ヒラルダの影で、うちわ一枚のやさしさ
- 山崎行政書士事務所
- 1 日前
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セビリアのアベニーダ・デ・ラ・コンスティトゥシオンは、午前の白い光を跳ね返していた。路面電車のチンという鈴のような音、カフェからこぼれる皿の触れ合う音、どこからか流れてくるギターのアルペジオ。通りの正面に、蜂蜜色の巨大な壁が立っている。セビリア大聖堂――カテドラル・デ・サンタ・マリア・デ・ラ・セデ。近づくほど、ファサードの彫像たちが厚みを増して、人の群れの会話に混ざってくる気がする。石は黙っているのに、長い時間をしゃべっている。
日差しに負けて、私は彫像の列の足元の影へ逃げ込んだ。そこに、ONCEの黄色いベストを着た宝くじ売りの初老の男性がいた。手には折り畳みの小さなうちわ――スペインでいうアバニコ。私が汗をぬぐっていると、彼は笑ってうちわを差し出した。
「Hace calor, ¿verdad?(暑いでしょう?)」
一振りで空気がやわらぐ。うちわの骨がカチリと鳴るたび、彫像の衣のひだが風に揺れたように見える。彼は自分の背中を、ファサードの大きな柱に預けながら言った。
「この大聖堂は、むかしのモスクが眠っていた場所に建ったんだ。塔のヒラルダはもともとミナレット。いまでも中は階段じゃなく、ゆるい坂が続いてる。昔は馬でも上がれたって話だよ。私の父は鐘守でね、子どものころ一緒に走って上まで行ったのを覚えてる」
父と子が石の螺旋を駆けあがる姿が目に浮かんだ。私はうちわで風を送りながら、ファサードの彫像を見上げる。預言者、聖人、王、修道士――名前を知らない誰かの顔まで、日焼けした石にやさしく刻まれている。石の群れは厳めしいのに、近くで見ると、眉間の皺さえ話しかけてくるみたいに柔らかい。
そこへ、白いドレスの花嫁が大聖堂の扉から姿を現した。花婿の腕に手を添え、階段を慎重に降りる。広場にいた人たちが、観光客も地元の人も関係なく、自然と拍手をはじめた。誰かが「¡Vivan los novios!(新郎新婦万歳!)」と叫ぶと、瞬く間に合唱になった。宝くじ売りの彼も、うちわをぱたぱたさせながら声を合わせる。私も照れくさく両手を叩いた。花嫁の祖母らしい小柄な女性が、紙包みに入ったアーモンド菓子を見物人に配って回り、私の手にも一粒落ちてきた。口に含むと、砂糖の衣がほろりと崩れて、アーモンドの温かい香りがひろがる。
拍手がやんだ頃、私は彼からうちわを返そうとした。ところが彼は首を振り、「記念に持っていって。セビリアの太陽は旅人に厳しいからね」と笑った。小さなアバニコは、チケット売りの小さな親切で、あつさの中に影を作る。
大聖堂の中へ入ると、空気は急にひんやりした。聖歌の練習なのか、遠くで柔らかい声のまとまりが揺れている。高い天井の梁から差し込む光は薄く金色で、床石にステンドグラスの色を落としていた。礼拝堂のひとつに、四人の像が担ぐ大きな棺があって、前に立つ人々は長い航海から戻った船に囁くように静かに立ち尽くしていた。私はその背中の列に並び、肩の力がそっと抜けるのを感じる。
回廊から外へ出ると、オレンジの中庭――パティオ・デ・ロス・ナランホス。木陰が四角い影を落とし、噴水の水音が乾いた空気に小さな波紋を作る。枝からこぼれた香りは、花の季節が終わっていてもどこかほのかに甘い。ベンチでひと息ついていると、ギターを背負った若者が「少し弾いてもいい?」と目で訊いた。うなずくと、彼はアンダルシア風の短い旋律を、日差しの粒に振りかけるみたいに奏でた。通り抜ける観光客の子どもがじっと見つめ、最後の和音が空気に溶けると、手を叩いて笑った。若者は帽子を取って一礼し、噴水の水を手のひらに受けて、また肩にギターを担いだ。
私はヒラルダに上ってみることにした。父と子が走ったという、ゆるやかな坂道。石の匂いと人々の足音が重なり合い、上へ上へと続く。途中、肩車の子どもが「あとどれくらい?」と訊くと、父親が「もう五つ曲がったら鐘だ」とスペイン語で応えていた。見知らぬ家族の会話に勝手に勇気づけられ、私もペースを合わせる。やがて、風がひらけ、鐘楼の口が空に切り取られる。街が正方形のタイルのように並び、屋根の赤茶色が波打ちながら遠くまで続いている。アルカサルの庭の緑が濃い。視界の端で、路面電車が銀の線を滑っていく。
「Pase, sin prisa.(どうぞ、ゆっくり)」と、年配の係員が笑いながら道をあけてくれた。鐘は今は静かで、代わりに風が鳴っている。私は胸ポケットから出した小さなアバニコを開き、ヒラルダの風に合わせて一、二度あおいだ。父親に肩車された子どもが、私のまねをして手のひらで風を作る。笑い合うだけの、短い共同作業。見知らぬ誰かと、少しだけ家族になる時間。
坂道を降りると、また太陽が肩にのしかかってきた。大聖堂の外壁は午後の色にとろけ、彫像の影が長く伸びる。広場では、さっきの宝くじ売りが同じ場所に立っていた。「どうだった?」と彼。「風が鐘を鳴らしてました」と答えると、彼は満足そうにうなずいた。
お礼をしたくて、角の店で「ジェマス・デ・サン・レアンドロ」を買って戻った。卵黄と砂糖の小さな甘味。紙包みを差し出すと、彼は「これは危険だ、止まらなくなる」と目尻を下げた。二人でひとつずつ味わい、「当たったら半分は鐘の修理に寄付するよ」と彼は宝くじを勧める。私は一枚だけ買って、番号の端を折った。もし当たらなくても、この日が当たりだと思えるから大丈夫だ、と思った。
別れ際、彼は私の手にアバニコを握らせながら、もう一度こう言った。
「Sevilla es para mirar despacio.(セビリアは、ゆっくり見るための街だ)」
アベニーダ・デ・ラ・コンスティトゥシオンを歩き出すと、路面電車がゆっくり私を追い越し、影が足もとを流れていく。ふと振り返ると、ファサードの彫像たちが午後の光の中で、まるで拍手を続けているように並んでいる。世界遺産として名の通った「大きな建物」だけれど、近くで見るそれは、小さなうちわを差し出す手の温度や、結婚を祝う見知らぬ人々の声や、坂道で風をつかまえた子どもの笑いに支えられている。石が積み上がるのに要した長い時間と同じくらい、ここでは一瞬の優しさが積み重ねられているのだ。
ポケットの中で、紙の宝くじがかさりと鳴る。番号はもう忘れかけているのに、うちわで作った風の感触だけは、しっかりと手のひらに残っていた。セビリアの太陽は容赦ない。けれど、ヒラルダの影とうちわ一枚分のやさしさがあれば、旅人は十分に生きてゆける。そんな気がした。
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