セナバの奇跡――星影(ほしかげ)のラプソディ
- 山崎行政書士事務所
- 1月25日
- 読了時間: 9分

プロローグ:晴れゆく空に差す一抹の影
セナバの町に漂っていた原因不明の病は奇跡的に治まり、人々はようやく平穏な日常を取り戻しつつある。 美術館の地下に封じられた“終焉(しゅうえん)のバリエーション”は、パラディーノ・ルシオの真の遺作として厳重に管理され、同時に**「神の子」**を完全に封じた象徴として、ひそかに人々の敬意を集めていた。 黒いコートの男たちが町を去ってから数週間が経ち、石畳の上には観光客の姿が戻り、いつもの朗らかな喧騒(けんそう)が戻っている。
――しかし。 「本当に、これで終わったのだろうか」 そうした疑念が、野々村遥(ののむら・はるか)の胸の奥に、かすかな棘(とげ)のように残り続けていた。 淡路巧(あわじ・たくみ)や館長アルベルト・バルタですら、「今は何事も起きていない」と分かっていても、どうしても拭(ぬぐ)いきれない不安がある。
夜空にふと目を向けると、満天の星が石造りの大聖堂を照らしている。 その星影の中に、一瞬だけ誰かの“視線”を感じた――まるで深い闇の底から町をうかがう影が、まだどこかに潜んでいるかのように。
第一章:訪問者の警告
ある午後、美術館を訪れた一人の初老の男性が、アルベルト館長に静かに言った。「あなたたちは、“神の子”を本当に封じ込めたと思っているのかね? 私の祖父は、かつてパラディーノ・ルシオと親交があった一族の末裔だが……“神の子”は、人の心に宿る希望でもあり、絶望でもある。そう簡単に消えるものではない」
男性はセナバの郊外に住む神父だという。彼が持参した古い聖典には、**「神の子は星影に還り、いつか再び巡る」**という文言が記されていた。 アルベルトは驚きつつ、遥と巧を呼び、話を続けてもらう。男性いわく、星の運行と人々の祈りが交錯するとき、“神の子”は新たな形で再臨するという伝承が、一部で語り継がれているらしい。
「もしかすると、あの黒いコートの男たちも、この伝承を手がかりに動いていたのかもしれない……」 館長が呟(つぶや)く。 今は彼らの姿は消えたが、彼らが崇めようとした“神の子”が、実はまだ“星の光”を媒介に残っているとしたら……。
第二章:夜毎に鳴る鐘の噂
同じ頃、セナバの旧市街では**「真夜中にかすかに鐘が鳴る」**という奇妙な噂が広まり始めていた。 大聖堂の鐘は決まった時間にしか鳴らさないはずなのに、午前2時ごろになると、「遠くから聞こえる幽かな鐘の音で目が覚めた」と訴える住民が増えつつあるのだ。 さらに、その音を聞いた人の中には、わけもなく胸騒ぎを覚え、翌朝ひどい倦怠感に襲われる――かつての病を思い出させるような症状も少数ながら報告されている。
「また“神の子”のしわざ……?」 遥は美術館の一室で、巧と向かい合いながら不安を洩(も)らす。「でも、終焉のバリエーションで封じたはずだよな。どうしてまた……」 巧も苦い顔をする。
そんな矢先、アルベルトが一通のメールを持ってきた。送り主は、スペインで“未完の絵”を守っている研究者、マリア・エストレージャ。 要件は一言だけ――「何かが動き始めている。気をつけて」。
第三章:流星群と古い天文図
夜に満天の星を仰ぐセナバ。町外れの丘ではアマチュア天文家たちが小規模な観測会を開いていた。近々、“大きな流星群”が訪れるというニュースが出回っているのだ。 巧は一度だけその観測会に顔を出し、天体望遠鏡を覗いた。すると、どこか不吉なほど鮮明な星の列が目を射る。 聞けば数十年ぶりの規模で、夜空を横断するように数多の流星が流れる見込みだという。
