セナバの奇跡――永劫の残滓
- 山崎行政書士事務所
- 1月25日
- 読了時間: 8分

プロローグ:見えざる亀裂の拡大
激しい閃光と衝撃波が地下保管室を襲い、絵の中に封じられた「神の子」が一瞬姿を見せた――そんな嵐のような夜から、数日が過ぎた。 “セナバの奇跡”と“もう一枚の絵”は再び静寂を取り戻し、表向きは事なきを得たように見える。 しかし、美術館の館長アルベルト・バルタは、いまだに落ち着きを取り戻せないでいた。時の門を揺さぶる謎の勢力や、黒いコートの男の行方は依然としてつかめず、封印を“完成”させたはずの祈祷書が微妙な歪(ゆが)みを告げている。
――あの夜、果たして本当に「神の子」を再び眠らせることができたのだろうか。 それとも、それは単に“目覚めの序章”に過ぎなかったのかもしれない。
第一章:不可解な流行(はや)り病
夜間警備を続ける美術館に、最近小さな異変が報告されるようになった。特別保管室の扉がひとりでにきしむ音を立てたり、数秒だけ電源が落ちてカメラが真っ暗になるのだ。 さらに、セナバの町全体を覆うように謎の頭痛や倦怠感を訴える人々が増えているという。医師たちは季節の変わり目による風邪かと推測するが、どこか症状の一致点が見当たらない。 石畳の町並みは相変わらず美しく観光客を迎えているものの、深層ではゆっくりとした“病”が忍び寄っているように感じられた。
「まるで町全体が“疲弊”しているみたい……」 美術館の奥、人気のない廊下を歩きながら、野々村遥(ののむら・はるか)は口を開く。 一方、隣を歩く淡路巧(あわじ・たくみ)も困惑した表情を浮かべる。「まさか、あの“神の子”の力が、町の人々に微妙に干渉しているんじゃないだろうか。表向きには封印しても、完全には隔離できていないのかも……」
第二章:手記に刻まれた恐るべき予言
そんな不安を抱える中、アルベルトが新たに発掘された古文書を携えて二人のもとへやってきた。 それは、17世紀の画家パラディーノ・ルシオの弟子が残したとされる私的なメモの断片で、その最後にこう書かれていた。
「もし“神の子”が真に目覚めるならば、その影は世界に広がり、数多の魂をむしばむだろう。それを抑える術(すべ)を知る者は、主の意志を継ぐ者と“絵”の宿命を知る者だけ。さもなくば、時は破れ、すべては虚無へ帰す。」
数多の魂をむしばむ――。これがセナバに蔓延しつつある病に繋がるのかは不明だが、危険な兆候がリンクする可能性は否定できない。「主の意志を継ぐ者、そして“絵”の宿命を知る者って……もしかして、かつての“鍵”を持っていたルチアや、その血縁に当たる存在? あるいは私たちが今、間接的にそれを担っているのかもしれない」 遥は目を伏せながらつぶやいた。
第三章:再来する謎の男
翌日、町の診療所へ調査に向かった帰り道、巧は背筋に冷たい視線を感じた。 ふと路地裏を振り返ると、見覚えのある黒いコートの男が立っている。まるでずっと待ち伏せをしていたかのように。「……また、あなたか」 巧が鋭く睨(にら)む。
男は口元にわずかな笑みを浮かべた。「神の子を解放することこそが、この世界の定めだと、まだ理解できないか。いずれ、止められなくなる日が来る。あの夜、わずかに抑え込んだとしても、封印は完全ではない。 ――いずれ神の子は“人々の中”に目覚めるのさ。」
「人々の中……?」 男の言葉に一瞬戸惑いを覚える巧だったが、問い返そうとしたときには、彼の姿はもう路地の角を曲がって消えていた。 “魂をむしばむ”“人々の中に目覚める”。――もしこのまま事態を放置すれば、町に渦巻く病のような不調が一気に深刻化し、時の門すら制御不能に陥るかもしれない。
第四章:終焉(しゅうえん)のヴァリエーション
夕方、美術館の地下へ降りた遥と巧は、再度“セナバの奇跡”と“もう一枚の絵”を確認する。 かつてよりは薄まっているものの、表面から発する冷たい空気は拭えない。指先を近づけると、まるで“闇の流れ”のような気配を感じる。
「もし、神の子が本当に再度力を増しているとしたら、今度は町全体が巻き込まれるかも」 遥の声は震えていた。「どうすればいい……? 再び祈祷書の儀式を行っても、根本的な解決にはならないだろう」 巧は床に視線を落とす。
――そのとき、アルベルトがふと何かに気づいたように口を開いた。「この前、パラディーノ・ルシオの弟子の手記を読んでいたら、彼らが“終焉のヴァリエーション”と呼ぶ、ある種の特別な作品を作りかけたらしいのだ。 “神の子”を完全に鎮めるには、もしかすると“終焉のヴァリエーション”が必要なのではないか……」
終焉のヴァリエーション――それは、ルシアの父が「もし三つの門がすべて破綻したときの最終手段」として構想していた“もう一枚の絵”らしい。かつてイタリアで見つかった“未完の門”とも関係がありそうだが、どうやら別の代物だという。 完成には至らなかったのか、そもそも現存しているかも分からない。しかし、唯一“神の子”を完全に消滅させる鍵である可能性が高い。
