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長編小説『龍勢の風、草薙に鳴る』3

  • 山崎行政書士事務所
  • 3 時間前
  • 読了時間: 20分


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第十三章:火薬会議

 午後の陽が柔らかく傾きはじめた頃、集会所の座卓に白いクロスが敷かれ、紙束と印鑑マットと、透けるほど薄い手袋の箱が整然と並べられた。表紙には太い字で「火薬会議」。志村兼三は作務衣の袖をひと折り、宮司・八重樫瑞穂は“やめる紙”の写しを一番上に置いた。月岡遼は、風と湿度の推移グラフを畳に投影し、朔は“受け止め図(ver.1.4)”の隅に**B→C(やめる枝)**の静止図を重ねる。澪は録音機を置かず、ノートだけを開いた。説明で勝とうとしない——この会議でも、稽古で示す。

 参加したのは保存会の中核、花火会社の技術責任者、消防の隊長、危機管理課の係長、保健師、警部補、そして自治会長。玄関の風鈴が一度鳴り、空気が一拍、座る

「最初に“やめる紙”を読みます」

 宮司が開口一番に告げ、写しを静かに持ち上げた。

迷うときはやめる。宮司

 会議のゼロ拍が敷かれた。紙が置かれる前に、議論の脚は速くならない。

「今日の論点は四つです」

 月岡がホワイトボードに短く書く。

  1. “上げないための上限”(安全側に丸めた火力上限の合意)

  2. 点火手順の二重実装(紙面と身体/“止める図”“進める声”)

  3. 保安・衛生・保管(鍵の本数/誰がいつ触れるか)

  4. “やめる演目”の音と灯り(中止を途絶にしない舞台の割り当て)

配合の数字は、ここでは扱いません」

 志村が先に釘をさす。具体が人を勇ませすぎるからだ。会議は**“線の引き方”**だけを共有する。

     *

1. “上げないための上限”

 花火会社の技術責任者が会釈し、慎重な声で言う。

“白い窓”の日でも越えない上限を、まず紙で固定しましょう。候補Bでの“座り”を第一基準に、候補Aを使う日は“白い窓”かつ風の層が十分に高いこと——この二条件が満たされても、上限は動かさない

 消防隊長がうなずく。

“できる日”にも“やらない数字”を残す。当日の“やめる会議”で迷ったら、その上限の紙を読み直す

 危機管理課の係長が書き加える。

“上げないための上限”=“やめるための目盛り”誰の責任で読むかを明記します。宮司消防技術三者読み合わせ。**声の角度は−2°**で」

 澪のノートに、新しい項目が立つ。

【上げないための上限】・“白い窓”の日でも上げない数字。・三者読み合わせ(宮司/消防/技術)。・**“やめる目盛り”**として紙に残す。

 朔は“受け止め図”の余白に目盛りの記号を描く。数字ではない。止めるための印だ。

     *

2. 点火手順の二重実装

 畳の中央に、薄い木枠の模擬火床が置かれた。火は使わない。身体が先だ。月岡がタイムラインを短く刻む。

T−10分“座る合わせ”旗−2°/声−2°/影−3°“やめる紙”再読。T−5分:“やめる枝”の停止図静止画で掲示。更新は止めておく。T−2分“四眼原則”(技術・消防・宮司・保存会)、“読む→指差し→復唱”T−0読み上げは、短く。“今の風で行く/行かない”。“合図は声ではなく静けさ”T+“水→右”の拍は変えない

 「四眼原則」という言葉に、志村が頷く。一本の拍に、四つの目が重なる。個人の勘共同のリズムに変換する仕組みだ。

紙面の台本は、この順序に**“止める図”**を先に置きます」

 宮司がプリントを配る。先頭の段落は短い。

やめる基準を先に読み、止める図を先に見せる。進める言葉は、短い。

 警部補が手を挙げる。

“Hold/Abort/Scrub”を日本語で使い分けましょう。“一時停止”/“中止”/“仕切り直し”拡声器で叫ばない−2°の声近くの人にだけ落とす。遠吠えは作らない」

