ドゥオーモの影、ゆっくり進む時計
- 山崎行政書士事務所
- 19 時間前
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ミラノに着いた日の空は、洗い立ての皿のようにからりと青かった。ドゥオーモ前の広場は、朝の掃除車が水の帯を引いて通り過ぎ、石畳がまだ少し濡れている。光は大理石を白く起こし、細い尖塔が空の端に刺さっている。観光客の列から一歩はみ出して、私は大聖堂の側面にまわった。柵に守られた小さな芝生と濃い緑の木陰があり、そこだけがミラノの喧噪から切り出された休憩所みたいに静かだ。
ベンチに腰をおろすと、隣に古い帽子の紳士が座った。手に紙袋を握りしめ、鳩をからかうようにパン屑を投げる。彼は私のカメラを見ると、「写真? 良い角度だよ」とイタリア語に英語を少しまぜて笑った。話しているうちに、彼の父親は戦後にこの大聖堂のステンドグラス修復に携わっていたのだと分かった。
「子どものころ、父に連れられて高い足場に上ったんだ。怒られたけどね」そう言って、彼は財布から小さな包みを取り出した。薄い紫色の欠片。爪の先ほどのガラス片だった。「父がくれた。割れて捨てられるはずだった古いガラス。光にあてると、少しだけ昔の色が戻る」
私は欠片を太陽にかざした。たしかに、透かした先の世界が一瞬やわらいで、色鉛筆の芯でなぞったような紫が空の青に溶けた。風は甘いパンの匂いを運び、鐘楼の陰が芝生にゆっくり傾く。彼は大聖堂の壁を顎で指し示し、さらりと言う。
「ここは、急がない時計でできている。最初の石は1386年。ずっと昔のサンタ・マリア・マッジョーレの場所に置かれたんだ。完成と言えるまで五百年かかった。きらびやかな装飾や新しいステンドグラスが落ち着いたのは十九世紀。誰かが始め、別の誰かが続ける。ね、君も続けて。写真で」
私はうなずき、彼の父親の話をもう少し聞きたかったが、広場から子どもの泣き声が飛んできた。アイスクリームが落ちてしまったらしい。コーンだけを握った女の子が、口をへの字にして震えている。母親が困り顔で宥めているのに、涙はとまらない。私は思わずベンチから立ち上がり、紳士も「おお」と立ち上がって一緒に近づいた。
「ほら、泣き虫を止める魔法を知ってるかい?」紳士がしゃがみ込んで、女の子に囁いた。「あの壁の上の、角みたいなの。いくつあるか数えられたら、泣き虫は逃げるんだ」
私も壁を見上げ、指で空をなぞりながら数え始める。女の子も涙の合間に顔を上げる。数え始めると、尖塔も小尖塔も、飾りの像も、どれが「角」なのかだんだん分からなくなって笑ってしまう。女の子が先に笑った。すると母親が胸を撫で下ろし、近くのジェラート屋のカウンターから店主が気を利かせて、小さなスプーンで一口分のピスタチオを盛って持ってきた。
「ミラノの魔法はね、みんなでかけるんだよ」紳士が肩をすくめた。女の子はピスタチオを舐め、私たちは拍手した。さっきまでの泣き声は、教会の鐘といっしょに風に混じってどこかへ消えた。
大聖堂の中へ入ると、空気がひんやりと肌を這った。蝋燭の匂い、石の匂い、長い年月が積み重なってできた冷たさ。高い天井から、午後の光が斜めに降りる。上の方のステンドグラスに描かれた渦のような文様に、幼いころ見た水たまりの渦をふと思い出す。床の一本一本の筋に色が落ち、通路が虹の紙片で飾られているようだった。
身振りで祈る人たちの間を縫うように歩き、太い柱の陰に腰をおろして天井を見上げる。指の隙間から漏れる光を眺めていると、さっきの女の子と目が合った。彼女はもう泣いていない。小さな手で「バイバイ」と振る。私は同じように手を振り返す。母親がそっと会釈し、礼拝の列へ戻っていった。人の流れの中でほんの一瞬だけ、見知らぬ誰かと家族みたいな温度に触れる。旅に出る理由の半分は、きっとこの温度のためだ。
出口に向かう回廊で、修復中の一角に出くわした。白いヘルメットの若い職人が、刷毛で大理石の粉を払っている。透明なパネル越しに見ていると、彼が気づいて手を止め、親指と人差し指をくっつけて「こうやって、少しずつ」と微笑んだ。私は思わず頷く。1386年に置かれた最初の石から今まで、五世紀と少しの時間がこの「少しずつ」で積み上がってきたのだと思うと、足元の石畳が少し柔らかく感じられた。
外へ出ると、光はもう午後の色だった。広場に戻ると、例の紳士が帽子を振って見送ってくれた。「写真、忘れるなよ。君の目の分だけ、ドゥオーモは新しくなる」彼の言葉に背中を押されるように、私はシャッターを切った。ファインダーの中で、尖塔が夏の雲に糸をかける。何百年も前に積まれた石の表面に、今年の風が薄く積もる。それを撮るだけで、何かのリレーに加わった気がした。
その足で、角のパン屋に向かった。紙袋に入った温かいパンツェロッティを割ると、チーズが糸を引く。ベンチに戻ってかじると、芝生の上でさっきの女の子が母親とピクニックの真似事をしていた。私は紙袋を軽く掲げて「おいしいよ」と目で合図を送る。彼女はピスタチオ色の舌を出して笑う。ドゥオーモの影はゆっくり伸び、広場の時計はやっぱり急がない。
帰り際、案内板の前で改めて文字を追った。「古代からあったサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の場所に、1386年、最初の石が置かれた――多くの芸術家の手によって五世紀を経て完成し、十九世紀に尖塔と新しいステンドグラスなどの装飾が仕上げられた」。たった数行の歴史を、今日一日の出来事がやわらかく膨らませた。泣き虫を追い払う数え歌、父から子へ渡されたガラス片、刷毛で払う白い粉。人がつなぐ小さな手つきの積み重ねが、巨大な建物にやさしい重さを与えている。
広場を離れて振り返ると、尖塔の上で光が跳ねた。写真の中だけでなく、胸の内側にも、紫色の欠片が小さく光っている。旅が終わっても、あの欠片はきっと色を失わないだろう。急がない時計の針は、私の中でもゆっくり進み続ける。ドゥオーモは、そういう時間の使い方を教えてくれる場所だった。
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