静岡伊勢屋 - 「エレガンスプラザの恋 〜桜の息吹、ふたりの誓い〜」
- 山崎行政書士事務所
- 1月25日
- 読了時間: 7分

まだ肌寒さの残る早春、静岡の街には徐々に桜の開花予報が流れはじめた。エレガンスプラザのショーウィンドウには、淡いパステルカラーを取り入れた春物のディスプレイが並び、お客さまたちの期待に応えるように、新作コレクションが次々と姿を見せている。 私の仕事もますます忙しさを増す一方で、遠くシンガポールにいる彼とのやり取りが、今は何よりの癒しだった。ビデオ通話やメッセージでお互いの近況を報告し合いながら、私たちは離れていても少しずつ“ふたりの未来”を紡ぎ続けている。
そんなある夕方、仕事を終えて店を出た私のスマートフォンに、彼からの着信が入った。 「やあ、元気にしてる? そっちも忙しいって聞いたけど、体調崩してないか」 相変わらず穏やかな声に、思わず頬が緩む。通勤ラッシュの雑踏を避けてビルの隅に移動しながら、私は小さく笑って受話器に応えた。 「うん、なんとかやってるよ。春物の新作が好評で、ちょっとバタバタしてるけどね。そっちはどう? 出張続きって言ってたけど……」 すると彼はほんの少し意を決したように間を置き、低く落ち着いた声で言った。 「実は、来週末に日本へ行くことになったんだ。ちょっと大事な会議があって……うまくいけば、静岡にも立ち寄れそうなんだけど」
胸が弾む。最近は彼の帰国がいつになるか分からず、ずっと先延ばしになっていたからだ。早口にならないよう気をつけながら尋ねる。 「本当? 静岡に来られるなら、ぜひ会いたいな。どのくらい時間が取れそう?」 「一泊二日が精一杯だけど……それでも、顔を合わせて話せるだけで嬉しいよ。あと……もし余裕があれば、俺の両親にも時間を作ってもらって、君に会わせたいと思ってる」
今度は彼の両親に挨拶。私もすでに彼の実家へ行く覚悟はしていたものの、いざその話が具体的に出ると、胸が高鳴ると同時に少し緊張が走る。 けれど指先に触れたリングの感触が、そんな私の不安をやわらげてくれる。息を整え、私ははっきりとうなずいた。 「わかった。もちろん大丈夫。私もちゃんとご挨拶したいと思ってるし……準備しておくね」
そして迎えた週末。薄曇りの空を見上げながら駅に急ぎ足で向かうと、すでに改札の向こうに彼の姿が見えた。久しぶりに会う彼は、落ち着いたネイビーのスーツに身を包み、どこか安心感のある柔らかな笑みを浮かべている。 「おかえりなさい。忙しい中、よく来てくれたね」 声をかけると、彼は頷きながら静かにスーツケースを引く。 「ただいま。実は静岡に寄れるのは明日だけなんだけど、どうしても桜の頃に君と一緒に過ごしたかったんだ。……あとは、両親の話もちゃんと進めたいしね」
彼の言葉に、私の胸がきゅっと熱くなる。限られた時間しかいられないとしても、ふたりにとって大事な瞬間を大切にしてくれる――そんな彼のまっすぐな想いが伝わってくるから。
ひとまず今日のうちにホテルへチェックインを済ませ、夜はささやかに食事をすることになった。 少し移動して、川沿いにある小さなレストランの窓際席へ。まだ桜には早いが、川面を彩る街灯が春の夜気をほんのりと照らしている。 「ここ、初めて来るけど、すごく落ち着くね」 彼が静かに席に腰を下ろし、まわりの雰囲気を見渡す。控えめなジャズが流れ、グラスの触れ合う音が微かに聞こえる。
暖色のキャンドルがテーブルに揺れ、ふたりで向き合うと、自然と笑みがこぼれてしまう。遠距離でも心が繋がっていた分、直接触れ合える時間が特別に愛おしかった。 「明日、ご両親に会いに行くんだよね。正直、私も緊張してる。でも、ちゃんと挨拶しなきゃね……あなたを産んでくれたご両親に」
最後の言葉を口にした瞬間、胸に熱が広がる。彼は少し意外そうに目を細め、ふっと笑った。 「そう言われると、なんだか嬉しいな。きっと驚くと思うけど、俺は君のことを誇りに思ってるから、堂々と紹介したいんだ。……夢をまっすぐに追いかける強さと優しさをもった女性だって」
キャンドルの灯りに照らされる彼の瞳は、まるでその言葉を裏付けるかのように、まっすぐ私を見つめている。照れくささに耐えきれず、私はグラスを持ち上げ、からん、と小さく乾杯の音を鳴らした。 「それじゃあ……明日、頑張ろう。ふたりで」
翌日、天気予報は曇りだったが、朝方には雲が切れ始め、優しい春の日差しが街を照らし出した。彼の両親の住む町へ向かうため、新幹線に乗ってしばらく揺られる。車窓からの景色は次第に山あいへと移り変わり、白い小さな花がちらほらと咲き始めているのが見える。 「やっぱりちょっと、緊張するよ……」 座席に腰かける私に、彼はそっと手を重ねる。 「大丈夫。きっと歓迎してくれる。俺の両親は堅苦しくないし、君と同じで人を応援するのが好きなタイプなんだ」
