静なる線路の証言5
- 山崎行政書士事務所
- 9月17日
- 読了時間: 18分

第14章 入江岡〔S14〕— 港町の仮面
港は、顔をいくつも持っている。正午の顔は魚の銀色で、夕暮れの顔は錆の赤で、深夜の顔は看板の青白い息でできている。入江岡の駅を出て港町へ向かう坂を下ると、潮と油の層が肺に入り込んで、内側から色が変わっていく。魚河岸からは砧(きぬた)のように包丁の音が並んで立ち、トロ箱の氷が日向で少しずつ声を失っていく。人は、その音の中で、自分の顔を使い分ける。仕事の顔、仕入れの顔、値切りの顔、そして、嘘の顔。港は、嘘の顔をいちばん自然に見せる舞台だ。
水城真耶は、卸の通りの一番端、寂れた理髪店の鏡に自分の輪郭が二重に写るのを見て、軒下に一歩避けた。鏡は曇り、ガラスは外のLEDと店内の蛍光灯に引っ張られて、二つの顔を勝手に作る。後ろから覗き込む佐伯隼人の目は、濡れた路面に落ちた看板のちらつきを拾って、反射の上に反射を重ねた。「ここは、顔を固定しない街ですね」「顔は元々、固定できないものです。写真にして初めて“固定した”気持ちになるだけ。——港は写真の前の世界で生きている」
干物を吊るした紐が風に鳴り、遠くのフェリーの汽笛が昼の境目を一つ撚っていく。水城は、目抜き通りから一本裏、倉庫の壁際に貼られた広告ポスターに視線を落とした。笑顔のモデルがこちらに向けて歯を見せている。薄いビニールの表面は、端がめくれ、うっすらと塩が噛んでいる。下地の壁には古いポスターの糊が層になって残り、剥ぎ跡は白い皮膚の乾いた鱗のようだった。仮面は、貼って剥がすたび、次の仮面のための“面(おもて)”を育てる。ここでは顔そのものが、貼り替えられる運命なのだ。
黒いコートの背中は、昼の港でも人混みに溶けるのが上手かった。魚の銀を映すステンレスの台、氷の槽、ラップの光、秤の液晶。どれもが“顔”の反射装置で、どれもが記憶を薄くする。彼は、店先の曲がったミラーを斜めに通り、帽子を被った男の肩と肩の間を、まるで最初から隙間がそこにあると知っている人間のように、無音で移動した。「港は、観客にも役者にもあまりにも親切だ」水城は呟いた。「みんな、顔を用意している」
佐伯は、魚河岸の隅のモニターに目を留めた。古いドームカメラが四分割の映像を出し、角のひとつでLED看板のフレームが飽和している。「フレームが食われますね。顔、飛びます」「ええ。意図的なら、看板のPWMとカメラのシャッターをぶつけるのがいちばん簡単」仮面は、露出の上に作ることもできる。露出とは、ほんの少しの“眩しさ”の合間で顔が潰れることだ。顔が潰れれば、背中が主役になる。背中の癖は舞台の外へ持ち出せないから、港で隠れて港で終わる計画にはそれで十分だ。
港の倉庫の陰に、紙の仮面が大量に積んであった。祭りで売る面だろう。狐も瓢箪も小僧も、大量生産の匂いをわずかに残している。水城はそのうち一枚、狐面の目の穴の縁に小さなLEDが仕込まれているのを見つけ、指で軽く押した。カチリ、と小さく鳴って、弱い光が目の奥で瞬いた。「狐ケ崎にもありました」「港の狐は、商売をする。狐は、顔を売る」面が顔の上に乗る。顔は面の下で呼吸を変える。呼吸が変われば、歩き方が変わる。歩き方が変われば、目撃が変わる。装置は順序を持たない。どこからでも嘘は始められる。
