top of page

十五駅の逆さ暗号

―静鉄静岡清水線・山崎行政書士事務所第二事件―

序章 左上のQR

雨は、線路の上では音を立てない。

ただ、駅のホームの屋根を叩き、案内板の光をにじませ、広告ポスターの白い縁取りをぼんやり浮かび上がらせていた。

新静岡駅。

午後六時五十二分。

山崎行政書士事務所の代表、山崎哲央は、改札横に掲げられた紫色のポスターの前で立ち止まった。

「迅速で的確な法務サポートをご提供します!」

眼鏡をかけた黒髪の女性キャラクター。左上に事務所名。下にQRコード。

三か月前、全十五駅の広告が、殺人事件の謎を解く手がかりになった。

あの事件のあと、山崎は広告を撤去することも考えた。

だが、亡くなった宮沢琴音が最後に残した言葉を思い出し、やめた。

広告は、ただ人を誘導するものではない。必要な人に、必要な声を届けるものだ。

だから今日、ポスターのQRページは刷新される予定だった。

相続、許認可、内容証明、企業法務、クラウド管理。

十五駅それぞれの相談テーマへつながる新しい案内ページ。

その公開確認のため、山崎は、静岡県警の白鳥伸一郎警部、小野寺沙織刑事、そして広告管理会社の関係者らとともに、静岡清水線を新清水まで乗り通すことになっていた。

「山崎先生」

声をかけてきたのは、久能湊だった。

中学二年生。山崎の依頼者の息子で、鉄道と暗号が好きな少年だ。今日は母親の相談に付き添って事務所へ来たところ、山崎がポスター点検に向かうと聞いて、無理を言って同行していた。

