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パナコの青春 ― 夏影のインタールード

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月25日
  • 読了時間: 7分

 


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春の光がゆっくりと街を包み込み、桜の花びらが校庭に舞い散る頃。高校三年生へと進級した陽菜(はるな)真司(しんじ)麻里(まり)、そして**颯太(そうた)**の四人は、新たなクラスと始まったばかりの授業に戸惑いながらも、部室に集まっては音を重ねる日々を送っていた。

 ――昨年、静岡パナコの屋上で始まった彼らの物語は、季節をめぐって再び夏に向かおうとしている。そこには受験や卒業後の進路といった、どうしようもなく大きな選択が待ち構えていた。けれど同時に、バンドとして一歩でも先へ進みたいという想いも、胸の奥では確かに息づいている。

 六月のある放課後、軽音部室のドアを開けると、夕陽の斜光が埃の粒子を照らしていた。窓の外では、まだ初夏の涼やかな風が吹き渡り、青空に浮かぶ雲をゆっくりと流している。 ギターケースを肩にかけた陽菜は、出迎えるように置かれた椅子へカバンを下ろし、窓を大きく開け放った。「暑くなってきたね。みんな、そろそろ夏っぽい曲もやってみない?」

 すでにドラムスティックを握りしめていた真司は、足元のペダルを小さく踏みながら「夏か……あっという間だな」と呟く。受験勉強のために塾へ通う日が増え、部活との両立に悩む日もある。それでもこの場所へ来ると、ドラムを叩く高揚感を思い出せるのが救いだった。「夏といえば、いろんなイベントもあるよね。文化祭は秋だけど……」 麻里はベースのチューニングをしながら、少し考え込むように視線を落とす。三年生にとって最後の文化祭も近づいている。けれど、その前に何か挑戦してみたい気持ちがあった。

 そこへ颯太が、スマートフォンを見せながら声を上げた。「ねえ、これ見て。パナコのイベント情報なんだけど……“サマーセッション at パナコ”っていう音楽フェス、今年は地元バンド枠を増やすらしいよ」 画面には「静岡の夏を熱くするサマーセッション、参加バンド募集中」と書かれている。ちょうど七月末に、パナコの地下ホールで開催されるらしい。

 以前、屋上やクリスマスイベントで演奏したときの記憶が、まざまざと甦る。バンドとしての一体感や、ステージを共有する高揚感。それを今度はもっと大きな規模で体験できるかもしれない――その予感が、部室に一気に熱を帯びた空気を運んできた。

「……出てみたい」 小さな声で陽菜が言うと、真司も麻里も、そして颯太も互いに目を見合わせる。「でも、受験勉強もあるし……大丈夫かな」 麻里は少し不安そうな顔をする。親からは「勉強を最優先して」と言われ、あまり遅くまで部活に残れない日もあるからだ。

「俺も塾の模試があるし、いつもみたいに毎日ガッツリ練習は難しいかも」 真司が苦笑いを浮かべる。でも、その手はスティックを離さず、どこか覚悟を決めたようにも見えた。

「それでも、最後になるかもしれないし……やりたい気持ちだけは嘘じゃないよね」 颯太はキーボードの電源を入れ、柔らかな音を試し弾きしながら言う。すると、陽菜がコクリと頷いた。「じゃあ、私たちのペースで準備してみよう。間に合わないかもしれないけど、ダメ元で応募してみようよ」

 ――こうして、彼らは「サマーセッション at パナコ」という新たな挑戦へと一歩を踏み出すことにした。

 七月に入り、期末テストが終わったころには、校内は夏休み前の独特な熱気に包まれていた。蒸し暑い廊下を走り抜け、部室のドアを開けると、四人はすぐに練習に取りかかる。限られた時間の中で精一杯やるしかない。

 出場が決まったフェスでは、持ち時間が二十分ほど。その中でいかにインパクトを出し、自分たちの音を伝えるかが勝負になる。陽菜が考えた新曲は、夏の夕立や雲の切れ間から漏れる強い陽射しをイメージした、少しアップテンポな曲調。 颯太はその世界観を広げるようにシンセサイザーの音を選び、麻里は躍動感あるベースラインを模索する。真司はそれらをまとめるようにビートを刻み、手応えを確かめる。