観客の黒い軽は、倉庫街の入口にいた。積み荷の隙間から人の動線を盗み見る位置に車を置くのは、港の暗黙の作法でもあった。タブレットの画面は今、顔ではなく“表示”を見ている。売り出しの看板、開店準備の札、黒板のチョークの太さ、蛍光ペンの色。顔ではないが、顔に見えるものばかりだ。仮面は、顔の代替物を集めて“顔”という概念を肥らせる。概念が肥ると、真実はひとまわり小さく見える。
水城は、理髪店の鏡に戻った。鏡の斜め上には、古い蛍光灯の外枠が汗のような埃を抱えている。その上に、薄い透明の定規の切れ端がテープで留めてあった。端には細い赤字でS15。「港も、終点へ糸を張っています」「霧の鐘」「霧の鐘は、顔を溶かす」
午後の潮は、複雑な匂いに移った。陽が西へ傾き始め、影が長くなる。太いマグロの柵が店頭で黙り、板氷の上のサバの目が、看板の光を拾って白く濁る。港は、夕方が似合う。夕方は顔に疲れを与え、疲れはたいてい“本当”の気配を少しだけ見せる。仮面の隙間は、疲れの縁から現れる。「少し待ちます」水城は港の喧噪に背を向け、海に向かってゆっくりと歩いた。係留された小さな観光船が、舫(もやい)をきしませている。港のカモメは、観光客の揚げパンを狙う。人の顔よりパンの顔のほうがよく見えるのかもしれない。
黒いコートは、売店の奥まったスペースに入っていった。並べられたショーケースの上、首のないマネキンの胴に、安価なコートとスカーフが巻かれている。顔がない胴は、表情を持たないのに、客を呼ぶ顔だ。「顔がないのに、売れるんですか、と店員に聞いたことがあります」水城は低く笑う。「“顔がないから売れる”のだそうです。みんな、自分の顔をそこに投影する」顔を投影する。背中を投影する。港の仮面は、投影のために作られている。
彼は、顔を見せない。それでも癖は、いつか顔を作る。ガラスに写った反射は、角度の違いで何枚でも顔を重ねる。重ねた顔のどれか一枚に、鎖骨の拍が遅れて乗る瞬間がある。港でも、癖は夜にこぼれるのだ。水城は、売店の天井に薄く浮いた影を見上げた。影は看板のちらつきに合わせて呼吸を忘れ、忘れた呼吸を思い出す。その“思い出す瞬間”が、顔の不意打ちになる。
入江沿いの遊歩道に出ると、木立ちの影が足元に格子を作っていた。遠い埠頭の向こうに、白い船体がぼんやりと見える。空は、色を選び損ねたような灰のまま、日を落とす気配を秘めている。「仮面は二種類あります」水城は言った。「自分で被る仮面と、他人に被せられる仮面。どちらも、剥がれるときに音はしない」佐伯は黙って歩幅を揃え、足元の格子に自分の靴先がきれいに納まっていくのを眺めた。整いすぎた格子は、嘘の床に似ている。足首の向きが一度狂えば、すぐ外へこぼれる。
夕暮れの港は、いちばん美しい嘘を用意する。海風が一段冷たくなり、看板の色が人の顔色より強くなる。コロッケの店の厨房から油の音が漏れ、観光客の列は「揚げたて」の札を安心の証拠のように見つめる。揚げたては嘘を抱かない品の最上位の言葉だが、港に来る人は、嘘のない言葉に慣れていない。人は、港に来るたび、少しだけ仮面を欲しがる。旅の顔。港の顔。夜の顔。黒いコートは、旅人の列の中で自然に立ち止まり、「揚げたて」を待つ顔を作った。横顔の形は、光の粒で欠ける。欠けたところに、他人の顔が流れ込む。
