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静岡伊勢屋 - 「エレガンスプラザの恋 〜ふたりが紡ぐ小さな奇跡〜」

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月25日
  • 読了時間: 6分

 


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ポップアップイベントの最終日、夜遅くまで賑わった百貨店を後にした私たちは、近くの小さなワインバーへ足を運んだ。照明を落とした店内には、ほの暗いランプの光と静かな音楽が広がり、まるで疲れた身体を優しく包み込んでくれるようだった。 少しだけ重い扉を開けると、カウンター席の奥に案内される。彼は私のバッグを気遣うように受け取り、私が腰掛けるのを見届けてから隣に座った。 「本当に、お疲れさま。ちゃんと食事はとった? ここ数日、まともに寝てなかったんじゃないか?」 彼の声には、出会った頃から変わらない優しさが滲んでいる。私は半分笑いながら、小さく首を振った。 「ううん、ちゃんと食べてる……つもり。でも慣れない東京でのイベントは気が張ってたから、ちょっとだけ疲れたかも」 そう言いつつも、顔には自然と笑みが浮かぶ。無我夢中で走り抜けた数日間の達成感が、身体の奥で静かに広がっていた。

 「それで、乾杯は何にする?」 バーのスタッフがメニューを持ってきてくれると、彼は私の顔を覗き込んだ。 「せっかくだから、シャンパンでも。……あ、でも明日も早いし、あまり酔っ払わないようにしないと」 そう答えると、彼はくすっと笑みをこぼす。 「じゃあ、軽めのスパークリングワインにしようか。お祝いにはちょうどいいしね」

 グラスに注がれた泡が小さくはじけ、ふたりでそっと耳を近づけ合う。 「ポップアップ、大成功おめでとう」 彼が静かにそう言って、グラスを合わせる。カチンという音が、まるでささやかな祝福の鐘のように感じられた。

 乾いた喉を潤すようにワインを一口飲むと、微かな甘さが舌の上でほどける。私はそのままグラスを置き、ふと彼の横顔を見つめた。 「……ありがとう。わざわざシンガポールから、こんなに頻繁に来られるわけじゃないのに、最終日に間に合うようにしてくれて」 彼は少し照れたように笑い、肩をすくめる。 「仕事も兼ねてたんだよ。でも……それだけが理由じゃない。どうしても、君が頑張ってる姿を最後まで見届けたかったんだ」

 その言葉に胸がぎゅっとなる。会いたい気持ちは私も同じ。だけど遠距離という現実の前では、つい遠慮が先に立ってしまうこともある。 「ねえ、明日は少しだけ東京観光できる時間あるかな? ずっと準備ばかりで、観光らしい観光もしてないでしょ」 彼の誘いに驚き、目を丸くした。 「明日? うーん、荷物の搬出があるから午後までは無理だけど……夕方くらいには終わると思う。どうしよう?」

 彼はゆっくりと微笑み、声をひそめるように言った。 「じゃあ、俺が明日の夕方に迎えに行くよ。そしたら美味しいものでも食べて、少しだけ夜の街を歩こう。……もし良ければだけど」 「行きたい。……うん、ぜひそうしよう」 嬉しさが胸の奥に湧き上がって、私も思わず微笑み返す。

 その夜はワインを一杯ずつだけ飲んで、早めに店を出た。表に出ると、東京の夜風がほどよく涼しく、熱を持った頬を冷ましてくれる。 「タクシー、拾おうか?」 彼が通りを見渡そうとしたのを、私はそっと制する。 「ううん、少しだけ歩きたいな。人混みは多いけど、今の気分ならへっちゃら」

 肩を並べて歩く東京の街は、相変わらず眩い光が溢れている。早足のビジネスマンや楽しそうに笑い合う若者たち。まるで違う世界が重なり合うような、この大都会の雑踏に、不思議と安心感を覚えるのはなぜだろう。 「私、東京でまたポップアップを開く機会があっても、きっと静岡は離れないよ。エレガンスプラザが私を育ててくれたし……何より、あそこがあるから私は頑張れると思う」 私がそう言うと、彼はうなずきながら、小さく息を吐く。 「静岡には思い出が詰まってるもんな。エレガンスプラザもそうだし、俺たちが初めて夢を語った場所も。……あの頃は、こんな形で再会するなんて思ってもみなかったけど」

