昭和20年
- 山崎行政書士事務所
- 4 日前
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昭和二十年(1945年)一月――
暗い戦雲に覆われたこの国は、日中戦争と太平洋戦争をずっと背負い続け、ここ東京の下町の印刷所でも絶えず昼夜を問わぬ轟音がこだましていた。社長、戸田、堀内、そして幹夫をはじめとする職人たちは、前の年までにも度を越えた徹夜労働を繰り返してきたが、戦局の激化に伴い、今やその疲弊は極限へ達しつつある。大本営の発表は「まだ戦える」「本土決戦に備えよ」と矢継ぎ早に宣伝を流し、それを支えるためのポスターやチラシが際限なく押し寄せてくる。 正月という名ばかりの祝いごとも、この工場にはまるで存在しないかのようだ。
一月のある朝、軍から新年の決意表明を謳う大量の印刷依頼が届く。社長は痩せた面をさらにやつれさせ、戸田は「紙の配給がもう尽きてきた」という実情にもかかわらずどうにか調達を試みる。堀内は警察と軍への書類を深夜に書き上げ、幹夫は夜明け前から機械の前に立って、それまでの徹夜から小一時間しか仮眠を取っていない身体をやっと起こし、インクに染みた手をこすりながら紙を流し込む。 床に倒れ込むように人が寝ていても、一人が起きれば交代要員を起こし、機械が止まらないように回すのが当たり前になって久しい。
警察の巡回は毎月同じようにやってきて、「軍への印刷を優先し、不正はないか」と帳簿と在庫を確認すると、一言「問題なし」と言い残して去る。社長はそのあと机に突っ伏し、「本当にこれが“問題なし”だというのか……」と顔を上げない。誰もが表情を失い、戸田も堀内も疲弊の色を隠しきれないまま次の作業を継続する。
静岡にいる父は、すでに家も畑もない暮らしを親戚宅で続けて久しいが、この冬を乗り切れるかさえ怪しいと先月書いていた手紙に続き、今月はさらに短い走り書きだけ。「もう周囲にも迷惑かけるばかり……」とあり、それ以上は言葉にならないようだった。幹夫はそれを読み、「父さん、まだ冬を耐えているのか……」と思っても、戦意高揚を印刷する自分との矛盾が痛むだけであり、無力感を募らせながら機械へ戻るしかない。
夜深くになってようやく下宿に戻ったとき、幹夫はわずかに窓を開け、冷え切った一月の空気を吸い込んで二つの風鈴を見上げる。薄寒い夜風が微かにその金属を揺らすが、音になるかどうかさえ分からないほど儚い。 「父さん……今年こそ……」 声には出せず心でつぶやき、すぐに布団へ崩れるように身体を投げる。二時間も眠れずに朝が来れば、また機械のもとへ向かわねばならない。新しい年が明けても、ここには休息も余裕もなく、「戦争を支える」という名の徹夜が、寸分違わぬ日常として繰り返されていた。
こうして昭和二十年一月は、もはや先の見えない戦争の深みに足を取られた形で始まる。太平洋戦争が本土決戦の危機まで差し迫っているとの噂もあり、ラジオは「まだ勝機はある」と空々しい声を響かせるが、その裏で彼ら職人たちは油やインクの臭いにまみれながら昼夜を区別なく機械を回している。二つの風鈴は夜の冷気にかすかに揺れるだけで、かつてあった静かな暮らしの記憶はごく短い夢のように遠ざかりつつあった。 幹夫の胸にも、父の寄る辺ない姿が焼きつくだけで、何をする力もなく、また徹夜が幾重にも繋がる轟音の渦へと飲み込まれていくのだった。
昭和二十年(1945年)二月――
正月気分などどこにも見当たらないまま、新しい年の一か月が過ぎ、二月を迎えても東京の下町の印刷所には依然として轟音が鳴り止まなかった。既に太平洋戦争は激烈さを増し、日中戦争の泥沼と合わせ、日本全体が戦火の深みへと沈み込んでいる。ここでも、軍の宣伝印刷は衰えるどころか、前線での“最終決戦”を強調する文面が毎夜のように追加され、職人たちの徹夜は一段と苛烈になるばかり。
社長は曇った目で「いつまで店と人間が持ちこたえられるのか……」と呟くが、軍命令に逆らう術はなく、戸田が毎夜帳簿と格闘して紙の配給を確保し、堀内が警察・軍への書類報告をととのえ、幹夫は眠気をやり過ごしながら機械の前に張りつく日々を繰り返している。倒れそうになった職人は交代要員が叩き起こされ、すぐに立ち上がるという輪番制も当たり前となった。
警察の巡回が行われると、書類を提示して「軍の仕事を優先している」という形だけが確認され、「問題なし」と短く判定される。社長は苦い笑いを浮かべ、「こんなにも徹夜で疲弊してるのに、それが“問題なし”とは……」と漏らすが、声は小さく周囲に響くことはない。戸田や堀内は使い果たした意識で手早く帳簿を閉じ、幹夫は再び機械へ向かう。昼夜が反転し、仮眠を繋ぐのみの生活――いつ終わるとも知れないまま、轟音だけが絶えず耳を撃っていた。
一方、静岡の父は親戚宅に寄宿したまま、今年の厳しい冬をかろうじて耐えているらしい。先日の葉書では「配給が不足し、老体には尚きつい。世間では空襲の話もあるが、わしには避ける余地がない」と書かれていた。家も畑も失い、既に動きにくい身体で、時折外の空を見上げるというが、そこに幹夫が身を寄せる術はない。彼もまたこの印刷所で太平洋戦争を後押しする宣伝物を昼夜で生産し、父の嘆きとの矛盾に耐えるしかなく、自分も身動きが取れないのだ。
夜更け、幹夫がようやく下宿へ戻ると、窓を開けて冷たい風を取り込む。二つの風鈴はくぐもった音のように短く触れ合うが、チリンと言い切る前にまた静かに揺れを止める。「父さん……」 そう心の中で呼びかけても、答えは当然届かない。身体は仮眠を欲しており、数時間もしないうちに再度印刷所へ向かわねばならない。倒れ込むように布団に入る幹夫の耳には、遠くで風が鳴っているのか、それとも機械の幻聴なのか――そんな混乱さえ生じてしまうほど疲弊していた。
こうして昭和二十年二月は、戦争の終着点が依然として見通せないなか、さらに深刻化する前線報道と警察・軍の強い統制が重なり、印刷所を昼夜を超えた徹夜へと押しやっていた。父が苛む冬の寒さも、幹夫が抱える矛盾も、この大きな戦争の歯車のなかでは足を止めることを許されない。二つの風鈴が夜風にかすかに揺れても、騒然とした時代の騒音にまみれて、その音は聞き取る前に消えていく。最後の冬を迎えるかもしれない現実の息苦しさだけが、彼らの心へ静かにのしかかり続けていた。
昭和二十年(1945年)三月――東京大空襲の激震
徹夜の轟音と疲弊が燃え広がるように高まっていた東京の下町の印刷所は、もはや戦争の歯車に飲み込まれた日常を当然のようにこなしていた。日中戦争から長きに渡る戦乱に加え、太平洋戦争の遂行によって軍からの宣伝物の発注はさらにかさみ、社長や戸田、堀内、そして幹夫など職人らは、昼夜の区別さえ見失うほどの作業に沈み込んでいる。警察の巡回も「軍の仕事を優先しているか」「配給紙に不正はないか」と形ばかりの確認を繰り返し、「問題なし」と言い残して去るばかり。実際には限界を超えた疲労が人々を蝕み、明日を迎える心のゆとりなど微塵もなかった。
三月に入り、軍は「国土防衛の最終局面」という文面で、さらに大量のポスターやチラシ、小冊子の制作を命令してきた。戦局はますます苛烈化し、各地に空襲の報も響き始めていたが、それでも東京は徹夜で戦意高揚を謳う印刷を途切れなく作り上げている状況だった。 社長は青ざめた顔で納期表を覗き込み、「いつ空襲でここも焼かれるかも分からない、なのに徹夜を止められない……」と囁くが、軍に逆らう選択など望めない。戸田と堀内は、警察や配給窓口とのやり取りを夜通し行い、幹夫をはじめ職人たちも相変わらず二時間、三時間の仮眠を交互に取りながら機械を動かし続けるしかない。
一方、静岡にいる父は親戚宅で辛うじて生き延びているが、先日の葉書には「最近、東京の空襲が酷いと噂を聞く。おまえは大丈夫か」と短く書かれていた。幹夫はその葉書を胸に抱きしめると同時に、「父さん、こっちも安全だと言える状況じゃない……」と思わずにいられない。東京上空を飛ぶB-29の音や報道の断片から、敵機がいつ来てもおかしくないという不安が徐々に高まっていたのだ。
