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静かなる線路の証言3

  • 山崎行政書士事務所
  • 9月17日
  • 読了時間: 24分


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第8章 狐ケ崎〔S12〕— 狐火ダイヤ

1 灯りの譜面

狐ケ崎の夜は、光で呼吸する。駅前の細い道路、古い鳥居、商店街の短いアーケード。看板のLED、街路灯の高圧ナトリウム、軒先の白熱灯——色温度の違う光が層になり、風が通るたびに微細な陰影をずらした。

水城真耶は、駅のホーム端で一度目を閉じ、耳ではなくまぶたの内側で拍を数えた。「狐火ダイヤは、一言でいえば**“灯りで拍を均す”こと」佐伯隼人が眉を寄せる。「坂(S11)で崩した“背中の同期”を、灯りで戻す?」「ええ。照明のちらつき(PWM)と、視覚の追従を使って“誰もが似た動きに見える時間”を作る。群衆と黒コートの輪郭差を灯り溶かす**」

ホームの天井下、LED器具が200HzPWM制御されている。駅前の商店街は古いインバータ85Hz前後の波が混ざり、ナトリウム灯はリップルの低いほぼ連続光。三つの異なる拍が、夜の狐ケ崎で干渉縞を作っていた。

均すとは、一本の拍に揃えることじゃない。“違いが出ない帯域”に押し込むこと」水城はホーム端の非常灯の型番を指でなぞり、微笑だけで言葉を閉じた。

2 “狐火”の設計書

駅前の掲示板に、赤い細字のメモが留められていた。

foxfire:PWM=200/100/85→観客200を聴く。輪郭85揃う海霧2時S13の下、短絡

「……“200/100/85”。駅LED(200Hz)、非常回路(100Hz)、商店街(85Hz)」佐伯が読み上げる。「設計書を、また“観客”に見せている。検査を巻き込む演出です」

水城は、掲示板の透明カバーのにのぞく細い糊跡を綿棒で採取し、封印袋へ。「貼る係の癖。17°の角度で台座を斜めにかませて、非対称の反射を作る。柚木(S05)と同じ手

3 白い紙袋

駅前の鳥居の根元に、白い紙袋が置き去りにされていた。中には、小型LEDバー9V電池安物のPWMドライバ単三電池ケース薄い拡散板。どれも通販で買える部品だが、裏側赤い細字で「S15」と記されている。「灯りで**“鐘”まで繋ぐ気ね」水城は袋の外形を撮影し、指紋が浮かないように袋ごと証拠袋へ入れた。「狐火は自作**。商店街隙間照らし継ぐための**“埋め光”**」

佐伯は周囲を見渡した。鳥居の上、反射材。軒下、クリップで吊るせる針金。地面、ビニールテープの剥離跡。「貼る係が、ここでも舞台を作った」

4 均された背中

20時少し前。商店街のアーケードの下で、四人の背中がほぼ同じ歩速で流れた。黒コート、ダークパーカー、スクールコート、作業着。——どれも似て見える。店前のショーケースのガラスに映る像が、縦に揺れる波を受けて輪郭線均す

ちらつき追従しない。補完する。狐火補完利用して似た背中量産する」水城は、ガラス面に透明フィルムが貼られているのを見つけた。微細なプリズム反射率を変えるタイプ。「視線集める幕。音羽町でやった**“音の橋”**の照明版」

佐伯は、ショーケースの極小LEDバー磁石で留められているのを見つけ、拙いハンダの癖を見て頷いた。「高校生の手だ」「大河内か、その友人置く係末端に散らす。黒コート送る+検査舞台監督貼る+鳴らす

5 無音の四拍

黒い軽が、商店街の外れで止まった。室内灯が一瞬だけ点き、タブレットの画面が波形を流す。無音の四拍。「検査開始」水城は、タブレットの画面に周波数ピークが三本立ったのをガラス越しに読み取った。200/100/85。「200は駅、85は商店、100は非常回路。三層光拍揃ってる」

佐伯は、駅の非常灯系統の切替盤を思い出した。「……切替入れば100止まる」「止まると**“均し”崩れる**。狐火ダイヤ滑る

6 “灯り止め”の布石

駅務室に戻ると、真壁から短い回線。

非常電源切替の試験21時台5秒だけ可能。運行へは影響最小」「5秒……十分です」水城は頷き、狐火ダイヤ均し点を手帳にマークした。駅出入口/鳥居/アーケード中央——三点均し最も効く。「5秒一つだけ“拍”を外す。観客滑る瞬間を映す

