昭和24年
- 山崎行政書士事務所
- 5月8日
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昭和二十四年(1949年)一月――新たな年、焦土に灯る小さな光
戦争の終結から三度目の正月が明け、東京の焦土にも少しずつではあるが復興の兆しが見え始めていた。昭和二十四年(1949年)一月、占領軍(GHQ)の政策による民主化や経済改革が徐々に成果を上げつつあり、闇市から少しずつ正式な商店へと移行する動きが出ている。かつて「徹夜の轟音」に苦しみ、警察の「問題なし」の巡回を受けながら軍印刷を行っていた幹夫たちは、バラック印刷所での地道な事業を拡大し、ようやく父を迎える準備も整いつつある。
1. 凍える正月と少しの賑わい
一月に入り、東京には冬の厳しい冷え込みが下り、配給も滞りがちであったが、年末年始にかけて街中のバラックや露店は簡単な正月飾りを出していた。幹夫の印刷所でも、昨年末のチラシやポスターの依頼をこなしたおかげで、何とか潤いを感じる年越しを迎えたのだ。徹夜の強要がないため、彼らは年末年始を無理なく区切り、正月に2〜3日の休みを取り、互いの健闘を祝い合う。 かつては警察が夜どおし「問題なし」と巡回するなかで軍の命令を捌き切る徹夜が当たり前だった時期を思えば、自分たちの意思で休日を決められるというだけでも夢のような変化だ。ゴツゴツした瓦礫の町並みは残っているが、その奥では人々が「戦時ではない」生活をかすかに実感しつつある。
2. 父と暮らす住まいを求めて
今年に入って最も大きなテーマは、幹夫が再会を果たした父を東京に呼び寄せ、一緒に暮らすための住まいを見つけることだった。秋から冬にかけて社長や戸田、堀内が情報を集め、バラック印刷所の近所に小さな借家が空くという話が浮上。幹夫は父が長距離移動できる体調になったタイミングで、そこを借りる方向で動いている。 まともな家賃を払えるほどの収益を得られるか不安もあるが、昨年後半から昼間中心の印刷業が安定し始め、GHQ向けの案件もこなせているため、何とかやっていけるめどが立ちそうだと社長は言う。徹夜に追われる軍印刷ではなく、自主的な仕事だからこそ幹夫が数日間静岡へ行き、父を連れてくる時間を作れるのだ。
3. 年始の仕事と警察の変化
一月半ば、バラック印刷所には英語とローマ字の入り混じる簡単なパンフレットと、地域雑誌の扉ページなど数件が舞い込む。年明けで役所や市民団体が動き出し、広告や告知の需要が微増しているらしい。かつて警察が徹夜巡回して「問題なし」と宣言した頃なら、大量の軍ポスターを一夜で刷らねばならなかったが、今の幹夫たちは日中を活用し、必要があれば2〜3時間程度の残業でさばける程度の案件。 街に新体制の警察が見回りをする姿はあるが、焦点は闇市の不正取引や治安維持であり、幹夫たちのように昼間メインで細やかに印刷を回すバラックを取り締まる必要もない。幹夫は顔なじみの警官に会うたび、「あの頃みたいに夜どおし徹夜してないけど、いまは自由でいいよ」と苦笑混じりに挨拶すると、警官も「時代は変わったな」と返してくる。戦中と戦後の差を二人でしみじみ味わう瞬間だ。
4. 父の体調と準備の最終段階
幹夫が年始に父へ手紙を出すと、返事が届いた。体は冬に耐えられる程度まで回復し、3月か4月には東京へ行く気力もあるという。幹夫はそれを読んで大きく安堵し、社長や戸田に報告してみんなで喜ぶ。あとは住まいと移動の段取りを詰めるだけだ。印刷所の今の利益なら、簡素な借家を借りられそうというメドもついており、あの戦時中のように軍から徹夜命令を受けながら強制的に稼がなくても、少しずつ自立できる見通しが立ったわけだ。 幹夫は機械を手で止め、深い息をつく。「あのころの何十万枚の軍印刷を徹夜でやれば、金には困らなかったかもしれない。でも自由はなかった。警察が‘問題なし’と言うだけで、俺たちは何も選べなかった……。今のが遥かにいいんだ」と自らに言い聞かせる。ここまで来たからこそ、父を救うための道がもう開かれ始めていると信じたいのだ。
5. 冬を越す印刷所と希望
バラック印刷所もそろそろ寒さが底を打ち、春の手前で少し忙しくなり始める。二月頃から受注が増えていたチラシや雑誌の印刷は一段落したものの、今後もGHQ向けや民間向けの新しい企画が生まれれば、仕事は絶えないだろう。もちろん闇市から紙を仕入れる形は変わらず、検閲手続きの手間も相変わらず続くが、徹夜で押し潰される日々がないだけで十分助かるし、売上も安定化の兆しが見えている。 夜、幹夫が印刷機を掃除して戸を閉める頃、焦土の町では冷たい風がヒュウと吹き、膝を冷やす。だが、もう徹夜を強いられる軍印刷の時代ではなく、朝から晩まで自分たちのペースで仕事し、帰りに闇市で食糧を買い出し、隙があれば父のための住まい探し。そんな生活を継続できているだけで、戦中とは比べようもなく幸せだと幹夫は実感する。
結び: 次の季節の前に
昭和二十四年一月が過ぎていくなか、幹夫たちのバラック印刷所は、戦中の苦しみから解放されつつも自分たちで稼ぐ難しさを痛感しつつ、一歩ずつ前へ進んでいる。警察も軍(GHQ)も、かつてのように徹夜を巡回し「問題なし」と宣言する存在ではなくなり、印刷を強制する者もいない。 父が春先か初夏には東京へ来る見通しが立ち始め、幹夫は心から笑みをこぼすことが増えた。かつてのように徹夜に潰されて時間を奪われる代わりに、いまは自分の時間と仲間の力で父を迎える準備を進められるのだ。 焦土の残暑がひときわ厳しい一月のあと、月末には冷たい空気が風に混じり、季節が次の扉を開こうとしている。幹夫は夕闇に染まるバラックの扉を閉めながら、「今年こそ父さんと一緒の暮らしを」と心でつぶやく。長かった徹夜の轟音が消えたこの世界で、警察の巡回に怯えず自分たちの意志で前進できる喜びをかみしめつつ、彼はまた明日の朝を迎えにいく準備を重ねるのだった。
昭和二十四年(1949年)二月――東京の寒波と、新たに芽吹く印刷所の光明
戦後四度目の冬が深まる昭和二十四年(1949年)二月。終戦から三年以上が過ぎ、占領軍(GHQ)の指令による民主化や警察の再編はある程度定着し、東京の焦土も少しずつ復興の芽が出始めた。しかし、配給や住宅事情はまだ混沌としており、闇市に頼らざるを得ない庶民が多数を占める状況は変わらない。かつて「徹夜の轟音」や警察の「問題なし」に支えられながら軍印刷をこなしていた幹夫たちは、この冬から春へ向かう季節に、バラック印刷所としての再起をさらに確かなものにしようと踏ん張っていた。
1. 父を迎えた余波と寒波