「本当に全部の駅で違うQRなんですね」

「そうだよ。駅ごとに相談内容を分けてある」

「でも、先生」

湊は紫色のポスターを指さした。

「このQR、左上じゃないです」

「え?」

「ほら、事務所名は左上ですけど、QRはその下。ポスターによっては右下にあるのもありますよね。前に先生の広告をネットで見ました」

山崎は苦笑した。

「よく覚えているね」

その時だった。

山崎のスマートフォンが震えた。

差出人不明。

本文は短かった。

十五駅を終点までに読め。左上の黒い正方形から始めよ。外せば、証人が消える。19:45まで。

続けて、通話が入った。

画面には、松永恵理の名前。

三か月前の事件で存在が明らかになった、清水港開発計画の相続人。今は警察の保護下にある重要証人だった。

山崎はすぐに出た。

「松永さん?」

受話口の向こうで、荒い息が聞こえた。

「山崎先生……駅のポスターが……私の名前を呼んでいるんです」

「どこにいるんですか?」

「分かりません。目隠しを……でも、電車の音が……」

雑音。

そして、女の声が震えた。

「十五枚目までに、見つけてください」

電話は切れた。

白鳥警部の表情が変わった。

「小野寺、保護担当に連絡。松永恵理の所在を確認しろ」

「はい!」

湊が、スマートフォンの画面を見つめていた。

「先生」

「どうした?」

「この脅迫文、変です」

「どこが?」

「“左上の黒い正方形”って、QRのことですよね。でも、十五枚全部が左上にあるわけじゃない。犯人は、ポスターを全部ちゃんと見ていないかもしれません」

列車の到着を告げるアナウンスが流れた。

新清水行き。

午後六時五十八分。

終点まで、およそ二十数分。

だが、タイムリミットは十九時四十五分。

山崎は紫色のポスターを見上げた。

三か月前、十五枚の広告は、死者の声を運んだ。

今夜は違う。

十五枚の広告が、まだ生きている人間を救えるかもしれなかった。

第一章 新静岡――「か」

新静岡駅のQRコードを読み込むと、山崎行政書士事務所の通常ページは表示されなかった。

黒い画面。

中央に白い一文字。

その下に、小さな文字。

左上から読め。終点で答え合わせをする。

白鳥が舌打ちした。

「QRページが書き換えられている」

広告管理会社から同行しているクラウド技術者、川辺真が顔を青くした。

「そんなはずは……管理権限は絞ってあります。更新できるのは、僕と、デザイナーの芦沢さんと、広告枠管理の橘さんだけです」

芦沢芽衣は二十代後半のデザイナーだった。前回の事件で亡くなった宮沢琴音の後任として、今回の刷新を担当している。

橘直人は静鉄沿線広告の管理責任者。年配で、駅施設の裏側にも詳しい男だ。

白鳥は三人を見た。

「その三人全員が、今ここにいる」

午後七時ちょうど。

列車のドアが閉まった。

十五駅の暗号列車が、動き出した。

第二章 日吉町――「わ」

日吉町駅。

黄色いポスター。

「ITもクラウドも笑顔で明るくサポートします!」

QRを読み込む。

湊は手帳に書いた。

新静岡 か日吉町 わ

「“かわ”ですね」

小野寺が言った。

「川辺さんの“川”ですか」

川辺が慌てて首を振った。

「違います! 僕じゃありません!」

白鳥は何も言わなかった。

列車は短く停まり、すぐに走り出す。

窓の外の雨粒が、線になって後ろへ流れていった。

第三章 音羽町――「え」

音羽町。

「許認可、要件整理から正確に。」

このポスターだけ、QRは右下にあった。

湊がすぐに言った。

「先生、これ、左上じゃないです。右下です」

QRを読み込む。

白鳥が湊の手帳をのぞいた。

「続けて読めば“かわえ”か?」

湊は首をひねった。

「でも、脅迫文は“左上から読め”って言ってます。右下のQRまで混ぜると、犯人の指示と違う」