 澪は“辞書”に追記する。

【二重実装/点火】・“止める図”→“進める声”。・四眼原則指差し復唱。・Hold/Abort/Scrub一時停止/中止/仕切り直し。・遠吠えを作らない

     *

3. 保安・衛生・保管

 花火会社のケースが座卓に上がる。中身は見せない。記録だけが置かれた。鍵は二本二人で開け、二人で閉める。署名欄が二列。月岡が温湿度ロガーの画面を示す。数字は言わない。崩すべきではない具体は、紙に上げない。

“触れる人”の名簿は、当日紙で持ち歩きません

 危機管理課の係長が明言する。

「名簿は事前に共有、当日は**“誰にも持たせない”。記憶でなく配置で守る。——“静かな旗”が立つ場所に保管ケースは来ない**」

 保健師が衛生の一拍を差し込む。

“見たら飲む”の水は、火床から二拍以上離す。子どもの手の高さに置く。は別の盆へ。——味の合図燃えるもの重ならない配置」

 志村が座卓を軽く叩く。

“触らない”を“触れる人”が先に言う。——これも一人称で」

 澪のノートに、また短い頁が増える。

【保安・衛生・保管】・二人で開け、二人で閉める(二本鍵/二列署名)。・名簿は“持ち歩かない”。配置で守る。・味の合図(水・塩)は火から二拍離す。・“触らない”を“触れる人”が言う

     *

4. “やめる演目”の音と灯り

 「中止途絶にしない」——この言い換えは、午前の稽古で生まれた。**“やめる演目”**は、終わりではなく、受け止めの別名だ。澪が“舞台割り”の草案を出す。紙は簡素だ。

  • を崩さない小太鼓の三拍目。**“見たら飲む”**の声に重ねない。

  • 灯り影の川を細く残し、丸い石だけを柔らかく拾う。

  • 言葉“ありがとう”が先。**“やめる”**はすでに読んである。

  • 子どもの手から先に。落ち葉のように“降りる”布の配り方。

 消防隊長が頷く。

音は境内の内側だけ外へ遠吠えを作らない。灯りは**−3°で落とす。影が歩幅のメトロノーム**になる」

 自治会長が、珍しく先に口を開いた。

“やめる演目”を見に来た人が、次も来る。——それなら、今年は“成功”だ」

 志村が苦笑して「そんな客がいたら困る」と返し、場の空気が少し軽くなる。責任のない笑いが、合図の代わりに短く転がった。

     *

 議題はすべて一巡した。だが、会議はここで終わらない。**“座る”が、もう一度だけ必要だった。宮司が立ち、“御止(おとめ)”**の古い記述を読み上げる。

最初と最後。——止める札は、最初と最後に掲げる」

 “やめる紙”の写しと、“ありがとうの紙”の写しが、座卓の端で重なったり離れたりを繰り返す。その揺れを見つめながら、朔は父の録音の声を思い出していた。『“やる前に座る”』。今日の会議は、まさにそれだった。

「——稽古に移ろう

 志村が言って、座卓の上の紙がすべて実物の配置に変わる。畳の四隅が風の地図になり、が立ち、が落ち、が向き、笑いが置かれ、が差し出され、止める図が掲げられ、数字が“やめる合図”へ目を移し、沈黙歓声の後に薄く敷かれる。四拍+長い三拍が、畳の目の上を静かに流れた。

 花火会社の技術責任者が、最後に静かに頭を下げた。

“上げないための上限”をここに残します。数字ではなく、で」

 印鑑が、紙の端に短く押される。赤い楕円は小さい。小さいが、目盛りは深い。

     *

 夕方、境内に戻ると、丸い石が白く乾いていた。火床は静かに座り、砂利の鳴きは足と同じ速度で流れる。**“やめる紙”は風に揺れず、隣の“ありがとうの紙”**が一度だけ小さく重なる。

