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静岡伊勢屋 - 「エレガンスプラザの恋」

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月21日
  • 読了時間: 4分


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静岡駅から程近い大通りを抜けると、洗練されたウィンドウディスプレイが目を引く百貨店、静岡伊勢屋がある。エレガンスプラザは、その百貨店の中でもひときわ華やかな婦人服コーナーだ。ガラス張りのスペースに並んだ色とりどりのドレスが、スポットライトを受けて輝いている。 私はそこで若手デザイナーとして働いていた。実家はごく普通の商店だったけれど、洋裁学校での学びをきっかけに服のデザインに惹かれ、この職に就いた。日々、接客や棚のディスプレイ案など小さな仕事を積み重ねながら、いつか自分の名を冠したブランドを立ち上げたいと夢見ている。

 その朝、私が店内のマネキンに新作のブルーグレイのドレスを着せていると、遠巻きに見つめる背の高い男性の姿が目に留まった。仕立ての良いスーツに身を包み、少しきつめに結んだネクタイ。ふと目が合った瞬間、血が逆流するように心臓が高鳴った。 ──以前の恋人だった。 彼とは学生時代に知り合い、同じ夢を追うように共に東京で過ごした。でも彼は外資系企業の内定を得て、私とは別の道を選んだ。卒業間近に「お互い夢を叶えよう」と言って別れたはずだったのに、いつの間にか連絡も遠のき、そのままになってしまった。

 約三年ぶりに再会した彼は、まるでドラマの主人公かと思うほど洗練されていた。それでも、私が覚えている彼の面影の一部は確かにそこにある。視線を外しきれずにいると、彼はゆっくりとこちらに歩み寄ってきた。 「久しぶり。こんなところで働いていたんだね」 どこか懐かしい笑みを浮かべた彼の声は、記憶よりも少し低く、落ち着いていた。

 その日の午後、彼は再びエレガンスプラザにやってきた。まるで最初は場所を確かめるだけだったかのように、今度は迷わずカウンターまでやってくる。 「ここのデザイン、気に入ったから買いたいんだけど」 そう言って示されたのは、私が初めてメイン担当としてデザインしたドレスだった。昨年の秋冬コレクションのもので、落ち着いたグレイッシュブルーがポイント。斜めにあしらったビーズがさりげなく輝き、着る人の動作を柔らかく見せるのがこだわりだった。 「…自分がデザインしたの、覚えててくれたんだ」 思わずそうつぶやくと、彼はほんの少しだけうなずきながら微笑んだ。 「ネットで調べたら、ここのデザイナーにあなたの名前が載ってた。いつか見に来ようと思っていて、やっと来られたんだ」

 彼がドレスを買う理由は、仕事関係で重要なパーティーがあるからだという。上司の奥様に贈る予定だとか。服のデザイナーを目指していた私と、ビジネスの世界を目指した彼――それぞれが別々の場所で懸命に歩んできた道のりが、思いがけない形で交わったのだと気づいた。 ドレスが入った袋を渡そうとした時、彼は少し戸惑うように言った。 「実は、デザインを見た瞬間にこれだと確信したよ。あなたらしいと思った。あの頃からあまり変わってないんだね」 胸にじんわりと温かさが広がる。確かに変わったつもりだった。仕事に追われて生活も忙しくなった。だけど、自分の芯は何ひとつ変わっていないのかもしれない。

 店内での接客が一段落した夕方、彼がもう一度やってきた。 「ごめん、もし都合が良かったら……少し話がしたい。駅前のカフェでもどうかな?」 唐突に誘われて驚いた。以前の私だったら、戸惑って断っていたかもしれない。でも、思い出は過去のものだけではなく、これからを紡ぐきっかけにもなるはずだと、どこかで感じていた。 「じゃあ、閉店時間のあとなら大丈夫」 そう答えると、彼は安堵したように微笑んだ。

 結局、その日はカフェでお互いの近況を語り合った。帰り際、「今度はもう少し落ち着いた場所で、よければ一緒に食事でも」と、彼は私の手に名刺をそっと渡した。硬質なビジネスカードと、懐かしい笑み。その二つが今の彼を象徴しているようだった。 別れ際、駅までの道すがら、私はふと空を見上げる。街の光に溶けるような夜空に、にじむ月の輪郭がやわらかく浮かんでいた。あの頃と同じ場所にいるのに、気持ちだけが少し前を向いている。

 彼との再会は、私の中に眠っていた情熱を揺り起こした。一度は遠のいたはずの夢が、もう一度輝きを持って戻ってきた気がするのだ。 エレガンスプラザのガラス越しにうつる自分の姿が、まるで新しい人生の扉を見ているように思えた。これから先、何が起きるのかはわからない。けれど、デザインへの思いと、そこに確かにある懐かしさと期待が、私の胸を高鳴らせてくれる。 きっと、今日はすべての始まりになる。静岡の街の夜風が、ほんのり甘く感じられた。

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