静岡伊勢屋 - 「エレガンスプラザの恋 〜遠くの街に咲くエール〜」
- 山崎行政書士事務所
- 1月22日
- 読了時間: 6分

彼がシンガポールへ赴任してから、半年が過ぎた。私は相変わらず静岡伊勢屋のエレガンスプラザで働きながら、限定ポップアップショップの運営に力を注いでいる。最初は不安だらけだったが、試行錯誤を重ねるうちにリピーターのお客さまも増え始め、店長の山口さんからは「やるじゃない」と背中を押してもらうことが増えた。
一方の彼とは、時差のある海外と日本をつなぎながら、ビデオ通話やメッセージで近況を報告し合っている。忙しい日々は続くけれど、そのやり取りがあるだけで不思議と心が温かくなるのだ。
ある日、ポップアップコーナーで接客をしていると、一人の女性客が興味深そうに私のデザインを手に取った。落ち着いたパウダーピンクのワンピース。ウエストにあしらった繊細なビーズ刺繍がさりげないアクセントになっている。
「こちら、素敵ですね。実は私、東京の百貨店でバイヤーをしている者なんです。来季のイベントに若手デザイナー枠を作る予定があって、ぜひ検討させていただきたいのですが……」
突然の申し出に、思わず息をのむ。東京での出店。これまで静岡で頑張ってきた私には、確かに大きなチャンスだ。しかも、バイヤーの彼女が提示してくれたプランは、私ひとりの作品を扱ってもらえる可能性もあるという。まだ正式に決まったわけではないが、話が進めば、静岡伊勢屋との掛け持ちになるかもしれない。
戸惑いを隠せない私に、彼女は名刺を差し出しながら優しく微笑む。
「焦らなくて大丈夫ですよ。もし興味がおありでしたら、いずれメールかお電話で改めてご相談しましょう。期待していますね」
その言葉を残して女性は去っていった。しばらく呆然としながらも、やがて胸の奥にじわじわと熱が広がる。東京での挑戦は、いつかは踏み出したい一歩だったからだ。
ポップアップコーナーの閉店後、店長の山口さんに状況を報告すると、彼女は驚くどころか満面の笑みを見せた。
「それはすごい話じゃない。やっと来たわね、大きな転機が。エレガンスプラザとしてはもちろん残ってほしいけれど、あなたの夢も大事にしてちょうだい。掛け持ちだって、やる気さえあれば不可能じゃないわ」
背中を押すような山口さんの言葉に、少しだけ目頭が熱くなる。いっそ全部投げ出して東京へ移る選択肢もあるかもしれないけれど、静岡のエレガンスプラザこそが今の私を育ててくれた場所でもある。両方大切にしたいと強く思った。
そこで、ふと脳裏をよぎるのは彼の顔。離れていても大きな存在感を持つ彼なら、こういう時に何と言ってくれるだろう。
帰宅後、眠りにつく前にスマートフォンを開くと、彼からメッセージが届いていた。
「今日はどうだった? 最近、忙しいみたいだけど大丈夫か?」
デスクライトだけが灯る薄暗い部屋で、私は指先をそっと画面に走らせる。東京のバイヤーから声がかかったこと。店長が背中を押してくれていること。正直なところ、不安と期待が入り混じって落ち着かないこと。
すべて正直に伝えたあと、しばらくして彼から通話のリクエストが来た。画面越しに見える彼の笑顔は、以前より少し精悍な雰囲気が加わっていた。
「すごいな。東京からオファーが来るなんて、本当におめでとう。やっぱり君のセンスは認められているんだよ。……でも、迷ってるんだよね?」
そう言いながら、彼は静かに続ける。
「いま僕はシンガポールに来て、慣れないことばかりだけど、毎日が刺激的なんだ。最初は戸惑いばかりだったけど、このチャンスを逃さないように全力で取り組もうって決めてる。君も同じじゃないかな。やらない後悔だけは、きっと残るよ」
ドキリと胸が鳴る。彼が自分の不安を乗り越えて海の向こうで闘っている姿が、画面越しに映し出される気がする。
「もちろん、無理はしすぎないでほしいけどね。でも、君なら、静岡も東京も、きっと両方大切にできる。そう信じてるよ」
まっすぐな言葉に、思わず目頭が熱くなる。誰よりも私の夢を応援してくれる彼と、温かく支えてくれる仲間たちがいる。そのことが心強くてたまらない。
翌週、東京のバイヤーから改めて連絡があった。具体的な出店スペースの広さや期間、テーマなど詳しい話を聞くと、やはり簡単ではない道のりだと痛感する。それでも、彼女の話し方には優しさと期待がにじんでいて、私のデザインを信じてくれているのが伝わってくる。
通話を終え、私は静かに息をつく。ちょうどその時、エレガンスプラザのショーウィンドウが目に入る。あの日、初めて私のドレスがメインで飾られた場所。あの場所で鍛えられたからこそ、今の私がある。
「ここを離れるわけじゃない。むしろ、ここを自分の拠点にして、東京へも飛び出そう」
そう心に決めると、不安よりも闘志が湧いてきた。きっと大変だろう。それでも、挑戦しなければ見えない景色がある。
その夜、彼と時差を超えて通話を繋ぎ、私の決意を伝える。
「東京で出店する方向で動いてみる。エレガンスプラザも引き続き続けるよ。大変だと思うけど、できる限り両立したい」
彼は画面越しに嬉しそうに笑い、ゆっくりとうなずいた。
「よかった。俺は絶対うまくいくと思うな。もし一人で抱え込んでしんどくなったら、いつでも連絡してよ。離れてても、俺は君の味方だから」
まるで同じ場所にいるみたいな安心感に包まれ、私も笑顔になる。言葉にこそ出さないけれど、“いつか離れた時間を埋める日が来る”と、ふたりとも静かに確信している気がした。
翌朝、私は早起きしてスケッチブックを広げ、次のコレクションのアイデアを描き始める。静岡から東京へ、そしていつかは世界へ――そんな大きなイメージを、まだ少し恥ずかしいと思いながらも紙にぶつけてみる。
コーヒーの湯気がほわりと立ち上る片隅で、私は胸の奥の小さな火がどんどん燃え上がるのを感じていた。新しい生地のサンプル、鮮やかなパレット、そしてノートに綴られたたくさんのアイデア。すべては、私の未来への道しるべになるはずだ。
時々、ふと視線を窓の外に向ける。静岡の朝の光はやわらかく、私に優しく降り注いでいる。遠く離れたシンガポールでも、きっと彼が同じ空の下で頑張っている。そう思うと、不安よりも「負けていられない」という気持ちが沸いてくる。
――夢と恋、ふたつの想いを胸に、それぞれが歩む道を進んでいく。いつかその道が交わるとき、私たちはもっと輝けるようになっているはずだ。
シャーペンの先が紙の上を走る音が、今日も静岡の街の朝の空気に溶けていく。交差点を過ぎるたびに、新しい未来が開けていると信じて。私はひとつひとつの線に想いを込める――“遠くの街に咲くエール”を、自分に、そして彼に送りながら。




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