三月九日――空気に混じる不穏な気配
夜通しで印刷物を仕上げる作業をこなしていたこの印刷所の人々も、「最近、米軍機の空襲が激しくなってきた」という街の声は嫌でも耳にしていた。ラジオが“大本営発表”を流す一方で、先月には大規模な空襲が各都市で頻発し、東京が本格的な空襲を被るのも時間の問題だと囁かれ始めている。 その夜も、社長が焦燥しながら紙の残量を気にし、戸田は目に隈を作りながらスケジュールを組み、堀内が机に伏せつつ警察用の書類を片づけ、幹夫は機械の前で汗を拭う。 「こんな状態で空襲が来たら、どうやって逃げる……?」 誰もが漠然と考えながらも、作業を止めるわけにはいかなかった。
三月十日――東京大空襲の悪夢
三月十日の未明。その「漠然とした不安」が現実の悪夢となって街を襲った。 深夜、突然の空襲警報が鳴り響き、B-29による大編隊が東京上空へ殺到した。これまで幾度も空襲警報は出ていたが、これほどの大規模かつ集中した焼夷弾攻撃はかつて体験したことがなかった。 印刷所で幹夫たちが徹夜作業をしているまさにそのとき、空が赤く染まり始め、ドォンという爆発と同時に建物が揺れる。社長が声を掠らせて「空襲だ! 避難するぞ!」と叫ぶが、戸田や堀内、そして幹夫らもどこへ逃げればいいのか定まらない。 焼夷弾は火の雨となって降り注ぎ、周囲から爆音と悲鳴、そして爆風が次々に襲ってくる。印刷所も遠くない地域で火の手が上がり、煙が闇夜に渦を巻くのがわかると、もう作業どころではない。みな泥のように疲れた身体を奮い立たせ、最低限の貴重品を掴み、建物から飛び出し、逃げまどいはじめた。
外へ出ると、あたり一面が火の海のような光景だった。すでに幾筋もの火柱が立ち上り、吹きつける風は熱を伴い、猛烈な火災を煽っている。社長は「店が焼ける……!」と悲嘆に声を上げるが、すでに轟々と鳴る火と煙が近づいていて、戸田や堀内も「逃げなきゃ命がない……」と口々に言うのが精一杯だ。幹夫も走りながらインクや紙の焦げた匂いとは比較にならないほどの焼け焦げる臭いを感じ、思わず目をうずめる。 夜中に徹夜していた職人たちも、ろくに防空頭巾や避難道具を準備できず、火の手を避けようと路地を走るが、そこら中が火の粉と炎の壁で塞がれている。人々の叫び声や火傷の悲鳴が入り混じり、路地の先には地獄さながらの情景が広がっていた。
逃走と喪失
幹夫たちが機械を止め、燃える工場を振り返りながら裏通りへ逃げようとするも、風に煽られた焼夷弾の火が路地を塞いであちこちで炎が吹き上がり始める。社長は「このままでは店も、印刷所も全部焼ける……」と慟哭するが、戸田や堀内も必死に「自分たちの命が先だ、早く!」と腕を引っぱり、薄暗い煙のなかを駆け抜ける。 火の粉が降りかかり、薄い衣服で覆っている頭が熱さに襲われながらも、なんとか防空壕を目指して逃げるが、人波と火の海が邪魔をして思うように進めない。あちこちで建物が倒壊し、爆発が起こる。空からは絶え間なくB-29の編隊が焼夷弾を落とし、町中が燃え広がる。 幹夫は心のなかで「こんなにも呆気なく、この店が……父さん……」と絶望を噛みしめるが、走らなければ自分も焼け死ぬ。息を切らし、火の粉を振り払いながら、社長や戸田、堀内らと共にようやく人の波に乗ってある程度離れた場所へと脱出をはかる。
遠目に見れば、印刷所がある一帯はすでに炎が吹き上がり、あの機械や紙、インクやポスターがすべて火に呑まれているのがわかる。 「終わった……店が……」 堀内がかすれた声で言えば、社長は地面に手をついて涙をこぼす。「ずっと守ってきた店が……。全員、生きてるか……」 戸田は咳きこみながら状況を確認するが、あまりの煙と火勢で周囲は混乱し、職人たちがみな合流できているわけでもない。幹夫はすすまみれの顔を拭い、「店も……もう戻れない……」と呟いた。
東京大空襲の爪痕
その夜から未明にかけて、三月十日にも匹敵するかとも言われる大空襲が東京を焼き尽くした、と後から幹夫らは噂で聞く。すでにこの時期の空襲は枚挙に暇がなく、今回も一晩で膨大な焼失と死者を出し、朝になっても火が消えきらない場所が多く残っていた。 幹夫たちは無事逃げおおせた者だけで顔を合わせ、焼け落ちた印刷所の方向にただ暗い視線を送る。朝日のなかで立ち上る煙を見ながら、社長は荒い息をつき、「終わりだ……店がすべて……」と崩れ落ちそうに肩を震わせる。戸田は疲れ果てた表情で、「これで我々も戦争の歯車から外れたのかもしれないが……」と苦笑とも泣き笑いともつかない声を出す。堀内は「生き延びたけど、これからどうする……」と途方に暮れる。
幹夫はぼんやりと焦げついた街の瓦礫を見つめ、何も言葉が出ない。これまで散々、軍の宣伝物を徹夜で生み続けてきた場所が一夜で廃墟となり、すべてが灰になった。戦争を煽ってきた印刷物も、機械も、彼らの仕事も、すべて火に消えた今、ようやく走り続けた歯車は止まったが、それは決して解放というわけでもない。 「父さん……静岡は……大丈夫、かな……」 ふと幹夫はそう呟くが、すぐにまた咳きこみ、泣き叫ぶような音のまじる周囲の声にかき消されていく。
戦争と喪失の先に
東京大空襲の悪夢は、これまで彼らが積み上げてきた“徹夜の日常”を一瞬にして打ち砕いた。一夜の焼夷弾攻撃で甚大な被害を受けたこの地域は、街並みごと燃え尽き、生き延びた人々が廃墟に立ち尽くすしかなかった。幹夫たちも、自分の職場が跡形もなく灰になった現実を前に、まるで心が抜け落ちたような、虚無の状態に陥っている。
その中で幹夫は、不思議と心底の部分で「これで徹夜の轟音から解放された」と感じる一方、無数の犠牲者や燃え盛る炎に、戦争の恐ろしさを改めて突きつけられた。遠く静岡にいる父の姿を思い、「家を失った父の苦悶がここにも広がった」と胸がざわめく。店を失い、徹夜から解放された形にはなったが、今度は生きる術を失い、空襲の脅威からも逃れられない絶望へ投げ出されたのだ。
こうして昭和二十年三月十日の東京大空襲は、幹夫たち印刷所の人々にとっても決定的な喪失をもたらし、“徹夜の轟音”を強制的に止めさせた。その日は戦争の暗部を象徴する猛火のなかで、彼らの店も仕事も一夜にして焼失し、これまでの苦しみが一瞬にして別の絶望に形を変えたのである。 幹夫が見つめる灰の街からは、二つの風鈴さえももう救い出せる見込みはなく、ただ戦争という怪物がまた一歩、人々の生活を跡形もなく喰らっていった――そんな夜の光景が、長く深い傷をこの町に刻んでいた。
昭和二十年(1945年)四月――東京大空襲の後日談
あの三月十日の未明、幹夫たちが昼夜を問わぬ印刷作業に追われていた下町の印刷所は、東京大空襲という悪夢の炎に呑み込まれ、跡形もなく消え去ってしまった。焼夷弾によって一帯が火の海となり、幹夫や社長、戸田、堀内らは建物が火に包まれていくのを目の当たりにしながら、ただ無我夢中で逃げ惑うしかなかった。二度と戻れぬ姿となった機械や印刷物を思うと、守る術を持たなかった徹夜の日々こそ一夜にして終わりを告げたものの、それは決して解放を意味しない。彼らの生活基盤ごと一瞬で焼き尽くされたのだ。
四月に入り、冬の寒さから解放されつつあるはずの東京は、しかし焼け野原のまま、ますます混乱が深まっていた。日中戦争と太平洋戦争を二重に抱えてきた長い時間は、この都市に暗い影を落とし、度重なる空襲の被害を一層苛烈にしている。幹夫たちは何とか命こそ取り留めたが、印刷所が焼失し、家も寝床も失い、町の路上に転がった瓦礫と焼け焦げた残骸をかきわける日々。もはやあの轟音の機械が動くこともなく、徹夜に追われる仕事も消え失せたが、代わりに彼らは「次の空襲」に震えながら、ともかく生き延びるためだけに動いていた。
焼け落ちた工場の跡地を訪れると、わずかに残ったコンクリートの土台とすすまみれの鉄骨が骨格のように晒されている程度。社長は呆然と立ち尽くし、「こんな姿に……」と声にならぬ嘆きを絞り出す。戸田と堀内も茫然自失のまま、その廃墟を睨むようにして、言葉が出ない。あれほど昼夜問わずに稼働していた機械も山ほどの紙も、すべてが灰になり、過去の轟音がまるで幻のようだ、と幹夫は感じる。
