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セナバの奇跡──交差する肖像

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月25日
  • 読了時間: 12分



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プロローグ:静かな日々のほころび

 セナバの町が再び穏やかな表情を取り戻してから、数週間が経った。 美術館の特別保管室に封じられた二枚の絵――かつて時間を越える力を解放し、幾度となく歴史の改変を巡る闘争の舞台となってきた「セナバの奇跡」と、その“もう一枚の絵”。 そして、その力によって救い出された画家の娘が、今は現代のセナバで保護を受けて暮らしている。彼女の名はルチア。十七世紀のセナバ出身だが、今やスマートフォンや電気、車の存在に戸惑いつつも必死に順応しようとしていた。

 すべてが元通り――そう信じたかった。しかし、野々村遥(ののむら・はるか)は、ここ数日胸騒ぎが治まらない。ルチアのもとへ、見覚えのない手紙が差し出されるようになったからだ。 差出人は不明。内容はラテン語と古いセナバ方言が混じっている。そこにはこう書かれていた。

「いずれ、お前の“帰郷”の刻(とき)が訪れる。ただし、その先にあるのは破滅か救済か――いま一度、運命は選び直される。」

 ルチア自身も、これが何を意味するのか分からないという。 そして、この不可思議な予告が、またしても“時の門”を揺るがす事件の始まりとなったのだった。

第一章:画家の手帳

 その日の朝、遥と淡路巧(あわじ・たくみ)は、いつものように美術館に立ち寄った。ルチアは館長アルベルト・バルタの元で簡単な事務作業を手伝っている。彼女なりの社会勉強の一環だった。 薄手のカーディガンに身を包んだルチアは、まだ慣れないパソコンを相手に悪戦苦闘している。ときどき顔を上げては、言いようのない不安の色を瞳にたたえていた。

「また変な手紙が届いたの?」 巧が問うと、ルチアは小さく頷(うなず)く。「はい。今日の朝もポストに……。内容はほとんど同じです。『帰郷の刻が近い』と」

 そのとき、アルベルトが不意に言った。「実は最近、私が保管している古文書の中に、ルチアさんの父上――つまりかつてのセナバで名をはせた画家に関する手帳があることがわかったんだ」 彼が見つけたという手帳は、セナバの古い教会の倉庫から最近になって発掘されたものらしい。書きつけられた日付は十七世紀。裏表紙には、あの紋章とよく似た模様が押印されていた。

「もしかして、そこに今回の手紙の謎を解く鍵があるかもしれない」 遥は期待を込めて手帳を開く。しかし、文章は古セナバ方言とラテン語が複雑に入り混じり、すぐには意味が掴めない。 ただ、一行だけははっきり読み取れた。

「我が娘ルチアよ。もしこの手記を手にするならば、時は再び交わる。セナバを護る“鍵”は、われらが絵に封じられし運命を解き放つことにある――」

 父の筆跡。それを認めるや否や、ルチアの胸はざわつきを増し、どこか呼吸が浅くなる。「父が、そんなことを……。でも、私がここにいる今、もうあの時代に戻ることなんて」

 言葉が途中で途切れる。まるで自分自身でも“戻るべきなのか、それともこのまま居るべきなのか”を決められずにいるようだった。

第二章:新たなる封印の破れ

 数日後。夜の美術館に再び不穏な気配が漂い始めた。 特別保管室の封印は強化され、前回のような大きなトラブルはない……はずだった。だが館内の監視カメラが、一瞬だけノイズを発し、絵のある部屋が妙に歪んだ映像を映し出した。 そのタイミングで警報が作動しているわけでもなく、侵入者の痕跡は見当たらない。 しかし、扉の奥に貼られた封印のシールが、ほんのわずかに剥(は)がれかかっているのを警備員が見つけた。

「また、何かが起こるのか……」 この報告を受けた巧は、嫌な予感を拭えない。遥も同じ思いだった。 そもそも、あの二枚の絵には“時の門”を開く力があるとされてきたが、前回の事件で大きく消耗し、今はほとんど力を失っているはずだ。 にもかかわらず、誰もいない保管室で歪みが起こっている。まるで絵自身が呼吸を始めたかのように。