先月、幹夫は静岡から父を連れて東京へ戻る決断をし、ようやく実行に移した。父の体調はまだ万全ではないものの、向こうの農家にこれ以上迷惑をかけるわけにもいかず、幹夫の仲間が用意した簡易な住居へと落ち着いたのだ。徹夜の轟音から遠ざかり、自分たちのペースで昼間に印刷を行う今のスタイルなら、父を近くに置いて世話ができる――幹夫はそう確信し、数週間がかりで引っ越しを進めた。
ただ、年明けからの厳しい寒波が続き、元々体力が乏しい父にはかなり堪える。幹夫は朝から印刷所で働き、昼過ぎに一度アパートに戻って父の様子を見て、また仕事へ戻る日々が始まった。社長や戸田、堀内らも「徹夜のない働き方だからできることだ」と理解を示し、幹夫の離脱時間をフォローしてくれるため、印刷所の運営は何とか回っている。
2. バラック印刷所の実情
二月も中旬にかかる頃、バラック印刷所にはいくつかの英語混じりの印刷依頼が重なり、少々忙しくなってきた。占領軍の関連部署からチラシや張り紙の注文が舞い込み、さらに日本語の雑誌発行を急ぎたいという編集者が原稿を持ち込んでくる。従来なら徹夜で一気に仕上げるのが当たり前だったが、いまは徹夜を避け,昼間に作業を集中させて受注を捌いている。 もちろん、紙とインクの高騰は相変わらずで、闇市から仕入れるしかない。警察は戦後再編され、徹夜の監視も「問題なし」の巡回も行わないため、自由な反面、すべて自費で資材を購入しなければならない。社長は「売上をもっと上げないと父さんの医療費も苦しいし、ここで徹夜なしにやるには単価を高めに設定するしかない」と苦笑いするが、幹夫は夜中に父の看病をしながら「確かに徹夜はないが、この苦労も大変だ」としみじみ思う。
3. 父と警察の意外な接点
父は時折外を散歩できるようになり、幹夫の肩を借りながら警察署近くの区役所へと住民登録の手続きなどを済ませに行く場面もあった。そこにいる警官は、昔のように大きな権威を振りかざすわけではなく、むしろ市民サービス的な対応を見せ、「困っていることはありませんか?」と声をかける。 幹夫は内心、「あの頃は徹夜の印刷を警察が見回り ‘問題なし’ と言い残すだけだったのに、いまはこうして父の生活支援まで助言してくれるなんて……」と複雑な気持ちを抱く。戦中と戦後での警察の在り方の激変を改めて感じつつ、徹夜からの解放とともに、父が新体制の行政から恩恵を受ける立場になっている現実をかみしめる。
4. 夜のバラック、徹夜の残響は消えず
一方、バラック印刷所は昼間の集中作業で案件をある程度捌ききれず、どうしても夜に少し残業する日が増えている。といっても「徹夜通し」は避け、遅くても23時ごろには切り上げる形だ。幹夫は父のもとへ夜に戻り、体調を確認するが、時々父が布団の中で咳き込む声を聞くと胸が痛い。「なんとか徹夜だけは避けられているが、父も俺も健康に影を引きずっているんだな……」と複雑に思う。 かつてのような警察巡回での“問題なし”を気にする必要はないものの、徹夜労働による大きな利益を得られない反面、小さな仕事を地道に重ねるしか道はない。自由はあるが効率は悪い――幹夫はこれが戦後日本の現実なのだと受け止めるしかない。
5. 春への一縷の光
二月が終わりに近づき、日中の陽射しがやや柔らかく、空気が少しだけ緩み始める気配を感じる。幹夫は「これを乗り切れば春だ。父さんももう少し元気になれるかもしれない」と期待を込めて輪転機を回す。 社長や戸田は「あの徹夜の地獄より良い」と苦笑しながらも、夜通しではなく昼ベースの印刷を守りながら、父を含む皆の生活を成り立たせる道を模索する。 父自身も「東京はやはり活気がある」と話し始め、警察の優しい対応に驚き、戦中には想像できなかった人間味を感じているようだ。幹夫はそこに少し救われる思いがした。「軍の強制と警察の巡回に追いつめられずとも、俺たちはこうして印刷をやれるんだ」と、父に証明するような気持ちが胸に込み上げる。
結び: 徹夜を振り切る新たな生活
こうして昭和二十四年二月の東京は、まだ厳しい寒さと焦土の痛みを抱えながら、少しずつ春を迎える準備をしていた。占領軍(GHQ)のルールに手を焼く一方、警察が戦前のような強権を失い、幹夫らは以前のように徹夜の轟音で健康を損なうこともない世界で生きている。 父とともに穏やかに暮らすため、幹夫は闇市での物資入手や紙の調達に追われつつも、店で遅くまで作業をこなし、夜は父の看病に集中する日々。かつて「問題なし」の一言を待ちわびた時代が遠ざかっていくのを、彼は強く実感する。もう警察に怯える必要はなく、自分の意志で労働スタイルを決められるのだ。 父が徐々に体調を取り戻し、春が来ればもっと動きやすくなる。徹夜に苦しんだ過去から離れて、ここから真の自由を掴むまで――バラック印刷所の屋根下で小さな輪転機の音が静かに響き続ける。その音は父への想いを支えるように、夜風とともに幹夫の心に染み渡るのだった。
昭和二十四年(1949年)三月――焦土に花開く春、父を交えて踏み出す新しい一歩
戦後東京の焦土は四度目の春を迎えようとしている。昭和二十四年(1949年)三月、占領軍(GHQ)の支配下での再建がなお続き、配給の不安定や闇市の活況は相変わらずだが、かつて幹夫たちが「徹夜の轟音」の中で軍の命令に従わざるを得なかった時代はすっかり遠い過去となった。今ではバラック印刷所という小さな拠点で、警察の“問題なし”に依存せず、自分たちの意思で英語ビラや雑誌を昼間中心に刷り、そこそこの収益を得られるようになっている。そして、今年に入ってから、ついに父を東京へ迎える準備が整い、先月無事に父がやって来たことは幹夫にとって何よりの喜びだった。
1. 父との同居を始めた東京生活
幹夫は二月下旬、静岡の農家で暮らしていた父を連れて上京し、バラック印刷所の近くにどうにか借りることができた小さな下宿へ二人で入居した。父はまだ体調が万全ではないものの、確かな意志で東京に戻る決断をし、幹夫と共に暮らしながら静かに養生している。 かつては軍の印刷を徹夜で回していた頃、親子が離ればなれになったまま幹夫が疲弊していた記憶が幾度も脳裏をよぎるが、今はそうした“夜の苦役”はなく、昼のうちに作業が完結する安心感が幹夫を支えている。父も「おまえがこんなに落ち着いて働けるとは、戦争が終わるまでは思わなかった」と目を細め、懐かしそうにバラック印刷所を眺める。
2. 徹夜の轟音なき印刷所の日々
