top of page

日本で咲く恋とキャリア: あるイタリア人エンジニアの物語

  • 山崎行政書士事務所
  • 2 日前
  • 読了時間: 21分

イタリア人エンジニアの恋とキャリアとビザの物語



第1章 決断と旅立ち

パオロ・リッチはイタリア出身の28歳、機械エンジニアとしてのキャリアを積んでいた。ある秋の夜、彼はミラノのアパートで日本から届いた一通のEメールを前に心を揺らしていた。それは東京に本社を持つ大手メーカーからの内定通知だった。日本で働くという夢のような機会に胸が高鳴る一方、家族や友人を残して遠い異国へ旅立つ不安も押し寄せてきた。幼い頃から機械いじりが好きだった彼は、日本の高度な技術力に憧れを抱き、大学でも日本の自動車工学について研究した経験がある。だが、実際に日本で働くとなれば言葉や文化の壁を乗り越えねばならない。パオロはカーテンの隙間からミラノの夜景を見つめ、静かに決意を固めた。「自分の可能性を広げるために日本へ行こう」──その言葉を胸に、彼は返信メールに承諾の意思を打ち込んだ。

出発の日、空港には年老いた両親と弟、それに親友たちが見送りに来ていた。母親は「体に気をつけてね。困ったことがあればいつでも連絡するのよ」と涙声で語り、父親は無言でパオロの肩を力強く叩いた。陽気な弟は「日本でも僕たちの自慢の兄貴でいてくれよ!」と笑ったが、その目は赤く潤んでいた。パオロ自身も込み上げる寂しさを感じながら、家族に背を向けて搭乗ゲートへと向かった。振り返ると、母がハンカチを振っている。パオロは大きく手を振り返し、「行ってきます!」とイタリア語で叫んだ。その声は飛行機のエンジン音に消えたが、心の中では確かに家族に届いていた。

飛行機が長い旅路を経て成田空港に降り立ったとき、パオロの胸には期待と不安が渦巻いていた。入国審査を終え、慣れない日本円でリムジンバスの切符を買い、彼は東京行きのバスに揺られる。窓の外には異国の風景が次々と流れ、看板に踊る見慣れない漢字が彼に日本へ来た実感を与えた。夕暮れ時に都心へ差しかかると、高層ビルの谷間からオレンジ色に輝く東京タワーが姿を現した。その光景にパオロは思わず息を呑む。

東京の夜空に浮かぶ塔の灯りは彼にとって新しい世界への入口のように感じられた。車窓に映る自分の顔は緊張で強張っていたが、同時に目は好奇心で輝いている。彼はそっと窓ガラスに映る自分に微笑んだ。「大丈夫、やってみせるさ」──誰にも聞こえない声でそう呟き、異国の夜景に向かって小さく拳を握った。


第2章 東京での新生活と職場の洗礼

東京での生活はパオロにとって驚きの連続だった。会社が用意してくれた社員寮は郊外の静かな町にあり、日本らしい畳の部屋と清潔なユニットバスが備わっている。最初の朝、彼は慣れない布団から起き出し、窓の外に広がる住宅街を眺めた。澄んだ空気の中、近くの公園からはラジオ体操の音楽が微かに聞こえる。イタリアの喧騒とは違う穏やかな朝に、彼は新天地での生活が始まったことを改めて実感した。

出社初日、緊張しながらオフィスの扉を開けたパオロを待っていたのは、日本独特の丁寧な歓迎だった。上司や同僚たちが笑顔で迎えてくれ、部署の朝礼では一人ずつ順番に自己紹介が行われた。パオロの番になると、つたない日本語で「イタリアから参りましたパオロ・リッチです。どうぞよろしくお願いします」と挨拶した。拙い発音にもかかわらず、社員たちは温かい拍手を送ってくれた。上司の田中課長は「困ったことがあれば何でも聞いてください」と英語で優しく声をかけてくれ、そのおかげでパオロの緊張は幾分和らいだ。