「……星の光が強まる時期に、“神の子”が動き出す? まるで先ほどの神父さんが言っていた伝承と合致する気がする……」 遥は古文書をめくりながら、パラディーノ・ルシオのスケッチに描かれた天文図に目を留める。 そこには、不気味なまでに精密に配置された星と月のモチーフがあり、中央に人の形をした紋章が浮かんでいた。
第四章:星影(ほしかげ)のラプソディ
翌日、アルベルトが保管庫からあるスケッチを取り出してきた。 かつてセナバの奇跡やもう一枚の絵の修復過程で発見されたもので、パラディーノが“星空の下で舞う人影”を描いたものだ。裏には**「Rapsodia delle Stelle」(星影のラプソディ)**とタイトルらしき単語が記されている。 誰もその意味を理解できずにいたが、今になって不気味な符合が起こり始めている。
「このスケッチ、どことなく“終焉のバリエーション”にも似たタッチがある……」 巧は拭(ぬぐ)えない不安を抱えながら、じっと紙に触れる。 微かに感じる冷たさ。まさか、封印を終えたはずの“神の子”の残滓(ざんし)が、またここに息づいているのだろうか。
第五章:未明の鐘楼(しょうろう)
深夜2時過ぎ。わざと眠らずに待機していた遥は、ふと窓の外に意識を向ける。 すると、確かに微かに聴こえてくるのだ――遠くで響く鐘の音。大聖堂や公的な時計塔ではない、もっと冷ややかな鋳鉄(ちゅうてつ)が震えるような音色。 外へ飛び出し、巧とともに音の方向を探る。夜風は肌寒く、町の通りにはほとんど人影がない。
やがて、音は旧市街の奥、ほとんど使われなくなった修道院の鐘楼付近から聞こえているらしいことがわかった。 そこは数年前まで廃墟同然だったが、黒いコートの男たちが潜伏していた時期があるとの噂もある場所だ。
「まさか……まだそこに何かが?」 遥は胸騒ぎを抑えられない。もしこの鐘を鳴らしているのが“神の子”の眷属(けんぞく)のような者だとしたら――。
第六章:隠された祭壇
旧修道院の門は鎖(くさり)で閉ざされている。だが、誰かがこじ開けた形跡があり、軋(きし)む扉を押すと中へ入ることができた。 そこは埃まみれの礼拝堂。朽ちた木製の椅子が並び、半壊した祭壇が奥にある。 慎重に足を進めると、祭壇の裏側に怪しげな道具が散乱していた。黒いロウソク、意味不明の文様が刻まれた石版――そして、血のように赤い染みが床に広がっている。
「ここで……“何か”の儀式が行われていたの?」 巧が声を詰まらせる。 床に置かれた紙切れには、ラテン語の呪文らしき文字と共に、“神の子”を呼び出すような文言が並んでいる。かつて黒いコートの男たちが用いた儀式か、それとも別の集団が後を引き継いだのかは分からない。
と、そのとき。突然、背後から低い声が響いた。「――誰だ、ここにいるのは?」
第七章:執念を抱く残党(ざんとう)
振り向くと、礼拝堂の陰から現れたのは、かつてセナバで暗躍していた黒いコート集団の一人――巧も何度か顔を見かけた残党の一人だ。 相手は鋭い目つきでこちらを睨(にら)み、手には短剣のようなものを握っている。「神の子を完全に封じたつもりらしいが、星が巡り来れば、再び目覚める。それが運命だ」
男の声には狂気が滲(にじ)んでいる。「お前たちは再臨を阻止したが、それは一時のことにすぎない。……流星群が来る夜、神の子は“星影のラプソディ”を纏(まと)って蘇(よみがえ)り、我らを新しき未来へ導くのだ」
過激な台詞が続くが、その“新しき未来”とは、破滅を意味するのか、それとも歪(いびつ)な救済か。いずれにせよ、事態が再び動き出したのは確実だ。 男は短剣を突き出したまま近づいてくる。遥と巧は息を呑(の)むが、男の足取りはどこか覚束(おぼつか)ない。まるで自分自身も呪いに蝕(むしば)まれているかのように震えているのだ。
第八章:鐘楼での対峙(たいじ)
「お前たちが“神の子”を裏切ったせいで、多くの仲間が去ってしまった……だが私はまだ諦めていない!」 男はそう叫ぶと、祭壇の奥へ駆け抜け、鐘楼へ続く石段を駆け上がっていく。 半壊の階段からは、夜空が覗いている。そこに据えられた古い鐘を鳴らすことで、呪術めいた力を増幅させているらしい。