第三章:光のない夜

 不安を抱えたまま、遥と巧、そしてルチアは保管室のそばで待機することにした。真夜中、美術館の窓の外は月明かりひとつない漆黒の闇に沈む。 廊下の床を踏む足音すら吸い込まれるような静寂の中、ルチアが小さく息をのんだ。遠くからかすかに聞こえる鐘のような音。あるはずのない“過去のセナバの鐘”の響きと、彼女には感じられたのだ。

「戻れ、と呼んでいるみたい……」 震える声でルチアが呟いた瞬間、封印された扉の向こうから低い唸(うな)り声のような振動が伝わってくる。 巧が警戒して扉を開けようとしたそのとき、勢いよくバチンと弾かれたようにドアノブが跳ね返り、三人は思わず後ずさる。

「中で……何が起きてるんだ?」 遥が目を凝らすと、扉の隙間から淡い青い光が漏れている。過去にも見たことがある、あの“時の門”が開く寸前に現れる光。 すると、ルチアが突然意を決したようにドアへ駆け寄った。

「みんな、私一人で入ります。もし父が呼んでいるなら、私が確かめないと……」「何言ってるの! 危険すぎるわ」 遥が制止するが、ルチアの眼差しは固い決意で満ちていた。

第四章:消えたルチア

 ルチアは封印の符が貼られた扉を無理やり押し開ける。ふわりと漂う青い光が、まるで彼女を包み込むように揺れ動いた。 中を覗き込むと、かの二枚の絵が faint(かすかな)な輝きを放ち、まるで脈打っているように見える。画面の中央には、不規則に揺れる紋章が浮かび上がっていた。

「ルチア、待て!」 巧が追いかけようと踏み込んだその瞬間、保管室いっぱいに閃光が走る。轟音とともに視界が白く塗りつぶされ、鼓膜を破るような風の轟きが三人を襲った。

 ……数秒後、嵐が過ぎ去ったように静寂が戻る。 遥と巧は恐る恐る保管室の中央へ足を進める。しかし、そこにルチアの姿はもうなかった。床には彼女が着ていたカーディガンが落ちているだけ。 封印の符はすべて剥がされ、二枚の絵は暗闇の中に沈黙していた。さっきまで感じた脈動のような光は、瞬きのごとく消失してしまったのだ。

「ルチアさんが、また時の門に……」 遥は茫然自失(ぼうぜんじしつ)となり、巧は唇を噛(か)みしめる。「今度はどの時代に飛ばされたんだ……」

第五章:廃墟の町か、あるいは栄光の町か

 翌日。館長のアルベルトも交えて対策を協議した。しかし、今度はあの絵からはまるで力が感じられない。まるで一夜にして電源を落とされた機械のように沈黙しているのだ。 前回までの経験では、紋章の力が働いているあいだは、何らかの揺らぎや温度変化が感じられたものだが、いまは微塵(みじん)もない。

「……これでは、ルチアさんがどの時代に飛ばされたのかさえ分からない。ましてや、追いかけようにも門が開かない」 アルベルトは頭を抱える。 一方、遥は「画家の手帳」のページを改めてめくっていた。何かルチアの父親が時の門について手掛かりを残していないか――。 すると、後半のページにある文章に気づく。そこには、「二つの未来」と題された章があり、こう綴られていた。

「我が絵の力は、二つの未来を映し出す。一つは荒廃と破滅へ至る道、もう一つは栄光と祝福に満ちた世界。されど、そのどちらか一方が絶対の運命ではない。選ぶ者の心が、世界をいくらでも書き換える――」

 これが事実なら、ルチアはどちらかの未来へ飛んでしまった可能性が高い。 ――荒廃の町か、あるいは栄光の町か。

第六章:未来の扉を探して

「未来へ行けば、再び門を開けることはできるはずだ」 そう直感した巧は、迷わず決断する。「ここで待っていても、ルチアさんを取り戻せない。僕たちで“門”をもう一度開いて、向こう側に行くしかない」