しかし、仕事が始まると文化と言葉の壁に直面することになる。会議では日本語が飛び交い、専門用語や社内の略語が理解できずに戸惑った。資料はすべて日本語で書かれており、辞書を引き引き内容を追う毎日だ。それでもパオロは持ち前の努力家精神で遅くまで残って勉強し、少しずつ業務に馴染もうと奮闘した。昼休みには同僚たちと社員食堂で食事をしたが、最初は会話に入れず孤立感を覚えることもあった。それでも時間が経つにつれ、同僚たちはパオロに話しかけようとゆっくり日本語を話したり、簡単な英語で助けてくれたりするようになった。彼らは彼がイタリアから来たことに興味津々で、ミラノの生活やイタリア料理の話題になると目を輝かせて質問してくる。パオロも拙い日本語ながら自国の文化を伝えることで、次第に輪の中に溶け込んでいった。

技術部のチームには、日本人の他に海外留学経験者や他国出身の社員も数名いた。その中の一人、同僚の山田さゆりは大学時代にイタリアに留学していた経験があり、イタリア語で「Buongiorno!(ボンジョルノ!)」と挨拶してパオロを驚かせた。さゆりはパオロにとって心強い存在となった。彼女は日本語と英語、それに少しのイタリア語を交えながら仕事の進め方を丁寧に教えてくれた。例えば、日本の職場では会議の前に根回しをしておくことや、報告・連絡・相談(ホウレンソウ)の文化など、パオロには新鮮な職場ルールも彼女が優しく説明してくれた。さゆりの明るく思いやりのある性格に触れ、パオロは次第に心を開いていった。

仕事を始めて数週間が経った頃、パオロは自分がチームの戦力として受け入れられている手応えを感じ始めた。上司から与えられた設計タスクを期限内にやり遂げた際には、「リッチさんの視点は我が社に新しい風を吹き込んでくれますね」と評価してもらえた。イタリアで培った発想力やデザインセンスが、日本のプロジェクトにも新鮮だと喜ばれたのだ。近年、日本では外国人労働者が急増し、企業も海外展開に伴い多様な人材を求める傾向にある。パオロの所属する部署でも彼の国際的な経験が買われ、製品の欧州展開プロジェクトではイタリア出身の彼に白羽の矢が立った。彼の存在がチームにもたらす異なる視点やアイデアは、日本人だけのチームにはない貴重なものとして歓迎されたのだ。パオロ自身も、自分のアイデアや意見が尊重されることで職場への自信と愛着が芽生えていった。

そんなある日、仕事終わりに田中課長が「今夜は歓迎会をやろう」と声をかけてくれた。近くの居酒屋で行われた歓迎会(いわゆる飲み会)では、普段は控えめな同僚たちが陽気にお酒を酌み交わし、カラオケでは懐メロを熱唱する姿にパオロは驚いた。日本の会社は上下関係が厳しく堅苦しいイメージを持っていた彼だが、皆がリラックスして打ち解けている様子を見て安心した。さゆりも隣に座り、「日本では職場の人と飲みに行くときは仕事の肩書きは関係なくフランクになるんですよ」と教えてくれた。パオロは初めて口にする日本酒の熱燗に顔をしかめつつも、田中課長の「まあまあ一杯!」という勧めに笑って応じた。その夜、言葉の壁を越えて同僚たちと心を通わせることができ、彼は日本での職場にチームの一員として受け入れられた喜びを噛みしめた。


第3章 文化の壁と心の架け橋

日本での生活にも徐々に慣れてきたパオロだったが、仕事以外の場面でも様々な文化の違いに直面していた。例えば、スーパーで店員から丁寧すぎるほどの接客を受けて戸惑ったり、電車で周囲の乗客たちが驚くほど静かに過ごしているのに感心したりした。ご近所付き合いでは、隣人から季節の挨拶にと手作りの和菓子をもらい、お返しにイタリアのお菓子を渡したところ大変喜ばれるなど、小さな交流にも心が温まる思いだった。毎日のように発見があり、そのたびに日本という国を深く知っていく自分に気づく。休日には近所の神社を散策し、絵馬に書かれた願い事を読もうと苦戦しながら漢字を解読するのが日課になった。日本語の上達にも熱心に取り組み、職場のさゆりや他の同僚たちとも言葉を覚えるたびに会話が弾むようになっていった。