佐伯は白板に書く。

狐火ダイヤ=三層光拍(200/100/85)×視線幕×埋め光介入=非常回路100Hzの5秒停止+視線幕の剥離+スピーカー微変調(S11踏襲)

微変調を混ぜた。灯りは**“止め”一点**。舞台壊すには十分

7 灯りの観測

20:30、観客の黒い軽が再びゆっくり動く。黒コートが鳥居の下で二拍を取る。鎖骨に触れない。手首だけ。駅200非常100商店85。三層の光が干渉して、背中輪郭均され似る

水城は、アーケードの端のに手を添え、皮膚でPWMわずかな明滅を感じた。「……いける」微笑。21:02:15——合図

8 “灯り止め”

駅務室の非常電源5秒だけ試験切替に入る。非常100Hz沈む。三層の干渉から一本抜ける。——狐火薄くなる

その瞬間、ショーケースのガラスが映した四つの背中段差が出た。黒コートだけ、わずかな上下鎖骨拍)が露出する。均し剥がれ本人の癖浮く

黒い軽ブレーキ踏み直した。検査滑った証拠。

水城は、柱の影から一歩出た。「狐火消えない均し切れただけ。でも、それで足りる」佐伯が頷き、映像時刻と電源切替ログの同時刻一致を抑える。

9 剥がれる幕

アーケードの柱の陰、透明フィルムからわずかに浮いた。水城はスクレーパーで端を一片だけ起こし、綿棒に糊を移して袋に収めた。「剥離貼る係は、舞台全体に共通」フィルムの下から、細く赤い線

S13桜橋夜桜短絡で**“均し”極端**にする気」

10 狐火の手

鳥居根元紙袋の代わりに黒いポーチ。中にはもう一条LEDバー極細の銅線タイマー付きPWMドライバ。設定は21:20点灯、5分非常5秒止めが入った直後の**“均し補修”**だ。「……補修まで台本に入れてる」「舞台監督の段取り」

佐伯はポーチの外側だけ撮影し、内容物は触らず封印。「自動点灯止めない?」「止めない“補修が入る”前提で観客検査を続ける。滑ったログ残った

11 狐の影

商店街の先、細い路地。その奥に狐面が一枚、逆さに吊られていた。目の中に小型LED85Hzに近いちらつき。「象徴検査催眠に寄せる。“神事”の体裁舞台正当化」水城は、狐面の裏に薬局の値札シールがそのまま残っているのを見つけ、乾いた息を吐いた。神事の仮面は、量販店日用品だ。積むのは

12 “狐火ダイヤ”の崩落(一次)

21:20、自動点灯の補修狐火が走る。だが、均し完全には戻らない非常100戻った後も、駅200商店85位相ずれ黒コート鎖骨拍わずかに見える。群衆背中再び似るが、ひとつだけ似ない

似なさ証拠」水城は、ショーケースの角に沈んだ**“差の影”を指でなぞった。狐火ダイヤは完全には崩れていない。だが、滑り出た落とす。「桜橋(S13)短絡で**“均し”最後の圧をかけ、抜け道で“送る”**はず」

13 観客の沈黙

黒い軽が、ゆっくりと遠ざかる検査続行されているが、“確信の拍”が乱れたとき、観客口数減らす。タブレットの波形振幅を落とし、ログ一秒空白空白欠陥だ。舞台不整合。「空白語る」水城は静かに言った。

14 黒コートの一礼

鳥居の下で、黒コート薄く礼をした。観客の作法。敗北の礼ではない。“次の幕”への移動の礼。「S13会いましょう」口の形だけでそう言い、二拍で暗がりへ消えた。

15 証拠の束ね

駅務室に戻り、白ボードに記す。

S12:狐火ダイヤ 崩し 三層光拍(200/100/85)=駅LED/非常回路/商店インバータ 視線幕(微プリズム透明フィルム)+“埋め光”(自作LEDバー) 鳥居/柱/ショーケース縁=**17°**の角度癖/セロハン糊採取 5秒の非常切替で100Hzを抜き、均しを破綻 自動点灯“補修狐火”を敢えて通過→位相ずれ残存を記録 観客ログに空白1秒/黒コートの鎖骨拍露出 細字赤書き「S13」=次幕の台本 象徴としての狐面(市販品)=“神事”の虚構