山崎は言った。

「両方記録しよう」

湊は手帳を二段に分けた。

左上組。右下組。

音羽町の「え」は、右下組に入った。

第四章 春日町――「り」

春日町。

「書類作成、内容整理から正確に。」

これもQRは右下。

表示された文字は、

右下組は、

えり

湊がつぶやいた。

「えり……」

その瞬間、山崎は松永恵理の声を思い出した。

駅のポスターが、私の名前を呼んでいるんです。

白鳥も同じことを考えたらしい。

「偶然か?」

山崎は答えなかった。

列車は春日町を出た。

タイムリミットまで、三十分あまり。

第五章 柚木――「は」

柚木駅。

灰色のポスター。

「送る前にひと呼吸」「内容証明は、冷静な判断から」

QRは右下。

表示された文字は、

湊の手帳の右下組は、

えりは

「えりは……」

小野寺が眉を寄せる。

「松永恵理は、何だっていうの?」

その時、山崎のスマートフォンに動画が届いた。

差出人は、瀬名遼一。

フリーの調査記者。前回の事件後、清水港開発計画の不正を追っていた男だ。

動画には、椅子に縛られた瀬名が映っていた。

背景には、水色のポスター。

十五枚目、新清水駅のポスターだった。

「山崎先生」

動画の中の瀬名が言った。

「犯人は、川辺だ。あいつはクラウドの管理権限を使って、俺をここに閉じ込めた。松永恵理も危ない。終点までに止めろ」

映像はそこで切れた。

川辺が叫んだ。

「嘘です! 僕はずっとこの列車にいる!」

白鳥は動画の時刻を確認した。

十九時十三分。

「新清水の部屋に、今、瀬名がいるということか」

「でも、川辺さんはここにいる」

湊が動画を何度も巻き戻していた。

「……変だ」

山崎が尋ねた。

「何が?」

「この動画、今じゃないかもしれません」

「どうして?」

湊はスマートフォンを山崎に見せた。

動画の背景、水色のポスター。

コピーはこうだった。

「Azureの不安、まずあなたの“声”から始めましょう」

湊は言った。

「今日、先生が出発前に言ってましたよね。十五枚目のコピーは、最後に少し直したって」

芦沢芽衣が息をのんだ。

「はい。最終版では、“まずはあなたの声から”に変えました。“は”を入れたんです。新清水の現物には、今日の夕方、修正シールを貼りました」

湊は動画の背景を指さした。

「でも、この動画のポスターには、“は”がない」

白鳥の目が鋭くなった。

「つまり、この動画は修正シールを貼る前に撮られた」

「少なくとも、今日の十八時四十分より前です」

芦沢が震える声で言った。

「私が新清水でシールを貼ったのは、十八時四十二分です」

山崎はスマートフォンを握りしめた。

動画は、現在の瀬名を映していない。

誰かが古い映像を、今送ったのだ。

第六章 長沼――「べ」

長沼駅。

ピンクのポスター。

「スマートなクラウド活用、しっかりサポートしますよ♪」

QRは左上。

表示された文字は、

左上組は、

かわべ

小野寺が川辺を見た。

「川辺、ですね」

川辺は両手を握りしめた。

「僕をはめようとしてるんです。だって、僕はこの列車に……!」

白鳥は低く言った。

「落ち着きなさい。はめようとしている可能性が出たからこそ、あなたは重要参考人から、むしろ重要な証人になりつつある」

川辺は黙った。

湊が手帳を見つめていた。

左上組は川辺を指している。右下組は松永恵理を指している。

二つの暗号が、同じ線路の上を逆方向に走っていた。

第七章 古庄――「を」

古庄。

黄緑色のポスター。

「難しい手続きもゆったりサポートで安心をお届け」

QRは左上。

左上組は、

かわべを

列車内の空気が重くなった。

犯人は、あからさまに川辺を指している。

だが、あからさますぎる。