 夜のネオンが、彼の横顔をほんのり色づけている。あの学生時代、そして静岡の百貨店で再会した日、遠距離で離れていた半年前――すべての瞬間が今に繋がっている。

 「ありがとう」 私はふと足を止め、彼の腕を軽く掴む。 「ここまで来るのに、いろんな人に支えられて……あなたもそのひとり。いや、ひとりなんてレベルじゃない、すごく大きな支えだったよ。……だから、ありがとう」 その言葉を聞いて、彼は一瞬驚いたように目を見開き、それから柔らかく微笑んだ。 「そんなふうに言ってくれて、嬉しいよ。……俺も君に支えられてる。離れていても、君が頑張っている姿を思うだけで、こっちも踏ん張れるから」

 ふたりで視線を交わしあったその刹那、周囲の騒がしさはまるで遠ざかるように感じられた。大勢の人波の中で、私たちだけが小さな光の輪に包まれているみたいに――。

 ホテルまでの道のりは、もうほとんど会話が要らなかった。手をつなぐわけでもないけれど、並んで歩くだけで心が満ちるような静かな時間。別れ際、彼がふと小さな声で言う。 「明日、仕事が終わったら連絡するよ。無理しないでね。……おやすみ」 「うん。おやすみ」

 彼がタクシーに乗り込んで行くのを見送っていると、胸の奥にぽっと灯るような温かさが広がった。ロマンチックなんて特別な言葉を交わしたわけじゃない。だけど、そのささやかな優しさや想いが、私にはかけがえのない“奇跡”に思えるのだ。

 翌日の夕方、搬出作業をようやく終えた私は、少しだけ着替えをして、駅近くのロビーで彼を待っていた。ジャケットの襟を直していると、ほどなくして彼が姿を現す。 「お待たせ。大丈夫だった?」 少し息を切らしている彼に、「ううん、ちょうど終わったところ」と返すと、ふたりで顔を見合わせて笑う。

 「じゃあ、行こうか。どこかで食事して、そのあと……」 彼がそう言いかけたとき、私のスマートフォンが鳴った。画面には静岡伊勢屋の店長・山口さんからの着信。 「どうしよう、出てもいい?」 「もちろん。大事な電話かもしれないし」 彼のうなずきを受け、私は慌てて通話ボタンを押す。すると、山口さんのいつもの明るい声が聞こえてきた。 「お疲れさま! そっちのポップアップ大盛況だったみたいね。さっき東京のバイヤーさんから連絡もらって、あなたの新作の反応がよかったって聞いたわよ」

 一気に血が巡るのを感じる。新作が好評だったらしい――こんなに嬉しい知らせはない。 「本当ですか? ありがとうございます……!」 「うちの百貨店としても誇らしいわよ。また静岡に戻ってきたら、次の企画を打ち合わせましょう。すごい反響で、もう他の店舗からも問い合わせが来てるらしいから」

 思わず顔がほころび、彼の方を見やると、彼も「どうした?」と首をかしげながら微笑んでいる。電話を切るまで、私は山口さんの話に相槌を打ち続け、最後に「楽しみにしてます!」と声を弾ませて応じた。

 「よかったね。おめでとう」 電話を切った私に、彼は穏やかに言う。すぐに飛びつきたいほど嬉しいけれど、周囲の目もあるし、少し照れもある。だから代わりに、私は彼の手のひらに自分の手のひらを重ねた。 「ありがとう。私、本当に頑張ってよかった。あなたにも、山口さんにも、東京のバイヤーさんにも感謝でいっぱいだよ」

 二人を取り囲む東京の街は、夕暮れの光がやがて夜のネオンへと移り変わる儚い時間帯。ビルの合間から見える夕焼けが、まるで祝福するかのように空をオレンジ色に染めていた。

 「さあ、行こう。お腹すいたでしょ?」 彼は私の手をそっと引き、歩き出す。いつまでも飽きることなく続くこの街の喧騒が、今日はほんの少し優しい音楽に聞こえた。遠い国と日本を行き来する日々は続くけれど、私たちには変わらない気持ちがある――そう思うと、足取りまで軽くなる。

 恋と夢、それぞれの道を歩む二人が紡ぐ“小さな奇跡”。これから先に何が待っていても、きっと大丈夫だ。彼の横顔を見つめながら、私は静かに、でも力強くそう信じていた。

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