佐伯は、証拠番号を読み上げながら袋を積む。「S05S06版下S11配電箱S12狐火。……全部舞台楽屋から出てきた」

楽屋閉じ舞台灯り落とす終幕新清水(S15)。でも、その前に夜桜がある」水城は、窓の外に目をやった。

16 夜桜の下見

桜橋(S13)は、沿線で最も短く、最も深い夜を持つ場所だ。川沿いの桜並木、点検用の短絡通路橋下の空隙。春でなくても、はそこに在る——灯り反射比喩として。

水城と佐伯は、狐ケ崎から桜橋へ徒歩で移った。途中、古い標識の裏に赤い細字

短絡=夜桜下0.8s×2三人S15

0.8s×2音羽町(S03)のこだま二重だ」「三人聞こえる」「夜桜視覚を走る。狐火輪郭を均し、夜桜通路を隠し、人数を増やす」

佐伯は、指先を握って開いた。「——ここで終わらせる

17 狐火の後ろ姿

狐ケ崎に一度引き返すと、鳥居の前に白いチョークで小さな文。

灯りありがとう舞台は続く

?」「観客への定型句巻き込み運動にする言葉」水城は、その文字をそっと上書きした。

灯りは中立嘘は積まない

チョークが夜気に湿り、文字は少し滲んだ。中立積む

18 章の終止

狐ケ崎の灯りが一段落ち、風が商店街の幕を撫でた。遠い海の方角から、幻聴S15が、かすかにページをめくる音をさせる。

水城は、ジャケットの内側の透明スリーブに収めた狐ケ崎のメモをもう一度確かめ、佐伯と視線を合わせた。「行きましょう桜橋」「夜桜短絡切る

二人は、駅の白い灯りの帯を背に、桜橋の暗い輪郭へ歩いた。

——**第9章「県立美術館前〔S09〕— 彫像が見ていた手口」**で伏線を拾い直しつつ、**第13章「桜橋〔S13〕— 夜桜に紛れた短絡経路」**へ続く。

付記(第8章 技術ノート)

  • 狐火ダイヤ(視覚均し)

    • 光源:駅LED(PWM≒200Hz)、非常回路(50/60Hz倍調整→100/120Hz)、商店街インバータ(80–90Hz帯)。

    • 干渉:三層のPWM・リップルが観察者の融合過程(Temporal Contrast Sensitivity)に干渉し、輪郭の個差を縮小。

    • 幕:微プリズム透明フィルムで視線集中(反射率差による“見かけのシャープ化”)。

    • 埋め光:自作LEDバーで影の谷を埋め、均し効果を補修。

  • 崩し方

    • 一点止め:非常回路5秒停止で100Hz帯を抜き、干渉条件を破断。

    • 位相ずれ温存:補修を敢えて通し、その後の位相不整合を記録(鎖骨拍露出、観客ログ空白)。

  • 役割

    • 送る+検査=黒コート/貼る+鳴らす=舞台監督/置く=末端(高校生等)/観客=黒い軽(ログ記録)。

  • 次幕の鍵

    • 0.8秒(S03のこだま)×二重三人化する聴覚トリック、夜桜の反射幕で短絡通路を隠匿、S15の霧鐘と接続。


第9章 県立美術館前〔S09〕— 彫像が見ていた手口

1 石の眼(まなこ)、風の息

県立美術館前の並木道は、朝の冷えが抜けきらない。開館前のガラスファサードは薄く曇り、広場中央の半身像が、どこかこちらを見ているように立っていた。人は、見られていると感じる方向へ足を運び、自然に立ち止まる。水城真耶は、彫像の視線がつくる目に見えない円の縁を、靴先で確かめた。

「ここが“止まる点”です」「誰も指示してないのに、皆ここで止まる……」佐伯隼人が呟く。「装置だから。止め作り証言育てる

彫像の眼窩は浅い。だが、朝日が斜めに差す時間だけで光る。そのが、今日の事件の起点だった。

2 「彫像が見ていた」証言

交番で取った供述は三本、どれも似ている。

  • 像の前に黒いコートの人が立って、何かを拾っていた。像が見ていたから間違いない」(来館者・女性)

