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静岡伊勢屋 - 「エレガンスプラザの恋 〜遥かなる想い、ふたりの瞬き〜」

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月25日
  • 読了時間: 7分

 


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東京の百貨店でのポップアップイベントは、想像以上に忙しかった。慣れない場所での接客やブランドの紹介、取材の申し込みなどが重なり、朝から晩まで息つく暇もない。でも、不思議と苦ではなかった。 大都会の雑踏の中で、自分のデザインに目をとめてくれる人たちがいる。それだけで、胸の奥に温かい火がともり続けるのを感じるから。

 そんなある日の閉店後、私はがらんとした売り場の床に腰を下ろし、大きく息をついた。今日もたくさんのお客さまと話ができて、手応えを感じる一日だった。だけど、気づけば心のどこかで彼の顔を思い浮かべている。 「元気にしてるかな。ミーティング、ちゃんとうまくいってるといいけど……」 そう呟いてスマートフォンを見ると、時差の向こうからメッセージが届いていた。 “イベントどう? 大変だろうけど、君なら大丈夫。落ち着いたら話したいな。” 通話ボタンを押しかけたその時、誰かが売り場の入り口からこちらをのぞき込んだ。

 「すみません、もうクローズでしたよね? でも……どうしても一目、見ておきたくて」 振り向いた先には、光をまとったガラス扉の奥に、一人の男性が立っていた。 「申し訳ありません。今日はもう……」 言いかけた言葉が、途中でかすれて消える。扉を開けて入ってきたのは、スーツ姿の彼だった。驚きで一瞬息が止まる。 「まさか……来られないって言ってたのに!」 彼は照れくさそうに笑い、ネクタイを少し直しながら言葉を続ける。 「急に予定が変わって日本に戻ってこれたんだ。どうしても、君が作ったこの空間を直接見たくてね」

 私は咄嗟に立ち上がり、開けっぱなしのスマートフォンを慌ててスカートのポケットにしまう。まだ心臓の鼓動が早い。彼がここにいるのが、信じられないような、でも間違いなく嬉しい現実だった。 「すごい……ほんとに来てくれたんだ。長旅で疲れてない?」 「大丈夫。むしろ、この目で見れてよかった。君がずっと大事に育ててきたデザインが、東京の真ん中でちゃんと輝いてる」

 近づいてくる彼に、私は自然と笑みがこぼれる。周囲のライトはもう落ちかけていて、広いフロアの照明も控えめだ。そんな薄暗い中、彼の姿だけがゆっくりと照らし出されている。 「実は……」 そう言いかけて、彼はあたりを見回した。商品をディスプレイしているラックやマネキンが、夜の静けさの中で整然と立ち並んでいる。 「このドレス、もう一度ちゃんと見たかったんだ」

 彼の視線の先には、私が初めてメインで打ち出した“ブルーグレイ”のドレスが飾られていた。エレガンスプラザでも好評を博していたものを、今回のポップアップでも象徴的に配置している。 「懐かしいね。あのとき、あなたが最初のお客さんだった……」 思い出すのは、エレガンスプラザで初めて出会い直したあの日。そこから私たちは互いに離れては近づき、遠距離になりながらも想いをつないできた。

 「こうやって見ると、不思議な気持ちになるよ。服を通じて、俺たちはまた再会したんだよな」 彼がそう言ってドレスの裾に軽く触れる。その繊細なビーズのきらめきは、まるで私たちの思い出を大切に守っているかのようだった。

 私はしばらく黙ったまま、彼の肩越しにドレスを見つめる。彼と過ごした時間、離れて過ごした時間、そして今こうして一つのステージに立つ時間――すべての瞬間があって、今の私がいる。 やがて、彼がふっと顔をあげ、私の瞳をまっすぐに見つめる。 「ポップアップ、あと数日で終わりだよね。こっちは打ち合わせがあってバタバタしてるけど、最終日にはまた来られるかもしれない。そのとき、改めてお祝いさせてほしいんだ。君がここまで踏み出したこと……一緒に喜びたい」

 勢い込んだ彼の言葉に、私は微笑んでうなずく。今は、この静かな売り場の空気が二人だけの世界みたいで、少し恥ずかしいような、でも胸が満たされるような不思議な感覚だった。