第五章:手がかりは海の向こうに
巧はかつて連絡を取り合ったイタリアの研究者サンティーニに、即座にメールで問い合わせた。――「パラディーノ・ルシオが“終焉のヴァリエーション”なるものを構想していなかったか」と。 すると、意外な返信が返ってきた。 イタリアではなく、さらに別の地――スペインにパラディーノが短期間滞在した記録があり、そこに“終焉のヴァリエーション”らしき下絵の存在が示唆されているというのだ。
「パラディーノは生前、ヨーロッパ各地を旅して絵を学んだんだな。イタリアだけじゃなく、スペインにも足を伸ばしていたのか……」 遥は地図を見つめ、ため息をつく。「遠いわね。でも、もし本当にそこに手がかりがあるなら、私たちが行くしかない。町がこんな状態のままじゃ放っておけないもの」
アルベルトは少し躊躇しながらも、二人の行動を後押しすることに決めた。――セナバを救うために、スペインで“終焉のヴァリエーション”のヒントを見つけなければならない。 だが、その一方で町の様子は刻一刻と悪化しつつある。発熱や頭痛を訴える住民が急増し、謎の症状を“疫病”と噂する声も広がっていた。
第六章:神の子の浸透
出発の日の朝、遥と巧は最後に美術館の保管室を確認した。 そこでは、前夜から警備員や学芸員たちに複数の“異変”が生じていた。理由もなく倒れる者、訳の分からないことを呟(つぶや)く者――まるで何かに精神を蝕(むしば)まれているような症状だ。
「これって、やっぱり“神の子”が町の人々の内面に入り込んでいるのかしら……?」 遥の問いに、巧は険しい表情で頷く。「黒いコートの男が言っていた“いずれ神の子は人々の中に目覚める”って、このことだったんだろうね。完全に封じられず、少しずつ外へ漏れ出しているんだ」
もしスペインで何も得られず戻ってきたら、セナバのみならず、この影響は世界へ広がるかもしれない――。 二人は固い決意を胸に、アルベルトや館のスタッフに後事を託し、夕刻の飛行機でスペインへ飛び立つことになった。
第七章:不可解な追手
空港への道中、ふとした拍子に巧はルームミラー越しに驚く。後ろの車線に、あの黒いコートの男が乗っていると思しき黒塗りの車が見え隠れしているのだ。「まさか……スペインまでついてくるつもりか?」 わずかに加速しても、しばらくすると再び距離を詰められる。明らかに追跡されている。
しかし、空港の駐車場に入ったタイミングでその車は姿を消した。あの男は、二人がスペインへ行くことを知らないはずはないだろう――ならば先回りするか、あるいは別の形で妨害してくるかもしれない。
第八章:旅立つ決意と残る不安
飛行機の搭乗口へ向かいながら、遥は言い知れぬ緊張感に包まれる。「スペインに行って、もし“終焉のヴァリエーション”の手がかりが得られなかったら……町の人たちを救えないかもしれない」 思わず足がすくんだとき、巧がそっと肩に手を置いた。「大丈夫。僕たちが見つけるしかないんだ。パラディーノが遺した最終手段を。――行こう」
セナバの空港ロビーに漂う夕陽のオレンジ色が、どこか寂しげに揺れている。外では、街頭のオブジェが風にかすかに鳴り、ひときわ静かな町の呼吸が感じられた。 “神の子”の影は、まだここに渦巻き続ける。 それでも、遥と巧は振り返ることなく搭乗ゲートを潜(くぐ)り、機内の人となった。
終章:永劫の残滓(ざんし)
――飛行機が離陸し、窓の外にはセナバの夜景が遠ざかっていく。もうすぐ雲海に突入し、町の姿は見えなくなるだろう。 思えば多くの奇跡と災厄を生んできた“絵”と“神の子”の物語。湖底の礼拝堂を封じ、洞窟の石像を発見し、封印を強化しても、なおその宿命は終わっていない。 パラディーノ・ルシオが残した最後の切り札――“終焉のヴァリエーション”を見いだすことで、本当に永遠にこの歪(ゆが)みを断ち切れるのだろうか。
どこか遠くから、風のような囁(ささや)きが聞こえる。 「神の子」は、いずれ人の心を通じて完全な形で顕現する。 それを止められなければ、“時”は破れ、世界は底知れぬ闇へ落ちる。 ――もし、それが“神”の意志であるならば?」
機体が雲を抜け、漆黒の空を飛び続ける。遥と巧の耳には、セナバから届く鐘の音がまだ微かに残響しているようだった。 深い闇をくぐり抜けた先に、果たしてどんな光が差すのか。 旅立つ二人はその答えを知らないまま、ただ固く心を結び、スペインの大地へ向かっていた――。
セナバの奇跡――永劫の残滓。 その深き影に潜む“神の子”は、なおも世界の時間を揺さぶろうとしている。 次に扉が開くとき、迎えるのは破滅か救いか――それは、まだ誰にもわからない。
(つづく)
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