  • 像の視線の先で、を入れ替えた」(清掃員・男性)

  • 「ガラスに映る像と人物重なって見えた」(学芸員)

見ていた——強い言葉ですね」佐伯。「“見ていた”は心理物理は**“見せられた”」水城は像の台座へ目を落とす。「誰かが視線装置仕込んだ**」

台座の角に、爪の先ほどの透明片。光を受け、微かに虹を引く。水城はピンセットで拾い、封印袋へ。微プリズム・フィルム——S12の視線幕と同系統で、角度癖はやはり**17°**だ。

3 「手」の中の反射

半身像は、右手を胸の前に掲げるポーズ。指先にブロンズの磨耗が不自然に濃い。水城は偏光サングラスを上下に回す。——一瞬だけ白が跳ねる。「反射面が入っています。指の間極薄の鏡反射箔」「常設の作品に……? 誰が」「舞台監督貼る係前夜作業検査

台座裏のネジ頭に、マスキングの痕。S05(柚木)やS12(狐ケ崎)で見た**“貼って剥がす”**の癖が、そのまま残っていた。

4 視線の作図

「絵を描きます」水城はスケッチブックを開き、像の眼指先反射ガラス面観客の瞳という四点を線で結んだ。「象徴方向ガラススクリーン観客認定者。この四点が揃う時間は、午前 9:02〜9:11。太陽高度と方位で約9分の窓ができます」

その9分で誰か入れ替えた」「切符ですね。“狐ケ崎”券面や**“桜橋”現行重ねて置く**ために」

水城は9:06の監視映像を停止した。像のが光る瞬間、黒いコートの肩がわずかに前へ“見られている”という心理が、物理位置確定させる。

5 美術館のガラス

学芸員に許可を取り、ガラス面の清拭ログ清掃動線を確認する。「この縦帯だけ、拭き筋水平に走っています」「誰かに拭いた?」「いえ、フィルム横倒し貼っています。17°の面水平へ“投影”され、の**“視線”横流れ**になる」

見られているという感覚が、“向こう側”ではなく“横”へ流れる。観客は像の正面ではなく、指の延長線上——台座の右前に立つ。黒コートが立つべきが、心理作られる

6 止まる点の採取

水城はカーボン紙を靴底に仕込み、来館者の止まった位置に薄い転写を取っていく。楕円が重なり、濃い帯が台座の右前1.1mにできた。「ここが“止まる点”。像の手ガラス観客の三角で最も安定します」

佐伯は深呼吸し、広場の空気を吸い込む。「止まるかも制御できる?」「制御ではなく誘導誘導無責任です。だから舞台に向く」

7 「拾う手」

9:08。黒いコートの人物が現れ、止まる点に入り、折る拾う動作。同時に、像の指先反射ガラスへ走り、人物の輪郭像の胸元重なる。——像が見ているように見える

来館者のため息。清掃員の「見てたよ」の声。証言は、装置が書いた台本どおりに積み上がる。

8 再現実験(1)— 偏光と反射

水城は偏光板を二枚取り出し、像前ガラスにそれぞれセットする。90°ずらすと反射消える像が見ていないように見える。来館者の止まり方変わる楕円帯濃さ薄れ散る

環境光偏光で**“像の視線”消える**。視線のものではない。角度17°のフィルム指先反射作った

9 再現実験(2)— 9分の窓

太陽方位を模擬する可搬LED9:02〜9:11の軌跡で移動させる。9:06最大光点9:08で**“拾う手”の影が像胸元重なる**。ガラス水平拭き筋軌跡のばし視線横流れして止まる点を固定。台本は、太陽を**“照明”**に使っていた。

10 再現実験(3)—「像が見ていた」を裏返す

水城は像の指先に小さな黒布を掛け、反射殺す。さらに台座白線を引き、止まる点1.1m→0.8m近づけさせる誘導を仮に設置。人は白線に沿って0.8mに立つ。像胸元との重なり起きない。来館者の口から「見てないかも」が漏れる。

