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雪の仮面

富士は、遠いほど美しい。遠いものは匂いを持たない。匂いを持たないから、人はそこへ勝手な清潔を塗りたがる。清潔は、もっとも不潔な欲望の別名だ。

冬の朝、霞ヶ関の窓から富士が見えた。乾いた空が、都市の埃を一枚だけ剥いで、その向こうに白い円錐を置いてみせる。ビルの角ばった影の群れの上に、あの山だけが「形」として立っている。形は強い。強い形ほど危険だ。形は、こちらの内側の歪みを許さない。

私はその日、机の上の書類を一枚も開けなかった。開けば、世界はまた平然と「手続き」の顔をするだろう。手続きは人間の体温を奪う。体温を奪われたまま、私は自分が何のために働き、何のために帰り、何のために眠っているのかを忘れる。忘れるという芸ほど、都会の正しさに合った芸はない。

ポケットには、父の手帳が入っていた。病院の待合で、看護師が「お預かりします」と言って置いたものを、私は受け取った。父は今、二階の病室で「呼吸」という作業に集中している。呼吸は本来、作業ではない。作業になった呼吸ほど、人間を小さくするものはない。

私は父を見舞っていない。忙しいという言い訳は便利だ。便利な言い訳ほど危険だ。便利な言い訳は、罪の匂いを消してしまう。匂いが消えた瞬間、人は平気で大切なものを捨てる。

富士が見えているあいだだけ、私は自分の言い訳が薄くなるのを感じた。あの山は「許さない」という顔をしている。許さないものほど残酷で、残酷だから正しい。

昼休み、私は上着を掴み、駅へ向かった。理由はない。理由は後から作られる。後から作られた理由ほど人を騙す。私は騙される前に、ただ動きたかった。

中央線の車窓に、冬の畑が流れた。土が黒い。黒は闇の色ではない。黒は、火を抱えた色だ。畑の黒さを見ていると、富士の白が急に嘘のように思えてきた。白は潔白ではない。白は、内側の黒を隠すための仮面だ。

大月を過ぎるころ、富士は「絵」ではなくなった。近づくほど、あの形は人間の視線を拒む。拒むものほど、こちらの胸を焦がす。あの山には、こちらの悩みなど届かない。届かないから、人は届かせたくなる。届かせたくなる欲望が、祈りになり、歌になり、旗になる。旗は危険だ。旗はいつでも誰かを踏ませる。

河口湖で降りると、空気が違った。冷たさが、都市の冷たさとは違う。都市の冷たさは鉄の冷たさだが、ここには水と土の冷たさがある。水と土の冷たさは正しい。正しい冷たさは、余計な熱を叱る。

湖畔へ歩くと、富士が湖面に映っていた。映りは完璧ではない。風が少し吹くだけで、白い円錐は波に切られ、細かく崩れる。崩れる形ほど誠実だ。完璧な形は、いつも嘘を含む。

私は岸辺にしゃがみ、父の手帳を開いた。紙は黄ばんでいる。黄ばみは時間の色だ。時間は誰にも従わない。従わない時間の前で、人は急に礼儀正しくなる。礼儀は卑怯だ。礼儀は、言えないことを隠す仮面になる。

手帳の最後のページに、父の字で一行だけ書いてあった。

「富士は、近くで見ると黒い」

それだけだった。説明も、感想もない。この無愛想な一行が、私の胸を刺した。刺さるのは、正しいからだ。父はいつも、余計な言葉を嫌った。余計な言葉は甘い。甘い言葉は腐る。腐った言葉の上で、人はすぐ美談を作る。父は美談を嫌ったのだろう。

私は立ち上がり、富士へ向かって歩いた。向かうと言っても、山へ登るのではない。登るという行為は、いまの私には派手すぎる。派手な行為は、すぐに「決意」の仮面をかぶる。仮面は危険だ。仮面は、痛みの匂いを消す。

樹林の道を抜け、溶岩の黒い石が露出している場所へ出た。雪の下から、黒が覗いている。黒は、白に負けていない。白がいくら清らかなふりをしても、その下に黒がある。黒がある限り、白は白でいられる。私は石に触れた。冷たい。だが冷たさの底に、妙な硬さがあった。硬さは、生の鎧だ。富士の黒は、火が冷えて固まった骨だ。骨は、過去の熱の形だ。