 朔は“受け止め図”を閉じ、止める図の静止画だけを胸の中に残した。動く絵は足を速くする。止まる絵は手を落ち着かせる。**“やめる演目”**の灯りの割り当てと、小太鼓の三拍目の薄い音が、闇の手前で少しずつ輪郭を持ちはじめる。

 澪は記事の見出しを心の中で決めた。「上げないための上限」サブ:「止める図と進める声——二重実装としての点火手順」

 花火会社の車が静かに去り、消防が一度、境内の周を歩き、保健師が水の盆の位置を二歩、奥へ寄せる。警部補は拝殿の柱に軽く一礼し、自治会長は丸い石の縁を指で一度なぞった。

 志村は火床に手を置き、目を閉じた。

……座った

 その一言で、今日が終わった。誰も拍手をしない。代わりに、息の合う音が長く残った。

 夜、最後の提灯が落ちる前、短い口笛が境内を横切った。旋律はいつものサビ。だが今夜は、“止める図”の拍で落ちてきた。四拍+長い三拍。三拍目が、ほんのわずか長い。**“見たら飲む”**のために。

 ——風は決める。人は託すだけだ。 託す前に、上げないための上限を紙に残し、止める図を先に掲げ、進める声を短く落とし、四眼原則座りを確認し、味の合図を二拍離し、中止を途絶にしない舞台を割り当てる。 それが、火薬会議の全てであり、言葉にならない祈りを、明日に渡すための短い線だった。


第十四章:設計図の欠落

 当日の三日前、朝の境内に薄い違和が生まれた。見慣れた影の川が、鳥居と拝殿の間で一本だけ途切れる。足元照明はいつもどおり**−3°で向いているのに、砂利の上で影が消える点が生まれ、そこから音の速さ**が半歩だけ早まる。受け止め図(ver.1.4)の上では何も起きていない。だが地面は、図の余白に小さな穴を開けた。

「——影が欠けた

 朔が言うと、志村兼三は火床の柱に指を置いたまま、短く頷いた。

図が先に疑う。次に地面に謝る。最後に動かす

 宮司・八重樫瑞穂は、拝殿の柱の**“やめる紙”を一度撫でてから、穴の位置に白い小石を三つ置いた。言わない合図のための目印**。澪はノートを開き、書かない。**“説明で勝とうとしない”**を思い出し、稽古で示す順序を胸に並べる。

祖父の巻物、“禁”の頁の手前に、空白があったよね」

 環が呟く。朔は頷き、黒い布から巻物を取り出す。“風洞”の頁の欄外、細い墨の線が途中で止まり、余白のまま残された一角——そこに、今日の欠落が重なるのが、はっきりと見えた。

「ここ、祖父は**『影(えい)』**とだけ書いて、筆を止めてる」

 筆致は強いのに、言葉は短い。短いから、読む人間の時間が伸びる。志村が巻物の上で、指を**−2°**に落とした。

“影の欠落”は、“言わない合図”の 欠落と相性が悪い。沈黙が、道に見えにくくなる」

 月岡遼が、係留気球の糸を張り直し、上空の層を測る。94m。数字は悪くない。白い窓がある。だが、地上の窓が空いた。四拍+長い三拍の三拍目に入る手前で、歩幅が半歩伸びてしまう。“見たら飲む”の時差が崩れる。崩れは説明では止まらない。止めるのは配置だ。

“受け止めの沈黙マップ”の再配置をやります」

 宮司が宣言し、静かな旗の位置を丸い石一歩“手前の手前”へ退かせる。旗を立てる人は−1°で座りの前段を作り、声−2°は“見たら”の前に半拍遅れで落とす。飲む(三拍目)は伸ばし、その間に“ありがとうの紙”を一度だけ見せる。言葉にならない祈り不足分に差し入れる要領だ。