“像が見た”は主観主観装置いくらでも作れる。だから**“像が見た”という証言は、証拠の条件**にならない」

11 台座の裏書き

台座裏のプレートに、赤い細字で小さなS。拭き残しの樹脂糊。「S09S……」佐伯が息を呑む。「“駅番号の札”は舞台小道具S05(鏡)、S06(版下)、S11(配電箱)、S12(狐火)と同じ手

封印袋へプレート片を収めたとき、背後で小さな笑い声。黒いコートが、観客の笑みで立っていた。

12 観客の礼

像は嘘をつかない」男はそう言って、台座に視線を落とす。水城は指先17°をなぞった。「像は中立。嘘を積んだのはあなた方の装置です」

観客です」「観客貼らない貼ったのは舞台監督」男は肩をすくめ、9:06に目をやった。「太陽役者をさせる。美術館劇場になります」

13 “美術の顔”

館内ロビー奥の彫刻ホール顔のない胸像が並ぶ一角に、偏光ガラスが一枚。角に透明テープの糊、そして——赤い細字S10。「草薙」水城と佐伯の視線が合う。「森の踏切三分ここから送る

偏光ガラスは外光ちらつき柔らげるS10時間の章。**視覚の“止まる”から時間の“伸びる”**へ、台本は滑らかに繋がっている。

14 清掃導線の影

清掃員の導線図に、“像前→ガラス横→台座裏”の矢印。いつから? と訊くと、「先週から、館の指示で」との答え。館のが? と聞けば、「来館者動線最適化のボランティア」の名。舞台監督善意の外套を纏う。

動線を**“改善”と言えば抵抗減る**。劇場いつも善意始まる

15 “拾う手”の正体

映像をコマ送りし、拾う手角度速度を抽出。手首屈曲ピークH:9:08:13に出る。S11で抽出した**“再起動エッジ”一致**。「自身の像の胸元写った借り背中では出なかった縦エッジ」

男は苦笑した。「背中借りられるのに、借りられない」「ええだから終点あなた逃げられない

16 S09の崩し(調書骨子)

佐伯は白板にまとめる。

  • 視線装置:像指先の反射箔+ガラス面の微プリズムフィルム(17°)

  • 心理誘導:**“像が見ている”**感覚→**止まる点(台座右前1.1m)**固定

  • 時間窓9:02〜9:11(9:06最大)

  • 行為拾う手(切符の重ね入れ替え)

  • 証拠:透明片、マスキング痕、偏光依存性、再現実験ログ

  • 特定再起動エッジ一致=黒コート本人の癖

  • 連関:S05(鏡)・S06(版下)・S11(配電箱)・S12(狐火)に続く角度17°の癖

  • 次章への鍵:館内の偏光ガラスS10の赤細字

“像が見た”という言葉は、装置が作った主観主観崩れ台本だけが残る

17 去り際の足音

広場の砂利が微かに鳴り、黒いコート観客の一礼を置いて去る。二拍音羽町から続くテンポ。遠くで、木々の間を踏切警報の音が滑った。踏切三分草薙が、次の幕を開ける。

18 章の止め

水城は像の眼をもう一度見上げ、偏光板を外した。——石は、ただの石に戻る。嘘だけが、人の側に残る。

「行きましょう。S10 草薙」「三分誤差時間から剥がす」二人は、美術館の静けさを背に、森の匂いへ歩いた。

——第10章「草薙〔S10〕— 森の踏切と三分の誤差」へ続く。

技術ノート(S09要点)

  • 視線誘導:像の指先に微小反射、ガラスに微プリズム(角度17°)→“像が見ている”感覚を作り止まる点を固定。

  • 時間窓:太陽高度・方位に基づく約9分の照明条件。

  • 偏光依存:偏光板の位相を90°回すと反射消失止まる点の分散大。

  • 行為の特定再起動エッジ(S11で抽出した個体差)で犯人の**“拾う手”**を特定。

  • 連関癖17°透明セロハン糊赤い細字(駅番号)・マスキング痕

  • 次章の鍵:館内偏光ガラスの端にS10表記=時間トリックへの橋渡し。


第10章 草薙〔S10〕— 森の踏切と三分の誤差

森は、都市より古い拍で呼吸していた。草薙の踏切は、電車のためだけに開き、電車のためだけに閉じるはずなのに、朝の湿り気がレールの鋼にまとわりつくと、仕組みはわずかに迷い、鐘の音に一枚余計な薄膜を重ねる。三分——この森に棲む誤差は、人の口から人の口へ移り、真実より先に事実の形を得る。