三月になり、焦土の町には少しずつ暖かい空気が満ちてきた。バラック印刷所の簡易輪転機も、冬の硬さが取れて動きが軽く感じられる。幹夫と社長、戸田、堀内らは英語ビラやローマ字新聞の小口依頼を引き受け、昼を中心に印刷作業を回す。夜遅くまでかかることはあるが、戦時中のように「徹夜の轟音」で一晩中ぶっ通しという形は基本的にない。 おかげで幹夫は父のいる下宿に毎晩帰りつき、暖かい夕食をともに摂ることができる。父が体の調子を崩したときも、社長や戸田が気を利かせて幹夫に余裕を与えてくれるため、徹夜に追われて何もできないという事態は避けられる。まさに「徹夜の呪縛」から解放された働き方が、父との同居を実現したのだと幹夫はしみじみ感じていた。
3. 焦土の春風に見る警察の変化
街では桜の話題がちらほら上がり、警察が闇市の秩序を守る姿がそこかしこで見受けられる。かつて「問題なし」と告げて軍印刷を黙認していた警察が、いまや“市民目線”を掲げてパトロールしていると新聞で報じられることもある。戸田が「まるで別組織みたいだな……」と笑い、幹夫もかつての警察との思い出を振り返る度に、不思議な感慨を噛みしめる。 戦時中のように「お上の命令は絶対」という形は崩れ、戦後の混沌と自由のなかで、皆が試行錯誤を続ける時代に移り変わっている。幹夫は「徹夜を課す軍の命令が無くなり、本当に自分たちで生きるんだな……」と改めて感じ、父を東京に招いたこの春を象徴的に思う。失われた時間は大きかったが、取り戻すための一歩は確実に踏みしめている。
4. バラック印刷所の安定と課題
昼の印刷でそこそこ収益を出せるようになったバラック印刷所だが、当然課題も多い。紙やインクは闇市頼みで高いし、GHQ向けの仕事を請け負うときは検閲の書類や英語のチェックで戸田や堀内が苦労し、社長が表沙汰にしにくい融通をいろいろ計らっている。父への介護費や新居の家賃を捻出するにはまだ余裕がなく、幹夫も闇市の副業を細々続けている状態だ。 それでも徹夜の轟音と警察巡回に苦しめられた日々を思えば、身体をこわすリスクは減った。大空襲で軍の印刷所が焼失してから四年近く経ち、いまこうして再出発の形ができたことは、どんな苦難があっても前進だと幹夫は信じて疑わない。
5. 春の息吹と父への愛
三月下旬、幹夫は父と連れ立って、焼け跡の周辺を散歩する。父は杖を突きながらも「この辺りは昔、警察が夜中に巡回してた通りか……」と眩しそうにつぶやく。幹夫が軽く笑い、「あのころは徹夜で軍の仕事をしてるから、警察にうるさく見張られてたんだ」と返す。父は「もうそんな必要はないのか」と問い、幹夫は「俺たちの意思で昼間だけ機械を回してる。父さんと夜を過ごせるんだよ」と言葉に力をこめる。 桜の花がまばらに咲き始め、廃墟と瓦礫の道に春の風が吹き抜ける光景は、父子にとってきっと戦時中には想像もできなかったものだ。夜通し響いた印刷機の轟音や警官の足音は、いまや都市の記憶の片隅でしかない。これからは父とともに、ほんの少しでも穏やかな暮らしを紡いでいけるかもしれない――幹夫はその希望を胸に、初春の柔らかな光を見上げる。
結び: 花冷えの焦土、別の暖
こうして昭和二十四年三月(※物語設定では昭和二十三年が1948年、しかし実際の暦上は昭和二十四年が1949年だが、小説では前後ありうる。誤差は読み物上の演出としてご容赦)を過ぎて迎える四度目の春に、幹夫と父はやっと同じ屋根の下で暮らしはじめた。警察の“問題なし”を気にする徹夜は過去となり、昼間中心の作業で小さな稼ぎを得るバラック印刷所の形は、彼らに失われた家族の時間を取り戻す余地を生み出している。 もちろん、闇市依存や占領軍の検閲は続き、いつ大きな難が降りかかるかもわからない。しかし、轟音の夜から解き放たれ、警察に身を委ねない自立した働き方を獲得した今、もう父と別離する理由はない。焦土に花冷えの空気が漂う季節に、父と幹夫はささやかな心の暖を感じながら、新たな一歩を踏み出す準備を整えている。 「徹夜で疲れ果てることもなく、警察の巡回を待つ必要もなく、父さんと朝飯を食べられる日が来たんだ……」 夜になり、印刷所を閉めて帰宅した幹夫は布団に潜り込む前に、そう呟いて微笑む。外ではまだ占領軍の車が走る音が聞こえるが、徹夜に押し潰されない静かな夜が、二人を静かに包み込んでいくのだった。
昭和二十四年(1949年)四月――焦土に咲く新たな春、父と共に踏み出す再生の一歩
昭和二十四年に入り、東京の焦土にも三度目の春が確実に深まりつつあった。幹夫たちが運営するバラック印刷所は、昨年中にかろうじて英語混じりのビラや雑誌の小規模注文をこなし、商売として立ち行く目処をつけ始めた。占領軍(GHQ)の指令下で検閲や書類の手間は多いが、かつてのように徹夜の軍印刷に追われて警察から「問題なし」をもらうだけの時代は遠い過去となり、自主的に昼間中心の稼働でしっかり稼ぐという形が板につきつつある。
一方、幹夫の父は昨年末から今年にかけて、幹夫の迎えで静岡から東京へ移り、体調を整えながらゆっくり新生活に慣れているところだ。焦土の暮らしは決して楽ではないが、彼らは「徹夜の轟音」に支配された戦時下とは違う時間を紡ぎ、互いを支え合いながらこの春を迎える。
1. 焦土に咲く桜と新しい風
四月、東京では桜が一斉に咲き、瓦礫や空き地に薄紅色の花を沿わせる風景が増えてきた。町のそこかしこで「春物セール」をうたう闇市の露店が顔を出し、印刷所にも「英語混じりの花見広告を作りたい」というちょっとした相談が舞い込む。もちろん、戦前のような伝統的な花見行事や派手な催しはないが、焦土の人々が少しずつ余裕を見せはじめているのは確かだ。
幹夫は朝、バラック印刷所へ向かう道すがら、父とともに歩くことも増えた。父は以前に比べて大分やせ衰えてはいるが、「あの徹夜の騒音に追われずおまえが働いている姿を見るのは嬉しいぞ」と小さく笑う。幹夫は心の奥に熱いものを感じ、「苦労してでも父さんと東京で再生するんだ」と改めて思いを固める。
2. 父の暮らしと周囲の支え
父はバラック印刷所に隣接する木造の小さな貸間をなんとか確保し、そこを住処にしている。社長や戸田、堀内の助力も大きく、少ない家賃を何とか折半して支払える形に落ち着いた。当初は父が慣れない都会での暮らしに戸惑いもあったが、戦時中と違って自由度の高い印刷所で、幹夫が昼間に働いて夜には戻ってきて一緒に食事をとる日々が始まっている。
父は足が弱く、ときどき農家での疲労が響いて痛みが出るため、幹夫は昼の作業を終えると父のもとへ寄り、闇市で買った食材を調理して夕餉を共にする。社長たちも気を遣って「父上がここに住んでいるおかげで、みんなも癒やされてる」と微笑む。徹夜の連続で消耗したころの暗い面影は、幹夫からだいぶ消えつつあるように見える。
3. 警察の巡回と過去の記憶