水城は、その一瞬を待っていた。港の端に設置された試験用の投光器の電源が、短く落ちる。五秒。狐ケ崎の“灯り止め”に似ているが、ここではもっと浅い。顔を消すのではなく、“顔の境目”にだけ皺を入れるための短い止め。看板の波が一段崩れ、群衆の顔の均しが弱まり、黒いコートの肩に目に見えない皺が走った。仮面の継ぎ目は、皺で見える。その皺のかすかな段差に、水城は“人間”の温度を確認した。道具で作られた顔には、温度がない。温度がない顔は空気の中で浮く。うっすら白く浮いた顔は、何も信じていない目を持っている。彼の目は、温度を持っていた。憎悪でも愛情でもない、ただ“費やした時間”の温度だ。祈りの温度とも労働の温度とも違う。もっと乾いて、もっと古い。
「顔、出ました」佐伯が小さく息を吐いた。「ええ。——顔は証拠にはならない。けれど、舞台の嘘を壊すには十分です」
港湾監視の詰所の壁には、その日の入出港記録が白板に書かれている。出港十七時五分、入港十七時二十八分。白板の隅に、小さく赤い字で「S15」。海は、終点へ潮を引いている。潮汐表は、嘘を持たない。潮汐は、舞台を持たない。けれど、潮汐表を演目に見せる人間はいる。三分の噂に潮の表情を着せ、遅延の影に波の光を混ぜる。霧が出れば、潮汐表は顔を失い、顔の代わりに鐘が鳴る。鐘は、港の顔だ。港の仮面は、鐘の音で剥がれる。
黒い軽がゆっくり動いた。観客は、夜の仕込みのために場所を変える。舞台監督は、倉庫の陰の作業台で何かを磨き、薄い透明の面板を持ち上げ、角度を確かめた。十七度。十七度は、物語の“顔の角度”になってしまった。水城は、彼らが角度に祈るのを見た。祈りは、角度を信じさせる。角度は、仮面の骨を与える。
港の夜目が動き出した。安いネオンの細い線、居酒屋の提灯の怪しい赤、投光器の白の古傷。警備船の遠い回転灯が、水の上でひとつ、またひとつ音もなく切れていく。人の顔は、夜目の中で選択される。正直な顔は暗いほうへ、嘘の顔は明るいほうへ。黒いコートは、明るいほうに立った。顔を持たない人間は、明るいほうで顔を作る。顔を持つ人間は、暗いほうで顔を隠す。水城は、明るいほうの端に立ち、いちばん暗いところに目を置いた。港では、いつでも端が鍵になる。
潮の匂いが、夕飯どきの家々の味噌汁と混じって、港町全体を満たした。味噌と潮は、ゆっくりと仲良くなる。そのゆっくりが、人を落ち着かせ、警戒を眠らせる。彼は、そのゆっくりを破るために現れる。「次は、霧ですね」黒いコートがこちらを向いた。正面の顔は、反射で薄く消えている。代わりに、声が“顔”の役を引き受けた。「霧の鐘は、嘘を合法にします。遅れて聞こえる音の前で、時計は無力だから」「無力ではありません」水城は振り向かず、声だけで返す。「人は、霧の中で時計を見ないだけです」「なら、あなたは霧の中で、時計を見ますか」「見ます。——霧の外で用意しておいた時間で」
彼は正面から笑わない。横顔だけで笑う。横顔の中に、港の仮面をいくつも並べて、そのうちのどれかと一致させる。一致するたびに、観客は拍手を用意する。拍手は音を立てない。うなずきで足りる。うなずきの数を、舞台監督は数える。うなずきも、仮面の一部だ。
港の路地にある古い写真館のショーケースに、成人式の晴れ着の写真が並んでいた。顔はすべて同じ笑顔で、肩の角度も同じ、手の置き方も同じ、背景のボケも同じ。写真は仮面を固定する道具だ。その固定を喜ぶ人々のために、写真館は存在する。けれど、固定された仮面は一枚ずつ、夜の港ではすぐ古びる。港の風は、固定を許さない。固定されなかった顔だけが、港では生き延びる。彼の顔は、固定されていなかった。決して“同じ顔”でそこにいない。だから、港に似合う。