水城真耶は、遮断機の脚もとにしゃがみ込み、錆ではない褐色の粉を指の腹ですくった。霧の夜が残していく鉄のささやき。指先の粉は軽く、指を開けば空気に紛れて消える。「ここは“止められたことの記憶”が、時間を作る場所です」佐伯隼人は頷き、遠くの線路に目をやった。遮断機の支柱が風に鳴り、森の上を渡っていく。かすかに土の匂いに混ざるオイルの甘さ——踏切小屋の扉は半開きで、白い蛍光灯が眠気のように光っている。

午前七時台。通学の子どもたちが列となり、踏切の前で足を止める。その列の最後尾に、黒いコートの背中が静かに混ざっていた。肩の線は落ち着き払っているのに、気配だけがわずかに早い。一歩先の時刻がその背中には住んでいる。「三分遅れますか?」と、誰かが踏切小屋に声を掛ける。小屋の中の係員は計器を一度見て、「きょうは……たぶん、大丈夫でしょう」と曖昧に答えた。たぶん。森の上に浮かぶ言葉は、やがて「きょうも三分」に形を変える。噂は手で掬う水よりも速く、群れの中で一つの時間になる。

列車の気配が近づく。空気の縁が少しだけ冷えて、線路の犬釘が固く鳴った。遮断機が下り、鐘が始まる。カン、カン、カン——。森の音は、駅の構内より丸い。反射が柔らかく、鐘は耳の中で少しだけ遅れて戻ってくる。戻りの輪が重なった瞬間を、人は「一拍分の遅れ」と感じる。三分なんて、実際には滅多に訪れない。だが、人は丸い音の上に、丸い言葉を置く。黒いコートは、鎖骨に触れない。代わりに、手首で拍を取っている。七十二から六十六へ——坂の章で見た癖だ。ここでは、拍を時間のふりをさせる。「三分、遅れましたか」隣にいた主婦がまた訊いた。「ええ、三分くらい」と、別の男が答え、すぐ自分で納得するように頷いてみせた。鐘が丸いのは、遅れているからだと。

列車は定刻より十数秒だけ遅れて通り過ぎ、森の中に尾を引く。遮断機が上がるまでの短い静けさに、黒いコートは二歩だけ前へ滑り出た。その二歩は、噂の三分を確定させるのに十分だった。列の前にいる者は「さっき三分」と口にし、後ろの者は「さっき遅れたのだから、いまも遅れている」と思い込む。水城は、踏切の脚もとから顔を上げ、鐘の余韻が消える前に言った。「三分は、いまここにいません。あなたがたの言葉の中にだけいる」主婦はきょとんとし、笑ってごまかした。言葉は空へ昇り、木々の葉の裏で眠った。

踏切小屋の壁には、紙が一枚、マグネットで留められていた。臨時徐行のお知らせ——先週末、鹿の出没があったため、夜間に限り警笛と徐行を実施、最大三分。昼間は通常運転。紙の端に、赤い細字でS15とある。舞台監督の手は、紙の余白に次の駅への糸を結ぶことを忘れない。「三分は、夜にいた。それを朝へ運んだのは、紙と噂です」水城は紙を剥がさない。剥がせば、噂は別のところで増殖する。残しておく。噂の根を、記録の根で縛るために。

黒いコートは、踏切を渡ると、森の縁の細い舗道に入った。舗道には、踏切から駅へ斜めに抜ける旧道があり、今は柵で閉ざされている。柵の足もとに、草に押しつぶされた透明のテープが一本。幅は指二本ぶん。「ここでも“貼る”んですね」と佐伯が言う。「貼って、剥がす。剥がした跡だけが、時間の中に残る」水城は綿棒で糊を掬い、袋に収めた。旧道の先には、小さな祠が見えた。狐ケ崎で見た仮面とは違い、ここには何も置かれていない。代わりに、風鈴が一つ、冬にもかかわらず吊るされている。透明なガラスが風を受け、微かな高音を出す。鐘よりも細い。「音を重ねます。鐘と風鈴。二つの音が、遅れの輪を太くする」「遅れていなくても、遅れて聞こえる」「ええ。耳の中で時間は作れる。だから、あなたは“遅れた”と言ってしまう」

