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パナコの青春 ― 春光のオーバーチュア

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月25日
  • 読了時間: 6分


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 冬の寒さが少しずつ和らぎ、静岡の街にも柔らかな日差しが戻りはじめた頃。街路樹の梢には微かな芽吹きが感じられ、空には明るい雲が浮かんでいる。人々は手袋やマフラーを外し始め、季節の移ろいを穏やかに受けとめていた。

 ――あの夏、高校二年生の彼らが「静岡パナコ」の屋上で初めてステージに立った日から、季節が三つ分、過ぎ去った。秋にはハロウィンイベント、冬にはクリスマスのミニステージを成功させ、気づけば春の足音がもうすぐそこまで迫っている。 ギター&ボーカルの陽菜(はるな)、ドラムの真司(しんじ)、ベースの麻里(まり)、そしてキーボードの颯太(そうた)――それぞれが成長してきた数ヶ月。バンドとしての絆も深まったが、同時に進路や受験、将来の夢が差し迫りはじめる時期でもあった。

 春休み直前のある放課後。校舎裏の空きスペースで四人は楽器を持ち寄り、新学期に向けた新曲を試していた。「……こんな感じでどうかな」 陽菜がギターを爪弾くと、少し前までの寒々しい風とは違い、優しい微風がその音色を運んでいく。

 真司はスティックを軽く打ち合わせながら、「もう少しテンポを上げてもいいんじゃないか?」と控えめに提案する。「今のままでも悪くないけど、春っぽい明るさをもうちょい出してもいいかも」 麻里はベースの弦を軽くはじき、真司の言葉に頷く。「そうだね、冬枯れのバラードも好きだけど、春らしい曲調にチャレンジしたいな」

 颯太はキーボードの電源を入れ、軽くコードを鳴らしてみる。外から聞こえる部活生たちの歓声、校庭を駆け抜ける穏やかな風、遠くに見える「静岡パナコ」のガラス外壁――それらがすべて、春の訪れを告げる背景のように感じられた。「……じゃあ、ちょっと明るめの音色に変えてみるよ」

 颯太が指を滑らせると、これまでのしっとりとしたトーンから一変し、軽やかで温かみのあるサウンドが広がった。すると、それに呼応するように陽菜も曲のイントロを少し陽気なコード進行へと変える。真司が自然とビートを強め、麻里のベースラインも楽しげに跳ね始めた。

 まだ肌寒さの残る夕暮れどき。茜色に染まり始める空の下で、四人の音がひとつに溶け合っていく。この一瞬一瞬の積み重ねが、彼らにとってかけがえのない「青春」の形なのだと、改めて感じさせるような瞬間だった。

 翌週の日曜日、彼らは久しぶりに「静岡パナコ」に集まった。春物の装飾で彩られたパナコの入り口には、多くの買い物客や観光客が行き交っている。「今日はパナコの屋上に行ってみない? あの日から、ちゃんとした形で行けてないし」 陽菜が笑顔を向けると、真司も「そうだな、あのときは夕陽がめちゃくちゃ綺麗だった」と懐かしそうに応える。

 記憶を辿るようにエレベーターに乗り込み、屋上のボタンを押す。途中で降りる人々を見送りながら、彼らは少しずつ興奮と懐かしさを思い出していた。夏の夕暮れ、初めてのライブ、胸が潰れそうなほどの緊張、そして弾けるような喜び――すべてが鮮やかに蘇る。

 屋上にたどり着くと、季節は違えど、あの時と同じ風が吹き抜けた。ビル群の向こうに微かに霞む山並み、遠くに見える海の気配。春特有の淡い光がコンクリートに混ざり合い、どこか優しい温度を感じさせる。「ここでライブをしてから、もう随分経ったんだね」 麻里がつぶやくと、颯太が静かに頷く。「うん……でも、あのとき感じた高揚は、今もちゃんとここにある気がする」