水城は、写真館のガラスに触れ、わずかな湿り気を指に受け取った。「顔は、ここで終わり。——次は、鐘です」「港は仮面を剥ぐのに向いているのに?」「仮面は剥いだ。残っているのは、声です。霧の鐘は、声の仮面を作る。声は顔より厄介」佐伯は頷き、遠くの空の低いところに薄く白い帯が見えるのを指さした。海霧の稽古だ。見えるか見えないかの縁で、陸へ踏み込む準備をしている。
観光船の最終便が入り、桟橋のロープが外される。黄色い小さなブイが、水の上で一度だけ首を振り、そこで役目を終える。港の昼は、完全に片付けられた。夜は、これから用意される。準備の音が、どこからともなく集まってくる。箒の音、シャッターの音、ガス台の点火する音、倉庫の鍵の音。その中に、ひどく古い音が一つ混じっていた。——鐘。まだ霧は来ていないのに、鐘が鳴ったような錯覚。錯覚は、稽古の前座だ。稽古は、終幕の予告だ。
黒い軽が、ゆっくりと港を離れる。観客は、霧の舞台へ先回りをするのだろう。舞台監督は、未練がましく十七度の面板をもう一度指で押し、角度が揺れていないことを確かめて、透明テープを端でひと撫でした。水城は、その撫で方を覚えている。撫でる人は、剥がすときに同じ撫で方をする。剥がし方の癖は、貼り方の癖の裏返しだ。
「行きましょう」「新清水」「海霧の発車ベル。——始発の嘘は、そこで割る」港の灯は、背中に回すと少しだけ重い。魚の銀は、背中で冷える。風は、港でだけ陸の匂いを拾う。その風を背に受けて、二人は終点へ向かった。仮面は港に置いていく。声は、鐘の下で剥がす。
夜のはじめ、その風は一度だけ逆に吹き、港町の看板の色を束の間だけ、昼の色に戻した。昼は、もう戻らないのに。昼の仮面は、夜には似合わないのに。港は何も言わなかった。港はいつでも、次の顔を用意している。終点のための顔を。霧の中で鳴る鐘のための、声の顔を。
やがて、遠い白がほんの短く陸に触れ、消えた。二人は立ち止まらなかった。霧は、待たない者のほうに先に降りる。鐘は、待たない者の耳に先に入る。終点のホームの白い縁が、まだ見えないのに、靴底にわずかな湿りを予告していた。
——第15章「新清水〔S15〕— 海霧の発車ベル」へ。
第15章 新清水〔S15〕— 海霧の発車ベル
霧は、街に降りる前に音を選ぶ。新清水の朝は、海の白の手前で薄灰の膜を張り、踏切の鐘より先に、波止場の鉄の鎖が低く鳴っていた。湿りはレールの鋼に乗り移り、駅舎の壁を一段やわらかくし、柱時計は正確に刻みながら、周囲だけが遅れてゆく。遅れているのは時間ではない。人だ。霧は人を遅らせ、音だけを定刻に通す。
ホームに立つ水城真耶は、息を飲み込むと同時に、肺の裏側で海の塩を数えた。ひと呼吸ごとに、拍がわずかに伸びる。七十二は七十へ、七十は六十八へ。見上げた天井の隙間に、古いスピーカーが埋め込まれている。ベルの音は、霧の日には輪郭を失い、金属ではなく空気の声で鳴る。「——きょうは、鐘が“見えます”」隣の佐伯隼人は、霧の濃淡を目で測りながら頷いた。「人はこういう日に、時計を少しだけ手放しますね」「手放すと、鐘が“正義”になります」