 「ありがとう。最後の日、ぜひ来てほしい。きっと、いろんな気持ちが込み上げてくると思うから……その時に隣にいてくれると心強いな」 「もちろん。約束する」

 彼は私の言葉を受けとめ、穏やかに微笑む。夜のフロアに余韻のように漂うジャズのBGMが耳に心地よく、私たちはしばらく言葉もなく立ち尽くした。

 ふと気づけば、さっきまで足が疲れていたはずなのに、今は何も感じない。むしろ浮つくように軽やかな気持ちで、彼の横顔をそっと見上げていた。

 「明日もまた忙しいんだよね? ちゃんと休めよ。俺もミーティングがあるから、今日はそろそろ行くよ」 そう言いながら、彼はわずかな名残惜しさをにじませている。それでも、離れ離れになっていたあの日々を思えば、こうして同じ空間を共有できるだけで十分だと私も思う。

 「うん、ありがとう。気をつけてね」

 帰り際、扉の前で振り返った彼と、一瞬まなざしが重なる。その短い瞬間に、たくさんの想いが詰まっている気がした。遠く離れても心が寄り添っている――そう確信できるだけで、私たちはこれからも進んでいける。

 ポップアップの最終日、閉店間際になっても店内は予想以上の賑わいだった。最後の最後まで、新しいお客さまと話す機会が絶えない。疲れはピークに達しているはずなのに、不思議と笑顔が止まらない。ここまで走りきれたのは、応援してくれたみんなのおかげだと思うと、感謝しかなかった。

 「本日はポップアップにお越しいただき、ありがとうございました! またのご来店をお待ちしております!」

 スタッフ総出でお見送りをしていると、ふとガラス張りの向こう、入り口付近にあの人が立っているのが見えた。 「……来てくれた」

 人ごみの中、彼は少しだけ背伸びをして私を探している。まるで迷子みたいな仕草に、思わず笑みがこぼれる。私は店の奥をざっと片づけると、ためらうことなく彼のもとへ駆け寄った。

 「ごめん、あと少しだけ時間ちょうだい。もう少しで終わるから」 「うん、わかった。俺、ここで待ってる」

 彼の顔は東京の街のネオンに照らされて、ほんのりと温かな光を帯びている。百貨店のアナウンスが閉店を知らせ、スタッフたちが最後の片付けを始めると、私は急いで作業を終わらせた。

 しばらくしてすべてを終え、すっかり静かになったポップアップ会場を二人で見渡す。箱詰めされた衣装やディスプレイ用品があちらこちらに積まれ、なんともいえない達成感と名残惜しさが入り混じる。 「お疲れさま、本当にがんばったね」 彼がそう言って私の肩をポンと叩く。私も満面の笑みで応える。 「うん、なんとかやり切った。いろいろあったけど、たくさんの方に見てもらえて嬉しかったし、色々学ぶことも多かった」

 ふいに静寂が舞い降りたように感じる。雑踏の中にいたのが嘘のように、私たちを包む空間にはもう誰もいない。夜の百貨店フロアにわずかに漏れる照明が二人の影を落とす。 「本当に、おめでとう」 その言葉と同時に、彼は私の手をそっと取る。 「……ありがとう。あなたがいてくれたから、ここまで来られたと思う」 そこには、言葉では言い尽くせない感情が溶け合っていた。離れていても、いつも励ましてくれて、そしてこうして肝心な時にはそばにいてくれる。

 見上げた先、彼の瞳にはさまざまな想いが映っている気がした。しばらく沈黙の中で見つめ合い、どちらからともなく笑みをこぼす。 「帰りにどこかでお祝いしようか。夜遅いからお店も限られるけど、何か食べながら乾杯したい」 彼の提案に、私は大きくうなずいた。 「そうだね。ちょっとフロアを出た先に、小さなワインバーがあったよ。きっとまだ開いてる」

 ひとつの大きなステップを踏み出した今、この瞬間の幸福感を、そっとふたりで分かち合いたい。ポップアップ会場の電気を消してシャッターを閉めると、私たちは手をつないだままエレベーターへ歩き出す。

 遠く離れた場所で積み上げた日々も、今こうして隣り合って歩く時間も、どちらも等しく愛しい。ずっと昔、静岡伊勢屋のエレガンスプラザでふと視線が交わった瞬間から、私たちは知らず知らずのうちに紡ぎ続けてきたのだ――あらゆる思い出と、これからの未来を。

 エレベーターの扉が閉まる直前、彼の手が少しだけ強く私の手を握った。その温度に応えるように、私も指をからめる。恋と夢が交わり合うこの物語は、きっとまだまだ終わらない。遠くの夜空を見上げると、東京の街の灯がまるで星屑のように瞬いていた。

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