山崎は、前回の事件を思い出していた。

本当に巧妙な犯人は、証拠を消すだけではない。証拠らしいものを作る。

そして人は、分かりやすい答えに飛びつく。

白鳥も同じことを考えているのか、川辺から目を離さず、それでいて拘束しようとはしなかった。

第八章 県総合運動場――「に」

県総合運動場駅。

「急がなくて、大丈夫です。」「相続は、安心から始めましょう」

QRは右下。

表示された文字は、

右下組は、

えりはに

小野寺が低く言った。

「“えりはに”……」

山崎は唇を結んだ。

松永恵理は、保護対象者だ。被害者のはずだ。だが暗号は、彼女を指している。

その時、保護担当から白鳥に連絡が入った。

「どうした」

白鳥は通話を聞き、表情を険しくした。

「……分かった。周辺を封鎖しろ」

通話を切ると、彼は言った。

「松永恵理が、保護先のホテルから消えた。監視の死角を突かれたらしい」

山崎の背筋が冷たくなった。

消えた証人。偽の動画。川辺を指す暗号。松永恵理を指す別の暗号。

列車は県総合運動場を出た。

雨は強くなっていた。

第九章 県立美術館前――「せ」

県立美術館前駅。

「クラウドの専門的な技術支援、確かな知識でお手伝いします」

このポスターのQRも右下だった。

表示された文字は、

右下組。

えりはにせ

「えりはにせ……」

湊が顔を上げた。

「偽物?」

誰も答えなかった。

だが、全員が同じ言葉を心の中で読んでいた。

松永恵理は、偽物。

白鳥が山崎に言った。

「先生。前回の事件で、松永恵理の本人確認は?」

「戸籍上の存在は確認されました。ただ、実際に名乗り出た女性の身元確認は、裁判の手続きの中で進む予定でした。彼女は長く所在不明だったので、資料が複雑で……」

「つまり、名乗り出た人物が本物とは、まだ完全には確定していない」

山崎はうなずいた。

「はい」

湊が震える声で言った。

「じゃあ、今誘拐されている人は……誰なんですか」

列車は草薙へ向かった。

第十章 草薙――「う」

草薙。

タブレットを持った男性キャラクターのポスター。

「申請フローも、RBACも。通す構成は整えて」

QRは左上。

左上組は、

かわべをう

川辺は青ざめたままだった。

「川辺をう……」

小野寺が続ける。

「疑え、ですね。たぶん」

白鳥は川辺に尋ねた。

「QRページを改ざんできるのは?」

「技術的には、管理画面に入れればできます。でも、今のログインには二段階認証が必要です。僕の端末は、ずっとここにあります」

「他人があなたのIDを使うことは?」

「バックアップコードがあれば……でも、あれは事務所に保管して……」

彼は突然、目を見開いた。

「瀬名さんです」

「何?」

「瀬名さんが、昨日、僕に取材したんです。クラウドの管理体制を見せてほしいって。僕、画面を開いたまま席を外した時間がありました。その時に、バックアップコードを撮られたかもしれない」

白鳥が言った。

「すると、瀬名自身が暗号を仕込んだ可能性がある」

山崎は首を横に振った。

「いえ。瀬名さんが自分で“川辺を疑え”と仕込む理由がない。少なくとも、自分が殺されるなら、真犯人を指すはずです」

湊が小さく言った。

「二つあるんです」

「二つ?」

「犯人が仕込んだ暗号と、瀬名さんが隠した暗号。左上を読むと川辺さん。右下を読むと松永恵理。たぶん、瀬名さんは犯人にページを奪われることを予想して、もう一つの読み方を隠したんです」

白鳥が少年を見た。

「どうしてそう思う?」

湊は脅迫文を見せた。

「犯人は“左上の黒い正方形から始めよ”と書いています。でも、右下にQRがあるポスターもある。これはミスです。犯人は現物を全部見ていない。でも瀬名さんなら、調査記者だから、現物の配置まで確認していたはずです」