止める図も、一行だけ直す」

 朔はライブ・マニュアルの更新を止め、静止画に移る。停止図の外円R丸い石の間に細い“沈黙の帯”を描き足す。帯の上には何も書かない。“無記”が、読む人の体に座りを作る。動く絵は足を速くする。止まる帯は、足を落ち着かせる。

“笑い”は?」

 環の問いに、志村は**“責任のない笑いB(道具)”へ置き換える提案をする。団扇を使い、影に言及しない温度の笑い——「団扇って、叩くときだけ強くなる」。影の話を避けるのは、欠落を言葉増やさない**ためだ。

 澪は“辞書”に短く書く。

【影の欠落】・図の余白に空く穴。・“沈黙の帯”を描き足す(無記)。・旗=手前の手前声=半拍遅れ笑い=B(道具)。・説明で埋めない配置で座らせる

     *

 稽古が始まる。影の欠落の地点を跨ぎ、“座る合わせ”から入る。静かな旗−1°が薄く先導し、声−2°が半拍遅れて落ち、丸い石の前で“見たら笑う(B)→見たら飲む→右へ”の順。沈黙の帯は紙にはあるが、口では言わない。帯の上で、人は半歩短くなる。それでいい。短くなることが、長い三拍に入る準備だ。

 最初の一巡は、足が少し迷う。二巡目、砂利の鳴きが帯の上で足と一緒になり、三巡目、走りたい足が**“飲む”の合図で座るに変わる。四巡目、“ありがとうの紙”“やめる紙”の影と重なり、帯が意味になる。——言葉にならない祈りが、穴のふちをやさしく縫う**。

……ふさがった

 志村が呟く。穴が消えたのではない。風と人穴を回避する余白自分の側に作った。御止(おとめ)の古い導線を帯に翻訳したのだ。

     *

 午後、新聞に一本の投書が出た。「図面で祭りが固くなるのでは」。澪は返信を書かない。代わりに、境内へ出てを見る。欠落の場所に、夕方の影がふっと戻る瞬間がある。光源が少し動いただけで、は消える。ここに図の限界がある。図はを持たない。だから、**“無記の帯”**が要る。が変わっても、座りは守れる。

“設計図の欠落”——図面の責任じゃない欠落を、どう扱うか

 澪が独り言のように言うと、宮司が笑った。

欠落は、祈りの居場所でもある。——全部描いてしまうと、祈りが入れない。**“無記”**を少し残す」

 志村は祖父の巻物の欄外を指でなぞる。“影”の二文字の後に、何もない何もないが、残すための意思濃い

書かなかったんじゃない。残したんだ

 朔は、その言葉に父の録音を重ねた。『“やる前に座る”』。**“書く前に座る”**も同じだ。図は、座りに従属する。

     *

 翌朝、小雨が一度だけ境内を洗い、丸い石が湿り、砂利がわずかに鳴きを変えた。待つ冷待つ熱等分に混ざる気配。欠落の地点は、雨の薄膜で見えなくなった。にだけ残り、配置で持ちこたえる。

 稽古を火あり短い点火に一度だけ上げ、候補B一礼→座るを確かめる。“やめる枝(C)”への差し替えも、沈黙の帯を通って行く。合奏は崩れない。“止める図”→“進める声”の順が体に入っている。**“無記”**は、習慣に変わった。

図、直すのはここまで

 朔が受け止め図(ver.1.5)の隅に小さく“帯”の記号を置き、更新を終わらせる動く絵を増やさない。止める。止めることで、座る濃くなる

見出し、決めました

 澪が皆に示す。「設計図の欠落」サブ:「“無記の帯”——説明しないで座らせる」

 志村は「大袈裟だ」と笑い、宮司は「必要な大袈裟ですね」と返した。責任のない笑いが一度だけ転がり、が**−2°今ここ**に落ちる。

     *

 夜。提灯が落ちる前、拝殿の柱の**“やめる紙”が一度だけ揺れ、隣の“ありがとうの紙”と重なった。欠落の上に置いた“無記の帯”は、暗闇の中で目に見えないまま**働く。に描かれたものより、図に描かれなかったものが、今夜は強い。