警察の影はそこにはもう見当たらない。以前は「軍の仕事を優先しているか」「用紙に不正はないか」と巡回していたが、焦土と化した場所を巡回する余力など当局にも薄れ、人々は自力での復興や避難、あるいは逃亡を強いられ始めている。戦争はまだ続いており、米軍機の空襲はますます本格化するとの噂も絶えない。生き延びるための食料すらままならず、かつての昼夜徹夜が懐かしく感じるほど状況は悪化の一途だ。
幹夫は、せめて身を寄せる場所を探しながら、焦げた街を歩き回る。友人の縁を頼り、焼け残った建物の一角に小さなスペースを借りることができるかもしれない――そんな話を聞いて、社長や戸田、堀内と合流を試みながら、新たな拠点を探すのだが、どこも同じように被災者が押し寄せ、苦しい争いが起きていた。 「父さんは……どうしているだろう」 ふと静岡にいる父のことを思い出しても、手紙を出す余裕もない。周囲も混乱を極めており、郵便が機能しているのかどうかも怪しい。だが、父が家も畑も失ったまま親戚宅に厄介になっている姿を思うと、自分がこうして廃墟をさまよう姿と重なって胸が締め付けられる。
数日が経っても、瓦礫を片づけるのがやっとのこの地域では、とても店を再建できる見込みはなく、一部の職人はすでに疎開や別の町へ移る選択をしている。社長は、どうにか印刷機を探しだし、もう一度店を構える夢を語ろうとするが、あれだけの機械や部品、紙は火の海で跡形もなく消え、出資金も寝床もない状況ではそれは夢物語のようだ。戸田も「せめて動けるうちに疎開を考えるべきか」と呟き、堀内は「もし戦争が終わるまで粘っても、食べるすら難しい」と現実を見据える。
幹夫自身は、徹夜の日々を抜け出した代わりに、この焼け野原での生き方を模索しなければならない。「あの“徹夜”こそ苦しかったが、少なくとも仕事はあった」と感じる矛盾に、どうにもならぬやりきれなさが胸を苦くする。二つの風鈴ももちろん火に呑まれ、灰のなかで探し出せるはずもない。 「何もかも失ってしまった……」 そう心で呟くと、ふと風が吹き、焼けこげた町の残骸を舞い上げる。耳を澄ませても、かつて聞こえたチリンという音はなく、徹夜で支えた戦争のための機械音すら、今は無の静寂に消えている。だが、その静寂は決して安らぎをもたらすものではなく、空襲で荒廃した町の凍りついた痛みが残るだけだった。
こうして昭和二十年四月(三月の東京大空襲後)を迎えた彼らは、ほとんどの持ち物や仕事を失った。それでも戦争は続いており、官民の混乱も加速している。かつては警察の「問題なし」という言葉のもとで轟音を鳴らした印刷機も、今は瓦礫と化して、彼らに新たな徹夜すらも与えない。幹夫は父のことを想い、いつか静岡へ向かうしかないかもしれない――そう思いながら、深い廃墟の息苦しさをかみしめるほかなかった。空にはまだB-29が現れると噂され、町には焼け焦げた臭いが漂う。徹夜と轟音が消えた代わりに、悲痛な沈黙と不安が、四月の春風に混じって彼らを包み込んでいた。
昭和二十年(1945年)五月――東京大空襲の余波と後の混乱
三月十日の東京大空襲で印刷所ごと仕事も生活基盤も灰と化してしまった幹夫たち。あれほど昼夜を区別せずに鳴り響いていた轟音も、一夜にして焼失した建物と機械とともに終わりを告げ、その代わりに廃墟だけが彼らを覆う日々が続いていた。焼夷弾によって町の一角が丸ごと焼け落ち、四月にかけても散発的な空襲が各地を襲うなか、彼らは何とか生き延び、避難先や日々の糧を求めて彷徨するしかなかった。
五月に入り、春を越えて初夏の気配を感じるはずだが、東京は焦土と化しており、空襲の脅威は絶えることなく、警報が鳴るたびに人々は避難先へ殺到する。幹夫たちは失った印刷所の仲間同士で何度か連絡を取り合い、社長は「もし戦争が終われば新たな店を始めたいが、そんな余力も今はない……」とため息をつく。戸田と堀内は散り散りに動き、家族のいる遠方へ疎開を考えたり、あるいは役所の臨時仕事を探したりしているようだが、情報も混乱し、決断は容易ではない。幹夫も下宿を失ったため、親戚や知人を頼り、あるいは日雇いの仕事に手を出すしかない現状だった。
空襲の前は警察が巡回し「軍の仕事優先」を強制した印刷所だったが、今やそれを取り仕切る機械も建物も焼失してしまい、「徹夜に追われる生活」は逆説的に途絶えた。しかし、自由になったと言うにはほど遠く、戦争の最終段階へと突入する混乱のなか、飢えや次の空襲への恐怖がより直接的な形で幹夫たちを襲っている。ラジオは大本営発表を続けるものの、かつてのようにそれを印刷する日々がない代わりに、周囲の瓦礫と避難民たちの姿が目に焼きつき、戦争の現実を嫌でも感じさせる。
静岡の父は親戚宅で肩身の狭い暮らしを続けている、と四月頃の葉書に書かれていたが、その後は郵便の混乱で幹夫の手元に何の連絡も届かない。幹夫は、もし戦災が収まれば父を訪ねようと思うが、いまだ激しい戦況が続く以上、移動は簡単ではなく、東京でもいつ再度の空襲で命を落とすか分からない。 夜が更けても、かつて印刷機が轟音を立てていたあの地点は完全に焼け野原となり、金属片とすすだけが転がっている。もう二度と徹夜の機械の音に呼び起こされることはないかわりに、遠くで警報が鳴れば別の避難先を探して走らなければならない恐れがある。幹夫は日雇いの労働でわずかな食糧を手にし、どうにか下宿ではない仮住まいを確保しながら生きている。
月の半ば、町を歩くと、かつて警察が「問題なし」と言い放っていた角のあたりも、弾痕と焼け跡が刻まれただけで、取り締まる者の姿はまばらだ。時折軍服姿の者が行き来し、警戒を呼びかけているが、当の人々にはそれどころではない日常の破壊があり、戦争への疲れが横たわる。社長は焼失を免れた仲間との寄り合いで「戦争が終われば復興しよう」と口にしながらも、ほんのわずかな希望を灯す程度だ。
かつて幹夫の下宿に吊るされていた二つの風鈴も、空襲でおそらく火に呑まれ失われた。いま、下宿自体も焼失し、彼は別の知人宅や公的な収容施設を転々とする状況で、風鈴どころかゆっくり腰を下ろす椅子すら満足にない。それでもときおり夜の帳が降りて、わずかな風が吹くと、あのチリンという幻の音が頭に過ぎり、父が暮らしていたころの静かな日常を思い出しては苦い笑みを洩らす。そして思う――「印刷所が轟音を立てていた徹夜の日々も地獄だったが、今の地獄とは別種のものだったのだな……」
こうして昭和二十年五月、印刷所を失った幹夫らは、空襲後の焼け野原の東京で必死に生き残る術を探していた。戦争は終わりを迎える兆しが見えないまま本土決戦の恐怖が囁かれ、各地での空襲がさらに激化しているとの噂も絶えない。徹夜の機械が沈黙した代わりに、彼らは街頭で廃材や食糧を探し、声なき“生きるための行為”を続けている。 父の安否も確かめきれないなか、この五月の空にはB-29の姿が再度現れ、警報が鳴れば人々は逃げ回り、もうかつての「徹夜の轟音」すら懐かしく思えるほど世界が陰鬱な混沌へと落ち込んでいる。二つの風鈴は失われたが、幹夫は心のなかで、その音を追憶しながらまた今日の生き延び方を探すしかなかった。戦争がすべてを焼き尽くそうとしているなかでも、どうにか次の一日をしのぐ――それが、印刷所の轟音を失った後の東京での唯一の現実だった。
昭和二十年(1945年)六月――東京大空襲後の混迷
焼け野原となった東京。三月十日の大空襲によって幹夫たちが長らく勤めていた下町の印刷所は跡形もなく灰と化し、徹夜の轟音も、かつての昼夜の区別を失った機械稼働もすべて一夜にして奪い去られてしまった。あれから三か月、六月を迎えたが、この街の空は未だ灰色の焦土に沈んでいる。