その言葉に、少しほっと胸を撫でおろす。自分の親に彼を会わせたときもそうだった――どちらも仕事に邁進する私たちを支えてくれる、大切な存在であることに変わりはない。
降り立った駅は、静岡よりも少し冷たい風が吹いていた。でも、彼の両親が車で出迎えてくれると聞いていたので、寒さの中でも不思議と心強い。改札を抜けると、遠目に温かい笑みを浮かべるご夫婦の姿が見えた。 「ようこそ、ようこそ。遠いところからありがとうね」 彼の母親らしき女性は、まるで我が子のように私の手をとり、「息子がいつもお世話になっているんです」と頭を下げる。そんなに畏まらなくても……と思いつつ、私も思わずつられて笑顔になる。
車でご自宅へ向かい、リビングへ通されると、そこには手作り感あふれるランチが用意されていた。ちょうど小さな庭が見える窓からは、まだ蕾のままの桜の木が頑張るように伸びている。 「これ、あなたの好きな味付けじゃないかしらと、勝手に想像で作ってみたんですよ」 彼の母が恥ずかしそうに笑う。その表情を見た瞬間、私の中にあった緊張が一気にほどけ、胸がじんわりと暖かくなった。親子ってどこか似ている――彼の優しさは、きっとここから育まれたのだと思える。
彼の父は父で、「息子がシンガポールで頑張っているのはわかるんだけど、いずれは日本で落ち着いた方がいいんじゃないか……」と、少し素直すぎる不安を口にする。しかし、彼はしっかりとその言葉を受け止め、私との将来をどう考えているのかを丁寧に説明してくれた。 「まだ具体的にいつ、とまでは言えないけれど、いずれ日本で落ち着く日を目標にしています。僕にとっても、彼女にとっても、夢と暮らしを両立できる場所を探したいんです」
その真摯な語り口に、彼の母はそっと目頭を押さえて微笑んだ。何も言わなくても、伝わる想いがある――その光景を見ていたら、私まで胸がいっぱいになり、危うく涙がこぼれそうになるのをこらえるのに必死だった。
ひとしきり談笑の時間が過ぎ、しばらくして彼の両親が買い物へ出かけた。気を遣ってくれたのだろう、ふたりきりの時間をそっと残してくれたようだ。 小さな庭に面した縁側へ出ると、まだ固いつぼみの桜の枝がすぐ近くにあった。春風に揺れるその枝先は、まるでこれから開く未来を祝福しているかのように見える。 「どうだった? 俺の両親」 彼が隣に腰を下ろして、私の顔を覗き込む。緊張が残っているのか、私はほんの少し震える声で答えた。 「優しかった。……すごく安心したよ。あなたが愛されて育ったんだなって、すごく伝わってきた」
彼は私の返事に小さく息をつき、そして、ゆっくりと手を伸ばして私の左手を包む。その薬指には、あの日の夜に交わした約束のリングがきらめいている。 「これで、ふたりの両親への挨拶は一通り済んだわけだね。まだ具体的な日程は決まってないけれど……いつか“家族”として一緒に暮らす日が来るのが、楽しみだな」
その言葉を噛みしめるように、私は首を縦に振る。遠距離の壁は相変わらず厚く、これからも簡単には越えられないだろう。けれど、ふたりの想いは確かに同じ方向を向いている。 「本当に、幸せだね。桜が咲く頃には、もっといろんなことが進んでいるといいな。……その頃には、あなたもまた日本に戻ってこられそう?」 「うん。今のプロジェクトが落ち着けば、次は長期休暇をとるつもりだから」
柔らかな風が庭先をそっと撫で、つぼみの先を微かに震わせる。私たちの心の奥にも、今まさに花開こうとする何かがあるのだと感じる。 「ふたりで並んで桜を見上げる日が楽しみだね」 思わずこぼれたその言葉に、彼はすぐに頷き、静かに微笑んだ。 「俺もそう思うよ。満開の桜の下で、ゆっくりと新しい季節を迎えよう。……今度はもう少し長い時間、君と一緒にいられるようにするから」
ゆらめく枝と風音(かざおと)のハーモニーが、縁側に穏やかな時間を運んでくれる。指先に触れるリングの温度は、冬を越えてさらに強く、暖かく感じられた。
ふたりの愛は、またひとつ深まった。遠距離という距離があるからこそ、こうして確かめ合えた気持ちがある。エレガンスプラザで生まれた小さな奇跡は、この春、新たな花を咲かせるために、一歩ずつ蕾をほころばせている――。
いつか満開の桜の下で、ふたりがそっと手を重ね合うとき。きっと私たちは、それぞれの夢と愛がもっと大きくなっているに違いない。そんな予感を抱きながら、私は優しい風に舞う彼の気配を感じた。




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