静岡伊勢屋 - 「エレガンスプラザの恋 〜灯る未来のシルエット〜」
- 山崎行政書士事務所
- 1月22日
- 読了時間: 7分

静岡の朝は少しずつ秋の気配を帯びはじめ、駅前の街路樹の葉先がほんのり赤く色づいていた。私は相変わらずエレガンスプラザで働きながら、東京の百貨店バイヤーから声をかけてもらったポップアップ出店の準備に追われている。 「おはよう。今日は早番だったっけ?」 店長の山口さんが出勤してきた私に声をかける。肩には生地のサンプルが入った大きなバッグ。前夜までかかってデザインした新作のスケッチブックも抱え、いつも以上に身動きがぎこちない。 「はい、おはようございます。ポップアップ用のサンプルが仕上がったので、あとで山口さんにも見てもらえますか?」 「もちろん。忙しいとは思うけれど、準備は着々と進んでるわね。無理しないでね」
山口さんは軽くウインクして、笑顔でバックヤードへ消えていった。静岡の店を続けながら東京へも飛び出す――その二足のわらじを履こうと決めてから、確かに大変になった。でも、不思議と疲れ以上の充実感を感じている。
昼下がり、ポップアップコーナーに立つ私のもとへ、一人の常連客がやってきた。ベージュのジャケットに身を包んだ上品な女性で、先日、私の新作ワンピースを購入してくださった方だ。 「こんにちは。前に買ったワンピース、本当に着心地がよくて周りからの評判もいいの。今日は、もし他のアイテムもあれば見せていただけないかしら」 そんな嬉しい言葉に胸が弾む。私は新しく仕上がったばかりのツイードのジャケットを勧めながら、春先から夏にかけて話題になった自分のデザインへのフィードバックを伝える。 「東京でのポップアップにも出す予定なんです。まだ先にはなるんですけど、もしご都合が合えば、ぜひ遊びにいらしてくださいね」 「まあ、東京にも進出されるの? それは楽しみね。応援してるわ」
そんな励ましの言葉をもらうたび、私の背筋は自然と伸びる。静岡で育った私のブランドが、外へと飛び立とうとしている――想像するだけでわくわくした気持ちが湧き上がる。
閉店後、店内の清掃やバックヤードの整理を終えたころには、いつの間にか夜のとばりが降りていた。スマートフォンを見ると、ちょうど時差の関係でシンガポールにいる彼が昼休憩の時間らしい。メッセージアプリを開くと、通話リクエストのマークが点滅していた。 「お疲れさま。そっちはもう夜かな?」 ビデオ通話越しに映った彼の顔は、少し日焼けしていて以前より精悍に見える。まだ日本にいた頃のスーツ姿とはまた違った頼もしさがにじんでいた。 「そっちはお昼休み? お疲れさま。いま店が終わったところだよ。ポップアップの準備でバタバタだけど、なんとか順調かな」 そう伝えると、彼はまるで自分のことのように笑顔を浮かべる。
「よかった。仕事は忙しくても、充実してるなら何より。俺の方も今はプロジェクトが山場でね。けど、来月あたり、一度日本に戻れそうなんだ」 「え、本当? それは嬉しい!」 思わず声が弾んでしまう。半年のあいだ、ビデオ通話越しの再会ばかりだったからだ。直接顔を合わせられるとなると、胸の奥がわくわくしてくる。
「まだ確定じゃないけど、上手くいけば数日間は滞在できると思う。その時は、ぜひ君のポップアップ準備も手伝いたい。……と言っても、服のことはよくわからないけどね」 彼は冗談めかして笑う。私もつられて笑いながら、スマホの画面越しに少し頬が熱くなるのを感じた。まるで遠距離なんて感じさせないほど、暖かな空気が流れている。
翌週、東京のバイヤーとの打ち合わせで初めて「都内ショッピングエリアの中心部にある百貨店の特設スペース」が正式に決まったという朗報を受けた。期間は一週間ほどだが、広めのスペースを任せてもらえるそうで、内装やディスプレイの構想を早急に固めなくてはならない。 「まさかこんなに早く話が進むなんて……」 浮き立つ気持ちと同時に、不安も急激に増してくる。大都会・東京で、地元で生まれ育った小さなブランドが受け入れられるのだろうか。
だが、不思議と逃げ出したいとは思わなかった。エレガンスプラザで多くの人に支えられ、お客さまの反応を間近で感じながらデザインを磨いてきた。それを信じて踏み出そうという思いの方が強い。