小屋に戻ると、係員が水城に軽く会釈してきた。「毎朝、三分、と言われるんでね。天気が悪いと、なおさら」「記録を見せてください」係員は躊躇い、すぐ頷いた。古い据置端末の画面に、警報作動のログが時刻とともに並ぶ。夜には「徐行」の印が点々とあり、警笛のマークがその下に重なっている。朝は、直近十日、いちども三分に達していない。遮断から解除までの平均は、三十四秒。「三分は、夜の鹿と、朝の人が作った共同作品です」係員は苦笑した。「それ、掲示したいくらいだ」「掲示すれば、また別の噂が生まれます。紙は噂の温床ですから」

森の空気が少しだけ乾く。昼が近い。水城は、踏切脇の狭い広場に立った。木漏れ日が地面に硬貨のように落ち、風に転がる。黒いコートはどこにもいない。代わりに、黒い軽が一本、道の陰に静止している。観客。窓は閉じ、タブレットの画面が運行情報のページを映している。画面の端に、三分という文字が見えた。「彼らは“正しさ”を画面で集める。画面はいつでも正しい。人は画面を見せれば、信じたい正しさを選んでくれる」佐伯は吐く息を細くした。「三分は、画面のピクセルに棲んでいる」

水城は視線だけで小屋の裏手の扉を指した。鉄の蝶番が甘く、開け閉めのたびに微かな音を残す。扉の内側に、切符の端のような薄い紙が一枚、テープで留められていた。狐ケ崎と桜橋で見たものと同じ、旧い券面の断片。「ここで“紙”を運ぶのです。夜に剥がした台本の切れ端を、朝の踏切に置いていく。時間の匂いを紙に移すために」「紙は嗅覚に近い」「ええ。噂はいつも匂いに似ている」

踏切の向こうから、人影が二つ現れた。通学路を駆ける少年と、ベビーカーを押す若い母親。二人とも、踏切手前で速度を緩め、鐘が鳴り出す前に自分たちの歩調を整える。体は記憶に従って長居を決める。鐘が鳴る前から、鐘を待ってしまう。「“遅れる”とわかっている踏切ほど、人は早く着く。早く着けば、待つ時間が三分になる」佐伯は苦笑した。「それも三分の正体か」「ええ。三分は、到着の早さが作る。遅延は、踏切のせいじゃない」

そのときだ。黒いコートが木立の陰から歩み出て、線路脇の細道をゆっくり横切った。足音はわずかに森に吸われ、鎖骨で取り直す拍の影だけが肩で揺れる。水城は正面から歩み寄った。「あなたの三分は、森にいません。あなたの手首にだけいる」男は目を細め、いつもの観客の笑みを作るまでに、ほんの短い間を置いた。「観客は時間を測るだけです」「観客は、紙を貼らないし、鐘を重ねない」「紙は風に飛ぶ。鐘は森が鳴らす」「風は紙を運ばない。人が運ぶ。森は鐘を鳴らさない。鉄が鳴らす」

男は、遮断機の足もとに視線を落とし、小屋の壁の紙と、森の風鈴を一度ずつ見た。「三分は、美しい」と言い、踵を返しかけて、また立ち止まる。「新清水は霧が出る。霧の中では、鐘は遅れて聞こえる」「霧の中でも、時計は遅れない」「霧の中では、人が時計を見ない」「だから、霧へ向かうのですか」男は答えず、手首の拍を一つ落とした。七十二から六十八へ。森の呼吸に寄せるように。「三分の噂を、霧に連れて行く」そう言って、彼は踏切の反対側へ消えた。残されたのは、淡い鐘の残響と、風鈴の高い音の細い尾だけ。

午後に入り、空はからりと乾いた。水城は踏切小屋の机に坐し、係員の承諾を得て、午前中に通過した二本の列車の時刻と、遮断時間のログを淡々とノートへ書き写した。三分はどこにもいない。あるのは、三十四秒。三十六秒。三十三秒。「数字は森を怖れない」「けれど人は数字を怖がる。数字は言い訳を聞かないから」「言い訳を聞くのは噂です。だから、噂が好まれる」小屋の外で、子どもが笑い声を上げ、犬が短く吠えた。森の昼は、都市の昼より少し柔らかい。