そんな中、さゆりとは職場の同僚としてだけでなくプライベートでも親しくなっていった。ある土曜日、さゆりが「浅草に行ってみませんか?下町の雰囲気を感じられますよ」と誘ってくれた。電車を乗り継いで浅草に着くと、雷門の巨大な提灯の下でさゆりが「これが有名な浅草寺よ」と笑顔で案内してくれる。仲見世通りでは色とりどりの和土産や美味しそうな食べ歩きの店が並び、二人は人形焼やせんべいを頬張りながら散策した。境内では外国人観光客の姿も多く、さゆりが流暢な英語で道案内をしてあげる場面もあった。パオロはそんな彼女の国際的な一面に感心し、「さゆりは本当に頼もしいね。僕ももっと日本語を頑張らなくちゃ」と刺激を受けた。

境内にあるおみくじを引いてみることになり、さゆりは笑いながら「大吉だといいわね」とパオロに手順を教えた。結果は中吉だったが、そこに書かれた「努力すれば道は開ける」という日本語の文言を、さゆりが優しく訳してくれたとき、パオロの胸にじんと熱いものが込み上げた。異国の地で頑張る自分への神様からのエールのように感じたのだ。さゆりも「パオロなら大丈夫。私が保証するわ」と微笑み、その言葉に彼は大きく頷いた。

浅草観光の帰り道、夕暮れに染まる隅田川沿いを二人で歩いた。川面に映る茜色の空を眺めながら、パオロはふと「日本に来て本当によかった」とつぶやいた。隣を歩くさゆりが「どうして?」と尋ねると、彼は「新しいことを毎日学べているし、何より君のような素敵な友人に出会えたから」と正直な気持ちを伝えた。さゆりは照れくさそうに笑い、「私もパオロに出会えて、日本にいながらイタリアの話ができるなんて思ってもみなかった。毎日が新鮮よ」と答えた。ふと見ると、川辺のベンチに腰かけて夕陽を眺める老夫婦が寄り添っている。パオロは自分たちも無意識に足を止め、同じ夕焼けを見つめていることに気づき、心地よい静寂が二人を包んだ。言葉はなくとも伝わるものがある──パオロはそんな不思議な連帯感をさゆりとの間に感じていた。

その日を境に、パオロとさゆりの関係は少しずつ特別なものへと変わっていった。平日の仕事帰りにも二人で食事をする機会が増え、パオロが手料理のパスタを振る舞えば、さゆりは家庭の味だという肉じゃがを作ってくれるなど、料理を通じてお互いの文化を行き来した。さゆりはイタリア語の勉強を再開し始め、パオロも日本語能力試験に挑戦すべく一緒に図書館で勉強するようになった。休日には美術館めぐりをしたり、公園でピクニックをしたりと、東京での生活を二人で満喫した。気づけばパオロの中でさゆりの存在は大きくなり始め、彼女の笑顔を見るたびに胸が高鳴る自分に戸惑いながらも、その時間が何よりも大切になっていることを認めざるを得なかった。


第4章 芽生える恋と将来への不安

季節は巡り、東京にも春が訪れた。桜が満開となる中、パオロとさゆりは連れ立って新宿御苑の花見に出かけた。淡い桜色の木々の下、レジャーシートを広げ二人で並んで座る。風が吹くたび舞い散る花びらに、さゆりが嬉しそうに手を伸ばした。その横顔を見つめながら、パオロは胸の奥に秘めていた想いが抑えきれなくなるのを感じていた。この数ヶ月で、さゆりは彼にとってかけがえのない存在となっていたのだ。思い切って気持ちを伝えよう──パオロは意を決し、少し照れたように切り出した。「さゆり、実は伝えたいことがあるんだ」。彼女が不思議そうに首をかしげる。緊張で喉が渇き、パオロは一呼吸おいてから続けた。「僕は……君のことが好きだ。友達以上の、大切な存在だと思っている」。顔が赤くなるのを感じながらも真っ直ぐにそう告げると、さゆりの頬も桜色に染まった。しばしの沈黙の後、さゆりははにかみながら「私も同じ気持ちよ、パオロ」と静かに答えた。満開の桜の下で交わした想いに、二人ははっと照れ笑いし合い、その手と手が自然と重なった。