山崎は、少年の手帳を見つめた。

たしかに二本の線がある。

川辺を疑え。恵理は偽物。

どちらが犯人の線で、どちらが死者の線か。

列車は御門台へ進んだ。

第十一章 御門台――「た」

御門台。

ヘッドホンの青年。

「焦るログより、落ち着いた音楽と構成の見直しを」

QRは左上。

左上組は、

かわべをうた

この駅のコピーを見た瞬間、山崎は前回の事件を思い出した。

焦るログより、落ち着いた音楽。

ログは人をだます。だが、構成は嘘をつく時に歪む。

今回も同じだった。

犯人は「川辺を疑え」という筋書きを用意した。

しかし、瀬名はその筋書きの内側に、別の筋書きを隠した。

山崎は言った。

「白鳥警部。新清水のPR室を至急確認してください。瀬名さんが本当にそこにいるなら、今すぐ踏み込むべきです」

白鳥はすでに電話をかけていた。

「新清水駅二階のPR室だ。施錠されていても開けろ。人命優先だ」

通話の向こうから、慌ただしい声が聞こえた。

数十秒後。

白鳥の顔が変わった。

「……分かった。誰にも触らせるな」

通話を切る。

「新清水のPR室で、男性が倒れている。意識なし。身元は確認中」

山崎は目を閉じた。

瀬名遼一。

おそらく、もう遅かった。

第十二章 狐ヶ崎――「が」

狐ヶ崎。

青い背景のポスター。

「企業法務・クラウドのお悩みはお任せください!」

QRは左上。

左上組は、

かわべをうたが

川辺が苦しそうに言った。

「もう、僕を疑えって言ってるじゃないですか」

山崎は静かに答えた。

「だからこそ、疑う前に考えるんです」

「でも、瀬名さんは動画で僕の名前を」

「その動画は、現在の映像ではありません」

「でも、僕のIDでページが……」

「IDは、本人でなくても使えます」

川辺は黙り込んだ。

湊が窓の外を見ていた。

「先生」

「ん?」

「犯人って、川辺さんを疑わせたいんですよね」

「そうだね」

「じゃあ、どうして“かわべが犯人”って書かなかったんでしょう」

山崎は一瞬、考えた。

「“疑え”で止めた」

「はい。“疑え”って、断定じゃない。まるで、警察に調べさせたいだけみたいです。川辺さんの端末とか、IDとか。そこで何かを見つけさせるために」

白鳥が言った。

「偽の証拠を、川辺の周辺に仕込んでいる可能性がある」

湊はうなずいた。

「犯人は、答えを押しつけているんじゃなくて、捜査の向きを変えたいんです」

小野寺が少年を見た。

「君、本当に中学生?」

湊は少し照れて、視線を落とした。

列車は桜橋へ向かった。

第十三章 桜橋――「も」

桜橋。

オレンジ色のポスター。

「監視も広報も、すべては伝わるが起点になる」

QRは右下。

右下組は、

えりはにせも

山崎の中で、言葉が固まっていく。

えりはにせもの。

白鳥は低い声で言った。

「松永恵理は偽物。もしそうなら、動機は何だ」

山崎は答えた。

「相続です。開発計画の土地。同意書。補償金。許認可。前回の事件で、秋津有司は相続人を一人消そうとした。ですが、もし名乗り出た相続人そのものが偽物だったら……」

「前回の事件の根は、まだ残っていた」

「はい」

芦沢芽衣が口を押さえた。

「そんな……松永さん、あんなに怯えていたのに」

山崎は彼女を見た。

「芦沢さん、あなたは松永恵理さんと面識がありますか」

「一度だけ。広告の打ち合わせで、事務所にいらした時に」

「何か気づいたことは?」

芦沢は少し考えた。

「左手首に、小さな火傷の痕がありました。昔、施設で火事に遭ったと話していました」

山崎はその言葉を覚えた。

施設。火傷。所在不明。

瀬名は、何を掴んでいたのか。

第十四章 入江岡――「の」

入江岡。

濃い青のポスター。

「静かに情熱を燃やす、インフラ設計のナビゲーター」

QRは右下。

右下組は完成した。

えりはにせもの

恵理は偽物。

湊は手帳を山崎に渡した。

「先生。これ、瀬名さんの本当のメッセージですよね」

山崎はうなずいた。

「おそらく」

白鳥が言った。

「だが、偽物だからといって、殺人犯とは限らない」

「その通りです」

山崎は、十五駅目のことを考えていた。

新清水。

水色のポスター。

“声”から始めましょう。

前回の事件も、最後は声だった。

今回も、声が残っているはずだ。

第十五章 新清水――「え」

新清水駅。

列車が終点に着いた時、十九時三十一分だった。

雨は小降りになっていた。

山崎たちが改札を抜けると、駅員と警察官が慌ただしく動いていた。

二階のPR室は施錠されていた。駅員が非常用の鍵で開けると、瀬名遼一が倒れていた。

死亡していた。

首には絞められた痕。机の上にはノートパソコン。床には倒れた椅子。そして壁には、水色のポスター。

「Azureの不安、まずはあなたの“声”から始めましょう」

修正シールの「は」が、そこには確かに貼られていた。

白鳥は現場を見回した。

「動画の背景には、この“は”がなかった。瀬名は、少なくとも十八時四十二分以降には、この状態のポスターの前で撮影されていない」

小野寺が報告した。

「PR室の入退室記録では、十八時三十六分に瀬名が入室。十八時四十七分に広告スタッフらしき人物が退室。その後、十九時二十九分に駅員が開けるまで記録はありません」

「広告スタッフ?」

「帽子、マスク、レインコート。性別不明です」

橘が顔をしかめた。

「今日は臨時の貼り替えがあったので、業者が出入りしても不自然ではありません」

芦沢が首を振った。

「でも、新清水の修正シールは私が貼りました。十八時四十二分です。その時、瀬名さんはまだ生きていました。椅子に座って、私に『ポスターは人をだますこともあるんですね』って……」

山崎はその言葉に引っかかった。

ポスターは、人をだますこともある。

瀬名は、その時すでに何かを知っていた。

白鳥が現場のパソコンを確認した。

画面には、クラウド管理ページのログが開いている。

更新者は、川辺真のID。

左上組の暗号を表示させたアクセス記録。

白鳥は言った。

「犯人は本当に川辺をはめるつもりだったようだ」

川辺は震えていた。

「僕じゃありません……本当に……」

湊がPR室のポスターを見ていた。

「先生、十五枚目のQRは左上です」

山崎はうなずいた。

「読み込もう」

水色のポスターのQRを読み込む。

表示された文字は、

左上組が完成した。

かわべをうたがえ

川辺を疑え。

あまりにも分かりやすい答え。

しかし、その隣で、右下組も完成していた。

恵理は偽物。

山崎は、新清水のポスターの下部を見た。

右下にはQRがない。

しかし、そこには小さな印刷番号があった。

S15-R.