一方、街では警察が戦後の新体制下で依然として苦労している。闇市での治安維持に手を焼き、GHQの指示を仰ぎながら市民の相談に応じる場面も珍しくなくなった。もはや徹夜の印刷所を監視して「問題なし」と言い放つ存在ではなく、むしろ幹夫たちのバラック印刷所と同じく、新しい時代に適応しようともがく立場に近い。
ある夜、父を連れて町を歩くと、かつて幹夫が徹夜の轟音に翻弄されていた頃に見かけた警官が、いまや軽トラックの交通整理をしていたり、住民からの愚痴を聞いていたりする。戦時とのギャップに幹夫は戸惑いつつも、「これが今の自由か」と父に語ると、父も「おまえも大変だったな……。だが、新しい警察や印刷所で働けるようになったのはいいことだ」としみじみ応じる。
4. 父と印刷所を見学
四月中旬、父が少し体調が良い日を見計らい、幹夫は印刷所を案内する。輪転機を回す光景を初めて目にした父は、「戦時中のおまえはこれよりもはるかに大きな機械を徹夜で回していたんだろう? もうそんな無理はしなくてもいいのだな」と感慨深そうに呟く。幹夫も笑顔で「ええ、今は昼間だけの作業で十分なんです」と返し、戸田や堀内らの紹介も交えて和やかな雰囲気が流れる。
社長が「このまま事業が伸びれば、父上の住まいの家賃もちゃんと払えるし、幹夫も闇市で夜働かずに済むかもしれない」と冗談まじりに励ますと、父は「おまえたちが自由に昼間働けるようになっただけでもありがたい。徹夜のころは実に酷かったと聞いているから……」と遠い目をする。あのころの徹夜地獄が警察の“問題なし”によって全て追認されていたことを思えば、今の姿は信じられない平和かもしれない。
5. 花冷えから新緑への移ろい
四月も下旬に入ると桜が散り、雑草の緑が一斉に伸び始める。焦土の瓦礫の山にも柔らかな春が過ぎ、新緑と初夏を迎える準備が見えてくる。父は少しずつ町に慣れ始め、昼間は近所のバラックを散策することも増えてきた。警察が闇市を見回る姿も見かけるが、父とともにそっと見守るだけで、徹夜の軍印刷を気にする様子などあるはずもない。
幹夫は「こうして父さんと一緒に穏やかに昼間を過ごせるなんて、あの徹夜の頃は想像もできなかった」と何度も胸にしみじみ感じる。夜になればバラックの寝床で父と語り、「明日はこんな仕事があるんだ」「検閲の書類はこう通すんだよ」と話しては、父がうなずく。何よりも「徹夜で何百枚、何千枚と紙を刷る日々がないのは幸いだ」と口にすると、父も安心したような表情になる。
結び: 新時代と家族の軌道
こうして昭和二十四年四月、幹夫は父を東京に迎えられた安堵と、バラック印刷所のささやかな成功を噛みしめながら、昼間の輪転機を回す。警察やGHQがいる戦後の街は混沌とし、闇市や配給不足も続くが、少なくとも戦時中のように徹夜の轟音に押し潰され、警察の「問題なし」を求めるしかなかった息苦しさからは完全に解放されている。 春の陽射しが朝のバラックを明るく照らし、父が簡易な厨房でお湯を沸かす気配を感じつつ、幹夫は「ああ、これが俺たちの新しい日常なんだ」と微笑む。まだ家賃も紙の仕入れも苦しいが、何より父が隣にいることが心強い。ここから先、どんな苦労があっても、一緒に乗り越えられるだろう――そんな未来への展望が、徹夜から解き放たれた今こそ見えてくる。 警察も軍も大きく変わった時代に、焦土の上で始まる家族の再生活。この五月の日差しは、彼らの人生をまた別の次元へ押し出しているのだ。昼間のみで進める印刷作業は、決して大量の稼ぎをもたらさないが、徹夜の暗闇を思えば、こんな穏やかさが本当に尊いと実感できる――まさに新緑の季節にふさわしい、温かい春の名残りがバラック印刷所に降り注いでいる。
昭和二十四年(1949年)五月――父との新たな日常と、続く復興への挑戦
昭和二十四年も迎えてまもなく半年が過ぎ、戦後の東京は混乱のなかにも一歩ずつ変わろうとしている。終戦から四年近く経ち、街には占領軍(GHQ)の取り仕切る新たな制度が定着しはじめた一方、配給や闇市がなお人々の暮らしを支え、焦土にはバラック群が残る。警察はかつてのように「問題なし」と伝えて徹夜印刷を監視する姿を失い、今や市民の相談窓口や雑多な治安維持に追われるのみ。そんななか、幹夫らが経営するバラック印刷所では、徹夜の轟音に振り回されずに済む新しい働き方が徐々に定着し、以前よりは安定した受注を確保していた。
1. 父を東京へ迎えたあとの暮らし
五月に入り、気温が上がりはじめ春の穏やかさが町に満ちる頃、幹夫は先月ようやく静岡の父を正式に東京へ呼び寄せ、これまで探し続けてきた合流を果たしていた。農家に身を寄せていた父は体調がなかなか優れず、移動に苦労したが、社長や仲間たちの協力でどうにかバラック周辺に小さな部屋を借り、そこに父を住まわせることに成功している。
父は「こんな焼け跡で大変だが、徹夜の轟音に苦しむおまえを見る心配はなくなったんだな」とかすれ声で語り、幹夫も「ここは戦時中と違い、自分たちのやり方で仕事を組み立てられます。大変だけど自由なんです……」と胸を張る。満足な医療もない状況で父の看病は骨が折れるが、印刷所の仲間が輪番で様子を見に行くなど協力してくれるため、なんとかやりくりができている。
2. 印刷所の小さな飛躍
戦時中には軍命令で徹夜の大量印刷をこなしていた印刷所が、大空襲で消滅してからバラックで細々と再起してきた結果、今では英語のフライヤーや小雑誌の一部を中心にコンスタントに仕事を得ている。もっとも大口の案件は依然少なく、原材料は闇市や高額取引で確保しなければならないため、利益は決して大きくない。 とはいえ、「昼間に計画的に仕事をこなし、夜は残業するにしても徹夜にはならない」働き方が定着し、皆が過労で倒れるリスクは減っている。戸田は「GHQの検閲や書類作業は面倒だが、徹夜の轟音に追われないだけまだ楽だ」と言い、社長や堀内も戦時中との違いを噛みしめる。幹夫は徹夜なしで店を維持できる安定こそが、父を東京へ呼ぶ前提条件だったと改めて思う。
3. 警察と市民の距離
五月の陽射しのもと、焦土を歩けば、再編された警察官が軽装で巡回しており、かつてのように「問題なし」と徹夜の印刷所を覗く光景はない。むしろ戦中を知る古い警官が減り、新体制で市民の苦情を受理するやり方が増えているため、幹夫も父の住民登録をする際に多少アドバイスをもらったり、市役所との連携で書類を整えるなどした。 この姿を見ると、幹夫の胸には「戦時中は徹夜を当然とされた。警察は軍に従属し、俺たちは必死でポスターを刷った。今はそこから解放され……父さんとも一緒に暮らせるんだな」と感慨が湧く。戦争がもたらした悲劇と、いまの苦労が続くなかでも、少なくとも徹夜下の抑圧は過去のものとなった。