その日の夜、興奮と緊張が入り混じった気持ちのまま家に帰りつき、思わず彼にメッセージを送る。タイミングよく返信が来たのは、向こうの夕方頃だったようだ。 「やったね! ついに東京進出だ。絶対盛り上がると思うな。ポップアップの成功を祈ってる」 彼の温かい祝福に胸が温かくなり、私はささやかな安心を得る。
そして、東京のポップアップまで残り二週間を切ったある日のこと。エレガンスプラザでディスプレイ用の最後の調整をしていると、見覚えのある背の高い人影がちらりと視界に入った。 「……あれ?」 振り返ると、スーツケースを携えた彼がそこに立っていた。ビデオ通話越しでも見慣れた顔だけれど、やはり実物は違う。心臓が跳ねるように高鳴る。 「ただいま。出張日程、思いのほか早まったんだ。驚かせたくて黙ってた」 照れくさそうに微笑む彼を見て、私は言葉が出てこない。半年ぶりの直接対面なのに、懐かしさと嬉しさと少しの照れが入り混じって、うまく言葉にできない。
「おかえり、って……本当に帰ってきてくれたんだ」 ようやく口を開いた私を見て、彼はスーツケースを引きずりながらそっと近づく。 「少しの間だけどね。こっちのプロジェクトチームとのミーティングが終われば、今度は君のポップアップを手伝うよ。ディスプレイの運搬とか、力仕事はまかせて」
再会の余韻に浸る暇もなく、私の頭の中ではすでに「いや、そんな重労働させるのも悪いし……でも助かるかも」などとシミュレーションが走り始めていた。 けれど、今は何よりこの瞬間が愛おしかった。距離を超えてつないできた関係が、こうしてまた同じ場所で交差したのだ。
数日後、私たちは東京のポップアップに向けた最終準備に追われていた。商品を効率よく運ぶためのスケジュールや、スタッフの配置、ディスプレイのレイアウトなど考えるべきことは山ほどある。 そんな忙しさの合間にも、彼は夜遅くまで残って私を手伝ってくれた。箱詰めされているサンプルを確認しながら、ふと彼が口を開く。 「東京でのポップアップが終わったら、一度シンガポールに戻らなきゃいけない。次にいつ日本に来られるかわからないけど……それでも、君のブランドが大きくなるところをずっと見守っていたいと思う」 その言葉に、思わず作業の手が止まる。彼の瞳にははっきりとした決意が宿っていた。 「私も同じ。離れても大切な人には変わりないよ。夢も、あなたも、両方大事にしたいの」 そう伝えると、彼は少し照れたように微笑んだ。
――夢と恋、その両方を諦めない。以前の私たちだったら“不確かな未来”を恐れて足踏みしていたかもしれない。でも今は違う。かつてエレガンスプラザで再会した日のように、小さな一歩を積み重ねるたびに確かな想いが育っているのを感じる。
いよいよ迎えた東京のポップアップ初日。静岡から持ち込んだドレスやコレクションをディスプレイし、店内に整然と並べ終えた時、私は少しだけ胸がいっぱいになった。この場所が私のブランドの新たなステージになるかもしれない。 まだ客足はまばらだが、足を止めてくれる方には丁寧に声をかけ、デザインのこだわりや背景を伝えていく。すると、「静岡発のブランドなんですね」「色使いが品があって素敵」といった声が返ってくる。それだけで、心が躍った。 「あとは、焦らずに一人ひとり丁寧に対応するだけだな……」 自分にそう言い聞かせて頷く。彼は出張の用事もあるため、今日は会場にはいない。でも、遠く離れた場所から応援してくれていると考えると、まるで隣にいてくれるような心強さがあった。
“灯る未来のシルエット”――静岡伊勢屋のエレガンスプラザで育まれ、遠い空の下からのエールに支えられながら、私は確かに次のステージへと足を踏み出している。 恋と夢、ふたつの想いを重ねあわせ、まだ見ぬ明日へ。どんなに距離が離れていようと、私たちは決して途切れることなく想いを届け合える。そう信じて、ディスプレイの隅に置かれたブルーグレイのドレスをそっと撫でてから、私はまた新しいお客さまに向かって微笑んだ。
すべては、これから先につながる一歩のために――。私は高鳴る鼓動を確かめるように、広い東京の百貨店フロアを見渡した。
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