七間町のミニ映画会、暗がりの笑い
- 山崎行政書士事務所
- 2025年12月23日
- 読了時間: 8分

幹夫青年が七間町へ出て来たのは、映画が見たいといふ立派な趣味の発露ではない。 第一、映画といふものは、見たあとに「何を感じたか」を言はねばならぬやうな顔をしてゐる。それが幹夫には面倒で、面倒だと思ふ自分をまた卑怯だと思ひ、卑怯だと思ふと、ますます面倒になる――といふ循環を、彼はすでに何度も繰り返してゐた。
けれど今夜は、家へ帰る道が少しだけ頑固に曲つてゐた。 帰つてしまへば、机の上の紙切れや、返信の遅れた通知や、なんとなく自分の顔を責める灯りが、きちんと並んで待つてゐる。待つてゐるものへ帰るのが嫌で、人は往々、待たぬ場所へ逃げる。幹夫は逃げる先として、七間町の看板の明かりを選んだだけだ。
七間町通りは、静岡の夜の中では幾分、娯楽の顔をしてゐる。 飲食店の灯が横へひろがり、ビルの硝子が往来の人の影を二重に映し、どこかの店のドアが開くたび、料理の匂ひと笑ひ声が一緒にこぼれる。笑ひ声は、外へ出た途端に街の風にほぐされて、こちらの耳へ軽く届く。幹夫は、その軽さが好きだつた。笑ひ声は、こちらの返事を要求しない。
幹夫が歩いてゐると、電柱に貼られた小さな紙が目についた。 派手な宣伝ではない。手書きで、墨のやうな黒い字。
今夜 ミニ映画会 七時半 (短篇いくつか) 終演後 お茶あり ——ひとり歓迎。
「ひとり歓迎」といふ文句が、幹夫には妙に刺さつた。 ひとりを歓迎するとは、どういふ了見だらう。普通、歓迎は群れへ言ふものだ。ひとりは、勝手にそこにゐるだけで、歓迎などされぬ。歓迎されぬ代りに、誰からも責められぬ――と幹夫は思ひ込んでゐた。 ところが「ひとり歓迎」と書いてしまふと、ひとりがひとりのままでゐることに、札をつけて許すことになる。許されると、卑怯が少しだけ引つ込む。
幹夫は、紙の矢印の通りに、ビルの細い階段を上つた。 階段を上るときは、いつでも自分の足音が気になる。足音が気になるのは、自分がそこにゐるのがばれてしまふからだ。ばれてしまふのが怖いなら来なければいいのに、来てしまふ。来てしまふところが、幹夫のやうな青年の滑稽であり、同時に可愛げでもある――などと、自分で自分を評してみて、また少し赤面した。
二階の踊り場に、ドアがあつた。 ドアのガラス越しに、薄い灯りが見える。中から、珈琲の匂ひと、紙の匂ひがする。 幹夫は一度だけ深呼吸をし、ノックをした。
扉を開けたのは、若い男であつた。 Tシャツにカーディガン、眼鏡の奥の目がよく動く。商売の笑ひではない。むしろ、今夜の上映がうまく行くかどうかで頭がいっぱいの顔である。
「いらつしやい。どうぞ。初めてですか」
「……はい」
「大丈夫です。みんな初めてみたいな顔して来ますから」
この「みんな初めてみたいな顔」が、幹夫にはありがたかつた。 初めてみたいな顔――つまり、慣れたふりをしなくていい、といふことである。
部屋は、小さな喫茶店のやうであつた。 椅子が十数脚、前に白いスクリーン。壁には古い映画のポスターが何枚か貼つてあり、角がすこし反つてゐる。テーブルの上に、紙コップとクッキー。奥には電気ポット。 こぢんまりしてゐるが、こぢんまりしてゐるからこそ、嘘が利かぬ。嘘が利かぬのに、息が苦しくない。ここが不思議だ。嘘をつかねばならぬ場所ほど息が苦しくなるのに、嘘が利かぬ場所で息が楽になることもある。
