セナバの奇跡――暁のカデンツァ
- 山崎行政書士事務所
- 1月25日
- 読了時間: 9分
プロローグ:刻限

の足音
スペインの小さな町にある荒れ果てた修道院――そこで、17世紀の画家パラディーノ・ルシオが描こうとしていた“終焉のバリエーション”の下絵が発見された。 しかし、それは虫食いのキャンバスと無数の断片的スケッチに過ぎず、全体像を掴むにはほど遠い。 ただひとつ分かったのは、**「2枚の絵を重ねることで完全体になる」**という謎のヒント。そして、その絵の核心には“神の子”を封じる、あるいは解放するための大いなる力が秘められているらしい。
一方、セナバの町では、原因不明の“頭痛や倦怠感”がまるで疫病のように広がり、病院は対応に追われている。専門家たちはウイルスや細菌の類を疑うが、正体は掴めないままだ。 ――黒いコートの男が暗躍し、「人々の内側に神の子が目覚める」と予言した影が、着実に広がり始めているのだろうか。
夜明け前の蒼白い空気が、スペインの古都に微かな不安を運んでくる。 野々村遥(ののむら・はるか)と淡路巧(あわじ・たくみ)は、現地の研究者マリア・エストレージャの協力を得て、修道院地下で見つけた手がかりを整理していた。 “終焉のバリエーション”――それが完成しない限り、セナバを襲う“神の子”の脅威を根本的に消し去ることはできない。 しかし、すでに動き出した闇の勢力も、同じ手がかりを追っているらしい。事態は刻一刻と刻限へ向かっているかのようだった。
第一章:バリエーションを甦(よみがえ)らせる鍵
「2枚の絵を重ねる……」 遥は床に広げた紙片を見つめながら呟(つぶや)く。そこにはパラディーノが書き残した断片的なメモがあった。
「我が筆が生みし二つの“門”を合わせ、終焉を描く“新たなる形”を得るべし。かくして神の子は永遠の眠りにつく――」
「“二つの門”って、やはりセナバ美術館の二枚の絵、“セナバの奇跡”と“もう一枚の絵”のことを指しているんでしょうか」 巧は首をひねりながらも、そう確信するしかなかった。かつて何度も危機をもたらし、時の門を開閉してきたあの二枚。 もしその二枚と、ここで発見した“未完の下絵”を組み合わせることで、“終焉のバリエーション”が完成するのだろうか。
「でも、物理的に絵を持ち運ぶのは危険すぎる。セナバには謎の疫病も広がっているのに、もし封印が完全に解けたら……」 マリアは険しい表情で言う。「となると、やはりあの“時の門”を経由するしかないのかしら」 遥のつぶやきが部屋の空気を重くする。門を開けば“神の子”の力を増幅させる可能性もある、という二律背反が脳裏をよぎるのだ。
第二章:届かぬ救援要請
その午後、セナバの美術館・館長アルベルトから緊急のビデオ通話が入った。 画面に映るアルベルトは酷く憔悴(しょうすい)している。町の医療体制が限界に近く、原因不明の症状が連鎖的に悪化しているという。
「状況は日に日に深刻になってる。まるで“目には見えない毒”が町に蔓延(まんえん)しているようだ。何か進展はあったのか?」 アルベルトの声には焦燥感がにじむ。 遥と巧は、修道院での発見と“終焉のバリエーション”完成の可能性を説明した。 しかし、肝心な“実行手段”が見出せていないことを明かすと、アルベルトは血の気を失った顔で沈黙する。
「……わかった。何とかこちらも時間を稼いでみる。だが、そう長くはもたないかもしれない……」
通話が切れる。画面に残るセナバの町は、かつての活気を失い、灰色の空気に包まれているように見えた。
第三章:黒き影の脅迫
夜、マリアの知人が営む小さな宿の一室に戻り、三人は明かりを落として休もうとしていた。すると、遥のスマートフォンに“非通知”の着信が入る。 嫌な予感を覚えながら出ると、聞き覚えのある低い声が耳を打った。「……逃げ回っても無駄だ。パラディーノの遺した絵を復活させようとしても、神の子の宿命は変わらない。破滅を避ける術などない」