それからというもの、二人は正式に恋人同士となり、一層強い絆で結ばれた。充実した日々が過ぎ、パオロが来日してからほぼ一年が経とうとしていた。仕事でも大きなプロジェクトを任されるようになり、私生活ではさゆりとの愛情を育む中で、彼の人生は順風満帆に思えた。しかし、ちょうどそんな時、パオロには一つの不安が頭をもたげてきた。それは在留資格、すなわちビザの更新問題である。

パオロの現在の在留資格は「技術・人文知識・国際業務」、いわゆるエンジニアとしての就労ビザだ。初めての就労ビザが下りた際、その在留期間は1年間だった。日本で引き続き働くためにはもうすぐこのビザを更新しなければならない。在留期間は3か月から5年の範囲で決定され、期間を超えて働き続けるには更新手続きが必要なのだ。パオロは会社の人事担当から「ビザ更新の時期ですね。必要書類の準備をお願いします」と声をかけられ、改めて期限が迫っている現実に気づいた。

初めてビザを取得したときは、日本の大使館で書類を提出し手続きをしたものの、その際も相当な手間を感じたことを思い出す。今回は日本国内での更新手続きとなるが、パオロは不安でいっぱいだった。というのも、役所から渡された案内文はすべて難解な日本語で書かれており、必要な書類リストや手順を理解するだけでも一苦労だったからだ。彼は会社の同僚に尋ねたりインターネットで調べたりしてみたが、情報が多すぎてかえって混乱してしまう。日本の入国管理局での手続きは煩雑で、書類の不備があれば受理されないこともあるらしい。「日本での入国管理の手続きや正式な書類手続きは、現地の言葉が読めない者にとって非常に圧倒されるものだ」という記事を目にし、まさに自分の状況だと感じた。せっかく築いた新しい生活と仕事、そして何より大切な恋人を、ビザの問題で失いたくない──その一心でパオロの心は焦った。

パオロの不安は日増しに大きくなり、さゆりにも打ち明けずにはいられなかった。ある夜、自宅近くの小さな公園で二人ブランコに腰掛けながら、彼はぽつりぽつりと胸の内を語った。「もしビザが更新できなかったら、僕は日本を離れなきゃならないかもしれない」。消え入りそうな声でそう漏らすと、隣のさゆりは驚いた顔でこちらを見つめた。「そんな…期限が来ていたなんて」と彼女は動揺を隠せない様子だった。パオロは申し訳なさそうに「ごめん、心配かけるつもりじゃなかった。でも正直、不安で…」とつぶやいた。さゆりはブランコから立ち上がり、パオロの前にきちんと向き直った。そしてまっすぐに彼の目を見つめ、「大丈夫よ、パオロ。私がついてるわ。一緒に何とかしましょう」と力強く言った。その瞳に浮かぶ涙に、パオロははっとした。自分が思っていた以上に、さゆりも深く自分のことを想ってくれているのだ。「ありがとう、さゆり…」彼は立ち上がり、震えるさゆりの手を握った。二人の心は不安を共有し合い、より一層強く結ばれた瞬間だった。


第5章 専門家の支えと試練の時

ビザ更新の問題に直面したパオロとさゆりは、さっそく信頼できる解決策を探し始めた。会社の人事担当にも相談してみたところ、「専門の行政書士事務所に依頼してはどうですか?」という提案を受けた。行政書士とは、日本での許認可申請やビザ手続きの書類作成を代行してくれる国家資格者であり、外国人のビザ申請にも精通しているプロだという。人事担当者から紹介されたのは山崎行政書士事務所という、外国人の在留手続き支援で評判の事務所だった。早速パオロは電話をかけ、面談の予約を取った。