駅前の広場は、白い幕の内側で動きが鈍い。自転車のライトは水滴を珠の列に変え、車道の白線はミルクをこぼしたように太った。観客の黒い軽は、駅から一段引いた位置に止まり、ワイパーの速さで霧の刻みを測っている。舞台監督は見えない。見えないことが仕事なのだ。けれど、十七度の癖は、霧の中でも消えない。案内標識の裏、角に透明な面板がわずかに反り、雨粒が滑る角度が、他の角と違っていた。十七度。「角度は、霧の重さには勝てないのに」水城は、面板の端を爪で軽く押し、彼らの祈りの跡だけを確かめた。
発車ベルの試験回線にアクセスできる駅務室は、霧の朝にだけ、音の地図を広げる。地図は正確で、冷たい。発車時刻、編成、ベルの長さ、鳴り出しの位相。記録のどれもが、霧とは別の世界のものだ。「この街は、霧のときだけ“霧の標準時”を持つ」紙の上の線は定刻に凪ぎ、ホームの風は、それぞれの人にそれぞれの“遅れ”を与える。その遅れは、同じ三分であっても、誰の三分とも一致しない。
黒いコートが現れた。霧が、彼の輪郭を削るのではない。輪郭を、彼自身が霧に預けるのだ。肩は落ち着き、手首は見えない。鎖骨の拍は、霧の奥で柔らかくこもっている。狐の灯も、桜の幕も、坂の角度も、森の丸い鐘も、すべてここで新しい仮面を与えられる——音の仮面だ。彼は、発車ベルの“前”に立つことを知っている。鐘の一拍前、霧が最も厚く、街の耳が最も敏感になる場所に、気配だけを置く。人は気配の前で、過去と未来の“間”を自分で作り、そこへ嘘を置く。
始発から数えて、十二本目。ホームの時計は、秒針が真下を過ぎるたびに少しだけ足音を速め、霧はその速さを気にしない。ベルは、正しく鳴る。カン——。金属ではなく、霧の膜が震わせた丸い音。二拍目が来るまでの短い空白で、黒いコートは踵を半分だけ返し、背中を霧に差し出した。背中は顔より早く、嘘を受け入れる。「いま、霧が“アリバイ”になります」水城の声は、鐘より少し遅く空へ解けた。
彼らの台本があれば、ここで“鐘の位相”をわずかにずらして、別の場所の鐘と重ね、霧の帳の内側に二重の朝を作る。たとえば、駅前の小広場の時計台のチャイムを、発車ベルの半拍前に“心の振り子”として置く、とか。——けれど、霧は、他人の鐘を長く許さない。「鐘を二つにする手は、ここでは使えないはず」佐伯の声に、水城は目だけで“そう”と応えた。霧の音響は、狐火や夜桜の光学よりも固い。固い相手には、固い答えを用意すればいい。
駅務室の卓上には、昨夜の試験ログが束ねられている。狐ケ崎での“灯り止め”の五秒、桜橋での“照度乱調”の三パーセント。あれらは、ここで音に言い換えられる。ベルの“音色”を変えない。長さも、タイミングも、変えない。——ただ、ホームの床下に貼り残された透明セロハンの糊に、霧の水滴がまとわりつく一瞬だけ、吸音の帯域を狭める。耳には聞こえない。だが、拍を鎖骨で取る人間には、十分すぎるほどの“違和”になる。
鐘の二拍目が滑り込み、三拍目が霧に滲む。黒いコートは、鎖骨を指で叩かない。叩けば終わる。叩かないことが、彼の終わり方だ。彼は、終わらせない。——どこまでも“観客”でいるために。けれど、観客の微笑に移るまでの“間”が、今朝は一拍分だけ長い。霧の吸音が、鎖骨の内側でわずかにふるえ、手首の奥のメトロノームが、狐ケ崎で壊れた拍を思い出してしまう。思い出は、舞台では最悪の偶然だ。