客は、十人ほどゐた。 年配の夫婦が一組、仕事帰りらしい女が二人、学生らしい男が一人、そして、幹夫と同じやうに「ひとりの顔」をしてゐる者が二三人。皆、声は小さいが、目はどこか明るい。 幹夫は、その「目の明るさ」が羨ましかつた。明るい目は、だいたい自分で選ぶ。選ぶためには、少し勇気が要る。
席は自由らしい。幹夫は後ろの端に腰を下ろした。 隣に、若い女がゐた。髪をまとめ、膝に小さなノートを置いてゐる。ノートを置いてゐるだけで、幹夫は急に落ち着かなくなつた。ノートを持つ人間は、こちらの恥を文字にしてしまふ気がするからだ。 しかし女は、幹夫の方を見もしない。見もしないが、無視もしない。ほどよい距離で、ただ同じ暗がりを待つてゐる。
やがて灯りが落ちた。 部屋は暗くなり、スクリーンだけが白く浮く。暗がりといふものは、人の顔の輪郭をほどよく消す。輪郭が消えると、人は少しだけ自由になる。幹夫はその自由を、いましがた手に入れた。
最初の短篇は、古い白黒の喜劇であつた。 言葉は少なく、身振りが大きい。男が慌て、帽子が飛び、椅子が倒れ、犬が走る。 幹夫は、最初こそ笑ふのを遠慮した。笑ふと、楽しんでゐる人間だとばれてしまふ。楽しんでゐる人間だとばれるのが、なぜだか恥づかしい。 だが、暗がりの中では、笑ひは声より先に胸の中でほどける。ほどけたものは、もう止めやうがない。
帽子が飛んだ瞬間、幹夫はふつ、と息を漏らした。 ふつ――その程度の笑ひである。 ところが同じ瞬間、隣の女も、ふつ、と笑つた。 声は小さいのに、タイミングが揃ふと、不思議に胸が温かくなる。温かくなると、自分だけの暗がりが、少しだけ「共有」になる。
次の場面でも、二人の笑ひが揃つた。 今度は、女の笑ひの方が少し早い。幹夫は遅れて笑ふ。遅れて笑つても、恥づかしくない。遅れた分だけ、女の笑ひがこちらを引つ張つてくれる。 幹夫は、笑ひにも「手を引かれる」形があるのを知つた。
二本目は、短いドキュメンタリーのやうなものだつた。 静岡ではない、どこかの町の朝の風景。パン屋の湯気、自転車、駅の改札、犬の散歩。 特別な事件は起こらぬ。ただ、人の生活の手つきだけが映る。 生活の手つきは、いつ見ても強い。強いが、威張らない。幹夫は、その威張らぬ強さが好きだつた。威張らぬ強さは、見てゐるだけで人を前向きにする。
三本目が終はると、灯りが点いた。 スクリーンの白が消え、部屋の壁の色と、人の顔が戻つて来る。戻つて来ると、幹夫は少しだけ現実へ戻される。戻されるのが厭なやうで、しかし、今夜の戻され方は悪くなかつた。笑つたあとに戻る現実は、角が少し取れてゐる。
上映会の主催らしい男が前へ出て、軽く話し始めた。
「ありがとうございます。今日は“笑ひの短篇”を集めました。……感想は、立派に言はなくて大丈夫です。ひとことでも、頷くだけでも」
立派に言はなくて大丈夫――。 その一言で、幹夫の肩が少し下りた。立派に言はねばならぬ場が一つ減ると、人生は案外、生きやすい。
「終演後のお茶」が始まつた。 紙コップに珈琲、紅茶、ほうじ茶。クッキーが皿に並ぶ。 人がぽつぽつ話し始める。話題は映画のことだが、すぐに「今夜は寒いね」だの「七間町のこの辺、昔は映画館だらけで」だの、生活の話へ移る。生活の話へ移ると、幹夫は少し安心する。生活の話は、正解がない。
幹夫は立ち上がり、ほうじ茶を取つた。 茶の香が、暗がりの余韻をきれいに拭いてくれる。ほうじ茶の香は、何でもない顔をして人を温める。温められると、幹夫は余計な言ひ訳を作る暇がなくなる。