数日後、パオロとさゆりは山崎行政書士事務所を訪れた。事務所は東京・品川区のオフィス街にあり、こぢんまりとしながらも清潔で落ち着いた雰囲気だ。受付を済ませると、すぐに担当の行政書士である山崎太郎先生が笑顔で出迎えてくれた。山崎先生は穏やかな中年紳士で、流暢な英語も話せるということでパオロは安心した。個室の相談ブースに通され、さっそく現状のヒアリングが始まった。

パオロが現在の在留資格や勤務先、今回の更新で不安に思っている点を拙い日本語と英語で説明すると、山崎先生は頷きながら熱心に耳を傾けてくれた。途中、さゆりも必要に応じて日本語で補足してくれ、パオロは改めて彼女の存在の有り難みを感じた。山崎先生は「ご安心ください。必要書類の準備から入管への書類提出まで、すべて我々がサポートいたします」と力強く約束してくれた。具体的には、会社から取り寄せるべき書類(在職証明書や納税証明など)のリストアップ、申請書フォームへの記入サポート、証明写真の規格チェック、さらには入国管理局への申請代理まで一括して対応できるとのことだった。行政書士の中でも入管業務専門の者は「ビザ申請取次者」としてピンクのカードを所持しており、依頼者に代わって申請手続きを行うことが認められているという。山崎先生もその有資格者であり、「私が代理人として入管に出頭し申請しますので、パオロさんご本人が平日に仕事を休んで行く必要もありませんよ」と微笑んだ。その言葉を聞いた瞬間、パオロは肩の荷が下りる思いがした。煩雑な手続きを自分ひとりで抱え込まなくてもいいという安心感が広がっていった。

さらに山崎先生は、将来的な在留計画についてもアドバイスをしてくれた。「今回の更新が無事済めば、次回以降は3年や5年のビザがもらえる可能性もあります。いずれパオロさんが日本でキャリアをさらに積んで永住権の取得を目指す場合や、日本でご結婚されて配偶者ビザへの切り替えが必要になった場合も、引き続きサポートできます」と穏やかな口調で話す。その言葉に、パオロとさゆりは思わず顔を見合わせた。結婚という言葉に少し照れくささを覚えつつも、二人とも心のどこかで将来を意識していたのだ。「頼もしいですね…!」とさゆりが笑顔で言い、パオロもうなずいた。専門家から将来の展望まで含めた支援を示され、二人の心には明るい光が射し込んできた。

相談の後、山崎行政書士事務所のスタッフの丁寧な指導のもと、パオロは必要書類を一つ一つ揃えていった。会社からの在職証明書、給与明細、住民票、パスポートのコピー、写真…普段であればどれもひとりでは何をどう集めればよいか悩んだだろうが、スタッフがチェックリストを用意し対応してくれたおかげで滞りなく準備が進んだ。書類が全て整うと、山崎先生は最終確認を行い「完璧ですね。では本日これから入管へ提出して参ります」と告げた。パオロは「よろしくお願いします!」と深々と頭を下げ、隣でさゆりも「どうかお願いします」と頭を下げた。日本での手続きに不慣れな外国人にとって、行政書士の存在がどれほど心強いかをパオロは痛感した。専門家は申請書類の作成・提出を代行し、必要書類や手順についても的確にガイドしてくれる。さらには永住権取得や家族のビザ手続きなど幅広い相談にも乗ってくれるため、日本で長く暮らし働きたい外国人にとって頼れるパートナーとなるのだ。パオロは事務所を後にするとき、玄関で山崎先生に深くお辞儀をして感謝の気持ちを伝えた。「本当にありがとうございます。先生のおかげで希望が見えてきました」。山崎先生は「結果が出るまで少し時間がありますが、きっと大丈夫ですよ」と優しく答え、その言葉にパオロは胸のつかえが取れる思いだった。