「終わらせましょう」水城は、霧の前に一歩出た。ホームの端に立ち、スピーカーの下で音を聴かずに、柱時計の秒針を見た。秒針は、霧の中でも、霧を知らない速度で進む。「あなたの三分は、坂に返しました。狐火は狐に返しました。夜桜は桜に返しました。港の仮面は港に置いてきた。残っているのは、鐘だけです」黒いコートは、霧の濃いほうから薄いほうへ視線を移した。薄いほうに、人の顔がある。濃いほうに、街の声がある。彼は、どちらも選ばず、靴先で境界を踏んだ。
観客の黒い軽は、ワイパーの速さを二段階上げ、タブレットの画面で“音圧の谷”を追っている。谷は、定刻どおりに生まれ、消える。定刻のうちに、彼らは“遅れ”を見つけ出そうとする。遅れは、遅延ではない。霧の朝の“遅れ”は、人の耳に入った鐘が、心の中で一度反響してから“言葉”になるまでの時間の名前だ。
ホームの端を小走りに駆け抜ける影が、二つ。スクールコートの少年と、新聞配達の青年。彼らは、舞台の“末端”として名前を与えられそうになり、与えられずに済んだ人たちだ。「止まって」水城は言い、手で低い位置を指した。止まる位置は、線路の音がいちばん薄くなる場所だ。霧の膜に穴を開けない。穴が開くと、鐘が歪む。歪みは、嘘と似ている。
佐伯は、鉄道警察隊の小さな録音機を鉄の柱の影に差し入れた。昨夜から今朝にかけての連続録音。狐火の位相ずれ、桜橋の二重こだま、坂の再起動エッジ、森の丸い鐘——音の断片はすべて、ひとつの帯になる。帯は、犯人の“癖”の縦糸を見せる。癖は、海霧の前にだけ素肌を出す。「ここまで来たなら、もう隠せない」水城が、霧に向かって言う。霧は返事をしない。代わりに、鐘が一つ、正確な位置に落ちた。
それは、装置の音ではなく、人間の音だった。黒いコートの喉の奥で、短く固い呼気がひとつ、鐘の尾に引っかかった。そのわずかな濁りは、狐火でも夜桜でも消せない。坂の角度でも、港の面板でも隠せない。「あなたの音」水城は、霧を見たまま言った。男は、微笑を作る前に、口元をわずかに歪めた。「観客は、声を出さない」「ええ。観客は、声を出さない。——あなたは、出した」
ホームの反対側で、時計の針が八分を指した。列車は、ほとんど定刻に滑り込んでくる。霧の白の中に、赤い灯が二つ、花の蕾のように柔らかく滲む。発車ベルが、再び鳴る。その時、水城は初めてスピーカーを見上げ、音ではなく金属の“開口”を見た。開口の内側に、小さな白い点がある。霧に溶けかけた透明の小片。透明のセロハン。彼らの糊だ。「——貼った」佐伯が息を呑む。「貼ったのに、効いていない。霧が、覆っている。霧は、あなた方の味方のようで、あなた方を裏切る」
踏切が遠くで鳴り、波止場の鎖が揺れ、岸壁に固定された金属の輪が短く高い音を返した。音は、霧の中で面を作り、面と面の間に“深さ”を置く。深さは、嘘が落ちるための穴になる。黒いコートは、深さを避けたかった。しかし、彼の足取りは、深さの縁で一度だけ迷った。迷いは、癖と同じ速さで現れ、同じ速さで消える。消える前に、人は見てしまう。
観客の黒い軽のタブレットに、白い空白がもう一つ生まれた。狐ケ崎の一秒。桜橋の一秒。そして、新清水の、霧の一秒。空白は、舞台の外では“欠陥”と呼ばれ、捜査の中では“入口”と呼ばれる。入口は、今朝、ここに開いた。
列車が止まり、ドアが開く。霧は一枚だけ後退し、ホームに“街”が入ってくる。背中も、顔も、声も、いまは街に戻す。舞台は、いったん片付ける。水城は、黒いコートの横に並び、霧の向こうを見た。「終幕です」男は、首を傾げた。「幕は降りませんよ。霧は、いつでも次の舞台をくれます」「幕は降りない。——でも、あなたは降ります」