そのとき、隣の女がふと、幹夫に向いて言つた。
「さつき、同じとこで笑ひましたね」
幹夫は、ぎくりとした。 ばれてしまつた。楽しんでゐる人間だとばれてしまつた。 だが、女の言ひ方は、咎めるでもなく、からかふでもない。むしろ「よかつたですね」と言つてゐる顔である。 幹夫は、その顔に救はれた。
「……ええ。帽子のとこ」
「帽子って、落ちるだけで面白いんですよね」
「落ちるだけで……」
幹夫は、思はず笑つた。 女も笑つた。 今度は暗がりではない。灯りの中で笑ふ。灯りの中で笑へると、暗がりで得た自由が少し現実へ延びる。
「初めて来たんですか」
女が聞く。
「はい。あの、『ひとり歓迎』が……」
「ですよね。あれ、助かります」
助かります。 助かる、といふ言葉を、こんなところで聞くとは思はなかつた。映画会で助かる。笑ひで助かる。 幹夫は、助かるといふのは立派な救済ではなく、こんなふうに小さく起こるものかもしれぬと思つた。
女はノートを指で叩いて言つた。
「感想、書いておくと、次来たときに思ひ出せるんですよ。……しおりみたいに」
しおり。 幹夫は、用宗で拾つた“しおり”のことをふと思ひ出した。 つづきは、またここから。 映画も、生活も、つづきはまたここからでいい。完璧な続きでなくても、しるしがあれば戻れる。
「……僕も、ひとこと書いてみようかな」
幹夫が言ふと、女は、押しつけがましくなく頷いた。
「いいと思います。立派に書かなくていいですし」
立派に――が、また出た。 幹夫は、今夜何度も「立派にしなくていい」に助けられてゐる。 助けられてゐるのに、助けられてゐる顔をするのは照れ臭い。だから幹夫は、少しだけ冗談めかして言つた。
「立派にしないの、得意なんです」
女が、ふつ、と笑つた。
「それ、わりと才能ですよ」
才能。 幹夫はその言葉に、今夜いちばん救はれた。 才能と言はれても、彼はすぐ自分を偉くする気にならない。女の言ひ方が、ほうじ茶みたいに軽いからだ。軽いから、受け取れる。
壁際に、感想カードを貼る小さなボードがあつた。 幹夫はペンを借り、カードに一行だけ書いた。
暗がりで笑つたら、帰り道が軽い。
書いて貼ると、胸の中で「ちん」と音がした気がした。 十円玉ではない。言葉の音である。言葉が音を持つとき、人は少しだけ前へ出る。
上映会が終はり、皆がぽつぽつ帰り支度をした。 幹夫も外へ出る。 七間町の灯はさつきより少し柔らかい。柔らかいのは街の灯が変つたのではない。幹夫の目の角が、ほんの少し取れたのである。
階段を下りるとき、さつきの主催の男が言つた。
「また来てください。来月もやります」
幹夫は、反射で「はい」と言ひさうになり、言ひ直して言つた。
「……また来ます」
言つてしまつた。 約束のやうで、約束ほど重くない。予定のやうで、予定ほど義務でない。 この程度の「また」は、幹夫にはちやうどよい。
駅へ向かふ途中、幹夫はスマホを出し、短く打つた。 誰宛でもよいが、今日は、返事を遅らせてゐた相手の名を選んだ。長文は書かない。長文は言ひ訳の巣になる。
――「七間町で映画会。暗がりで笑つた。帰り道が軽い。今夜、ちゃんと話す。」
送信して、幹夫は息を吸つた。 夜の空気はまだ冷たい。だが、冷たさが正確で、厭らしくない。 幹夫青年は、七間町の暗がりで笑つてしまつた。 笑つてしまへば、今夜のところはそれで勝ちである。





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