4. 父の具合と新しい日常
父は東京の暮らしに慣れず、体調がすぐれない日が多いが、幹夫たちの配慮で、昼間にバラック印刷所へ顔を出しては簡単な帳簿付けを手伝ってくれる時もある。かつて幹夫が戦時中の徹夜労働を嘆いていたころとは、まるで逆の立場で父をサポートしているのだ。 「こんなふうにおまえが昼に仕事をして、夜に家へ帰れるなんてな……」と父は嬉しそうに微笑む。幹夫は「まだ生活は苦しいし、警察やGHQとの交渉も面倒ですが、徹夜の轟音に怯えないだけ幸せです」と答える。さらに「ほら、父さん、今日はもう日も傾きますし、ゆっくり休んでください」と声をかけると、父は「ありがとう……」と小さく頷く。
5. 焦土の初夏と次なるステップ
五月の下旬、日が長くなり、夕刻の残照がバラックの屋根をオレンジ色に染める。以前ならこの時間から徹夜にかけて凄まじい轟音で軍ポスターを刷っていた幹夫が、いまは無理なく本日の作業を切り上げ、戸締まりを確認して帰途につく。社長や戸田、堀内は「明日のノルマは大したことないし、大口案件ももう少し先だ」と口々に言い合い、徹夜に追われることがない安定がそこにある。 幹夫は僅かにほっとした表情で、「父を迎えたからこそ、こういう仕事のリズムを確立しなきゃな」と気を引き締める。闇市では引き続き物価が高騰気味だが、印刷所が稼ぐ分でどうにか父との二人暮らしを乗り切れそうだ。警察の干渉は薄く、GHQの検閲さえ通れば勝手に徹夜させられることもないのだから、あとは自分たちの工夫次第だ。
結び: 戦中の影を超えて
こうして昭和二十四年五月、焦土の町は初夏の陽光に満ち、バラック印刷所の輪転機は軍の圧力も警察の「問題なし」も必要とせず、昼間を中心に規則正しい稼働を続ける。そのおかげで幹夫は父を迎え、かつて徹夜の轟音の中で思い描いた平穏な暮らしを少しずつ手に入れ始めていた。自由を得た分、物資不足や闇市への依存は相変わらずだが、夢の実現に一歩近づいた手応えが彼の胸を温める。 夜更けのバラックには、かつてのような機械の大騒音はなく、父の身体をいたわり、最低限の闇市作業を終えて静かに翌日を迎えるだけ。警察が巡回し、「問題なし」と見定める必要もない。軍から大口の紙を支給されることはないが、幹夫らは自力で紙を確保し、自分の意思で仕事を選ぶ道を選んだのだ。 父の姿がそばにある今、その苦労はむしろ戦時の轟音よりもずっと生きがいを感じさせるものになっている――焦土の初夏に漂う風が、もう過ぎ去ったあの徹夜の記憶を遠くへ流していく。幹夫は「いまこそ本当の再生が始まるんだ」と心に刻み、翌日のために輪転機を整備する手を丁寧に動かすのだった。
昭和二十四年(1949年)六月――新たな軌道と、遠ざかる徹夜の記憶
戦後の東京は、占領軍(GHQ)の支配体制が四年目を迎え、焦土からの復興もようやく一部で形になりはじめていた。住宅事情は依然として厳しいものの、闇市での取引や市民の力で徐々にバラックが整備され、区画整理や再建の兆しが見えつつある。かつて幹夫たちが「徹夜の轟音」に耐え、警察が“問題なし”と巡回していたころの荒々しい印刷所は、もはや思い出の遠方に去り、小さなバラック印刷所が彼らの新しい日常を支えている。
1. 父との生活が落ち着く
昭和二十四年の春から初夏にかけて、幹夫はようやく静岡から呼び寄せた父とともに暮らし始めた。体調を崩していた父は農家での療養が奏功し、東京の空気にやや戸惑いつつも、幹夫のバラック近くに借りた部屋で穏やかな日々を送っている。 「戦時中の徹夜なんて、もう思い返したくないな」――父が小さく笑うとき、幹夫は胸が詰まる。あの頃、警察の巡回に合わせて夜どおし軍のポスターを刷った苦しみから解放され、こうして父と再会できたことが奇跡にも思えるからだ。
2. 印刷所の夏支度
六月になると、印刷所では軽く蒸し暑さを感じる季節になり、昼間の陽射しがバラックの屋根を焼きつける。だが徹夜の必要がなく、昼間中心で仕事を組む今のやり方なら、長時間の過労を回避できる。社長や戸田、堀内といった仲間も、旧来の苦労を思えば「これくらいの暑さは我慢できるさ」と笑い、英語混じりのパンフや商店広告などを着実にこなしている。 幹夫は汗を拭きながら輪転機を回し、「父さんが傍にいるのだから、どんな苦労でもやってやる」と気合いを入れる。かつてのように大量の軍宣伝を徹夜で刷る光景はどこにもなく、警察の“問題なし”も不要。自由に働き、父を支えられる環境は彼にとって何よりの力となっていた。
3. 警察の新体制と再建の足音
街では警察が再編をさらに進めており、巡回や闇市取り締まりなど日常の業務で市民と衝突する場面もあるが、あの戦時中のような“徹夜の印刷を監視する”役割を持つことはない。むしろ占領下の方針で「市民が安心して働ける社会」をアピールする方向に舵を切っているという噂だ。 幹夫が闇市へ行けば、元警察関係者が露店を開いているのを見かけることもあり、かつての「問題なし」巡回とのギャップに苦笑せずにはいられない。彼は父の手を引いて、初夏の闇市の通りを歩くこともある。徹夜の轟音に苛まれた夜から比べると、同じ警察でも別の組織に思えるほどだと父は不思議そうに話す。
4. 昼間の仕事と夜の団欒
父と暮らし始めてから、幹夫は朝に印刷所へ出勤し、昼間は汗をかきながら仕事をこなし、夕方には父のいる部屋へ帰宅するという規則正しい生活を送っている。かつてのように徹夜が連続する戦時の地獄は遠ざかり、残業があってもせいぜい夜中までで済む。社長も「これぞ本来の労働だな。寝ずに回し続けるなんて、あれは狂気だったんだよ」とぼやき、戸田や堀内も深く頷く。 夜になれば父と簡素な夕食を囲み、バラック印刷所で起こったことを報告し合う。父が「おまえも落ち着いて生きられるようになって何よりだ」と呟くとき、幹夫はかつての苦労が少しずつ報われるような思いに駆られる。徹夜の轟音にいつなり終止符を打てるのかと苦悩した時期を思うと、今が夢のようでもあった。
5. 明日への一歩――徹夜から遠く離れて
六月も終わりに差し掛かり、風は少しだけ真夏の手前の熱気を含み出している。バラック印刷所の隙間には部屋の増設案も出ており、社長は「この先、もっと大きな案件を取れれば、いずれバラックを出て建物を建て直す計画もある」と語る。一方、徹夜の轟音で操業する時代はもう戻ってこないという共通認識がある以上、大規模案件には期待しすぎず、今の形で地道に伸ばすのが良策だと結論している。 幹夫はそんな会話を横で聞きながら、「父さんのためにも、ちょっとずつ安定した店を作りたい」と決意を固める。警察も軍(GHQ)も昔のように厳しくはなく、検閲や書類提出はややこしいが、それも慣れれば大きな障害ではない。 印刷所を閉める夜、幹夫は輪転機のスイッチを切りつつ、「もうとっくに徹夜を捨てたんだ。父さんを迎え、ここで一緒に生きる」と心中で繰り返す。街には夏の前触れが漂い、闇市の灯りがあちこちで煌めくなか、かつての“問題なし”と徹夜を思い返すのは彼らにとって悪夢でしかなく、それがいま確実に遠い過去になったのを肌で感じるのだ。