「あなたは……」 言葉を失う遥に、男は続ける。「今さら“終焉のバリエーション”を完成させたところで、神の子の力は既に世に広がった。むしろ、お前たちの行為が“門”を完全に開く引き金になるかもしれないんだぞ」 通話はそこで切れた。暗闇の中で胸を突く恐怖と不安。しかし、同時に――完成が現実味を帯びているからこそ、敵が揺さぶりをかけているのだろう、と遥は感じた。
第四章:刻まれた旋律
翌朝、三人は再び修道院へ向かい、地下室で手分けして紙片を調べ始める。そこに奇妙な楽譜のようなものを発見したのは巧だった。 五線譜というには素朴な記号が並んでいるが、どうやら簡単な旋律が書かれているらしい。 その脇には、ラテン語の一節がメモされていた。
「交響せし二重奏(デュオ)、門を閉じる序曲となる」
まるで音楽が鍵になるかのようだ。それも、**“二重奏”**という言葉が妙に引っかかる。もしかすると、“2枚の絵の合わせ技”を音楽的に暗示しているのかもしれない。 遥はふと、セナバの美術館で以前目にしたパラディーノのデッサンに、音楽のモチーフが含まれていたことを思い出した。もしその曲を再現することで“終焉のバリエーション”が完成へ近づく……?
第五章:門をつなぐ儀式
「やっぱり、門を開くしかないのかもしれない」 修道院の外で一息ついたマリアが苦い顔をする。「もし門を部分的に開き、“セナバの奇跡”と“もう一枚の絵”の“写し”をこちらへ映し出せれば、実物を運ばずに済むかもしれないわ」
巧は目を見張る。「写し……? まるで投影みたいに、絵の力を一時的に引き出すってことか?」 マリアは先祖が伝える古い伝承を思い出す。“門”は場所や物を移動させるだけでなく、投影や反射のように“姿”を写すこともある――そんな話を聞いたことがあるというのだ。
もちろん危険は大きい。下手をすれば“神の子”自身が門を通じてスペイン側へ流入し、二つの場所で禍々(まがまが)しい力が倍増しかねない。 だが、今は選択の余地がない。“黄昏のバリエーション”――この未完の絵を完成させてこそ、真に“終焉”が救いに転じるのかもしれないのだから。
第六章:スペインの夜の儀式
夜更け、星明かりの下、修道院の廃墟となった礼拝堂にロウソクを並べ、簡易的な結界を張る。 マリアはイタリアやセナバから伝わる封印の術式を応用して、**“門を開くがモノは通さず、投影だけを呼び込む”**ための手順を組み立てていた。 遥と巧は互いに視線を交わしながら、かつてセナバで何度も繰り返した儀式を思い出す。だが、今回は明確な成功例などなく、すべて手探りだ。
「いくわよ……」 マリアの合図で、三人はラテン語の詠唱を始める。そっと静かに、胸の奥から意識を研ぎ澄ますと――礼拝堂の気温が一瞬下がった気がした。 闇が揺れ、ロウソクの炎が伸び縮みし、空気が震える。遠くから誰かの囁(ささや)きが聞こえるような感覚。
それは、セナバの特別保管室と繋がった“門”の片鱗(へんりん)なのだろうか。
第七章:交差するイメージ
儀式の最中、礼拝堂の壁に薄青い光が差し込み、そこに二枚の絵らしきイメージが浮かび始めた――そう、セナバ美術館にある「セナバの奇跡」と「もう一枚の絵」だ。 輪郭はぼやけているが、確かにあの独特の色彩が見て取れる。 巧は息をのむ。「写ってる……本当に“写し”を呼び込めたんだ!」
しかし、同時に強烈な息苦しさを感じる。神の子の気配がこの門を介して漏れ出しているのか、頭が割れるような痛みに襲われる。 一方、遥は必死に意識をつなぎ止めながら、床に広げた未完のキャンバスと重ね合わせようとする。**“黄昏のバリエーション”**の一部に、この映し出された二枚の絵を溶け込ませるように。
