言葉にされなかった白さ
- 山崎行政書士事務所
- 1 日前
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第一部 白く沈む声
かつて、食卓には白いものがあった。それは水のようで、骨のようでもあり、母の声のようでもあった。私たちは、それを「ごはん」と呼んでいた。白く炊かれ、湯気をあげ、ほぐせば甘く、焦がせば苦く、すくえば重いもの。それは私の生活の中央に、何十年も沈殿していた。
四月のある朝、私は炊飯器を開けて、思った。ああ、これが、最後の米かもしれない、と。
ニュースでは“買い占め”“流通停滞”“不安定な市場”といった言葉が踊っていたが、そうした言葉の奔流の中に、“私の不安”はなかった。というのも、それはあまりにも些細だったから。米がなければ、私たちはパンを食べるだろう。パンがなければ、即席麺を。それすらなければ――私たちは、何を食べるだろう?
そのとき、私はふと思ったのだ。“ごはんがない食卓”を、私は「記憶したことがなかった」と。
けれど、今、そこにあるのは、“記録されない不安”である。声を上げるには弱すぎる不満。怒るには知りすぎた優しさ。抗議するには、内臓が空っぽすぎた。
第二部 名を持たぬ部屋たち
私は駅前の小さな集会所に通い始めた。そこでは、地元の主婦や年金生活者、大学生らが米の共有所を開こうとしていた。「個人配給所」と呼ぶ人もいたし、「非公式自治」と呼ぶ学生もいたが、私は密かに“あの世の準備”と呼んでいた。なぜなら、そこには、生活のために何かを差し出すという動きがあり、同時にそれを見守る死の気配があったからだ。
“あの世”とは、死後の世界ではない。政治からも、法律からも、そして隣人からも「既に切り離された」人々が住む世界である。
そこで私は、少年たちが米を配るのを見た。彼らは声をあげず、ただ無言で、袋を手渡す。誰にいくら渡すのか。誰に渡さないのか。その判断すらも“沈黙”が決める。
私は、それを「決断」として認めた。いや、認めなければならないと思ったのだ。なぜなら、私はまだ何一つ決断していないのだから。
第三部 声にしなかった火
近所で火事があった。倉庫が一つ、燃えた。テレビは「放火の可能性」と言ったが、誰も“それが意味するもの”について語ろうとしなかった。その数日後、一人の女が出頭したという。名前は伏せられていたが、私は彼女を知っている気がした。いや、彼女は“私の中に”存在していた。決して放火などできない私の内側に、放火を決断した“彼女”が棲んでいたのだ。
私は夢の中でその倉庫を見た。そこには米があり、炎があり、祈りがあった。しかし、目を覚ましたとき、私はそのどれも語る言葉を持たなかった。
そして気づいた。私は、言葉を失ったのではない。最初から言葉を持たずに生きてきたのだと。
第四部 炊けなかった水
ある日、炊飯器を開けたとき、水だけが残っていた。白米を入れたはずの釜は、何かの錯覚だったのだろうか?私は戸惑いながら、ただ湯気の中に、祖母の声を聴いた。
「ごはんはね、毎日食べるから、特別なんだよ」
私はその言葉を、頭の中で何度も繰り返した。それは、ひとつの“祈り”だったのだ。そうだ、私は――いま、失われていく“日常の特別さ”を、誰にも奪わせたくなかったのだ。
最終部 白さについて
裁判が開かれた。私は傍聴席の最後列に座った。彼女は罪を認め、執行猶予を得た。その場に拍手も怒号もなかった。ただ、退廷の際、彼女がふと後ろを振り返ったとき、目が合った。ように思った。
そして私は、その日、自分の部屋で、初めて声に出してこう言った。
「私は、あの白さを守りたかったのです」
それは、ごはんのことではなかった。家族のことでもない。国家のことでもない。
それは、人が、黙って“分け与えること”の中にあった、あの透き通った静けさ――その、白さだったのだ。
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