 手すりのそばに立ち、眼下を見下ろすと、人の流れと車のヘッドライトが、小さな川のようにゆっくりとうねっていた。街が春の息吹を受け止め、新しい季節へ歩みを進めているように見える。

 陽菜は目を閉じ、あの夏の日を思い浮かべながら、そっと口ずさんだ。頭の中に浮かぶメロディは、先ほど校舎裏で皆と作りかけた新しい春の曲だ。昔の自分なら躊躇していたかもしれない。でも今なら、その曲を堂々と歌える気がする。

「……ねえ、またここでライブできたらいいよね」 自然とその言葉が口をついて出た。真司も麻里も、そして颯太も、どこか嬉しそうに笑う。「卒業までに、もう一度くらいは挑戦したいな。せっかくならさ、もっと多くの人に聴いてもらいたい」

 まばゆい春の光が、遠くの空を照らす。その光に手を伸ばすように、彼らの思いは少し先の未来へ飛んでいく。進路のこと、受験のこと、家族との話し合い――日々の不安も決して小さくはない。だけど、それでも音楽を続けたい。心が動く瞬間をまだまだ味わっていたい。

 数日後、四人は新学期の始業式を終え、それぞれクラス替えの慌ただしさに戸惑いつつも、春の光に胸を躍らせていた。三年生になった彼らは校舎の最上階の教室に入り、窓から見下ろす景色に一抹の寂しさと期待を感じる。「ここからの一年、あっという間なんだろうな」 麻里が窓の外の桜のつぼみを見つめながら呟く。

「うん。でも、それは充実した時間が過ぎるってことじゃない?」 陽菜はギターケースを肩に提げつつ、笑顔を見せる。真司もドラムスティックで小さくリズムを刻みながら、「ま、そうだな」と頷いた。

「進路とか勉強で忙しくなるけど……なんとか折り合いつけて、また音を作ろうよ」 颯太はキーボードの譜面ファイルを抱えたまま、みんなに視線を巡らせる。そこには、冬の終わりまでとは違う、もう少しだけ大人びた顔つきの仲間たちがいた。

 校庭の桜が咲き始めるころ、日差しは確実に暖かさを増していた。昇降口からグラウンドへ目をやると、新入生たちが初々しい姿で部活動を物色している。そんな風景を横目に、軽音部の部室へ向かう四人の足取りは弾んでいる。

 ドアを開けると、春の柔らかな光が差し込み、埃まじりの空気がほわりと漂った。真司が窓を開け放つと、新鮮な風が楽譜や譜面台をそっと揺らす。「よし……新曲、もう少し詰めてみようか」 陽菜がギターのストラップを掛け直し、改めて気を引き締める。

 春風に乗るように、最初のコードを鳴らす。軽やかなドラムのビートと、跳ねるようなベースライン。颯太のキーボードは、まるで桜の花びらが舞い降りるみたいに柔らかいタッチで音の彩りを添える。 ――あの日、静岡パナコの屋上で始まった彼らの物語は、季節をめぐりながら次のステージへ進んでいく。

 誰にもわからない未来を前にして、胸に浮かぶいくつもの想い。それでも、この音を続けたいという気持ちだけは揺るがない。何度も重ねてきた和音とリズムのように、少しずつ少しずつ、彼らは新しいハーモニーを作り上げていくだろう。

 部室の窓の外、桜の薄紅が風に踊る。透き通る春の光を浴びながら、音楽はさらに高みへと伸びていく。遠くにそびえるパナコの看板は、ビル群の向こうで相変わらず静かに街を見下ろしていた。 あの屋上ライブで感じた、胸を突き上げるような熱――それはきっと、これからも季節を超えて、彼らの「パナコの青春」を照らし続ける。

 ――そしてまた、新たなメロディが生まれる。その一音一音が、春の風に乗って街を彩り、彼ら自身をも大人へと変えていくのだろう。

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