大空襲で店を失った社長や戸田、堀内といった仲間たちは散り散りに避難し、幹夫自身もまた別々の簡易的な収容施設を転々としながらどうにか命を繋いでいた。かつての「徹夜ローテーション」は終わりを告げたものの、かわりに待っていたのは空襲の再来と糧の乏しさ、そして将来の一片の保証もない日々。空にB-29が現れるたび警報が鳴り響き、人々は逃げ惑って再び炎と瓦礫に巻き込まれる恐怖が絶えない。ラジオでは相変わらず“大本営発表”が断続的に流れるが、もはや“勝利を喧伝する”印刷物を作る環境などない。それでも戦争は止まらないまま日増しに本土決戦の噂が強まっている。
一方、静岡にいる父の消息は相変わらず届かない。前回得た僅かな葉書は三月頃に親戚宅で肩身狭くしている旨を書いたままだが、それも東京大空襲以降の郵便事情の混乱で、幹夫の手元には続報が来ないままである。「家や畑を失った父が、もし配給も乏しいまま過ごしているなら、この六月の暑さと物資難にどう耐えているのか……」と考えるだけで、幹夫の胸はかきむしられるような苦痛を覚えるが、東京でも自らの生存が瀬戸際なのだ。かつては“徹夜”という名の労苦で父を想う余裕すらなかったが、今や轟音はなくとも、日々の空襲と食糧不足に苛まれ、「いっそ印刷所があった頃のほうがまだ働き口もあった」と感じる矛盾すら抱いていた。
そんななか、社長が焼け残った縁をたどりに一度皆を呼び集め、廃墟となった印刷所の一帯を巡る機会があった。六月のじめじめとした雨の合間、瓦礫の山と化した路地を歩き、ほんの僅かに残った煉瓦や鉄骨らしきものを見つけても、すでに使いものにはならないことを突きつけられるだけ。社長はすでに全てを失ったという表情を見せ、「戦争が終われば何か再起できると思っていたが、これでは……」と小さく打ち沈む。戸田は「とりあえず疎開を考えねばなりません」と苦渋の面もちで言い、堀内は後ろ手に残骸を見つめながら沈黙する。幹夫は唇を噛みながら、かつて昼夜を問わず紙を流したあの機械の残骸すら見当たらない光景に、胸の奥が冷えていくのを感じる。
警察や軍の姿は時折、焦土となった町を横切るが、もはや印刷所に「問題なし」と言いに来ることはない。彼らも空襲や物資不足を前に苛立ちや不安を募らせているようで、幹夫たちと同じく先の読めない現実に動き回るばかりらしい。戦争は継続中であり、いつまた大規模空襲がくるかもしれないとの噂が飛び交う。時折遠くの空で高らかに鳴る防空警報の音が、彼らを再度恐怖で駆り立てる。昼夜を問わず落ちていた轟音は今や消え、代わりにB-29の爆撃音が現実に上書きされるような感覚だ。
夜更けになると、幹夫は一時滞在している施設の押し入れのような場所で体を丸めて眠りに落ちる。そこにはかつて自分の下宿で鳴っていた二つの風鈴もなければ、機械の轟音もない。時折、無意識に腕を伸ばしてあのインクの染みついた職場を思い出そうとするが、炎が工場を飲み込んだ記憶がフラッシュバックし、苦い現実感が身体を硬直させる。父の姿に重なるように、失ったものばかりが頭を駆け巡る。
こうして昭和二十年六月を過ぎ、七月へ向かう街はもう焦土と化したままで、戦争の終わりがどのような形で訪れるのかさえ見通せなかった。かつて勤めていた印刷所の仲間ともどこかで合流できる保証もなく、昼夜の感覚すら失われた徹夜の日々が終わった代わりに、生きる場所さえままならぬ廃墟の町をさまよう毎日が始まっている。轟音を鳴らしていた機械が静まり返ったかわりに、人々の心は沈黙という名の絶望を抱え、それぞれが戦争の終焉と自らの生存を祈りながら日々を凌ぐしかなかった。幹夫もまた、遠い静岡で暮らす父の消息を願いつつ、夜毎の防空警報に怯えながら仮眠と空襲の狭間を過ごしている――徹夜の轟音が消えた後に訪れたのは、さらに深い戦火の混沌のただ中だったのだ。
昭和二十年(1945年)七月――焦土の夏
三月の東京大空襲により印刷所を失ってからすでに数か月が経ったが、焼け野原と化したこの下町には、いまだ再起への手立ても見えないまま、ただ戦争の気配が深く垂れ込めていた。かつて徹夜の轟音が絶え間なく響き、ポスターやチラシを量産し続けたあの工場は跡形もなく、社長や戸田、堀内、そして幹夫も散り散りの避難所で苦しい日々を凌いでいる。
七月に入り、夏の蒸し暑さが焦土の町をさらに苦しい熱気で包み込み、空襲の恐怖はますます増していた。B-29の爆撃が再び夜を支配する度に、幹夫たちは焼け残った壁や隙間に身を寄せ、「いつ自分たちが燃やされるか分からない」という絶望感をかみしめる。かつては印刷所での徹夜が常態だったが、今やその轟音さえ消え、代わりに聞こえるのは遠くで防空警報が鳴るたび、血の気を失うような爆発の響きと人々の悲鳴だ。
軍や警察の姿も混乱のなかを行き交い、かつて印刷所へ「問題なし」と告げに来た警官たちも今では他の区域を回るのに手一杯らしく、もはやこの界隈を統制する余力はない。幹夫は日雇いや闇市の手伝いなどを探しては、わずかな配給や食糧を得ようと動いていたが、どこも似たような状況で、満足に生活を立てる手段などほとんど見当たらない。
静岡の父の消息はあいかわらず途切れたままだ。三月の頃には葉書を受け取っていたが、その後の郵便はまともに機能していないらしく、父がどう暮らしているか皆目わからない。幹夫は、もし東京に居ても死と隣り合わせなら、いっそ静岡へ移動すべきかと思うものの、疎開先を確保できる保証もなければ、鉄道や交通網も不通や制限が多く、身動きが取れない。この焼け跡で日々をさまよい、いつか戦争が終わるのを待つしかないのだ。
日中の暑さに堪え、夜になるとまた警報におびえながら眠れぬまま朝を迎える。仲間の多くは地方へ逃げたり、親戚宅へ移ったりして姿を消し、社長や戸田らとも散発的に顔を合わせるのみ。堀内の消息を知る者も少なく、「このあたりの炊き出しに顔を出していた」という噂を耳にするくらいだ。幹夫は闇市の片隅で日雇いを探し、くすぶった町角でぼんやり暮らしている。
時折、焼け残った壁の陰で夜風を受けると、かつて徹夜で稼働していた印刷機の轟音を幻聴のように思い出すことがある。あの時代は地獄のような徹夜労働だったが、少なくとも仕事があり、家があり、下宿があった。今はそれすら灰にされ、二つの風鈴もとうに火に呑まれ――わずかに残った思い出は薄暗い東京の夜へ溶けてしまった。「父さん、そっちは大丈夫だろうか」とつぶやいても、答えはこない。
こうして昭和二十年七月は、戦火が絶え間なく激しさを増す日々に追われながら、かつての轟音を失った下町が廃墟のなかで息をひそめる月となっていた。幹夫もまた、先の見えない中でどうにか生き延び、父への想いを抱え、焼け落ちた町をさまよっている。夜風が吹けば夏の夜に混じる焦土の匂いが鼻を衝き、そこにはかつて徹夜の合間に感じた風鈴の音などもはやありえず、戦争がすべてを奪ったその現実だけが、静かに崩れた町並みを支配していた。
昭和二十年(1945年)八月――新型爆弾と終戦、崩れゆく日常
東京大空襲の猛威によって印刷所を焼かれ、幹夫たちが途方に暮れて数か月が経った。廃墟と化した下町は未だ焦土の姿から立ち直る術を見いだせず、戦争の続行に振り回されるまま暗い混乱を深めていた。かつてあった徹夜の轟音は一夜で止み、代わりに時折鳴り響く空襲警報とB-29の爆音が町を威嚇し、住民たちは日雇いや闇市、または疎開先を探しつつ、いつかくる「最終局面」に怯えていた。
八月に入り、状況はさらに一変する。南方戦線からの敗報が絶え間なく漏れ伝わり、各地での空襲や物資不足も限界に達しつつある一方、ラジオは相変わらず大本営発表を読み上げ、「本土決戦」を叫び続ける。だが、幹夫らが肌で感じる現実は飢えと焼跡、空襲警報に追われる生活という一言に尽きた。
一. 新型爆弾の衝撃 (八月初旬)
そんななか、八月六日の朝、広島に“新型爆弾”が落とされたという断片的な情報が町を駆け巡る。最初は「何やらとてつもない破壊力をもつ爆弾らしい」と耳にするだけだったが、日を追うごとに事態の深刻さが噂となって広がり、幹夫や周囲の人々は恐怖を増していく。つい数日前までは「B-29による焼夷弾が最大の脅威」と言われていたが、その比ではないほど一瞬にして広島が壊滅的な被害を受けたという話だ。
