恋文綴
- 山崎行政書士事務所
- 4 日前
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―昭和二十年、若き二人が書き遺した手帳と手紙―
※以下はフィクションです。文語・旧かなづかひは当時の青年層で一般的であった綴りを参考に再現しましたが、読みやすさを考へ一部現代表記を交へてあります。
【一】 昭和二十年三月十五日 <篤志・手帳>
けふ、呉なる機関學校より久しぶりに郷里へ帰省す。故郷の堤に咲きそめし桜を見上ぐれば、ふと胸の奥に温かき痛み走る。百合嬢――否、百合――は今年十七。幼き頃より兄妹のごとく遊びしが、年を追ふごと頬紅を増し、言葉短く目をそらすやうになりぬ。わが心も亦(また)、ただの姉弟情ならず。されど大東亞戦局いよいよ逼迫し、我(われ)ごとき未熟の身すら、國に殉ずる覚悟を固むる外なし。花びらの散るさま、などといふ叙情はすでに贅沢か。
「百合よ、我は必ず帰る」 さう言ひたく思ひながら、聲はのどに凍りつく。
【二】 昭和二十年三月十六日 <百合・日記>
朝比奈のお兄樣――いまは篤志樣――が故里へ戻られた。畑の畦道(あぜみち)を並び歩みし折、夕日のいろ、まるで火焔(かえん)のごとく空を染め、その光の中に映るお姿は、遠いひとのやうに見えたり。わたくしは裾をつまみ、やうやう聲をしぼる。
「兄さま……もう少し、いえ……篤志さまの側(そば)にゐとう存じます」
けれど篤志さまは微笑(ほほゑ)まるばかり。その笑みが何より痛う、恋を忍ぶ身の切なさを教へる。家へ戻り、裁縫箱の奥にしまひし桜の押し花を取り出だす。あれは童(わらは)の頃、初めて頂きしもの。この花こそ、わたくしの命。次、篤志さまに逢ふ日には、必ずお渡し申さむ。
【三】 昭和二十年四月六日未明 <篤志・大和艦内より書簡(宛 百合)>
百合、いよいよ出撃の刻(とき)近づきたり。我、戰艦大和機関科に属し、本日夕刻瀬戸内を発(た)つ。此の手紙、内地を離るる前に投函せむとす。貴女より頂戴せし桜の押し花、軍帽の裏に縫ひつけ、つねに胸に携へ候。いかなる砲煙の中にありとも、此の一片の花びら、君の匂ひを伝ふるがゆゑ、我は恐れを知らず。
大君の御楯(みたて)として、 そして、百合、貴女の許嫁として、 潔くこの身を捧ぐ。
されど願はくは再び春の堤を歩み、貴女の手を取りて祝言の盃を挙げたく候。その日まで、百合、どうか息災に。
昭和二十年卯月六日 第二艦隊戰艦大和機関兵曹 朝比奈篤志
【四】 昭和二十年四月七日 <百合・書き遺し>
夕刻、軍港の方角黒煙あがると聞く。胸騒ぎやまず。机上に便箋ひろげ、筆をとる。
「篤志さま 桜の香(か)を風が運び来たり候。 どうか……どうか御身を護り給へ。 われ、祈りて止(や)まず。」
涙落ち、字を濡らす。その夜、防空壕(ごう)にて、遠雷のごとき轟音。わが手に握る押し花だけが、かすかに温かし。
【五】 昭和二十年五月二日 <海軍省より通知>
朝比奈篤志 戦死。 場所 坊ノ岬沖。 日時 昭和二十年四月七日十四時二十三分。
百合は通知書を胸に抱き、声なき声あげ崩れ落つ。その夜、枕もとに桜の香ただよふ幻。篤志さまの面影、ほのかに微笑み給ふ。
【六】 昭和二十四年四月七日 <百合・手紙(投函せず)>
篤志さまけふで四度目の命日でござります。堤の桜、かつてと変はりませず。戰後の混亂、世はめまぐるしく移りゆけど、わたしの時は此の桜の下にのみ留まり候。
――兄さま、いまも兄さまと呼びたく存じます。 けれど胸の裡(うち)では、夫(つま)とお呼び申し上げて候。
いづれ、この恋文束ね、広島呉の慰霊碑へ捧げ申す所存。それまで、どうか海の底より見守り給へ。
綾瀬百合
【七】 昭和四十五年四月七日 <慰霊碑前・百合の日記>
初めて呉長迫の丘に立つ。石碑に刻まれし 「朝比奈篤志 二十一歳」。指先をそつと当てれば、花崗石ひんやりと息づくごとし。わたしは帯の内より七通の恋文を取り出し、碑の根元に白椿とともに捧ぐ。
「篤志さま、あなたの百合、ここにゐます。」
海より吹く風、桜の瓣(はなびら)を巻き上げ、二つ三つ、石の銘に降らしぬ。
【八】 令和七年四月七日 <百合・最終の便り>
――九十三歳。老い衰へし身ながら、今年も此処へ参り候。息切れにて筆曳(ひ)きつらし難し。然(しか)れど言の葉だけは若き日のまゝに。
「篤志さま 散りゆく桜に、わが命を重ね合わせ候。 もし此のまゝ瞑(ねむ)りて、魂(たま)あなたの許へ行かば、 どうか一度(ひとたび)、手を取り給へ。」
筆を置き、碑に凭(もた)れし刹那、遠き沖より軍艦の汽笛めく低音、微かに聴こゆる気がす。わが瞳うるみ、口許ほころぶ。
桜吹雪、視界を白く染め、 百合の掌(たなごころ)、石の名をなぞるやうに降りおりた。
【九】 後日の記
参拝者の一人、石碑に寄り添ふ老女を見とめ、 声をかけんと近づきしが、既に息絶え給へり。 膝に広げた便箋は薄紅の花瓣に覆はれ、 その末尾に淡き墨痕、
「やまとなる うしほの底に 君眠り 雲居(くもゐ)へかへる 花を待ちつゝ」
と詠まれてありぬ。
老女の遺(のこ)せし文束は、遺族の手により戦艦大和戦死者之碑の納骨堂へ納められたり。今日も四月七日の長迫公園、石碑の名はただ一つなれど、薄紅の桜影そこに二つ寄り添ひて揺る――
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