「逃がさない。ここで止めないと、また町に災厄が……!」 巧が意を決し、遥とともに男を追いかける。 狭く急な階段を上りきると、屋根のない鐘楼は満天の星空にさらされていた。夜風が吹きすさび、鉄の鐘がかすかに鳴っている。
男は鐘の綱(つな)を片手に、狂ったように笑いながら振り返る。「もうすぐ流星群だ……そのときが“再臨”の刻(とき)だ! さあ、星々の旋律を聞け!」
第九章:星々の衝突
深夜2時を回ったころ、ついに夜空に無数の流星が走り始めた。ひとつ、ふたつ……やがて数えきれない光が線を描く。 その光に呼応するように、男は鐘を乱打する。ゴーン、ゴーンと低い音がセナバの闇を揺らす。 すると遥と巧の胸に、かつて感じた“神の子”の冷気がよみがえるような戦慄(せんりつ)が走った。封印したはずの力が、まるで呼び起こされつつあるかのように。
「やめて……もう二度と、この町を痛めつけないで!」 遥は震える声で叫ぶが、男は聞く耳を持たない。
だがそのとき――鐘楼の下から一筋の光が駆け上がってきた。 「それまでだ……!」 見れば、館長アルベルト率いる警備員数名が追いつき、ロープを斬(き)りつけて鐘を強制的に止めようとしているのだ。 ガキンッ! 鉄の綱が外れ、鐘は激しい音とともに揺れを止める。
エピローグ:黎明(れいめい)のシンフォニア
乱打が止み、鐘の響きが消え失せた瞬間、空に走る流星群も不思議なほど穏やかに失速していくように見えた。 男は膝(ひざ)から崩れ落ち、うわ言のように「神の子……星影……」と繰り返すだけ。 “星影のラプソディ”――それは彼らが求めた、“神の子”再臨のための大いなる呼びかけだったのかもしれない。 だが封印を破るには力が足りず、パラディーノの残した“終焉のバリエーション”が、今もなお町を守っているのだろう。
翌朝、町にはかつてのような不穏な気配はない。夜毎に聞こえたはずの鐘も鳴りを潜め、人々は安らかな眠りにつけたようだった。 アルベルトは警察の協力を得て男を保護し、礼拝堂で行われていた呪術的な遺物を回収する。 こうして、**“星影のラプソディ”**という名の陰謀は消え去ったかに見える。
美術館前の広場で、遥と巧は新しい朝日の眩(まぶ)しさに思わず目を細めた。「また、町を救えたのかな……」 遥がつぶやくと、巧は肩をすくめながらも微笑む。「町や人々の心に“神の子”が消えたわけじゃないかもしれない。パラディーノが言ってたように、それは希望にも絶望にもなる力だから。――でも、少なくとも僕たちは、選ぶべき道を選んだと思うよ」
空は高く晴れわたり、夜に舞い散った流星の欠片(かけら)は、朝の光に溶けて見えなくなっていく。 “セナバの奇跡――星影のラプソディ”は、再び静かに幕を下ろした。だが、それは同時に新たな序曲(じょきょく)の始まりなのかもしれない。
――もし、いつの日か星の運行が再び乱れ、封印された力が呼び覚まされようとしても、人はきっと“今を生きる意思”をもって立ち向かう。 パラディーノ・ルシオの芸術と、遥や巧、そして町の人々の願いが重なり合い、新たなシンフォニア(交響曲)を奏でるだろう。
朝日が石畳を柔らかく照らす中、教会の鐘がゆっくりと定刻の音を響かせる。 その穏やかな調べを聞きながら、遥と巧はふと空を見上げる。どこか遠くの星の彼方でも、同じように新しい希望の光が満ちていると信じながら。
黎明のシンフォニア――それは、この町が迎える真の朝。奇跡の物語は、まだ終わらない。 誰しもが“今”を紡(つむ)ぐことで、明日を描いているのだから。





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