「これを使わせてもらいます」水城は係員に礼を言って、ログの写しを封筒に入れた。封筒には「草薙・午前」とだけ書かれていた。佐伯は封筒を受け取り、胸ポケットにしまう。紙は軽い。けれど、噂を押さえるには十分な重さがある。駅へ戻る道すがら、細い坂で女子高生の列が追い越していった。笑い声が風にほどけ、制服のスカートの裾が光を弾く。彼女たちは三分を求めていない。三分は通学の列には住まない。三分は、大人の時間にだけ棲みつく。大人はいつも、遅れの言い訳を探している。

駅のホームに着くと、アナウンスが「平常運転」を告げた。平常という言葉ほど、不穏を呼ぶものはない。人は平常だと聞かされるたび、どこかに異常が潜んでいると想像してしまう。黒い軽は駅前にいた。窓の内側でタブレットがホームのライブ映像を映し、画面端に「遅延情報なし」が光っている。「なし」は、しばしば「ある」の前触れだ。「彼らは“なし”の中から“ある”を見つける。舞台監督は“なし”の外から“ある”を運ぶ」「あなたは?」「私は“線”から“ある”を剥がす」

ホームの端で、風が一本、線路に沿って走った。午下がりの電車が入り、乗客を吐き出す。水城は、降り立った人々の肩の高さと歩幅の合間を縫うように前へ進み、柵際に立った。森の方向に、わずかに白い気配が見えた。遠い海からの湿り気が、山を越えて細く上がってくる。「霧の稽古が始まります」佐伯はその言葉を反芻しながら、視線だけでうなずいた。「霧の中では、鐘は遅れて聞こえる。霧の外では、噂は先に届く。——終点は、霧と噂の交差点になる」「新清水」「ええ。新清水」

踏切に戻ると、係員が窓の外を指差した。小さな紙片が風に押されて柵の根で止まっている。拾い上げると、旧い券面の端。狐ケ崎、の文字が半分だけ見える。「ここにも、あなた方の“紙”が来ましたね」水城は紙を光に透かした。インクの滲みは新しい。印字の黒はS06で見た帯と同じ濃さ。版下は、まだ乾いていない。「紙は、夜から朝へ。森から駅へ。駅から霧へ」「紙は、線路より速い」「だから、紙を止めるのではなく、紙の意味を止める」

夕暮れ。森の色が一段濃くなるころ、踏切の鐘がもう一度、丸く鳴った。だが、その丸さが先ほどより少し薄い。空気が乾いた分だけ、反射が硬くなったのだ。丸い音は、人の耳には「遅れ」に聞こえにくい。通りがかった主婦は、今度は黙って渡り、振り返りもしない。噂は、条件が変わると、人の口から落ちる。三分は、今日、森から少しだけ追い出された。

駅の照明が灯る。水城は、ホームの端で夜の始まりを一つ吸い込んだ。森の影は、夜桜の影よりも粗い。狐火の灯よりも、こちらの光は正直だ。「行きましょう」「どこへ?」「坂は崩した。灯りは崩した。森の三分は剥がれかけている。次は——桜橋で夜を短絡させた彼らの通路を完全に断ち、港町で“顔”を剥がす。それでも足りない。終点まで行く。霧の鐘の、前へ」「S15」「ええ。海霧の発車ベル。始発の嘘は、終点の鐘で割れる」

電車が入ってきた。ドアが開き、吹き込んだ夜気は、まだ霧ではなかった。車内の床に昼の靴跡が薄く残り、窓の外で森の縁が一度だけ揺れた。水城は佐伯より先に乗り込み、扉の脇で手すりに指をかけた。「三分はもう要らない。——あなたは、数字を見る目を持っている」佐伯は、黙ってうなずいた。数字は、噂より遅い。けれど、確実に追いつく。

列車が動き出す。森が後ろへ流れる。踏切の鐘が遠のき、風鈴の高音が小さく切れて、空へ溶けた。車体がわずかに揺れ、窓ガラスに薄く街の灯が映る。その灯は、狐火ではない。都市の、ただの灯だ。三分は置いてきた。噂は、森に帰した。次は、霧だ。時間を、鐘から剥がすために。


 
 
 

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