富士は、ただ美しいのではない。美しさの内側に、爆ぜた火の履歴を抱えている。その履歴を隠しながら、いまは雪の仮面を被っている。仮面は嘘ではない。仮面は、生き延びるための形式だ。

形式。父も、あの病室で形式を保っている。呼吸という形式。瞬きという形式。声を出さないという形式。形式は冷たい。冷たい形式だけが、崩れそうな身体を支える。

私は急に、父の喉のことを思い出した。去年の冬、父は餅を詰まらせかけた。喉が一瞬、闇になり、父の顔から色が消えた。色が消えた顔ほど恐ろしいものはない。あのとき私は、背中を叩きながら心のどこかで思ったのだ。——こんなに簡単に、人は「形」を失うのか、と。形を失うことが怖くて、私はその後、父の老いから目を逸らした。逸らすという行為は、もっとも卑怯な救命だ。

溶岩の上に立つと、風が強くなった。風が頬を切る。切る風は、刃のように正しい。私はその刃に、もう少しだけ切ってほしいと思った。言い訳の皮だけを。罪の匂いを消す薄い膜だけを。

ふと、近くで子どもの声がした。「富士山、でっかい!」小さな叫び。小さな叫びほど胸に残る。母親が笑い、子どもの帽子を直し、熱い缶コーヒーを手渡していた。湯気が上がる。湯気は白い。白い湯気は祈りに似ている。祈りに似たものほど、叶わぬ。

私はその場面に、どうしようもなく感情移入してしまった。富士を前にした人間は、結局みな同じだ。誰もが、自分の小ささを知り、知った小ささを何かで埋めたがる。埋めるものが恋ならまだ優しい。だが埋めるものが「正しさ」や「大義」になると、急に世界は血を欲しがる。

私は熱い缶コーヒーを買い、掌で温めた。温めるという行為は、生の最低限の礼儀だ。温まった掌を、もう一度溶岩に触れた指先へ当てる。冷たさと温かさがぶつかり、皮膚の中で小さく痛む。痛みは真実だ。真実は甘くない。甘くないから腐らない。

湖へ戻る道で、夕日が富士の斜面を染め始めた。赤富士。赤は血の色に似ているが、血ではない。血でない赤ほど不吉だ。だがこの赤は不吉ではなく、ただ火の記憶の色だった。火の記憶が、雪の仮面の上に薄く滲む。滲む色ほど人間的だ。

私は父の手帳を閉じた。そして、携帯を取り出した。画面の白は、言葉を強要する白だ。私はその白を嫌いながら、病院の番号を押した。押す指が少し震えた。震えは恐怖ではない。恐怖に似た、責任の震えだ。

呼び出し音のあいだ、私は富士を見た。あの山は動かない。動かないから、こちらが動かされる。動かされるという屈服は、時に救いに似る。救いに似た屈服ほど危険だが、今日の私には必要だった。

看護師が出た。父は眠っていると言う。私は「そうですか」とだけ答え、そして言った。

「……明日、行きます」

言葉は軽い。軽い言葉ほど恐ろしい。恐ろしいのに、言わなければ腐る。腐ったままでは、私はまた富士を「遠い美しさ」にしてしまうだろう。遠い美しさは、いつでも逃げ道になる。

電話を切ると、風がまた頬を撫でた。撫でる風は優しい。優しさは油断を生む。だが私は、油断しないために、溶岩の冷たさを指先に残したまま帰ろうと思った。

富士は、遠いほど美しい。だが近づけば、黒い。黒いという事実が、私を救った。救いという言葉は嫌いだ。救いは甘い。甘い救いは腐る。それでも私は、甘くない救いをひとつだけ持ち帰る。

——白い仮面の下に、黒い骨がある。骨があるから、形が立つ。形が立つから、今日も息ができる。

帰りの列車の窓に、富士が少しずつ遠ざかっていく。遠ざかるほど、また美しくなる。美しくなる前に、私は目を閉じて、溶岩の冷たさと缶コーヒーの温度を思い出した。その両方を抱えたまま、生きる。

富士のように完璧にはならない。完璧はいつでも嘘を含む。ただ、黒さを隠さぬまま、形を崩さぬように——明日、父の病室の白い光の下へ入る。

 
 
 

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