 しかし、思うように音が噛み合わない日もあった。練習に来られないメンバーがいると、曲の完成度を上げるのは難しい。焦りから言い合いになることもある。「こんなままじゃ、まとまるものもまとまらないよ!」 ある日、陽菜は気が立ったまま声を荒らげてしまう。真司や麻里も悪気があるわけではないが、限界ギリギリで駆け回る日常に疲れ果てていた。

 そのとき、颯太がそっと言葉を投げかけた。「……僕たち、なんで今も音楽やってるんだろう」 一瞬の沈黙。彼の穏やかな口調に、みんなハッとさせられる。「屋上であんなに感動したのに、今はどうして苦しんでるんだろう……」「……苦しくても、やっぱりやりたいから、かな」 陽菜は俯きながら、あの日の夕陽を思い出す。

 音楽が好き。それが答え。だったらもう一度、同じ景色を見たい。そう思うからこそ、みんな必死になっている。彼女の言葉に、真司と麻里もそれぞれの想いを重ねる。人生でほんの短い「青春」の時間を、何か熱いものに注ぎたい。そして、パナコのステージであの景色をもう一度――

 サマーセッション当日、パナコの地下ホールは薄暗い照明の中でざわめいていた。様々なバンドがリハーサルを行い、スタッフが忙しそうに機材をセッティングして回る。 四人はステージ脇で緊張に震えながらも、お互いの存在を確かめ合った。ぎこちない笑みを交わしながら、リハーサルを終えた演奏者たちが降りてくるのを横目に、いよいよ自分たちの順番が来るのを待つ。

「ねえ、みんな。大丈夫?」 陽菜が声をかけると、真司も麻里も笑顔を見せる。「うん、やるしかないね」。颯太はキーボードの調整を最後まで確認しつつ、小さく頷いた。

 ステージに上がると、客席のライトが徐々に落ち、代わりにスポットライトがまぶしく彼らを照らす。鼓動が早鐘のように鳴り、胸の奥が熱くなる。何か大切なものを失いそうになる恐怖と、ここに立てた歓びが、同時にこみあげてくる。

 ドラムのカウント。ギターのイントロ。ベースがリズムを支え、キーボードが空気を広げる。 ――初めて屋上で鳴らした音、ハロウィンやクリスマスで感じた高揚。そうした記憶が奔流のように駆け抜けながら、今この瞬間、最高の音に昇華されていく。

 夏の光が潜むかのような熱気と、地下ホール特有の暗がりが織り成す空間。その中で、彼らのサウンドは確かに響き渡る。一音一音に詰まった想いが揺れ合い、震え合い、共鳴する。見渡せば、遠くにいる観客が手拍子をしてくれている。

 最後のコードが鳴り止んだとき、ステージ上には息を切らせた四人と、惜しみない拍手が広がっていた。ライトを反射する汗が、ひどく眩しくて、どこか清々しい。まだ終わりじゃない、けれど今日この瞬間は特別だ。

 楽器を抱えてステージを下りると、現実に引き戻されるように冷房の風が肌を撫でる。遠くに続く控室への通路を歩きながら、彼らは互いの表情を見合わせる。うまくいった部分もあれば失敗したところもあったはず。でも、心は言葉にならない達成感でいっぱいだった。「……最高だったね」 陽菜が小さく笑うと、他の三人も同じように微笑んで頷く。

 外に出れば、眩しい夏の太陽が沈む前のオレンジ色を帯びていた。パナコのビル影が長く伸び、夏の匂いを含んだ風が街を撫でていく。「これからは、もっと勉強も忙しくなる。でも今日のこの瞬間は忘れたくないな」 麻里の言葉に、真司と颯太も深く同意するように頷く。

 ――彼らの「パナコの青春」は、まだゴールへは続かない。けれど、いつかそれぞれの道へ進むとき、この一瞬の輝きがきっと糧になる。ビルの谷間に垣間見える夕焼けが、そんな未来を優しく予感させていた。

 夏色に染まった静岡の街。パナコの看板が遠くに浮かび、記憶の奥底で鳴り続けるあの屋上の音が、不思議なほど鮮明に蘇る。そう、彼らの青春はまだ先へと繋がっている――次の音を探して、次のステージを夢見ながら。

 地下ホールでの熱い余韻を胸に抱き、四人はそれぞれの道へと足を向ける。まるで夏の蜃気楼を追いかけるように、夕陽が作る長い影を踏みしめながら。やがてこの街に夜が降りても、彼らの音は決して消えることなく、心の中で鳴り続けるのだろう。

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