 朔は、祖父の巻物を閉じた。“禁”の点は長いまま。**欄外の“影”は短いまま。欠落は埋めないで、座りで縫う。父の“選ぶ役”は、今夜も旗−1°**の位置に立っている気がする。沈黙の帯は、父のために空けた場所に似ていた。

 遠くで、短い口笛。旋律はいつものサビ。だが今夜は、三拍目少しだけ長い“見たら飲む”のために。影の川は切れず、砂利の鳴きは足と一緒にいた。

 ——風は決める。人は託すだけだ。 託す前に、欠落説明で埋めず、“無記の帯”で座りを敷き、手前の手前に退かせ、半拍遅れで落とし、笑い道具に替え、“止める図”を静止画にして胸に置く。 設計図の欠落は、祈りの居場所であり、点の手前で働く短い線のゆりかごだった。


第十五章:風待ち

 前日の夕刻、境内は器の内側のように息を潜めていた。火床は座り、丸い石は乾き、砂利の鳴きは足と同じ速度で流れ、受け止め図(ver.1.5)の隅に置かれた“無記の帯”は、まだ誰にも気づかれない表情で地面に寄り添っている。拝殿の柱には“やめる紙”と“ありがとうの紙”。二枚が重なったり離れたりを繰り返すのを、誰も説明しない。説明しないことで、座りが濃くなる。

暁版をやろう」

 志村兼三が言う。明け方の呼吸に合わせた**“やめる会議・暁版”。月岡遼は係留気球の糸をたたみながら、上空の層の推移を前夜→未明→暁の三段でメモに落とし、宮司・八重樫瑞穂は紙の上で“止める図”→“進める声”順番だけをもう一度指でなぞる。朔は図を止める指の力加減を確かめ、環は子どもたちの“見たら飲む”**の声の高さを、眠い朝でも無理のない位置に下げる稽古をする。澪は書かない。の位置だけを胸に置く。

 空の色が群青から鈍銀へ変わる頃、四角い集会所の畳に円ができた。紙は置かない。一人称だけを順に置く。

私は、やめる。——迷ったら」

私は、支える。——やめたあとも」

私は、数字を止める。——“できる理由”ではなく、“やめる合図”を見る」

私は、図を止める。——動く絵を止め、静止画に戻す」

私は、笑う。——責任のない笑いで、足を“今ここ”に戻す」

私は、見せない。——“説明で勝とうとしない”」

 ゼロ拍が敷かれた。外では風が鳴らない。鳴らない風は、待つ熱待つ冷の境界にいる。風待ちは、無音の稽古だ。にぎやかに待つのではなく、座って待つ“やる”と“やめる”の間にある座りを、長く保つ。

     *

 未明の一時。月岡は係留気球を上げ、の位置を探る。92m→89m→90m。数字は小さく揺れる。地上の風は西南西、弱い。白い窓開きかけて閉じ、また少し開く。彼は**“外の拍=風”に、“内の拍=人”合わせすぎないよう、記録の余白に小さく点を打つだけに留めた。風待ちに必要なのは、見張りではなく見守り**だ。

 境内では**“座る合わせ”時刻ごとに繰り返される。2:00/3:30/4:30。各回の冒頭で、宮司が“やめる紙”−1°で読み、志村が静かな旗−2°で立て、環が“見たら飲む”の声の高さを半音ずつ下げ**、朔が止める図の静止画を胸に置き、澪は笑いA→B→(無言)の順に薄める朝に近づくほど、言葉を減らす。減らすと、座りが増える。

 3:30の稽古の最中、影の川が一度だけふっと細くなる。照度計の数字は変わらないのに、足元の影が気配を変えた。“無記の帯”がそこで働き、足の半歩短くして、三拍目長さへ導く。言わない合図が、見えない欠落のふちを縫う。誰も何も言わず、稽古は次の拍へ流れる。