「新型爆弾……」 幹夫は街角の闇市近くで雑魚寝を続けている仲間と顔を見合わせ、「いったい何が起きてるんだ?」「東京にも落とされたらひとたまりもない……」と震える。誰もはっきりした事実は知らされず、噂ばかりが陰鬱に人々を覆っている。やがて、八月九日には長崎へも同様の新型爆弾が投下されたという話が流れ、幹夫の周囲は「もう本当に日本は終わりだ」と陰鬱な諦めに傾いていく。東京への空襲も相変わらず散発的に起こり、B-29の編隊がいつやってきてもおかしくない現実に、心が休まる暇などなかった。
二. 玉音放送への混乱 (八月十五日)
それから数日後の八月十五日正午。幹夫たちが焦土の町をさまよっていると、ラジオを所有する家が近くにあるからというので、数人が半焼けの縁側に集められた。「どうやら、陛下の声が直接放送されるらしい」という前代未聞の話を耳にし、皆が息を呑んで身を寄せ合う。 正午になると、雑音交じりのラジオから聞こえてきたのは、独特の抑揚をもつ、天皇陛下の玉音放送だった。内容は聞き慣れない言い回しが多く、ハッキリとは分からない箇所もあるが、“戦争終結”を告げるものであると次第に理解が広がる。
「あ、終わった……? 戦争が……」 幹夫は一瞬、息が止まるような衝撃と、実感が湧かない混乱を同時に覚える。周りも似たような呆然とした顔つきで、徐々に「戦争が終わった」「敗戦だ……」と囁きあう。 ラジオが流す玉音放送には、降伏や国体護持に触れたような文言が入り混じり、日中戦争と太平洋戦争が遂に終わりを告げたという事実を把握するには時間がかかったが、幹夫は古びた縁側に突っ伏すように座り込み、こみ上げる感情に打ち震えた。**「もう戦争をしなくていいのか」**という安堵がかすかに湧く一方、焼け跡となった東京を見渡せば「すべてが遅すぎた」と感じずにいられない。
三. 父を思い出す喪失の夏
玉音放送で戦争の終結が宣言された日、幹夫は真っ先に父のことを思い出す。静岡で家と畑を失い、親戚宅に厄介になりながら配給不足に苦しむ老いた父の姿――「こんな地獄の時代が終わるなら、父さんも少しは報われるのか」と胸を焦がす思いが湧くが、同時に「こんなにも遅かった」とも感じる。どれほどの命や暮らしが灰になり、どれだけの徹夜で戦争を煽る印刷をしてきたか――全て終わってからの喪失感が極まり、言葉も出ない。 「父さん、無事でいてくれ……」 幹夫は焦土と化した路地に座り込み、思わず目を伏せる。かつての轟音が絶え間なく響いていた職場も、二つの風鈴があった下宿も、三月の大空襲で跡形もなく焼かれた。もしまだ父が生きているなら、いつか静岡へ行きたいと幹夫は胸に刻むが、この時点では移動手段もままならず、ただ敗戦という巨大な変化の入り口へ連れ出された感覚しか抱けない。
四. 終戦後の深い暗闇
戦争が終わればすべて元通りになるかといえば、現実はそう甘くはなかった。玉音放送直後から混乱は続き、各地の行政や軍部、警察も激動のさなかにある。街は飢えや闇市、焼け落ちた建物だらけで、勤め先もない人々が路上に溢れている。幹夫も空襲前の印刷所仲間との繋がりを頼りに、僅かな炊き出しの情報を得たりして細々と命を繋ぐ日々。 徹夜で機械を回し続けた轟音こそ止んだが、代わりに廃墟の静寂と、その先に広がる途方に暮れた明日への不安が押し寄せる。かつての仕事がすべて灰に変わり、警察や軍部からの監視も形骸化し、すでに彼らが関与することはなくなった。世の中は連合国の占領政策に向けて大きく動いているらしく、それがこの焦土にどんな変化をもたらすのか、誰もまだ分からない。
夜になって焼け野原の町は暗闇に沈む。防空灯ももはや無意味だし、警報も鳴らないが、時折、連合国の飛行機が上空を通る音に人々はおびえる習慣がまだ残っている。幹夫は廃墟の片隅で野宿に近い形で眠り、かつて無数のポスターを刷った手をまじまじと見る――「こんな結末を迎えるなら、あの徹夜の日々はなんだったのか」と苦い思いが胸を突く。 二つの風鈴があった下宿も灰になり、そんな小さな音を聴くこともない。父の近況を確かめるすべもなく、この八月の終わりへ差しかかり、戦争が“終わった”はずなのに生きる苦しさはひとつも減らない……そんな印象に捕らわれている幹夫だった。
五. 終戦という名の荒野
こうして昭和二十年八月十五日の玉音放送をもって、長く続いた日中戦争と太平洋戦争は公式に幕を下ろすこととなった。しかし、幹夫たちにとってそれは轟音の徹夜から解放されたというより、すべてを失った焼跡の荒野をさまよいながら、新しい苦闘を始める合図でもあった。 八月の終わりには、連合国の占領が具体化しつつあるとの噂が流れ、ほどなくGHQの進駐や指令が東京を含む各地で施行されるだろうと言われている。だが、それがどういう形で社会を変え、瓦礫と化した町に息を吹き返すかは誰も分からない。 幹夫は「いつか静岡へ帰り、父を探さねば」と考えるものの、生活の足掛かりすら持たない現在、まずはこの荒野で生きていく糧を手にすることが先決だった。疎開をするか、残って再起を図るか、印刷所の社長や仲間たちも皆が迷いを抱え、ただ日々を過ごしている。 もし見つかれば、何とか再び印刷の仕事に携わることもあるいはあり得るかもしれないが、軍の後押しで生きてきた徹夜の日々はもう過去のもの。そこに戻る場所などない。二つの風鈴の音を懐かしんでも、灰からは何も蘇らず、残るのは戦争がやっと終わったという空虚だけだ。
そうして昭和二十年八月を迎え、幹夫たちは焼け野原の中で飢えと寒さ(あるいは暑さ)と闇市の混乱に揉まれながら、“戦後”と呼ばれる新たな時代の端緒をじっと探る。夜はやけに静かで、かつての印刷機の轟音も警察の巡回もないかわりに、闇市や浮浪者、そして新たな支配者となる占領軍への戸惑いが薄暗く漂うばかり。守れなかったものが多すぎる――父の家も畑も、轟音の徹夜も風鈴も、戦争の終わりに呑まれて消えてしまった。 彼らはそんな巨大な喪失を抱えながら、今後どうやって生きていくのか、まだ誰も確かな答えを持たぬまま、暑い廃墟の空気に喘ぎ、かつてない宵闇に沈んでいくのだった。
昭和二十年(1945年)九月――戦後の焦土での模索
敗戦の報が公式に伝えられてから、一月が経とうとする九月。東京の下町は焦土と化してからすでに半年余りが過ぎていた。三月の大空襲で印刷所を焼かれた幹夫たちは、焼け跡の街をさまよいながら、日々の糧と新しい生活の糸口を探すほか選択肢がなかった。太平洋戦争が終結しても、廃墟と化した市街はすぐに立ち直るはずもなく、かつてのように「徹夜でポスターやチラシを刷る」仕事は、戦時需要とともに途絶えてしまっている。
1. 占領下の変化と混乱
九月に入り、連合国軍(GHQ)が本格的に日本を占領し始めたとの報道や噂が町を流れ、街の一角では外国人兵士の姿もちらほら見受けられるようになった。英語の看板が出現し始め、焼け残ったビルを接収しているといった話も伝わる。人々は半信半疑のまま、米兵とどう相対すれば良いのか分からずにいる。ラジオは連合国軍の指令を断続的に伝えはじめ、戦前から続いた厳格な統制の仕組みは、一部が形骸化し、別の支配構造に塗り替えられつつあった。
幹夫は、かつての印刷所仲間・社長や戸田、堀内とも時折顔を合わせるが、彼らも一時的に家族のもとへ戻ったり疎開先から戻る途中だったりして足並みはバラバラだ。再び印刷所を建て直そうにも、機械や資金はおろか建物の躯体すらすべて灰になり、銀行から融資を得るあてもなく、占領軍の許可がなければ事業を再開できるかどうかも不確か。そのうえ、街には失業者や帰還兵が増え、わずかな日雇い仕事や闇市の仕事を奪い合う状態が続いている。
2. 父を探し静岡へ
