静岡伊勢屋 - 「エレガンスプラザの恋 〜はじまりの春、ふたりの風音(かざおと)〜」
- 山崎行政書士事務所
- 1月25日
- 読了時間: 6分

雪の名残がうっすらと残る静岡の街にも、やがて春めいた空気が漂いはじめた。冷えた朝の光が柔らかくなり、通りを吹き抜ける風もどこか優しい。 あれから年が明け、私と彼は遠距離の合間を縫って連絡を取り合いながら、少しずつ“ふたりの未来”を形にしているところだ。自分の左手の指輪に触れれば、胸の奥に小さな灯火がともり、いつでも頑張ろうと思える。
冬から春へ移り変わるこの時期、エレガンスプラザは新生活を迎えるお客さまを華やかに迎えるため、新作のコレクションを一気に打ち出している。 「これなんてどうかしら。春の柔らかな風になじむ感じがするわ」 店長の山口さんが私のデザインしたアウターを手に取り、微笑む。私はぎこちなく笑い返しながらも、内心ではドキドキしていた。東京のポップアップ以来、ありがたいことに私のブランドを支持してくれるお客さまが着実に増えている。ミスは許されないが、この緊張感こそが私の原動力でもある。
お昼休み、バックヤードでスタッフと食事をとっていると、スマートフォンが小さく震えた。ディスプレイには見慣れた彼の名前。 “元気にしてる? こっちは仕事がひと段落して、次のスケジュールが決まりそう。近いうちにまた日本へ行けるかもしれない。もし時間が合えば、そろそろご両親にご挨拶したいと思ってるんだけど……どうだろう?”
画面を読みながら、心臓がぎゅっと縮むように高鳴る。正直、まだ少し早いかも……と思っていたはずなのに、あの夜ふたりで交わした約束が脳裏によみがえる。彼にとっても私にとっても、家族への挨拶は大きな一歩。だけど、その一歩を踏み出す心の準備は、もうできている気がした。 “もちろん大丈夫。うちの両親、会えるのを楽しみにしてると思うから。帰国の日がわかったら教えて” そう返事を打ち込んで送信する。指先が緊張で少しだけ震えているのを感じた。
数日後、彼から「来週の土曜日に静岡へ行けそうだ」と連絡が入った。私の両親に挨拶をして、その翌日はふたりで少しだけ観光もできそうだという。カレンダーを確認しつつ、息をのむ。春の最初の週末は、私たちにとって新しい扉を開くタイミングになりそうだった。
迎えた土曜日。薄曇りの朝、私は少し早起きして両親の住む実家へ向かう。小さな商店を営んでいる父と母は、いつもはラフな服装なのに、今日は珍しくきちんとした装いでそわそわしていた。 「お、おはよう。……あんたも大変だろうが、落ち着いてな」 照れくさそうに言葉をかける父に、私は思わず笑ってしまう。 「こっちこそ落ち着いてよ。緊張しなくて大丈夫だから」 そう返しながらも、私の方がよほど落ち着かない。
やがてインターホンが鳴り、私が慌てて玄関を開けると、コートを手にした彼が立っていた。ネクタイは控えめな柄で、シックなスーツがきまりすぎるほど似合っている。いつもどおりの穏やかな笑みを向けられたとたん、私の緊張の糸が少しだけほどけた。 「……お邪魔します。今日はどうぞよろしくお願いします」 そう言って深々と一礼する彼の姿に、父と母は少し驚いたような、それでいて嬉しそうな表情で言葉を交わす。最初はぎこちなかったけれど、お茶を出すころにはだいぶ和やかな空気に包まれていた。
「聞けば、あんたも仕事で海外を行ったり来たりしてるんだろう? たいへんだなあ。でも……うちの娘のこと、どうかよろしく頼みますよ」 硬い表情でそう言いながら、父は最後に小さくうなずく。母も「そうよね。あの子は洋服のことばかりで落ち着きがなくて」と、呆れ半分に笑うけれど、その声には優しさがにじんでいた。 彼は真摯に視線を合わせて、 「はい。僕もまだまだ至らないところだらけですが、ふたりで支え合いながら歩んでいきたいと思っています」 と、はっきり答える。私は胸が熱くなるのを感じながら、その横顔を見つめた。
