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リチウムの蒼き回廊

  • 山崎行政書士事務所
  • 19 時間前
  • 読了時間: 6分

1. 宇宙港のトリチウム事情

西暦2110年、コズモランダ宇宙港。ここでは月面や小惑星帯で稼働する核融合エンジン用のトリチウム燃料カプセルが日々取引されており、その安定供給が惑星間物流の要となっていた。だがトリチウムは半減期の短さ(12.32年)と製造コストの高さから、いまだ世界的に不足傾向。各国や企業はこぞって**「トリチウム・ブランケット」**の強化に注力している。

この街に赴任してきた研究者、アイラ・ジンは、ブランケット技術の専門家。彼女はプラント視察のために宇宙港を訪れ、巨大な荷揚げクレーンがトリチウム容器を慎重に扱う姿を見つめていた。「この燃料、一滴でも貴重だからね……」そう呟きながら、アイラの脳裏には**6Li(n,α)3H^6\mathrm{Li}(n, \alpha) ^3\mathrm{H}6Li(n,α)3H** 反応の数式が浮かんでいる。

2. キー反応:6Li(n,α)3H^6\mathrm{Li}(n, \alpha) ^3\mathrm{H}6Li(n,α)3H

核融合炉ブランケットの根本を支えるのは、リチウム6(^6Li)と中性子の反応だ。

^6\mathrm{Li} + n \;\rightarrow\; \alpha + \,^3\mathrm{H}.

  • この反応で、1個の^6Li原子核が1個の高速中性子を吸収してアルファ粒子(^4He)とトリチウム(^3H)を生成する。

  • 核融合炉ではD-T反応をメインに使うため、失われるトリチウムをどこかで補完しなければならない。そこでブランケット内に^6Liを含む材料(液体Li-Pb合金、固体Li2Oなど)を配置し、高速中性子が衝突してトリチウムを新たに作る仕組みが導入されている。

  • キモは「中性子のエネルギー」と「リチウム6の含有量」。十分な中性子吸収が起きないとトリチウム増殖率(TBR)が1を下回り、炉運転で消費する以上のトリチウムを作れなくなる。

アイラは、この反応をいかに効率良く起こすかという研究に人生を捧げてきた。

3. 「アルバトロス」炉への招待

アイラの目的地は、同国最大級の核融合炉「アルバトロス」。ここは新設されたばかりで、独自の可変速中性子減速器高Li濃度ブランケットを組み合わせ、従来型を凌駕するトリチウム増殖率(TBR>1.2)を目指す野心的プロジェクトとして注目されていた。初日、彼女はアルバトロスの制御室でチーフエンジニア、ユウキ・ナグモと顔を合わせる。「ようこそ、アイラ博士。ここが“リチウムの蒼き回廊”へ繋がる場所さ。炉の周囲に流れるLi-Pb合金がまさにアルバトロスの生命線だ」大柄なナグモが誇らしげに胸を張る。

4. コア技術:可変速中性子減速器

アルバトロス炉が特徴的なのは、ブランケット内で中性子エネルギー分布を可変制御する“減速器”が搭載されている点だった。

  1. 高速中性子はブランケットに飛び込むと、減速材(ベリリウム合金や分子構造制御された炭素系材料)を通過して徐々にエネルギーを下げられる。

  2. 最適なエネルギー帯に達した中性子がリチウム6に衝突し、トリチウムを生成する。

  3. ブランケットのマイクロ構造を可変にすることで、瞬間的に減速効率を変え、炉運転中の中性子束変動に合わせて最適化する発想だ。

「これで中性子の吸収断面積が最大になるエネルギー域を、リアルタイムに追従できるんですよ」とナグモは説明する。アイラは目を輝かせる。「素晴らしい。でも、あまりに複雑すぎて実装が難しいと思ってたわ。どうやって材料の動的リコンフィギュレーション(再構成)を実現してるの?」

ナグモは笑う。「そこが企業秘密さ。‘音響振動’と‘磁場印加’を使い、減速材の配列を微妙に変えるんだ。小さな球体状の減速粒子を流動させるイメージかな。」

5. 放射化問題と急速交換システム

もちろん、高速中性子下での材料放射化が避けられず、交換サイクルをどう確保するかは課題だ。アルバトロスでは**「急速交換システム」**と呼ばれるメカニズムを採用し、稼働中でもブランケットモジュール単位で交換が可能になっているという。