この頃、幹夫の頭を離れないのは、静岡の父のことだ。三月の東京大空襲前後から一切連絡が途絶えて久しく、果たして父は親戚宅で無事なのか、戦火の混乱に巻き込まれていないか――その答えを確かめたい思いが日に日に募る。 終戦によって交通網は混乱しつつも、幹夫は知人から「いまなら何とか列車が動いているかもしれない」という話を聞き、焼け跡での生活に行き詰まりを感じていたこともあって、静岡へ足を伸ばす決意をする。かつては印刷機の徹夜に追われていた自分が、ようやく“移動”という自由を得られたのだ、と胸の奥でほんの僅かな希望が灯る。
しかし、列車の切符を手にするのは容易ではなかった。負け戦が確定し、配給も混乱するなか、駅は疎開の人波と復員兵、焼け出された市民が大挙して押し寄せ、ホームはまるで難民キャンプさながらの混沌を呈している。幹夫は数日かけて何とか列車の端席に乗り込むことに成功し、数時間――いや、いつもより遥かに時間のかかる鈍行列車で、息苦しく詰め込まれた車内を耐える。道中も線路の破壊や停電が度々あり、幾度となく停車してしまうが、ついに幹夫は静岡の駅に降り立つ。
3. 父との再会、あるいは失われた景色
幹夫が足早に親戚宅を訪ねると、そこには父の姿があった。家の戸を叩くと、何とも気まずそうな顔で親戚が出てきたが、父は一応まだそこに寝起きしているという。幹夫が案内されて部屋へ通されると、老いた父がやせこけた身体を丸めて、薄い布団の上でかろうじて息をしていた。
「……幹夫……おまえ、生きていたか……」 その父の声はひどく小さいが、はっきり幹夫を認めたときに目にうっすら涙が浮かんだ。幹夫も「父さん……。俺、東京でどうにか生き残ったんだ……」と詰まった声で答える。父の髪は白く変わり、配給不足で十分な栄養もなく、病の気配さえ感じられる。 「家も畑も失くし、ここで肩身を狭くしていたが、こんな身体でどこへ行く宛もない……。戦争が終わったとはいえ、何一つ良くなってはいないよ……」 父はそう苦しく呟くと、幹夫は胸が裂ける思いで手を握り、「俺も……印刷所が灰になった。徹夜の日々も、東京の家も全部失ってしまった。だけど、こうして会えたんだから……どうにかまた生きる糸口を探そう。戦争はもう終わったんだ」と言葉をかき集める。
親戚たちは気まずそうに遠巻きに立ち、父が早く“移ってほしい”という雰囲気を隠せない。しかし父もどこへ行けるあてもなく、幹夫自身も新しい住まいや仕事の当てがあるわけではない。戦後日本の混乱がこの静岡にも色濃く反映されていて、配給も不安定、働き口も少ないまま。家も畑も二人の手で再建など想像すら難しい。ただ、父と再会を果たしたことに幹夫は何とも複雑な安堵を覚えながら、これからの行く末を考える心の余裕もない。
4. 残る焦土の記憶
東京に比べれば空襲の被害が少ないと言われる静岡だが、幹夫が駅や町を歩き回るうち、あちこちで軍施設が撤去された跡や半焼けの建物を見かける。戦争による物資の欠乏はやはり顕著で、闇米や闇市がどこかで開かれていると噂を聞く。人々の顔つきには疲れと困窮が宿り、戦争が終わったとはいえすぐに平穏が戻るわけではないことを思い知らされる。
幹夫の記憶に染みつくのは、東京での徹夜の日々と、その後の大空襲で一夜にして焼き尽くされた印刷所――そして、かつて二つの風鈴があった下宿も含め、すべてが灰燼に帰してしまった事実だ。ここ静岡の空を見上げても、あの徹夜の轟音を思い出すたびに、“何だったのか”という虚しさがこみ上げる。そして、なけなしの再会を果たした父を見れば、家や畑を失った後の生き地獄を戦争に支配されてきた歳月が、どれほど心を削ったかが痛いほどわかる。
5. 戦いなき日常への第一歩
昭和二十年九月の終戦直後とは異なり、いまだ混乱の色は濃いが、世界は着実に“戦争なき時代”へと動き始めている。連合国軍(GHQ)は日本国内に進駐し、本格的な占領統治が始まり、旧来の警察・行政組織が再編されつつある。新聞やラジオにも占領軍の方針や新たな政策の発表が報じられ、幹夫がこれを耳にするたび、かつて自分が徹夜で刷っていた“戦争賛美のチラシ”とはまったく違う世界が訪れようとしていると感じる。
父が微弱な声で言う。「……おまえは、これから東京に戻って、店を再建するのか……」 幹夫は首を振る。「店は全部焼けて……もう、何もない。社長やみんなとも離ればなれだし、今は生きるのがやっとだよ……」 親戚らは露骨に迷惑そうな色を浮かべながら、「東京ではやることないなら、ここで手伝いでもすれば」と投げやりに言うが、畑さえない現状では手伝いようもない。幹夫は父を連れてどこか別の地へ行くべきかと思いつつ、どこへ行けばいいのか分からない。 それでも、戦争が終わった――その事実だけがかすかな安堵を生む。そしてまた「失った家や畑、轟音の機械、そして風鈴といった小さな音も、すべて取り戻せない」と痛感しては、未来への踏み出し方を迷うのだ。
結び: 遠く去った徹夜の轟音と、いま始まる戦後
かつて幹夫や戸田、堀内が日々徹夜で働いた印刷所。その轟音や徹夜の疲労に「これが永遠に続くのか」と嘆いた日々は、戦争の終わりと大空襲によって一瞬のうちに奪われ、今では逆に“働けた頃がまだ良かった”と錯覚するほど、戦後の混乱は過酷だった。家なき身となった彼らは瓦礫の街をさまようか、疎開先で日用仕事に明け暮れ、生き延びる努力を続ける。 そして静岡の父は、かろうじて命を繋ぎ、幹夫との再会を果たしたものの、二人のこれからについては不透明で、家や畑を復興するにも資金も体力もなく、米すら闇市で高値を出さねば手に入らないのが戦後のリアルだ。
八月のうちに終戦が宣言されたものの、本格的な新時代の到来にはまだ時間がかかる。九月になっても統治政策は混乱を極め、日本全土の焦土で同じような光景が広がっていた。そんななか、幹夫が父を慰めつつ「まずは生きねば……」と何度も繰り返し、いつか本当に落ち着いた暮らしを取り戻す日を思い描くしかなかった。 失われた風鈴や轟音の記憶は遠くなり、それに代わり、戦後という未踏の道が現実の重さを突きつけている。だが、その道を父とともに、一歩ずつ歩み出すしかない――昭和二十年の八月を経て、いまや幹夫は、焦土の街のなかでひとすじの光を必死で探していた。戦争は終わりを告げたが、戦後の苦悩はこれから本格的に始まるのである。
昭和二十年(1945年)十月――焦土からのわずかな新生
八月十五日の終戦を迎え、もうすぐ二か月が経とうとしている。東京の街は、相変わらず大空襲で焼け野原になった姿を晒しつつも、戦争の轟音からは解放されたはずなのだが、復興には程遠い荒涼とした光景のままだ。連合国軍(GHQ)の占領政策が進み始め、各種の指令が行政や警察を通じて下ろされているが、それが焦土と化した下町をすぐに立て直すわけではなく、人々はただ瓦礫の合間で闇市を開いたり、帰還兵とともに糧を求めてさまよったりしている状況に変わりない。
一方、幹夫は三月十日の大空襲で焼け落ちた印刷所を失い、夏頃から静岡の父と合流してなんとか新しい生活の道を探っていたが、9月まで東京と静岡を行き来する余裕すらなく、結局東京のほうに戻るか静岡に腰を据えるか迷い続けていた。父は焼け出された状態のまま親戚の家でようやく生き延びているものの、配給や人間関係が厳しく、体力の衰えも目立ってきた。幹夫としては「やはり父を東京へ呼ぶには、こちらである程度の住まいを用意しないと……」と考えつつ、焼け跡だらけの都心では何もかもままならない。
十月に入るころ、GHQの占領施策が徐々に形を取り始め、新聞・ラジオでも「民主化」や「教育改革」のような言葉が見え隠れする。街角には英語の看板を掲げる店舗や、進駐軍相手の闇取引を行う者が増えてきた。誰もが日々の糧と生活の立て直しに追われるなか、かつて幹夫とともに昼夜の徹夜で働いた社長や戸田、堀内ら仲間の消息は、はっきりしないままだ。彼らも被災地を転々とするうちに、どこかの疎開先や親戚宅に落ち着いているかもしれないが、連絡を取り合う術が希薄なのだ。