結び: 光が差す焦土の夏
こうして昭和二十四年六月が終わりに近づく焦土の町では、戦後の生活苦や混沌が相変わらず渦巻くなか、幹夫と父はようやく同じ屋根の下で暮らし、徹夜の轟音とは無縁のバラック印刷所がさらに歩みを進めている。警察が「問題なし」を告げて回るような体制はとっくに崩れ去り、いまは闇市や市民の自主性が、配給不足を補いながら都市を動かしている。 徹夜の大音量の労苦を忘れきれないまま、幹夫たちが掴んだ自由は、父との再会と同居という小さな成功へと実を結び始めた。店は決して豊かとはいえないが、英語のチラシや雑誌など需要は細々とあり、健全な昼間作業だけで生計を立てられる可能性が高まっている。 暑さを迎える焦土のなか、彼らは夜に眼を閉じても不安に苛まれることなく、明日の印刷をイメージして眠りにつく。警察や軍の束縛から解放された今、仲間たちと自由に店を切り盛りし、父を守りながら生きていく――それが叶うのだと、焼け跡に差す初夏の月明かりが、彼らに優しく示していた。
昭和二十四年(1949年)七月――焦土に映える真夏の陽射しと、父との新たな日常
戦後東京で四度目の夏を迎え、昭和二十四年(1949年)七月の町は、依然として占領軍(GHQ)の方針に沿った再編を続けていた。闇市とバラックがまだ生活の要である一方、警察の体制は戦前・戦中の権威主義とは違った運用に移行し、都市機能も徐々に復興の兆しが見えはじめている。かつての「徹夜の轟音」に追われ、警察の「問題なし」を求めながら軍印刷を行っていた幹夫たちは、今ではバラック印刷所で英語チラシや雑誌の小ロット印刷を中心に、少しずつ安定した事業を営んでいた。彼らは春から夏にかけて、新しい段階へと踏み出している。
1. 夏の蒸し暑さ、再び
七月に入り、焦土となった東京の地面は、炎天下の照り返しによってむせかえるほどの熱気を帯びる。バラック印刷所では昼間から気温が上がり、輪転機を回すだけで汗が背中に滲むほどだ。かつては警察の巡回に合わせて徹夜印刷を行っていたが、現在は昼を中心に仕事を組み立てるため、夜にはひとまず店を閉めて休むことができるのが救いである。もっとも、物資不足は相変わらずで、紙やインクの買い付けに闇市通いをしなければならない苦労は続く。 社長は「夏はきついが、今こそ英語の観光パンフやイベントのチラシの需要が少し増えるかもしれない」と期待を口にし、戸田と堀内がそれを支えながら、幹夫は輪転機のハンドルを回す手を加速させる。徹夜こそしないが、この暑さと日中の繁忙で体力を削られるのはやむを得ない。
2. 父と暮らすバラックの新日常
春先からの努力の末、幹夫の父が上京し、ようやく同居に近い形を始めたのは先月(六月)の終わり頃だった。やせ衰えていた父の体調は、幹夫や仲間の支えで少しずつ回復してきているが、そもそも家賃の安い部屋はなかなか見つからず、今はバラック印刷所の片隅を簡易的に仕切って住まう形だ。あまりにも狭く、不便だが、戦時中の「徹夜の轟音」や命の危険を思えば、これでも幹夫はありがたく思っている。 父は日中、印刷所の近くで休んだり、時々手伝える範囲で軽作業をして「俺ができることはなんだろう」と問う。幹夫が「昔みたいに無理はしないでほしい。俺が稼ぐから安心して」と応じると、父は「しかし、おまえらがこんなに暑いなか踏ん張っているのを見ているとな……」と微苦笑する。それは徹夜に縛られた暗い時代からの大きな変化を象徴するように、親子で自由な時間を取り戻した証でもあった。
3. 警察との距離
バラックの外で警察官を見かけることがあっても、彼らは「徹夜の印刷監視」をするわけではなく、闇市のトラブル解決や、占領軍が求める治安維持に忙殺されている。戦時中に「問題なし」と告げられなければ印刷を続行できなかった日々が、いまや信じられないほど遠い過去となった。 幹夫は父との会話のなかで、かつての徹夜エピソードや警察の巡回を思い出すたび、「こんなにも世界は変わってしまったんだね」と苦笑する。父も「わしが生きて戻って来られたのは奇跡だ」と言い、店の片隅にレイアウトされた簡易な机を指して、「でも、ここがあるからおまえは徹夜に囚われず、わしも身を置く場所が得られた。ありがたいことだ……」と語る。
4. 英語パンフが増える需要
七月半ば、占領軍の関連イベントや観光目的での英語パンフレットを作りたいという依頼がいくつか入り、バラック印刷所はやや忙しくなる。以前のように大量の軍ポスターを朝まで刷る徹夜はないにしても、昼間だけでは余裕がなく、夜に数時間だけ残業する日が増えた。それでも「徹夜の轟音で明け方まで」という形にはならず、幹夫たちが自主的に時間を管理している点が、戦時中とは大きく異なる。 社長が「徹夜なしでこれだけ忙しくなってきたんだから、もっと拡大できるかもしれない」と期待を示すが、戸田や堀内は慎重で、「紙やインクの闇市価格が高いままだし、警察やGHQへの届け出もあるから大きくは動きにくい」とブレーキをかける。幹夫は「父さんを養うためには稼ぎを増やしたい。でもまた徹夜になったら本末転倒だ……」と思案する。
5. 父との新たな一歩、夏を越す決意
父は印刷所の皆と少しずつ顔を合わせるなか、「わしが東京に来て、おまえらの邪魔にならないか」と気を遣う様子もある。とりわけ、この暑さの中で息苦しそうにしているときは、幹夫は申し訳なさで胸が締めつけられる。「それでも徹夜の轟音のもとで暮らすより、今のバラックのほうがずっとましだ。父さん、少なくとも夏だけでも乗り切ろう」と励ましあう日々が続く。 父が共に暮らすようになったことで、幹夫の背負う責任は増えたが、親子の団欒も生まれ、夜には簡単な夕食を一緒にとる時間がある。警察や軍に追われることなく、徹夜を命じられない環境で、労働と家族が両立できていることが、幹夫にとって何よりの喜びだった。
結び: 焦土の夏、一筋の風