白い窓、開くなら四時台

 月岡が静かに言った。91m→93m。上空の呼吸が深くなる兆し。志村が「座る」と返し、皆が一拍の沈黙で応える。風待ちは、情報交換ではなく拍の交換で進む。

     *

 の手前、黒が薄い灰へ変わる。鳥の声が最初の二音を試し、遠い工場の喉が一度だけ鳴る。受け止め図動かさない止める図お腹の中に置く。動かさないから、動き出せる止まっているから、止められる。矛盾に見えるその習慣が、この土地の風待ちの作法だ。

 朔は祖父の巻物を開かない。開かずに、欄外の“影”を心でなぞる。父の録音の一節が、胸の奥で短く響く。『“やる前に座る”』。未明の冷気は、指先のを奪うかわりに、を澄ませる。四拍+長い三拍三拍目が、明け方ほど長い

 環は子どもたちへの連絡を確認する。「朝の声は小さく」。小さくても届く角度(−2°)で。もし“やめる演目”になったときは、“見たらありがとう→飲む→右へ”。順番は違っても、は同じ。カードはくるりと返す。片面が上げる、片面がやめるどちらでも座れる。

     *

 4:12、係留気球の糸が軽く張る。上空95m白い窓薄く開く。地上の風は南西へ一度だけ回り、すぐ西へ戻る。交差が短い。良い兆し。月岡は声にしない。ポケットの中で、指が一度だけ短く鳴る。その音は、彼だけの合図だ。外拍内拍を合わせすぎないための禁欲

 境内で、“座る合わせ”の最後が始まる。拝殿の柱で“やめる紙”が最初に読まれ、“ありがとうの紙”が重なったり離れたりを一度だけ見せ、**静かな旗−2°**が立ち、**声−2°**が落ち、笑い(無言)が“今ここ”の呼吸へ置き換わり、水(三拍目)が乾いた喉に落ちる。ゼロ拍→一→二→(三が長い)→四。長い三に、全員の肩が自然に揃う

 志村が小さく頷き、宮司が短い言葉で締める。

風待ち、了

 は、始まりではない。始まりより少し手前“座る”と“選ぶ”の中間だ。ここから先は、が決める。人は託すだけだ。託す前に、座った

     *

 日の出。鳥居の額が、はじめて今日の金を返す。空気がやわらかい。白い窓開いたままではないが、閉じきってもいない選ぶのではなく、選ばれるための色合いだ。拝殿の柱の**“やめる紙”は動かず、“ありがとうの紙”は光の角度でゆっくり濃淡を変える。遠吠えはどこにもない。声は近いひとにだけ落ちる**。

 ここで一度、**“暁版・やめる会議”**が開かれる。円座。紙はない。一人称だけ。

私は、上げる。——今の風で“上げる”の理由は言わない。“やめない”の合図だけを持つ」

 宮司は、言葉を削ることで重さを作る。理由を増やすと、が崩れるからだ。

私は、やめる。——層が70mに落ちたら」

 月岡。短い。目盛りだけ。

私は、止める。——を止め、静止に戻す」

 朔。“動く絵”は足を速くする——それを拒むための一人称。

私は、笑う。——責任のない笑いで、今ここに戻す」

 環。言葉A/B/(無言)の三段。朝は無言を多めに。

私は、書かない。——この場では」

 澪。説明で勝とうとしないという、ここ数日の合言葉を、自分のとして宣言する。

 暁版は、それでおしまい。短いから、長い三拍を保てる。長い三拍は、“見たら飲む”のためにある。水は子どもの手から先に。で拍を固定する。儀礼で覚える。

     *

 8:20、境内に人流がやさしく集まりはじめる。丸い石の手前で静かな旗が**−2°で立ち、“見上げる”の場所を声ではなくで示す。影の川が消える場所はない。昨日、“無記の帯”で縫った欠落は、今朝の光の角度では現れない**。は更新しない。止める図だけが、朔の胸に静止画で置かれている。