家族とのひとときが終わり、午後になって実家を出た私たちは、少し足を伸ばして近くの公園へ向かった。大きな池の周りに遊歩道があり、春の始まりを感じる桜のつぼみがかすかに色づいている。 「緊張したね……でも、思ったより温かく迎えてくれてよかった」 並んで歩きながら私がそうつぶやくと、彼は表情をゆるめる。 「本当に。お父さん、話す前は厳しい人だと思い込んでたけど、きちんと気持ちを伝えられてよかった。……君が育ってきた場所なんだって思うと、余計に大事にしたい気持ちが強まるよ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥にじわりと幸せが広がる。家族だけじゃない。エレガンスプラザや静岡の街、夢を育ててくれた仲間――大切な場所や人たちを、彼はこれからも一緒に守ってくれるのだろう。
淡い日差しの下、池のほとりに掛かる小さな橋を渡ると、春の風がそっと髪を揺らす。まだ花咲くには早いけれど、芽吹きの予感が満ちているような空気に包まれている。 「東京のポップアップが落ち着いたら、次はどんなプランを考えてるの?」 彼がふと尋ねる。私は視線を遠くに向けながら、少しだけ笑みをこぼした。 「もっと幅広いラインを展開してみたいんだ。今はドレスやワンピースが多いけど、ジャケットやバッグも、私のテイストで作ってみたい。エレガンスプラザでの販売も、イベント出店も、いろいろ試していきたいなって」
すると彼は楽しそうに目を細める。 「きっと君ならできる。離れていても、応援し続けるよ。……俺も早く日本に落ち着いて、もっと近くでサポートしたいけど」 「それは、ゆっくりでいいよ。焦らず、お互いにやるべきことをちゃんとやって……その先で、一緒になれる日を迎えたい」
それは、指輪を交わした夜に誓い合った言葉の続きでもある。ふたりの夢も、恋も、まだまだ成長し続ける途中だ。
やがて夕暮れが近づき、空が茜色に染まりはじめる。駅へ戻る道すがら、彼は手のひらをさりげなく私の手に重ねた。 「今日はありがとう。お父さん、お母さんが俺の話をたくさん聞いてくれたから、本当に嬉しかった。君のこと、すごく大事に思ってるんだなって伝わってきた」 「私も、あなたが丁寧に話してくれたから安心したよ。きっとふたりとも『いい人だ』って思ってると思う」
残り少ない滞在時間を惜しむように、私たちは言葉を交わす。まだまだ課題もあるし、遠距離の日々は簡単には終わらない。でも、今日一日がくれた確かな手ごたえが、ふたりの心を強くつなぎ合わせる。
春の息吹はもうすぐそこまで来ている。冬のあいだに熟成された想いが、桜の蕾のようにゆっくりと花開いていくのだろう。 「次に会えるのは、いつ頃になりそう?」 私が小さな声で尋ねると、彼は少し考えてから微笑んだ。 「まだはっきりした日程はわからないけど、できるだけ早く帰ってくる。……その時は、エレガンスプラザの新作を見に行けるかな?」
私たちは見つめ合って、ささやかに笑い合う。いつか本当に一緒に暮らし、これまで以上に近くでお互いを支え合える日はきっと来る。今はそれを信じて、ふたりの物語を紡ぎ続けたい。
燃えるような夕焼けが、静岡の街のビルの向こうへと沈んでいく。はじまりの春は、もうすぐそこ。新しい季節の風を感じながら、私は彼のコートの袖を掴み、一歩一歩かみしめるように歩き出した。 ふたりが見つめ合う夕闇の向こうには、きっと、まぶしい未来がひそんでいる――それを疑わずにいられるほど、私はいま、幸せな予感に包まれている。




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