 だが問題は、どうやって絵の力を再起動させるか。前回同様、封印を一時的に解き、古文書に記された術式を用いれば再び時間移動できるのかもしれない。しかし、あの門は気まぐれだ。 そのとき、遥が小さく声を上げる。「待って。この手帳の最後に、“鍵”についての記述がある」

「鍵とは……我が血縁に宿る真実。その者が絵に触れるとき、門は開かれる。」

 画家の一族、その血を引く者こそが絵の“鍵”となり得る。ルチアが突如として絵に取り込まれたのも、父が言う“血縁”の力が働いた結果なのかもしれない。

 しかし、ルチア本人は現代にいない。では誰が“鍵”の役割を果たせるのか。 遥と巧は顔を見合わせた。もしかすれば、ルチアに近しい親族が別の時代に存在しているかもしれない。あるいは……その“鍵”を代替できる方法を探るしかない。

第七章:不完全な門

 翌晩。再び美術館の保管室で、遥と巧は儀式の準備を進める。手帳に書かれた呪文や紋章の配置を真似ながら、慎重に道具を並べていく。 やがて深夜、紺碧の空からわずかな月光が差し込むと、二枚の絵がかすかに揺らめき始める。

「……来る!」 巧が息をのむ。 絵の中央にうっすらと文様が浮かび上がり、再びあの青白い光が立ちのぼる。しかし、その光は弱々しく脈打ち、今にも消えそうな気配だ。

 ――もしかすると、ルチアがいない今、門は不完全な状態なのかもしれない。 それでも、この一瞬を逃すわけにはいかない。巧と遥は意を決して光の中に足を踏み入れ……次の瞬間、激しいノイズのようなざわめきと共に、意識が遠のいていった。

第八章:選ばれた未来

 薄暗い空、煤(すす)けた空気。地面にはひび割れが走り、枯れ草さえ見当たらない。 遥が目を覚ました場所は、かつて一度訪れたことのある「荒廃した未来のセナバ」だった。以前よりもさらに酷い有様だ。建物の廃墟が連なり、そこには人影もなく、灰色の風が吹きすさぶだけ……。

「ルチアさん、ここにいるの……?」 呼びかけるが返事はない。 巧は周囲を見回しながら言う。「もしかして、ルチアさんはこの未来じゃない『別の未来』にいるのかもしれない。手帳の言う『栄光の未来』がもう一つあるはずだから」

 そう考えると、絵が開いた門は完全には安定しておらず、二人をまず“こちらの未来”へ送り込んだのかもしれない。 とはいえ、このまま引き返す手立てもわからない。半ば途方に暮れつつ、二人は荒涼とした町を進んだ。

第九章:ルチアの足跡

 広場のはずだった場所に、一軒だけ形を保った建物がある。どうやら古い教会の跡地のようだ。そこに入ると、半壊した壁に一枚の紙切れが貼られていた。 紙には、ルチアの筆跡らしき文字が綴られている。

「もしこれを見つけたら、私を探しに“もう一つの未来”へ来てください。絵の鍵は、私の“父の描いた最後の作品”に宿っています。私はそれを見つけるため、“栄光の未来”を探すしかありませんでした――ルチア」

「やっぱりルチアさんは、もう一つの未来へ向かったんだ」 遥が安堵と焦燥の入り混じった表情を浮かべる。「父の“最後の作品”……。それが時の門を開閉する、決定的な鍵になるのかもしれない」

 どうやらルチアは、何らかの方法でここの荒廃した未来を経由し、もう一つの未来へ移動したようだ。 それならば、二人もここから更に時空を渡る必要がある――しかし、どうすれば。

 そのとき、教会の床下から微かに青い光が漏れていることに気づいた。瓦礫をかき分けてみると、そこには小さな祭壇と、壁に埋め込まれたモザイク画。 そのモザイクには、明らかに“セナバの奇跡”の面影が宿っていた。

