女は紙面を貰えなかった。かわりに匿名ブログに連載を始めた。“条文のエンジニアリング”“グループ通算というスポンジ”“地方創生という蓋”PVは伸び、コメント欄は荒れる。陰謀論現場の悲鳴が交錯する。

そんな彼のもとに、白石から二通目のメールが届く。

あなたの最初の原稿で、数値が一つ変わった。彼らは“見られている”と知った。ありがとう。でも私はもう限界です」

添付は会食記録。場所、時間、参加者、座った順番。会計書類は真っ白だが、料理の領収書に残った稀な銘柄の酒が、別の政治資金収支報告書のパーティー購入記録と一致する。——紙を横断すると、が見える。

11|告発の値段

記者クラブは動かない。国家権力と喧嘩をするには、確実な違法性が要る。早乙女は弁護士に相談し、公益通報の窓口に情報を送る。返ってきたのは定型の受領メール。「慎重に検討します」

一ヶ月。何も起きない。その間に、法案は可決された。夜の国会前、風は冷たく、プラカードは手の中で小さくなった。

12|勝者の論理

新工場の落成式。南條市長の笑顔は、大型のテープカットに映える。秋庭はヘルメットを被り、マイクを握る。「みなさん、雇用が戻ってきました。地域が動き出しました。この新税制は、国の未来です」

香坂は拍手の合間に、耳元で囁く。「控除枠、助かりました。来期のEPS、約束できます」秋庭は淡く笑う。「寄附で返してくれ。いや——政策提案で」

報道は華やかだ。「地方創生の成功」「脱炭素の旗手」そこに条文の棘は映らない。

13|崩れる静けさ

春、御影が事情聴取を受けた。政治資金パーティー券の割当、名義の寄せ。直接の違法は掴めない。周縁だけが削られる。秋庭は議員会館の窓から、桜を見た。「彼らはうまい。俺たちは——もっと上手い」窓際の灰皿には、火の消えかかった煙草。燃え残りは始末できる。

14|皮膚感覚

白石は人事異動で出先機関に飛んだ。彼は、その朝の冷気を胸いっぱいに吸い込んだ。「勝てない」何に? ——制度に。手続に。言葉の中に逃げ道は最初から設計されていた。でも彼は、一行を書き換えた。その一行が、誰かの賃金地域の予算を救ったかもしれない。それでいい、と言い聞かせるしかなかった。

15|取材ノート

早乙女の机には、落書きのような矢印が増えていく。政治→条文→企業→地方→メディア→政治。矢印はどれも一方通行ではない。回る。還る。還流

彼は最後の原稿にこう書いた。

補助金は、今も支払われている。ただ、形がになり、受領印が申告書の余白に移っただけだ。それを描いた人々は、誰も法律に触れていない。けれど、倫理は静かに擦り切れていく。**

16|掌の重さ

秋庭の手のひらには、いつも重さがあった。握手の数、署名の数、折りたたまれた覚書の数。ある夜、彼は珍しく眠れず、机の引き出しから最初の選挙のビラを取り出した。「透明な政治を」若い自分が笑っている。窓の外で、街のネオンが滲む。透明は、見えにくいという意味にもなるのだと、今の彼なら言えた。

17|余白

海藍市の夜、工場の明かりが海に落ちる。保育園は増え、駅前にカフェができ、商店街に客が戻る。一方で、家賃は上がり、は少しだけ静かになった。誰も代償の一覧表を持っていない。それはいつだって、余白に書かれるものだから。

18|あとがきに代えて

これは“告発”の小説ではない。制度は、いつでも善意から始まる。でも、還流の設計図が一度できてしまえば、線は太くなり、色は濃くなる。「形を変えた補助金」は、租税特別措置という法の衣を着て歩き回る。それを止めるのは、違法性ではない。想像力だ。——失われた二つを、誰が返してくれるだろう。

 
 
 

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