彼の視線が、霧の稀薄なほうへ逃げかけた。逃がさないのは、言葉ではない。音だ。水城は片手を胸の前に上げ、微かに吸い、吐いた。霧の前で、呼気は別の“鐘”になる。その呼気に、彼の鎖骨の拍が、初めてついてこなかった。狐火で壊れ、坂で露出し、夜桜で二重化され、森で丸くされ、港で皺になった拍は、霧の前で、やっと音をやめた。
真壁の靴音は、霧の奥から聞こえてきた。足音は、霧の中では“方向”を持たない。けれど、足音の“ためらい”は、いつでも一個の方向を指す。黒いコートは、ためらわなかった。ためらわないことに、ためらった。それで十分だった。
手錠が鳴る音は、鐘と違って、霧に優しくされない。金属同士の冷たい接吻が、朝の白に短く線を引いた。男は、手首を前に差し出した。「観客は、舞台に上がらない」「観客は、手首を出さない」水城は、彼の横顔を見ず、霧の向こうの柱時計を見た。時計は、霧を知らない。だから、正しい。
駅務室に戻ると、白板の端に、昨夜の温度と湿度の簡単な記録が残っていた。狐ケ崎の補修狐火、桜橋の短絡、御門台の配電箱、草薙の丸い鐘、県立美術館前の像の指先、長沼の版下——それぞれの数字が、それぞれの夜のまま眠っている。水城は、白板を消さない。消すと、また書かれる。書かれたものが、台本になる。台本が、街を巻き込む。巻き込まれた街は、装置の糊を、日常の糊と取り違える。
佐伯は机の上で、封筒をいくつか整えた。供述調書、物証、録音の写し、駅務室のベル試験のログ、踏切の遮断時間。数字は、霧を怖れない。霧は、数字を嫌わない。数字だけが、舞台の外で生き延びる。「これで、線は喋り終えるんでしょうか」「線は、いつでも喋り続けます」水城は、窓硝子に残る霧の粒を指でなぞった。「けれど、“嘘を運ぶ線”は、今日で終わり。——あとは“人”が喋る」
駅を出ると、霧が一段薄くなっていた。港のほうから、誰かが笑う声がする。坂のほうへ、子どもが走る音がする。狐ケ崎の灯は、日中の顔に戻り、桜橋の川は、何も増やさない音に戻る。森は、丸い鐘をやめ、県立美術館前の像は、ただ石になる。長沼の車庫は、楽屋としての眠りを失い、倉庫に戻る。
「終幕の後に残るのは、舞台の床代ではありません」水城は、ひとりごとのように言い、広場の片隅で紙屑を拾い上げた。狐ケ崎の券面の端。桜橋の赤い細字。長沼のリボンの黒。県立美術館前の透明片。御門台の糊の曇り。草薙の紙の匂い。港の面板の撫で跡。どれもが、いまは乾いている。乾いたものは、もう舞台にはならない。
黒い軽は、もういなかった。観客は、舞台が終わる前に席を立つ。また次の劇場を探すために。それでいい。街は、観客を探さない。街は、客席を持たない。
水城は、駅名標を見上げた。新清水。白い文字は、霧の薄皮の下で少し柔らかく見えた。この終点で、始発の嘘は割れた。割れた音は、霧の中で丸くなり、街のどこにも刺さらない。刺さらない音は、やがて消える。消えた音の代わりに残るのは、朝の静けさだ。
「戻りましょう」佐伯が言う。「どこへ」「線へ。——喋り終えた線の上を、ただ歩くために」水城は微笑を作らなかった。微笑は、舞台のために取っておく。彼女は、霧の湿りが消える前に歩き出し、靴底に静かな時間だけを溜めていった。
駅のスピーカーは、何も鳴らさない。それがいちばん良い朝だと、街は知っている。霧は、鐘のない朝のほうへ、もう一度だけ、薄く動いた。
終





コメント