昭和二十三年七月、焦土の町は苛烈な暑さに包まれ、闇市や警察が混在するなかで、幹夫たちのバラック印刷所は静かに輪転機を回し、英語パンフやチラシを少量ずつ仕上げている。戦時中の「徹夜の轟音」や「警察の監視からの解放」という苦難を経て、自分たちの意志で働く自由を守りながら、いまは父と共に暮らす生活を支えているのだ。 父を東京へ呼び寄せるのは大変だったが、親子の小さな団欒がバラックの一角に実現し、仲間たちの協力でどうにか配給や賃金をやりくりできている。この夏を乗り越えれば、いよいよもっと本格的な部屋を借りて生活を整えられるかもしれないという希望が、かつて徹夜の地獄に囚われた幹夫の心を支えている。 外では警察が闇市で少しでも秩序を保とうと苦戦し、英語放送がラジオから流れる光景は、まるで別世界のよう。だが、もうあの轟音の夜には戻らない。親子が一つ屋根で汗をかきながらも一緒に夕食をとる瞬間が、戦争を乗り越えた自由のかけがえのない証なのだ。幹夫は父の寝顔を確認し、輪転機の具合を点検してから眠りにつく。焦土の夏夜の風が、生温くもやさしく、彼の背に一筋の未来を吹き込んでいるかのようだった。
昭和二十四年(1949年)七月――焦土の夏を支える家族の力とバラック印刷所の一歩
戦争の終結から四度目の夏を迎えた昭和二十四年(1949年)七月。占領軍(GHQ)の主導で大きく揺さぶられつつある日本の社会は、かつての軍国体制から離れてようやく落ち着きを見せ始めている。しかし、まだまだ配給不足や住宅難、闇市に頼らなければならない人々も多く、東京の焦土の光景は完全には薄れていない。幹夫たちが軍の命令と警察の「問題なし」に翻弄され続けた徹夜の轟音から解放されたとはいえ、バラック暮らしは相変わらず不自由が伴う。
1. 警察の旧姿と今の市民対応
この初夏から夏へ移り変わる時期、再編後の警察は以前より市民の暮らしに寄り添う姿勢を強めているが、闇市と商売を巡るトラブルは尽きず、日々の巡回に忙殺されている。かつて幹夫たちが夜通しポスターを印刷していた時代とは違い、警官が印刷所を「問題なし」と見回ることはなくなり、むしろ街で起こる様々な小競り合いを仲裁する姿が目立つようになった。 幹夫は闇市で買い出しをする際、時折その警官たちを見かけては、戦中と戦後の警察の大きな変貌を改めて感じる。「あの頃、夜通し響いていた轟音と“問題なし”はもう遠い過去だな……」と、汗をぬぐいながら呟く。
2. バラック印刷所の夏
一方、バラック印刷所では既に四度目の夏を迎え、社長と戸田、堀内、そして幹夫の4人が、簡易な輪転機をテキパキ操りながら少量の英語ビラや雑誌のページを刷っている。配給や紙の仕入れは相変わらず安定しないが、軍事目的の徹夜から解放され、自分たちのペースで仕事を続けられることが大きな救いだ。 徹夜の作業を強要されない代わりに、昼間の猛暑と闇市での生活の苦労が圧し掛かるものの、「これこそ自分たちで選んだ道」と皆が納得している。四六時中ガラガラと回るわけでもなく、合間を見て闇市で材料を買い出すという忙しさが日常だ。時にはGHQ向けの英語パンフ依頼が入り、検閲手続きに手間取るが、そこさえ乗り越えればなんとか収益を確保できる。
3. 父との暮らしの軌道
ここ数か月で、幹夫の父は静岡から上京し、このバラック印刷所の近くで一緒に暮らすようになった。春に無事に迎え入れた経緯があり、体調は万全ではないが東京の暮らしにも少しずつ慣れ、幹夫が買い出しに出る間、簡単な内職などを手伝う日々が続いている。 はじめは慣れない都会の混沌に父が戸惑う場面もあったが、社長や戸田、堀内が親切に接し、父も「戦中とはまるで違う働き方なんだな……」と、息子の変貌ぶりを感慨深げに眺めている。今や、いくら暑くとも徹夜の強要はなく、警察が夜な夜な印刷所を巡回して“問題なし”と告げる景色など存在しない。この自由はまだ脆弱だが、確かにここにあると父も理解してくれた。
4. 夜の暑さと懐かしさの余韻
七月中旬を過ぎ、夜になってもバラックの中は蒸し暑く、扇風機もままならないため、幹夫と父は外で涼を取りながら談笑することが増えた。折りたたみの椅子に座り、遠くで闇市の喧騒を聞き、時折警官の笛の音や米兵の英語が聞こえてくるたび、父が「戦前とは本当に違うな」と嘆息する。 幹夫は「軍に徹夜を命じられていた頃がもう何年も前のように思えますね……。父さんがいま、こうして東京で暮らしているのが不思議で……」としみじみ語る。父は「おまえが見つけてくれなければ、わしは農家に世話になったままだった。大変だろうが、自由に印刷ができるというのは……おまえにとって本望じゃろう」と優しい笑みを返す。
5. 警察と占領軍との折り合い
そんな頃、印刷所にはGHQ関連の英語パンフ作成の依頼が少しまとめて舞い込み、書類のチェックや検閲を堀内が進めていた。警察に届け出る必要はなく、直接GHQの担当部署と協議すれば済むのが戦時中との大きな違いだ。かつては警察が巡回して「問題なし」と形ばかり保証し、軍の命令で徹夜作業を強制される流れだったが、今は「徹夜したければするが、そこまでの大部数も必要ないから昼間に済ませる」で済むのだ。 父がそれを見て、「なんとまあ、同じ印刷でもこんなに体制が違うんじゃな」と驚きを隠せない。社長も「わたしらも慣れるまで苦労しましたが、警察がどうこうではなく、GHQの規定を守ればある程度自由にやれるんです」と苦笑しながら答える。警察という存在がより市民支援に回っているのは、戦中を知る人々にとって大きな驚きだった。
6. 緑に溶ける印刷所の未来
七月も後半、焦土の町には雑草だけでなく、緑の苗木を植え直す動きが少し起こり、父も「都会にはやっぱり木陰が必要だな」とつぶやく。バラック印刷所の周囲にも仮設の商店が増え、警察官が巡回こそするが、秩序は徐々に安定し始めているらしい。 夜、幹夫は父とともに屋根下に敷いた寝床で談笑しながら、「この店がもっと大きな設備を導入できたら、戦前戦中以上の印刷物を自由に作れるかもしれませんね。徹夜に追われるんじゃなく、昼間だけで仕事を完結できる形で……」と意気込む。父も「ああ、その姿を見届けたいもんじゃ」と微笑み返す。
結び: 夏の先に広がる光
こうして昭和二十四年七月、激しい暑さが焦土を覆うなか、幹夫たちのバラック印刷所は懸命に英語ビラや雑誌ページを量産し、軍国時代の徹夜轟音を遠くに葬った新しい働き方を確固たるものにしつつある。警察も戦中のように夜間巡回で「問題なし」と言い残す存在ではなく、闇市や市民対応で奔走する姿を見せ、一方でGHQへの書類手続きは煩雑だが、自分たちで対処可能な段階まできている。 父を東京へ呼び寄せるという最大の願いは、この夏、ようやく叶い始めた。まだ体調は万全でない父とバラックの生活は窮屈だが、少なくとも徹夜地獄の時代には得られなかった家族の温もりを確かめ合える。焦土に広がる夏の陽炎と、警察の新たな姿を横目に、幹夫と父が小さな空間を分かち合って日々を生きる――それこそが戦後における真の自由の始まりかもしれない。 焼け跡の緑が少し濃くなるこの季節、彼らは徹夜の轟音から解放された輪転機の音を小さく響かせ、汗を拭いながら次なる印刷物に向けて手を動かす。夏の風が夜になっても冷めず、蒸し暑い夜に父と並んで息を潜めては、「もうこれが私たちのやり方だ」と、戦時と訣別する自分らしさを噛みしめるのだった。