  • 分割ブランケット設計:大きなブランケット全体ではなく、小型モジュールを多数組み合わせて構成。

  • ロボットアームでモジュールを抜き差し:放射化したモジュールを炉外に取り出し、新品または再生済みモジュールを即座に入れる。

  • オンラインクリーニング:リチウム汚染やヘリウム生成による金属脆化を、化学処理とリモートマニピュレータでメンテナンスする。

「運用コストは高いが、長期的にみればトリチウム不足より遥かにマシだ」とナグモは苦笑する。

6. 実験:中性子束異常

アイラがアルバトロスの運転ログを調べていると、ある日深夜に奇妙な中性子束の揺らぎが検出されていた。ブランケット内の中性子計測装置が急激なエネルギースペクトル変化を示し、その瞬間だけトリチウム生成率が大幅に跳ね上がっていたという。「数秒間だけ、TBRが1.4近くいってる……? どうやってこんなに急にリチウムとの反応効率が上がったの?」アイラはデータを数値解析にかけるが、そのピークが不可解な形をしており、既存モデルでは説明がつかない。

ナグモは頭をかく。「私たちも原因不明なんだ。もしかすると減速材の振動が偶然、最適配列を一瞬作り出したのか、それとも中性子束が外から来たのか……。いずれにせよ、この現象を制御できれば大飛躍だよ」

7. 「蒼き回廊」への突入

アイラは解析を重ね、ある仮説に行き着く。“中性子束が特定エネルギー帯でリゾナント的に増幅され、リチウム6と衝突する確率が急上昇した”可能性だ。もしこれを意図的に再現できれば、ブランケット内部でリチウム6が次々に反応し、トリチウム生成を大幅に増やすことができるかもしれない。実験体制を整え、夜半の静かな時間帯に炉の出力を制御して、あの“蒼き回廊”現象を探ろうという案が浮上する。ナグモはリスクを感じつつも、「やってみようか」と賛同する。

8. 計画実行:深夜の炉室

深夜、アルバトロスの制御室には最小限のスタッフしかおらず、アイラとナグモはコンソールを睨んでいた。計画は、中性子減速を意図的に振動させ、特定のエネルギー帯を強調する手順だ。「開始……減速振動フェーズ1。流動粒子を位相差π/2で駆動……」モニターにブランケット温度と中性子束が映し出され、徐々に変化していく。やがてログにあの異常ピークらしき兆候が現れ、TBRが上がり始める。1.2…1.3…そして1.35…。アイラが息を呑んだとき、警告アラームが点灯する。高エネルギーの局所中性子が急増し、炉壁材に衝撃を与えつつあるらしい。

9. 限界の先

ナグモが操作盤で緊急減速フェーズを指示。「やめろ、中性子束が暴走気味だ!」しかしアイラはぎりぎりまで粘り、「あと数秒、もう少しだけ!」と叫ぶ。ログにはTBR=1.42の値が記録され、過去最高を更新する。だが同時に、中性子束が一部壁面を破損寸前に追い込む。「あと1秒……停止!」アラームが鳴り響く中、彼らは一気に炉出力を落とし、減速材の振動を止めた。空気が張り詰めた制御室で、再び静寂が戻ったとき、テレメトリに表示されたTBR=1.43の数値が輝いていた。

10. 終焉と始まり

翌朝、アルバトロス炉は通常運転へ戻し、深夜の実験結果を修正処理しつつ上層部へ報告。多少の壁ダメージはあったが、致命的ではないらしい。何よりTrデポ(トリチウム貯蔵施設)に送られる量が予想を上回る成果を上げた。アイラは満足げに微笑む。「正直、危険な賭けだったけど、これでブランケット内部に潜む未知の挙動を少し垣間見た気がする。将来的にはもっと安全にこの‘リゾナントモード’を再現できるようにしなくちゃね」ナグモも疲れた顔だが、「トリチウムは核融合エンジンの命綱。近い将来、火星移民や小惑星帯開発にも更なるエネルギーが必要だ。人類の一歩先へ行くために、まだまだブランケット改良が進むだろう。あなたの手腕に期待してるよ」と言葉を掛ける。アイラは少し照れつつ、「私で良ければ、どこまでも協力させてもらうわ。6Li(n,α)3H ^6\mathrm{Li}(n, \alpha) ^3\mathrm{H}6Li(n,α)3H――その魔力にとり憑かれた私は、きっとこの先もリチウムの蒼き回廊を進んでいくのでしょう」と静かに思うのだった。

 
 
 

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