幹夫は東京で生活基盤を探そうと再びこの焼け跡の街に戻り、わずかな闇市の力仕事や運搬作業をこなして糧を得ながら、父を受け入れられる住処を見つけようと日夜動いている。だが、空き家やテント村はあっても、どこも人が溢れ返り、配給や食料などの争奪戦が絶えない。幹夫は朝から晩まで荷運びをし、夜には駅近くの公民館が仮に開放したスペースで横になる。時おり外へ出れば、占領軍のジープが通りかかったり、英語の看板を掲げる立ち売り商人がいたりして、戦前から一変した東京の景色に戸惑う。街は焼け落ちているが、そのなかに新しい秩序が生まれつつあるという、奇妙な空気が漂っている。
かつて警察が「問題なし」と巡回していた印刷所の跡地は、鉄骨と煉瓦の残骸を残すだけ。幹夫がぽつんとそこに立ってみても、もう“徹夜の轟音”もなければ、徹底的に守ろうとしていた軍の宣伝物もない。父が守りたかった静岡の家や畑が失われたのと同じように、ここもすべて灰になってしまった。「この灰の上で印刷を再開する日が本当に来るのか……」と、幹夫は焼け焦げた地面を踏みしめ、声も出ない。あの二つの風鈴でさえ三月の夜に呑まれ、いまはもう思い出でしかない。
GHQは日本を改革するだの民主化するといった方針を掲げているが、それが幹夫や父の暮らしを直ちに楽にするわけでもない。町の人々は闇市で食べる米やパンを手に入れ、露天で売られるバタ臭い品々に驚きながらも、買う金もないことが多い。幹夫は運がよければ配給所の列に並んでわずかな配給を受けられるが、空襲の傷跡は深く、戦後の混乱がいつ収まるのか見当もつかない。
こうして昭和二十年十月は、終戦から二か月経ち、占領が進み始めていても、東京は焦土からの復興への道が見えず、人々の生活がなかなか安定を取り戻さない月として過ぎていく。幹夫は父を呼び寄せる計画を胸に描くが、すぐに実行に移せるわけでもない。昼間は闇市で働き、夜には半壊の建物の片隅や青空天幕で身を横たえ、かろうじて明日へ辿り着く。 徹夜の轟音が絶えない日々も、空襲とともに消えたが、代わって何もない廃墟を踏みしめる現実が待っていた。警察や軍部が取り締まった“戦争のための印刷”はもう存在しないが、代わりに占領下での新しい統制が始まり、町はますます複雑な闇市や違法売買に揺れている。幹夫にとっては「いずれ父を支え、働き口を見つけるんだ」という一縷の希望だけが、かつての風鈴の音を思い出すように遠く響くが、その音はどこまでも儚く、焼き跡の町を漂う風にかき消されていくばかりだった。
昭和二十年(1945年)十一月――焦土に訪れる戦後の陰と光
八月の終戦から三か月が経過した。しかし、東京の下町に広がる焼け跡の光景は依然として暗い雲の下にあり、幹夫たち被災者の生活は一向に落ち着く兆しを見せなかった。かつて徹夜の轟音を鳴らし続けた印刷所は三月の大空襲で灰と化し、戦後に再建する目処もなく、幹夫や仲間たちは疎開先や闇市の労働などで命を繋ぐしかない。連合国軍(GHQ)の占領施策が本格化するなか、町には英語の看板が増え、ジープを駆る米兵の姿が見かけられるようになったが、それで市民の苦境が即座に救われるわけでもない。
1. 焼け跡の中で
十一月に入れば、朝晩の冷え込みが厳しくなり、焼け野原となった建物の合間で寝泊りする人々は薄い毛布と闇市での買い出しだけを頼りに過ごしている。幹夫も同様で、先月まで日雇いの運搬や細々した闇商いの手伝いをこなしていたが、配給だけでは到底暮らしに足りず、闇市で拾った仕事も安定しない。かつての仲間・社長や戸田、堀内とも再会の機会はほとんどなく、ときに噂を耳にする程度。みな生き残りを優先し、かつて共に働いた仲間の行方は定まらない。
街には進駐軍の軍服が増え、警察や官憲が以前とは違う態度で動き回る気配もある。戦時中は「問題なし」と巡回した警察が、いまは混乱の中でGHQの命令を受け、高利貸しや闇市の摘発に奔走している。どこも焼け落ちた跡地を転用して、露店やバラックが乱立しているため、住民や帰還兵、疎開先から戻った家族でごった返し、道端の喧騒が絶えず続いていた。
2. 父の健康と幹夫の苦悩
戦時中からずっと肩身の狭い思いをしていた静岡の父は、先月ようやく幹夫の手で東京へ呼び寄せようとしたが、結局まだ移動のめどがついていなかった。幹夫自身が食べるのもやっとの生活で、住まいと物資を確保できぬままでは父を引き取れないからだ。親戚からも「こんな身体の老体を東京へ運んだところで……」と拒まれ気味であり、父本人も「おまえを苦労させるだけだ」と及び腰だ。 幹夫がその話を聞くたび胸を締めつけられ、「なんとか新しい仕事を見つけてお金を得よう」と思うが、戦後の東京では印刷関係の仕事はまだ動き始めておらず、資本や設備を失った彼にはどうにも糸口が見つからない。そのうえ、GHQからは新聞社や出版社の許認可などに新しいルールが設けられ、以前のように宣伝印刷を大量に請け負う機会も簡単には回ってこない。
3. 闇市に交錯する生
時折、幹夫は闇市の片隅にひしめく露店を訪れ、日雇いや運搬の仕事を探す。するとバラック建ての簡易印刷所が商売を始めたという噂を耳にすることもある。だが、それらは限られた数台の印刷機をどうにか修理して動かしているだけで、まだ従業員を大量に雇う余力もなく、幹夫がかつてのように機械を回す場所があるわけでもなかった。「いつか印刷に戻れるだろうか」と思いながら、現状は日当を稼ぐために米兵相手の荷運びや露天の設置を手伝うしかない。
闇市には米兵相手にタバコやアルコールを売る者が集い、日本語と片言の英語が飛び交う奇妙な空間が生まれている。幹夫はそこで「オノレ、モット ハヤク!」などと英語交じりで急かされながら荷を運び、賃金や食糧を得るが、精神的な疲労は決して少なくない。かつて聞いた機械の轟音の代わりに、いまは英語と日本語の喧騒が渦を巻き、彼は夜遅くに焼け残った建物の隅で布団もなく横になり、疲れ果てて眠る。
4. 占領軍と警察の新顔
十一月になると、GHQの命令で各地に立て看板が設置され始め、「民主化」「公職追放」など、耳慣れない言葉が並ぶようになった。戦時中とは逆に、憲兵や警察が市民を取り締まる権限も制限され、幹夫がかつて「問題なし」と言われていた印刷所の跡地を見ても、そもそも警官の姿がほとんどなくなっている状況が分かる。 ただ、混乱自体は深く、米兵と市民との摩擦や、各所での暴力や盗難が起き、秩序が崩壊するかに見える場面も少なくない。幹夫は闇市で荷運びをしていて、ふと米兵のジープが耳障りなエンジン音で通るのを見届けたり、MPS(米軍憲兵)らしき白い腕章の姿を目にしたりして、「もう日本は何もかも変わってしまったんだな……」と思い、気が遠くなるような心持ちになる。
5. それでも生き抜く兆し
幹夫が住む仮住まいは、もとは焼け残った家の倉庫の一角で、天井に穴が開き風が吹き込むが、それでも路上で寝るよりマシだ。そこで同居する数人と一緒に炊き出しの情報を交換し、配給所へ行っては長蛇の列に加わり、時に米兵から流れた物資を高値で買うこともある。腹を満たすだけで精一杯だが、偶然出会った社長や戸田らも、似たようなバラックや疎開先から通い、ささいな仕事で糧を得ていることが分かる。それぞれに「いつか印刷機を回したい」と希望を語り合うが、現実はまだ遠い。 幹夫は父に宛てて手紙を出そうとするが、静岡の親戚が受け取りを拒むかもしれないとの不安や、そもそも郵便が確実に届くのか怪しいことなどから、ためらいもある。実際、父がどう暮らしているか不明で、本人は年を取った身では東京へ出るのは無理だろうと言っていた。戦争が終わったとはいえ、家も畑もなく、周囲の視線も冷たい状況に変わりはないに違いない。 幹夫が「せめて俺が落ち着いてから迎えに行くよ……」と心で何度も呟きながら、実際には自分もまだ落ち着く場所をつかめず、ふらつく日々を送っている。
6. 遠ざかった風鈴と徹夜の轟音
