静岡伊勢屋 - 「エレガンスプラザの恋 〜ふたたび芽吹く、ふたりの光彩〜」
- 山崎行政書士事務所
- 1月25日
- 読了時間: 6分

彼の両親に会い、縁側で静かな春の風を感じてからしばらくが経った。静岡にも桜の開花が宣言され、街は優しいピンク色に彩られはじめる。ふんわりとした花びらが舞う景色は、まだ少し冷え込む朝の空気に溶け込んで、どこか儚くも美しい。 私が勤める静岡伊勢屋のエレガンスプラザでは、桜をイメージした淡いトーンのディスプレイが大人気。通りすがりに足を止める人々が「可愛い」「この色合わせ素敵」と話す声を耳にするたび、胸が弾む。私のデザインも好評で、春物ワンピースや軽やかなアウターをお客さまに提案する日々は、忙しさのなかにも喜びが満ちていた。
その日も閉店間際まで慌ただしく立ち回り、店の片づけを手伝っていると、スマートフォンがかすかに震えた。ディスプレイに映るのは、シンガポールにいる彼の名。ときめきに胸をあたためながら、急いでバックヤードへ移動して電話に出る。 「もしもし、どうしたの? こんな時間に」 電話越しに彼は、微かな興奮を含んだ声で言う。 「やあ、元気にしてる? 実は……嬉しいニュースがあるんだ。こっちのプロジェクトが、予想より早くまとまりそうなんだよ。もしかしたら、今月末には日本に戻れるかもしれない」
今月末――それは桜の季節真っ只中。一度は「まだ時間がかかる」と聞かされていたから、思わず声を上ずらせてしまう。 「本当? そんなに早く? ……うれしい、信じられないよ」 「俺も信じられないくらい。まだ完全に確定じゃないけど、かなり見込みは高い。帰ったら落ち着いて、新しいプロジェクトまで少し余裕がありそうだから……また静岡に行って、一緒に桜を見たいんだ」
耳元で揺れる彼の声に、指先が小さく震える。少し前に“満開の桜の下で会いたい”と言い合ったときは、どこか先の遠い夢のようだった。でも、今はもう夢じゃない。 「そっか……一緒に桜が見られるんだね。まさかこんなに早く叶うなんて」 言葉が詰まりそうになるのをこらえながら、私は絞り出すように答える。彼もまた静かに笑って、確かな期待をにじませていた。
それから数日後、エレガンスプラザのウィンドウに本格的な“桜色”の装飾が施されたころ、彼から再び連絡が入った。 「仕事、きっちり終わりそうだ。今週末には日本に戻れるよ。……今回は、できるだけ長く滞在するつもりだ」 思わずバックヤードで「やった!」と小さく叫んでしまい、近くにいたスタッフに笑われてしまう。けれど、それほどまでに嬉しいニュースだった。
約束の前日、私は地元の情報をリサーチし、桜の名所をいくつかピックアップしていた。忙しい合間を縫って、手帳にびっしりとプランをメモする。この歳になってデートプランをこんなに練るなんて、少し照れくさくもあるが、それもまた幸せの証だと感じる。
やがて訪れた週末。駅の改札を抜け、久しぶりに再会した彼は、少し日焼けした肌に明るいスーツを着こなしていた。 「おかえりなさい!」 思わず弾んだ声をあげる私に、彼は穏やかな笑みで「ただいま」と答える。握り合った手のひらから、互いの鼓動が伝わるような気がした。桜前線が日本を北上するのと同じように、私たちの心にもあたたかな季節が流れこんでくる。
「せっかくだから、早速だけど桜を見に行こうか?」 私が提案すると、彼はスーツケースをコインロッカーへ預けながら、嬉しそうにうなずく。 「うん。そのつもりで早めに到着したんだ。……君のおすすめの場所に連れて行ってよ」
