『名前を呼ばれない午後』
- 山崎行政書士事務所
- 1月25日
- 読了時間: 6分

午後の光は、どこか中途半端だった。真昼ほど鋭くないのに、夕方ほどやわらかくもない。茶畑の畝の影が、まだ短くも長くもならないまま地面に貼りついて、空気だけがじっとりと重い。六月でも八月でもない、夏の“途中”の匂いがする。
幹夫は畑の端で、摘採機のエンジンが止まるのを待っていた。止まってからも、金属の熱だけがしばらく残っている。触れないほうがいい熱だ。けれど触れてしまったら、熱さはきっと正直に返ってくる。指先は嘘をつけない。
父が、荷台のロープを引き直した。結び目を見て、引いて、もう一度見て、また引く。それが父の午後の作法だった。言葉より先に、手が段取りを作る。
「それ、持て」
父はそう言って、幹夫の方を見なかった。“それ”は籠で、持つのは幹夫で、何も間違っていないのに、幹夫の胸の奥に薄い引っかかりが残る。自分が“それを持つ役目”としてそこにいる感じが、午後の湿気みたいにまとわりつく。
籠を持って軽トラに乗り込み、畑道を下る。窓の外の緑は、走るほど濃く見える。濃く見えるのに、匂いは薄い。車の中に土と茶と油の匂いが先に満ちてしまうからだ。匂いが満ちると、言葉が入る隙間が減る。
父は運転しながら、短く言う。
「帰り、寄るぞ」
寄る、というのは、町の文具屋だった。学校の提出用の紙が足りない、と祖母が言っていた。幹夫は「うん」と返した。返事は、いつも出る。出るのに、何かが一緒に出ていかない。
静岡市の街は、午後になると音が増える。車の音、信号の電子音、誰かの笑い声。音が重なると、言葉の輪郭が溶ける。輪郭が溶ける場所は、安心することがある。何を言い損ねても、すぐにどこかへ紛れるからだ。
文具屋で、店員が言った。
「レシート番号でお呼びしますね」
番号。名前ではなく番号で呼ばれることに、驚くほど身体が慣れている自分がいた。番号は間違えない。番号には過去も事情も付いてこない。幹夫はレシートを握り、印字された数字を見た。紙の温度はまだ新しい。新しい紙は、匂いだけで“誰のものでもない”感じがする。
店内に流れるアナウンスが、数字を読み上げる。「六十二番の方、六十二番の方」声は丁寧で、均一で、遠慮がない。名前を呼ぶ声の高さではない。
幹夫は自分の番が来るまで、棚の前で立っていた。隣では、母親が子どもの名前を呼んでいる。「こっちだよ」「危ないって言ったでしょ」叱っているのに、名前が入ると音が少しやわらかくなる。名前は、叱るときでさえ、その人を“その人”にする。
幹夫の番が来た。番号が呼ばれた。紙を渡される。会計が終わる。何も問題はない。なのに、店を出た瞬間、胸の奥に小さな空洞が残った気がした。空洞は痛くない。ただ、風が通る。
父は軽トラの運転席で待っていた。窓を少しだけ開けて、腕を出している。父は幹夫を見て、言った。
「乗れ」
それだけ。“幹夫”は出てこない。
幹夫は助手席に乗り込み、シートベルトを締めた。金具がはまる音が、やけに硬い。硬い音は、午後の空気を一段引き締める。引き締まると、気づいてしまうことがある。
――今日、まだ一度も名前を呼ばれていない。
父に。店に。街に。学校でも、先生は出席を取らなかった。提出物は“出してない人”としてまとめられ、廊下ですれ違った同級生は「おい」と言った。悪気のない「おい」。便利な「おい」。便利なものは、よく使われる。よく使われるほど、誰のものでもなくなる。
幹夫は自分の名前を心の中で転がした。“幹夫”。音にすると、どこか硬い。まっすぐで、余計な飾りがない。茶畑の幹みたいな字が入っているのに、自分はいつも葉っぱのほうばかり見ていた気がした。幹は見上げない。幹は支える側だから。そんなことを考える自分が、少し滑稽にも思える。滑稽なのに、喉の奥が乾く。