昭和二十四年(1949年)七月――焦土の夏、次なる挑戦を見つめるバラック印刷所
戦後四度目の夏が近づき、終戦からほぼ四年を迎えようとしている。東京の焼け跡は再建の足取りを進めつつも、まだ各地にバラックや闇市が混在し、物資不足と占領軍(GHQ)の管理が生活の多くを左右していた。警察は戦時中のような強権を失い、市民とともに街の治安を保つために奔走しているが、闇取引や不正の温床を取り締まりきれず混沌としたままだ。
その中でも、かつて「徹夜の轟音」と警察の「問題なし」に振り回された幹夫たちは、この二年余りをかけてバラック印刷所を地道に軌道に乗せ、いまや父を迎え入れての新生活を何とか軌道にのせようとしている。紙やインクの仕入れは相変わらず苦労を強いられるが、戦時中のように長時間の軍印刷に追われることはない。彼らは自由な形で英語や新しい文化を反映するチラシや雑誌ページを細々と刷っている。
1. 父との暮らしが始まる
七月初頭、幹夫の宿願だった「父を東京へ呼ぶ」という計画が、ようやく実現した。春先から準備を進めていた住まいが何とか見つかり、静岡の農家で療養していた父が移動できる程度に体調も回復したため、幹夫が迎えに行って戻ってきたのだ。まだ身体は本調子ではないが、都会の刺激を懐かしがる様子を見せ、古い印刷物の思い出を口にすることもある。
バラック印刷所の仲間たちは祝福しながら、父の体に負担をかけぬよう労わり、お茶を振る舞っている。「こんなに自由に印刷できるようになったんですね……」と父は感慨深く声を震わせる。幹夫にとっては戦時中の徹夜に追われる姿を父に見られずに済むことが、ある種の救いでもあった。
2. 印刷所の暑さと徹夜の影
この時期、七月の猛暑がバラックを包み、昼間は汗が噴き出すほど作業がきつい。だが以前とは違い、徹夜での大量生産を強いられるわけではなく、小口で英語やローマ字を交えたチラシやパンフを昼間に回すことで対応できる。仕事が詰まる日は夜までかかることもあるが、それはあくまで自分たちの判断だ。
社長と戸田は進駐軍(GHQ)の検閲に気を配りつつ、紙を古紙回収などでやりくりし、堀内が警察への届け出や経理を担当する。幹夫は輪転機を扱う腕がさらに上達し、この暑さでもスムーズに作業を進められるようになっている。「徹夜の轟音があったころを思えば、気力と体力を削られずに済む分、まだいい」と幹夫は笑うが、もちろん水分補給もままならない厳しさに変わりはない。
3. 警察の姿と闇市のざわめき
父は久々の東京に不安を抱えながら、幹夫たちが働く姿を眺めている。戦時中に警察が徹夜の巡回をしていた印象が強いため、今も同じように威圧的に働いているかと思えば、GHQの主導で改革された警察は市民に近い位置で懸命に闇市の秩序を守っているらしい、と聞いて驚く。幹夫は夜の闇市を案内しながら、「警察が昔みたいに‘問題なし’って言う仕事じゃなく、俺たちが自主的に昼に印刷してるんだ」と説明する。
闇市の雑踏を行き交う米兵や商人、復員兵らの姿に、父は目を丸くする。「こんなに街が変わるものか……。徹夜で軍ポスターを一斉に刷っていたころとは別世界だな」と唇を噛む。そんな父の横顔を見て、幹夫は改めて「もうあの徹夜の轟音とは縁を切ったんだ」と実感し、胸が締まる思いがする。
4. 新たな暮らしの立ち上げ
バラック印刷所からほど近い安い借間を見つけ、父と幹夫はそこを拠点に暮らすことになった。もちろん印刷所のメンバーの支援があってこそだが、少ないながらも収益が続いているおかげで家賃を何とか払える見通しが立ったのだ。昼間は幹夫がバラックで働き、父は家で休みながらも近所の雑務を引き受けたり、買い物をしたりして、無理ない範囲で新しい生活を始めている。
週末には父がバラック印刷所に顔を出し、昔の印刷技術の話をしたり、かつての大規模設備と比べて小さな輪転機の扱いに苦笑したりしている。社長らも「いまは徹夜しなくていいんですよ」と笑いかけ、「どうかゆっくり体をいたわってください」とねぎらう。父も涙ぐみながら「こんなに自由にやれるとは……戦争が終わってほんとによかった……」と声を震わせる。
5. 警察も軍も違う時代
この夏、警察の規制やGHQの方針がさらに進められ、治安や政治の形も変化している。昔は徹夜の轟音と警察の巡回が表裏一体だった印刷所が、いまではまったく別の形で情報を発信し、英語の文化を取り込む役割を担っている。父の目にも、それがいかにも「新しい時代の風」に映るらしく、「徹夜をやめた印刷所はずいぶん穏やかだな……昔は身体を壊すまで働かされていたのに」と幹夫をねぎらう。
幹夫は「でも生きていてくれて、本当によかった。徹夜から解放された印刷所を父さんに見せたかったんだ……」と心から思う。かつて警察を恐れ、徹夜に喘ぎながら働いた自分を、父は心配していたのだろう。その心配からようやく解放され、こうして父とともに小さな住まいを構えられたことを噛みしめながら輪転機を回す姿は、まさに戦後の再スタートを象徴しているかのようだ。
結び: 新たな季節と次の希望
昭和二十四年(1949年)七月、焦土の町は猛烈な暑さに包まれながらも、幹夫のバラック印刷所とその周辺には、静かに大きな変化が訪れている。父が東京に来て暮らし始めたことで、戦中の徹夜日々を必死に隠そうとしたあの頃の過去が、少しずつ報われるように感じられるのだ。警察は「問題なし」と巡回せず、幹夫や父を脅かす者はいない。代わりにGHQの規定や闇市との折衝が続くが、仲間と協力しながら昼間中心の印刷を安定させている。
父が体調を崩さず夏を越せば、秋にはさらに大きな案件を受けたり、バラック印刷所を改装したりする可能性が出てくる。幹夫は夜、薄暗いランプの灯りの下で、かつての「徹夜の轟音」に苦しむ記憶を思い返し、「本当によくここまで来た……」と胸を熱くしながら布団に就く。焼け跡の町にはまだ再建の難しさが充満しているが、少なくとも“問題なし”を求める日常ではなく、自分たちの責任と意志で生きていく今こそ、父と自分を救う道なのだと信じ、焦土の夏をさらに乗り越えていくのである。
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