申請後の結果待ちの期間、パオロは少し落ち着かない日々を過ごした。通常、ビザの更新審査には数週間から1ヶ月程度かかると言われていた。山崎先生からは「結果が出たらすぐにご連絡します」と言われていたものの、パオロは毎日スマートフォンの着信が気になって仕方がない。さゆりも「大丈夫、信じて待ちましょう」と言ってくれるが、もしも万が一不許可だったら…という最悪の想定が頭をよぎり、その度に不安を振り払うように首を振った。そんな彼を落ち着かせようと、さゆりはある提案をした。「今度の日曜、私の両親に会ってみない?気分転換にもなるし、前からパオロを紹介したいと思ってたの」。思いがけない申し出にパオロは一瞬驚いた。さゆりの両親に会うというのはつまり、二人の関係が真剣であることを示す大きなステップだ。彼女の気持ちに応えたいと思ったパオロは、「ぜひお会いしたい」と微笑んだ。

日曜日、さゆりの実家を訪れたパオロは緊張で胸が高鳴っていた。ドアを開けて出迎えてくれた両親は暖かく彼を迎え入れてくれた。手土産に用意したイタリア産の赤ワインとチーズに、お父さんは「これは嬉しいねぇ!」と目を輝かせ、お母さんも「まあ、イタリアの方ってハンサムね」とおおらかに笑った。夕食には手料理の和食が振る舞われ、パオロは初めて口にする家庭の味に感激した。言葉の壁は多少あったが、さゆりが間に入って通訳し、笑いの絶えない和やかな時間が流れた。「日本へ来てくださってありがとう。娘がお世話になっています」と頭を下げるお母さんに、パオロは「こちらこそ、さゆりさんには支えてもらってばかりです」と拙いながらも懸命に日本語で答えた。お父さんは「日本での暮らしは大変なことも多いでしょう。困ったことがあれば遠慮なく頼ってください」と言い、さらに「ビザのこと、心配だろう。我々も陰ながら応援しているよ」と優しく付け加えた。その言葉にパオロの目頭が熱くなった。異国の地で自分のことを気にかけ、家族のように支えてくれる人たちがいる──その事実がどれほど彼を勇気づけただろうか。


第6章 未来への扉

山崎行政書士事務所に申請を依頼してから約3週間後の午後、パオロのスマートフォンが震えた。山崎先生からのメールである。「ビザ更新許可がおりました。新しい在留カードを当事務所でお預かりしています」との知らせに、パオロは思わず「やった!」と声を上げた。オフィスの自分のデスクでメールを見ていた彼のもとに、周囲の同僚たちが「どうしたんですか?」と集まってくる。パオロは笑顔で「ビザの更新が無事に承認されました!」と日本語で報告した。同僚たちは一瞬きょとんとした後、「それは良かった!」と拍手して喜んでくれた。田中課長もホッとした表情で「これで安心して仕事に打ち込めるな」と肩を叩いてくれた。さゆりは目に涙を浮かべ、「おめでとう、パオロ!」と小さく呟いた。その声には彼女自身の安堵と喜びがにじんでいた。

その日の夕方、パオロとさゆりは山崎行政書士事務所に立ち寄り、新しい在留カードを受け取った。カードには更新後の在留期間「3年」と明記されている。初回が1年だった彼にとって、今回は一気に3年の許可が下りたのだ。山崎先生は「おめでとうございます。順調にいけば次は5年、そして将来的には永住も夢ではありませんよ」と笑顔で伝えてくれた。パオロは感謝の気持ちを込めて深々とお辞儀し、「先生、本当にありがとうございました。山崎事務所の皆さんの支えがなければ、こううまくはいかなかったです」と述べた。先生は「いえいえ、パオロさんご自身の日本で頑張ってきた実績があってこそですよ。それに素敵なお連れ様の支えも大きかったでしょうね」とさゆりに目配せした。さゆりは照れながらもうなずき、「先生のおかげで私たちも一安心です」と笑った。行政書士の専門的なサポートがなければ不安で押しつぶされそうだったこの局面を、無事に乗り越えられたことに二人は感謝してもしきれない思いだった。