安倍川に差しかかるころ、時計は午後五時に近づいていた。世界が少しだけ傾く時間。太陽はまだそこにあるのに、色だけが変わり始める。橋の上の風が、車体を撫でる。撫でて、去って、また来る。風は何も言わない。言わないのに、車内の空気の薄さを少しだけ動かす。
父が、ほんの少し速度を落とした。ウインカーも出さず、ただ一拍だけ。川の白い河原を横目にしただけかもしれない。でも幹夫は、その一拍を“何かを言いかけてやめた拍”に見えてしまった。見えてしまうのは、こちらが勝手に意味を作るからだ。意味を作る癖は、名前を呼ばれない午後に濃くなる。
スマホが震えた。母からのメッセージだった。
「土曜日、午後で大丈夫? もしよかったら少し歩けるといいな」
そこにも名前はなかった。“幹夫”も、“お父さん”も、書いてない。丁寧な文なのに、宛先のない手紙みたいに見える。宛先がないのに届いていることが、余計に不思議だった。
幹夫は返信欄を開いた。いつもの文はすぐ出る。「大丈夫」「うん」「行く」短い言葉は、指が勝手に覚えている。短い言葉は便利だ。便利な言葉ほど、胸の奥の空洞を埋めない。
そのとき、橋の下の河原で、子どもの声が響いた。「ユウタ!」走る子を呼ぶ声。少し焦った声。名前は風に乗って、いちど上に跳ねたあと、川の音に混じりながら消えていく。消えるのに、確かにそこにあった。
幹夫の胸の奥で、何かが小さく動いた。“寂しい”という言葉にしなくてもいい種類の、微かな引き。名前は音だ。音は消える。けれど消える前の一瞬が、その人の輪郭を作る。
幹夫は、返信欄に一つだけ文字を足した。
「母さん」
それだけ打っただけで、指先が少し熱くなる。宛先を書く、という行為は、相手を“相手”として立てることだ。そして同時に、自分も“自分”としてそこに立ってしまう。
続けて打つ。
「午後で大丈夫。父ちゃんも一緒に行く」
送信ボタンを押した。押した瞬間、世界がほんの少しだけ傾いた気がした。車が揺れたわけじゃない。風が急に吹いたわけでもない。でも、傾いた。傾いたから、今まで水平だったものが、もう同じ形ではいられない。
父は何も言わなかった。けれど、アクセルの踏み方がほんの少しだけ丁寧になった。スピードが安定する。言葉の代わりに、運転が滑らかになる。父の“返事”はいつもそうだ。
家に着くと、台所から湯の匂いが漏れてきた。祖母が茶を淹れている匂い。湯気が、戸の隙間から先に出てくる。匂いは名前を呼ばない。けれど、家の匂いは“帰ってきた人”をちゃんと迎える。
玄関で靴を脱いでいると、父が背中越しに言った。
「おい」
その呼び方は、いつもの便利な呼び方だった。幹夫は返事をしようとして、口を閉じた。返事をしてしまえば、また“それをする役目”に戻ってしまう気がした。
父は一度、息を吸った。吸って、吐く前に、言い直すみたいに言った。
「……幹夫」
たった二文字ぶんの音が、玄関の空気を少し変えた。午後五時の傾きが、家の中にまで届いたみたいだった。父の声は硬い。硬いのに、その硬さが今日は、紙の箱みたいに中身を守っている感じがした。
幹夫は顔を上げずに、小さく返した。
「うん」
返事は短い。けれど“うん”の中に、今日一日分の風の通り道が少しだけ混ざった。
祖母が台所から言った。
「幹夫、茶ぁ冷めんうちに飲みな」
二回目。今日はもう、午後だけじゃない。名前を呼ばれない午後が、午後のまま終わらなかったことを、湯気が教えてくれる。
幹夫は湯飲みを両手で包んだ。熱が掌に移る。熱は正直に返ってくる。名前も、たぶん同じだ。呼ばれた分だけ、自分の中に残る。残ったものが、また次の一瞬を少しだけ動かす。
その夜、窓の外で蝉が一匹だけ鳴いて、途中で途切れた。途切れたあとに、別の虫の小さな声が続く。季節が黙って入れ替わっていく音。
幹夫は湯飲みの縁に口をつけ、苦味のあとに来る甘みを待った。待つことが、今日は少しだけ難しくなかった。





コメント