第十章:再会と選択

 モザイクの中央には、お馴染みの紋章がぼんやりと光を放っている。「ここが“門”か……!」 巧が手を差し伸べる。もし再びあのめまいに襲われれば、今度こそルチアのいる場所へ行けるのだろうか。 遥と目を合わせ、同時にその光へと触れた――。

 次の瞬間、周囲がまばゆい金色の光に包まれる。聞こえてくるのは人々の笑い声や楽しげな音楽。まるでおとぎ話のように、賑わいと美しさに満ちた町並みが広がっていた。 ――ここが「栄光の未来」のセナバなのか。見上げれば、大聖堂の塔が壮麗な様相でそびえたち、道路は近未来的な技術で整備され、自然と調和した建物が整然と建ち並んでいる。

 そこで二人を見つけて駆け寄ってきたのは、ルチアだった。「遥さん、巧さん……! 本当に来てくれたんですね」 ルチアの表情には安堵の色が濃い。

 彼女の手には一枚の絵――“父の最後の作品”が握られていた。そこには、笑顔の人々であふれる美しいセナバの未来が描かれている。まさに、いま目の前に広がる光景と同じものだ。「私は、この作品が“栄光の未来”の原型だと知りました。だけど、このままでは時が安定せず、再び歪(ゆが)みが生まれるかもしれない。私が戻って、父の意思を正しく未来へ伝えなければ……」

 遠くから、鐘の音が響く。あの懐かしくも厳粛なセナバの鐘。 ルチアは決心したように口を開く。「私は……やっぱり、自分の時代に帰りたい。父の残した“最後の作品”と共に、本来あるべき歴史を守りたいの」

エピローグ:交差する肖像

 再び門を開き、三人は現代へと戻った。ルチアは古の絵とともに、彼女の実家があった十七世紀へ帰る準備をしている。 美術館の保管室では、術式が最終段階に入り、ルチアを過去へ送るための“通路”が開かれつつあった。

「本当にいいのかい? こちらの世界で暮らす道もあるんだよ」 アルベルト館長が名残惜しそうに言うと、ルチアは微笑んで首を振った。「短い間でしたが、こちらの時代での生活は、とても貴重な体験でした。でも、私にはやらなければならないことがあるんです」

 そう言いながら、ルチアは「セナバの奇跡」の絵へそっと触れる。「父が残してくれた絵には、未来を創り出す大きな力がある。それが悪用されないように見張るのが、私の役目なんだと思います」

 彼女の言葉を受け、遥と巧も納得する。いつか、また別の形で会えるかもしれない。そのときは、お互いの世界がきっとより良い形で交わるはずだ。

 再び眩い光が走り、ルチアの姿はゆっくりとかき消えていく。まるで映画のワンシーンのように、その輪郭が薄れていく中、彼女は最後に穏やかな笑みを残した。

――それから数分後、保管室には静寂だけが残った。 二枚の絵は、再び深い眠りに落ちたように見える。時の門は閉ざされ、もう二度と開かないかもしれない。 だが遥と巧は知っている。歴史を変えるのは、いつだって人の心だということ。セナバの奇跡は、決して消えたわけではなく、時を超えて人々の意思に寄り添い続けるのだと。

 夜の帳(とばり)が降りたセナバの町を歩きながら、二人はふと大聖堂の鐘の音を思い出す。あの澄んだ響きは、今も変わらず過去と未来をつないでいる。 そして、絵を通じて巡りあった無数の運命の交差点で、人はいつも選び続ける――破滅と栄光の分岐を、より良き方へと。

 「セナバの奇跡」は、こうして再び幕を閉じた。だが、それは同時に新たな始まりでもあるのかもしれない。 過去のセナバで、ルチアはどんな未来を描くのだろう。 現代のセナバで、遥と巧はどんな明日を築くのだろう。

 どんな時代を歩もうと、“今”という奇跡を生きることに変わりはない。 それだけは、時の流れが交錯しても揺るがぬ真実である。

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