事務所を後にし夜の街へ出ると、東京の街並みは以前にも増して輝いて見えた。ビザ問題という重荷が消え去り、パオロの足取りは軽い。さゆりが「お祝いに美味しいものでも食べて帰りましょう!」とはしゃぎ、二人は馴染みのイタリアンレストランへ向かった。店主はイタリア人の陽気なおじさんで、パオロがビザ更新の成功を告げると自分のことのように喜び、グラスいっぱいのスプマンテで乾杯してくれた。パオロとさゆりは向き合ってグラスを交わし、「これからもよろしくね」と静かに囁き合った。かつて不安に曇っていた二人の表情には、未来への明るい希望が満ちていた。

それからのパオロの毎日は、さらに充実したものになった。仕事では中核メンバーとして活躍し、新製品の開発チームにおいて欠かせない存在となった。日本の職場文化にも完全に適応しつつある今、後輩の外国人社員が入ってくれば自ら mentor(メンター)役を買って出て、日本で働く上でのアドバイスを送るまでになった。パオロ自身、山崎行政書士事務所のサポートを受けた経験から、外国人が日本で働き生活するには専門家の助けを得ることが大切だと実感している。だからこそ、新たに来日した同僚には真っ先に信頼できる行政書士を紹介し、スムーズに生活をスタートできるよう気を配った。「専門家の支えがあれば、日本での生活はきっと思っているよりずっと安心で充実したものになる」──それがパオロが身をもって学んだ教訓だった。

プライベートでは、さゆりとの愛情を育みながら穏やかな日々を送っている。二人で各地を旅行し、京都で着物姿で神社巡りをしたり、北海道で大自然に触れ合ったり、日本の魅力を共に堪能した。さゆりはパオロの家族ともビデオ通話で挨拶を交わす仲になり、イタリア語で「マンマ」と呼びかける姿にパオロが驚く一幕もあった。遠く離れていても家族同士が心を通わせ始め、国境を越えた絆が生まれていることに、彼は胸が熱くなった。いずれ正式に両家が顔を合わせる日も来るかもしれないと考えると、期待と少しの緊張が入り混じった。しかしそれも含め、未来への展望はバラ色に輝いている。

春が再び訪れ、桜の季節が巡ってきた。あの日告白を交わした新宿御苑の桜の木の下で、パオロとさゆりは手を繋いで立っていた。満開の花の下、パオロはポケットから小さなケースを取り出し、そっとさゆりに差し出す。驚く彼女に、「日本での人生を支えてくれた君と、これからもずっと一緒に歩んでいきたい」と真剣な眼差しで告げた。ケースの中には小さな指輪が光っている。さゆりの瞳から大粒の涙が溢れ、「はい」と震える声で答えた。二人はしっかりと抱き合い、周りの桜たちが祝福するかのように花びらを降らせた。

パオロ・リッチがイタリアから日本へ飛び込み、仕事に恋にと懸命に駆け抜けたこの数年間。文化や言葉の壁に悩み、ビザの問題に直面しながらも、その度に人との支え合いで乗り越えてきた。新しい国でキャリアを築くことは決して平坦な道ではない。だが、日本には異国から来た者を受け入れ共に歩もうとする温かな人々と、専門知識で支えてくれる心強い専門家たちがいる。パオロの物語は、それらの支えがあってこそ花開いた成功と幸福の物語だ。桜舞う東京の空の下、彼は愛する人の手を取りながら心から思う──日本で挑戦して本当によかった。この地で得たキャリアと愛こそ、自分の人生において何にも代え難い宝物なのだと。これから先、どんな未来が二人を待ち受けていようとも、パオロはもう迷わないだろう。日本という第二の故郷で、愛と夢に満ちた新たな人生の扉を自信とともに開いていくのだから…。

 
 
 

Commenti


bottom of page