かつて徹夜の轟音に苦しみながらも、どこか生活のリズムを保っていた印刷所での日々が、いまはすべて灰になり、幹夫の耳にも二度とあの機械の音も聞こえてこない。思い返せば、昼夜の境目を失うほどの疲労を味わっていたが、それでも働くことで生計を立て、紙とインクにまみれながらも「父を想う時間があるだけまし」だったのかと、いま焼け落ちた町で現実と向き合うと、そんな皮肉な感慨すら湧いてくる。 “徹夜”が日常だった地獄から脱した代わりに、焼け野原での生存争いを余儀なくされる。二つの風鈴がかすかにチリンと鳴っていた下宿も火に呑まれ、いまは掘り返しても遺灰すら分からない。 「もし再び印刷を生業にできる日はくるんだろうか……」 幹夫は闇市の往来を眺めながら思うが、先はまるで白紙だ。日増しに進む米軍の支配下で、旧制警察が弱体化する一方、軍備は解体され、日本の社会構造自体が抜本的に変えられようとしているという風の噂を耳にする。その大きな波に飲まれながらも、灰と化した印刷所をもう一度再起させるなど夢物語に思えた。
結び: 冬へ向かう再生の難しさ
昭和二十年十一月の東京はまだ焦土の姿を取り戻せず、町中にバラックと闇市が乱立し、人々が飢えと混乱のなかで生き延びている。戦争は確かに終わったが、幹夫や社長、戸田、堀内は一夜にしてすべてを失い、父との暮らしも見通せないまま日々をやりすごすしかない。機械の轟音に代わってやってきたのは、占領軍の指令と闇の市場が成り立つ新たな秩序で、そこへどう適応すればいいのか、誰もが見定められずにいる。 夜、幹夫がバラックの一角で横になると、かつて徹夜の隙間で聴いた二つの風鈴の音を思い出す。もうそれは記憶の底に沈む小さな響きでしかなく、いまは周囲から聞こえるのは露店の売買や酔客の笑い声、そして時々遠くに飛ぶ米軍機のエンジン音だ。 そう、戦争は終わったが、戦後の苦悩はなお深く、焦土と化した街には寒さが忍び寄る。燃え尽きた印刷所の轟音と父の失われた畑の記憶だけが、幹夫を夜毎に悩ませるが、それでも一歩でも前へ進むしかない――それが今の混乱のなかで彼が選べる唯一の道だった。
昭和二十年(1945年)十二月――戦後の冬と、かすかな再生の兆し
終戦から四か月が経ち、年の瀬の寒さが一段と厳しくなってきた。しかし、東京の下町を覆う焼け焦げの残骸や、むき出しの鉄骨が広がる風景は、いまだ生々しいまま。戦争そのものは終わったといえど、廃墟のなかに暮らす人々にとっては、飢えと物資不足、そして混乱が続く暗い“戦後”が待ち受けるだけだった。
1. 焼跡の街で迎える冬
三月の空襲で印刷所が一夜にして焼失し、幹夫や社長、戸田、堀内らは散り散りになって避難や闇市労働に身を投じざるを得なかった。十二月になる頃、占領軍(GHQ)の指令が行き渡り始め、民主化・教育改革・農地改革といった大きな政策が噂されるものの、町の焦土は魔法のように復興するわけではない。 幹夫も残されたバラックのような建物で暮らしながら、闇市の運搬仕事などで日々をしのぐ。かつては徹夜の轟音に悩まされた印刷所の時間を懐かしむほど、今は日常がさらに厳しく、食糧配給も不安定で、凍えるような寒さを防げる家すら確保できない状況が続いていた。
2. 父との再訪問
幹夫は秋に一度静岡へ行き、父と再会することを試みたが、父は親戚の家で寝たきりの状態に近くなり、その疲弊に拍車がかかっているようだった。家や畑を失ったまま肩身の狭い思いをする父をどうにも救い出せず、幹夫は「東京へ呼ぶ」と言葉にすることすら憚られた。自分も生存ぎりぎりの生活では、父の暮らしを支える余裕もない。 「冬を越えられるか分からない」と言いながらも、父は細い手で幹夫を握り、「生き抜いてくれ」と小さく呟いた。結局、幹夫はそうした親戚の手前、長居ができず、再び東京へ戻るしかなかった。もう戦争は終わったはずなのに、家も仕事もないままという現実に、胸をかきむしられる思いが拭えない。
3. 僅かな光――再開の種
十二月に入り、幹夫はある日、焼跡の中で簡易な印刷所を試験的に立ち上げようという動きがあると噂で知る。どうやら闇市で商売を広げたい人々が簡単なビラや広告、あるいは占領軍向けに英語の張り紙を印刷したいという需要が生まれているらしい。戦前のような大規模な活字や機械は望めないが、小規模の輪転機を持ち出して修理し、バラックを改造して店にする試みが出始めているという。 「俺も……印刷の仕事をしていたんだ……」 幹夫は、その噂を聞いて少しだけ胸が熱くなる。すでに三月の空襲で、大型機材は失ったが、もしかすると小さな活路があるかもしれない。社長や戸田たちに連絡を取れれば、一緒に新しい形で印刷業を始められるのではないか、そんな希望がごくわずかに芽生える。無数の困難が待ち受けるだろうが、闇市でやっと手に入れた大豆を噛みしめながら、幹夫は「もう一度、機械を回す日が……」と夢想する。
4. 焦土に息づく占領軍の足音
しかし、街には占領軍のジープが走り、英語の看板やアメリカ兵の姿が増えている。ラジオからは英語混じりの音楽が流れ始め、“進駐軍向け”の商売が活況を呈する一方で、日本人向けの物資は依然不足し、闇市が乱立している。また、GHQの検閲を受ける新聞・雑誌が次々に刊行され始め、戦時中とは正反対の言論がポツポツ出てきた。幹夫は「これも印刷だ……」と思うが、自分が関わる余地はまだ遠い。むしろ以前「警察が問題なし」とチェックしていたような軍宣伝の印刷は跡形もなく消え、戦後に生まれる新たな印刷文化を誰が担うのか――いまは皆が暗中模索だ。
この十二月、玉音放送から四か月が経過し、街は徐々に変わろうとしているが、人々は飢えや焼け跡生活で疲弊は深刻で、死者も少なくない。「冬を越せるか分からない」と誰もが思いながら、かつての徹夜労働を懐かしむ暇さえない。社長や戸田との再会は未だ実現していないが、「小さな印刷所でも立ち上げたい」と社長がどこかで虎視眈々と準備しているという噂もある。幹夫の耳に届くそれが確かなら、春先には動きがあるかもしれない。
5. 父の行方への想い
父の存在が幹夫の胸を強く占めていた。親戚宅での寝たきり同然の暮らしがこの冬を越せるのか、幹夫は不安でならないが、こちらも住居と安定した収入がないままでは父を呼ぶこともできない。次に静岡へ行くにも旅費や時間、交通の混乱が障壁となっている。「父さん……どうか生き抜いてくれ……」と、焦土の町で祈るように息をこぼす夜が続く。かつて二つの風鈴が微かにチリンと鳴っていた頃は、戦時下の徹夜に苦しんだが、今はその音すらない。たとえ音があっても、すべて焼け落ちた今、耳を傾ける余裕など残されていない。
結び: 戦後の夜へ消えた轟音
昭和二十年十二月、東京は戦時統制から占領統治へと移る大変革の渦中にあったが、庶民の生活には深刻な物資不足と住居難がのしかかり、幹夫のように仕事と生存を模索する者が溢れていた。かつては徹夜で軍の宣伝物を刷り、警察が毎月「問題なし」と言い渡すほど傾注していた印刷所も今は灰。それを取り戻すためには、大きな資本とGHQの許可、あるいは復興政策の具体化が必要だろうが、道のりはあまりに遠い。
もし幹夫が社長や戸田、堀内らと再び会い、印刷機を修理・購入できれば、かつての腕を活かす形で「戦後の自由な出版や広告」を担うチャンスもありえるかもしれない。街には英語の看板、進駐軍向けのチラシ、民主化や公職追放の論調を載せたビラなど、新たな印刷物の需要が少しずつ生まれつつあるとの話も入る。一方、毎日の糧や父の行く末を考えれば、人生を再スタートするための基盤を築けるかどうかは極めて不透明だ。
夜、幹夫は焼け残ったバラックの中で布団も薄い毛布も足りず、震える身体を抱きしめながら眠る。二つの風鈴は三月十日の大空襲で永久に失われ、轟音の徹夜があった頃を思い返すと、その苦しさが逆に懐かしくさえなる。いまは戦争が終わったと言っても、父を救えるわけでもなく、自らの生活もままならない。 「いつか春が来れば、またみんなで印刷を……」そんな淡い願いを抱いて目を閉じても、寒さと飢えでなかなか眠りが訪れない。戦争のあとの廃墟で、夜の静寂は底知れぬ闇を孕み、かつて耳をこすった徹夜の轟音すら遠い記憶へ沈んでいく。かろうじて迎える翌朝が、新しい時代へ続く一歩なのかどうか――それはまだ煙のなかに隠されているのだった。
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