 子どもを連れた親の一人が、“やめる紙”の前で立ち止まり、小声で読み上げる。「迷うときはやめる。宮司」。子どもは読み方を知らないが、紙の揺れを真似て首を傾げ、“ありがとうの紙”を見上げる。見たらありがとう。誰も教えないのに、順番は拍に吸い寄せられる。

 志村は**“父の位置(−1°)”へ一度だけ立ち、座りの前段を薄く作る。旗は−2°、志村は−1°。二つの角度は干渉せず、補う。足が揃う。影が流れる。砂利が足と一緒**に鳴く。

白い窓、まだ“薄い”

 月岡が短く言って、そこで黙る黙ることで、**“座る”**を強くする。が減るほど、は聞こえる。

     *

 10:05白い窓の縁が、少しだけ広がる。上空96m。地上は西南西のやわらかい流れ止める図は胸の中、受け止め図は掲示板のまま、パタパタ板52→48手でめくられている。QRの更新は十五分で十分。五分更新に上げるのは、二時台の逆風に備えた段取り。今は止めるのが良い。止めるから、動ける

 “風待ち”の最終段。宮司が短く告げる。

“やめる紙”は、最初に読んだ。——次に読むのは、最後

 御止(おとめ)の古い導線が、紙の上で静かに息をする。最初と最後。その間に、座り育つ言葉にならない祈りは、最初最後の間に置かれた無数の短い線で作られる。

 志村が火床に手を置き、「座った」とだけ言う。月岡は数字止め、朔は止め、環はを半音下げ、澪はペン止める。止める動詞が揃うと、選ばれる側の準備は完了する。

     *

 正午の少し前、空気が一度だけ軋む。遠い山肌のが、ほんのわずか濃くなる。境内の薄くなる。白い窓開いているのか、閉じかけているのか。選ぶことを禁じる曖昧が、最上の座りを呼ぶ。宮司は、拝殿の柱の前で一礼し、誰にも聞こえない声でに話しかける。「あとで、また」。紙は揺れない。揺れないことが、揺れるよりも強い。

 志村は、責任のない笑いを**B(道具)**で一度だけ置く。「団扇って、叩くときだけ強くなる」。風は団扇よりも賢い。叩かない撫でる撫でるで通す。笑いは薄く起き、今ここが戻る。

 が三拍目に配られ、ありがとうが重なり、右へが**−2°落ち**、が**−3°向き**、砂利足と一緒に鳴る。座りは崩れない。風待ちは、もう風迎えに近い。

     *

 午後が近づく。予報の雨は来ない。二時台の層の下降に備えて、五分更新の体制が内側でだけ起動される。には出さない。動く絵は足を速くする。止める止めるから、やめられるやめられるから、上げられる。この逆説を、誰も声にしない。稽古がすでに代わりに言っているからだ。

 13:40、月岡が短く言う。

いま、いちばん“座り”が効く

 白い窓薄いままだが、**“無記の帯”父の位置(−1°)**が、座りを厚くしている。選ばれる側の準備は整った。選ぶのは風だ。**風は決める。人は託すだけだ。**託す前に、座る風待ちは、これ以上の言葉を必要としない。

 拝殿の柱で、“やめる紙”が一度重さを変えた。は軽い。軽いが、読みには重さがある。最初に読んだ。最後にも読む。最初最後の間に、座りが育った。風待ちは、そうして終わらない練習になった。

 遠くで、短い口笛。旋律はいつものサビ。だが今日は、“座り”の拍で落ちてくる。四拍+長い三拍三拍目が長い。**“見たら飲む”のために。“見たらありがとう”のために。“迷うときはやめる”**のために。

 ——風待ち、了。 ここから先は、**“選ばれる”**だけだ。 火床は座り、旗は立ち、声は落ち、影は向き、笑いは薄く、図は止まり、数字は止まり、沈黙が敷かれている。 白い窓が開こうと、閉じようと、受け止めは先に敷かれている。

 
 
 

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