すると、キャンバスの表面がざわざわと波打つように輝き始めた。――二枚の絵と、ここスペインの下絵が“重なる”瞬間。パラディーノが望んだ“組み合わせ”が、今まさに具現化しようとしているのだ。
第八章:邪魔する黒い影
だが、その一瞬の隙を突くように、廃墟の扉が勢いよく開かれた。 黒いコートの男、そして彼の手下らしき男たちが数名、礼拝堂に雪崩(なだ)れ込んでくる。「やはり、ここで門を開いていたか……愚かな連中め」 男の声には嘲笑(ちょうしょう)が混じる。彼らは躊躇なく儀式の場へ踏み込み、ロウソクを踏み消そうとする。
「やめて! もう少しで“バリエーション”が……」 遥が制止するが、男たちは構わず周囲の結界を乱し始める。 巧やマリアも必死に抑えようとするが人数の差は大きい。激しいもみ合いの中、床に置かれていたキャンバスが持ち上がり、危うく踏みつぶされそうになる。
「“神の子”はもう十分にこちらの世界へ浸透した。今さら封印などさせるか!」
第九章:響き合う二重奏
絶体絶命の状況――しかし、そのとき、礼拝堂の壁に映る二枚の絵がひときわ強い光を放った。 ロウソクの炎が消えかけているにもかかわらず、まるでそこだけ青白いスポットライトを浴びているかのようだ。 同時に、どこからか遠い鐘の音や旋律が聴こえてくる。あの地下室から見つかった楽譜のメロディーだろうか。
男たちは思わず怯(ひる)んで動きを止める。 光と音が調和するように交わり、キャンバスの表面に幾重にも重なった色彩が踊る。そこには先ほどまで不鮮明だった人型のシルエットが浮かび始め、その中央に紋章が刻まれている。 まさに“終焉のバリエーション”が、今この瞬間に甦りつつあるのだ。
エピローグ:暁(あかつき)のカデンツァ
閃光と音の洪水が礼拝堂を満たし、黒いコートの男や手下たちは身を引くしかない。儀式の場に立ちすくむ遥と巧、そしてマリアは、それぞれの目に眩(まばゆ)い光を焼き付けながら、最後の一押しを願うように息を詰める。
――すると、光と音が一瞬にして静まった。 礼拝堂の空気は穏やかさを取り戻し、床にはあのキャンバスが横たわっている。そこには、二つの絵の面影が重なり合い、中央には人型の輪郭と紋章がはっきりと描かれていた。 “終焉のバリエーション”は、仄(ほの)かに蒼い残光を放ちながら、完成を告げたかのように見える。
戸惑う男たちを尻目に、遥たちはそっとキャンバスに手を伸ばす。 指先に伝わる冷たさと同時に、“神の子”の気配が不思議なほど静まり返っているのを感じた。まるで、この絵自体が“神の子”の力を吸収し、中和したかのように……。
外はすでに夜が明けかけ、薄紅色の空が修道院の廃墟を映し出していた。 今や、黒いコートの男たちは顔を曇らせ、何も言わぬまま後ずさりしている。――彼らにとっても想定外の出来事だったのだろう。
“セナバの奇跡――黄昏のバリエーション”は、この瞬間、“暁(あかつき)のカデンツァ”を奏でるかのように幕を上げた。 しかし、これで本当に神の子の災厄が終わるのか。それとも、まだ真の決着は訪れていないのか。
光差す礼拝堂の床に倒れ込んだまま、遥と巧、そしてマリアは重い呼吸を繰り返す。遠くスペインの空から、新しい一日の始まりを告げる鐘がかすかに響いた。 その鐘の音が、遥かセナバの町にも微かに届いたなら――人々の病も、神の子の暴走も、果たしてどんな形で変化を迎えるのだろうか。
すべてを見据えるには、もう少し時間が要る。 夜明けのカデンツァが鳴り終わるまで、物語はまだ終曲を迎えない――。





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