そうして私たちは、静岡駅から少し離れた川沿いの遊歩道へ向かった。ここは地元では隠れたお花見スポットとして人気の場所で、川面に映える満開の桜が幻想的だと評判なのだ。
夕方のやや強い風に散りはじめた花びらが、川沿いの道に舞い落ちている。すでに五分咲きから七分咲きといったところだろうか。濃淡のあるピンク色があたり一面を包み込み、柔らかな香りを運んでくれる。 「すごい……噂には聞いてたけど、こんなに綺麗だとは」 彼は川辺のベンチに腰を下ろし、ほうっと感嘆の声を漏らす。私も隣に座り、満開に近い桜並木を見上げる。花びらがひらひらと舞う様子は、まるで祝福のシャワーのようで、見ているだけで胸が温かくなる。
「この景色を、あなたと一緒に見られるなんて……ずっと遠い夢みたいに思ってたから、本当に嬉しい」 思わず素直な言葉がこぼれ落ちると、彼は優しく私の肩を寄せ、そっと小さく息を吐いた。 「ありがとう。俺も同じ気持ちだ。離れてても、こうしてまた会えるって信じてた。……実際にこうして並んで座ってると、あの遠距離の日々が嘘みたいだね」
少しのあいだ、私たちは言葉もなく桜と川面のきらめきを見つめる。舞い落ちた花びらが風に吹かれ、私の足元でひらひらと踊っていた。
やがて、暮れかけた空がオレンジから藍色へと移り変わるころ、彼がふと私の手を引いて立ち上がる。 「ねえ、ちょっと歩こうか。せっかくの夜桜を、もう少し楽しみたいんだ」 「うん、そうしよう」
川沿いには静かな遊歩道が続き、ところどころに設置された灯篭が桜の枝を淡く照らしている。満開とはいかないまでも、幻想的な夜桜が私たちの足元を優しく導く。 言葉少なに歩むうち、彼はふと立ち止まり、桜の枝越しに夜空を見上げた。 「本当にきれいだね。遠距離なんて感じないくらい、いまは心が満たされてる」
その呟きに私の心臓が弾む。私も同じことを考えていたから。見上げると、夜空に浮かぶ花びらの陰影がとても美しい。 「私も……あなたがそばにいてくれるだけで、満たされてる。いつか離れている時間さえも、きっとあの日々があったからこそ今があるんだ、って思えるようになるのかもね」
言葉を交わしながら、ふたりで視線を重ねる。そこにはもう、不安や迷いの影は薄い。指先に触れるリングも、さくら色の光の中で控えめにきらめいている。
「……そうだね。離れていた時間があったからこそ、いまの幸せをより大きく感じられる。これから先も、簡単ではないかもしれないけれど、一歩ずつ一緒に進んでいこう。……ね?」
彼はそう言って、私の手をふんわりと握りしめる。まるで決意の印のように、指先が私の指輪の存在を確かめる。 「うん。私も、同じ気持ちだよ。一緒に、一歩ずつ進んでいこう」
舞い散る桜が夜の闇を舞台にして踊っている。その光景が、まるで私たちを祝福してくれているように思えてならない。遠距離の寂しさを乗り越え、ふたたびこうして愛が深まっていく奇跡を、ありのまま噛みしめたい。
――川面に浮かぶ満開直前の桜は、まさに私たちの心情そのものだ。まだすべての花が開ききってはいないけれど、明日への期待をたくさん抱え、柔らかく、でも確かに咲き誇ろうとしている。
夜の微かな風が髪を撫でるたび、彼と並んで歩く喜びが胸を満たし、指先のぬくもりが未来を照らす。小さな奇跡を重ね、ふたりの愛がさらに深まったことを実感しながら、私はそっと彼の肩に寄り添った。 夜空に浮かぶ桜の淡い光彩の中で、この先もずっと、ふたりの物語はつづいていく――そう確信できるほど、優しい時間がゆっくりと流れていた。




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