湊が言った。

「先生、右下の駅だけが本当の暗号なら、最後は新清水じゃなくて入江岡で終わってます」

「そうだね」

「じゃあ、十五枚目には、文字じゃなくて別のものがあるんじゃないですか」

山崎はポスターの額縁を見た。

新清水のポスターは、今日の夕方、修正シールを貼るために一度外されている。

瀬名はそれを知っていた。

「白鳥警部。ポスターの裏を確認してもいいですか」

白鳥は駅員に許可を取った。

額縁を外す。

裏側に、薄い封筒が貼り付けられていた。

封筒の表には、瀬名の字で一言。

声は、裏にある。

中には、小型の記録媒体が入っていた。

第十六章 偽物の証人

記録媒体には、音声データと写真資料が保存されていた。

白鳥がノートパソコンで再生する。

雑音。

次に、瀬名の声。

「松永恵理と名乗る女性は、本人ではない。戸籍上の松永恵理は、幼少期に別名で施設に預けられ、その後、芦沢家に養子縁組されている可能性が高い」

芦沢芽衣の顔が白くなった。

「え……?」

音声は続く。

「現在、松永恵理を名乗る女性は、早瀬美羽。秋津有司と接触歴がある。秋津は彼女を相続人に仕立て、開発計画の同意書を進めようとしていた」

川辺が息をのんだ。

白鳥は黙って聞いている。

次に、別の音声が流れた。

女の声。

「その資料を出したら、私だけじゃない。あなたも終わるわよ、瀬名さん」

瀬名の声。

「本物の松永恵理を探した。もう見つけた」

女の声が低くなる。

「誰?」

瀬名。

「ポスターを作った人だよ。皮肉だろう? 彼女は自分の名前を知らずに、山崎事務所の広告を作っていた」

芦沢芽衣はその場に座り込んだ。

「私が……松永恵理?」

山崎は、彼女を支えた。

「まだ確定には正式な手続きが必要です。でも、瀬名さんはその可能性をかなり高く見ていた」

白鳥は音声を止めた。

「これで、現在の松永恵理を名乗る人物には動機がある」

小野寺が報告を受けて、顔を上げた。

「警部。松永恵理が見つかりました。草薙駅近くの路地で、通行人に助けを求めたそうです。今、こちらへ向かっています」

白鳥は静かに言った。

「では、最後の答え合わせだ」

第十七章 答え合わせ

二十分後。

松永恵理を名乗る女性が、新清水駅の待合室に現れた。

濡れた髪。震える肩。左手首には包帯が巻かれている。

「山崎先生……怖かった……」

彼女は山崎へ駆け寄ろうとした。

だが、白鳥が一歩前に出た。

「お話を聞かせてください」

「はい……犯人に連れ去られて……暗い部屋に……電車の音がずっと聞こえて……」

白鳥は淡々と尋ねた。

「犯人の顔は?」

「見えません。男の声でした」

「瀬名遼一さんとは、最後にいつ会いましたか」

彼女は一瞬、目を見開いた。

その一瞬を、山崎は見逃さなかった。

「瀬名さん……」

白鳥はまだ、瀬名の死亡を彼女に伝えていなかった。

彼女は唇を震わせた。

「瀬名さんは……亡くなったんですか?」

待合室が静まり返った。

小野寺が鋭く言った。

「なぜ、瀬名さんが亡くなったと思ったんですか」

「だって……皆さんの顔が……」

白鳥は言った。

「我々は、あなたに瀬名さんの名前すら出していません」

彼女の目が揺れた。

湊が小さくつぶやいた。

「知ってたんだ」

山崎は静かに言った。

「あなたは誘拐されていません。あなたは十八時四十七分、広告スタッフに変装して新清水のPR室を出た。瀬名さんを殺害したあとです」

「違います!」

「瀬名さんは、あなたの正体を知った。あなたは松永恵理ではない。早瀬美羽さんですね」

女の顔から、怯えが消えた。

かわりに、硬い笑みが浮かんだ。

「証拠は?」

白鳥が音声データを再生した。

彼女自身の声が流れる。

「その資料を出したら、私だけじゃない。あなたも終わるわよ、瀬名さん」

女は黙った。

山崎は続けた。

「あなたは瀬名さんの資料を奪おうとした。しかし、彼は十五枚のポスターに暗号を隠していた。犯人がクラウドページを書き換えることを予想して、右下のQRだけを読ませる二重暗号を残したんです」

「右下……?」

女の眉がわずかに動いた。

湊が言った。

「あなたは“左上の黒い正方形から始めよ”って書いた。けど、全部のQRが左上だと思っていた。それが失敗でした」

女は少年をにらんだ。

「中学生に……」

「僕はただ、見ただけです」

湊は言った。

「ポスターをちゃんと見ただけです」

白鳥が告げた。

「早瀬美羽さん。瀬名遼一さん殺害、および証拠偽造の容疑で、署まで同行していただきます」

女はしばらく黙っていた。

やがて、ぽつりと言った。

「私は、ただ……一度でいいから、誰かの“本物”になりたかっただけ」

山崎は答えなかった。

本物になりたいという願いが、人を殺していい理由にはならない。

彼女は連れて行かれた。

雨は、もうやんでいた。

終章 十五枚目の裏側

芦沢芽衣は、待合室のベンチに座ったまま、手を震わせていた。

「私が、松永恵理……」

山崎は隣に座った。

「今すぐ断定する必要はありません。戸籍、養子縁組、施設記録、DNA鑑定。順番に確認しましょう」

「怖いです」

「急がなくて、大丈夫です」

その言葉に、芦沢は少し笑った。

「それ、ポスターのコピーみたいですね」

「ええ。県総合運動場駅の八枚目です」

湊が手帳を閉じた。

「先生、今回もポスターが解いたんですね」

山崎は新清水の水色のポスターを見た。

「ポスターが解いたんじゃない」

「え?」

「ポスターを見た人が、解いたんだよ」

白鳥警部が近づいてきた。

「山崎先生、瀬名の記録媒体に、もう一つ音声がありました」

再生されたのは、瀬名の最後の録音だった。

「山崎先生。もしこれを聞いているなら、俺は間に合わなかったんでしょう。すみません。あなたの広告を、また事件に使うことになった」

短い沈黙。

「でも、宮沢琴音さんが作った十五枚は、ただの宣伝じゃない。人が見落としたものを、見直すための道標だ。左上だけ見るな。右下も見ろ。正面だけ見るな。裏も見ろ。声だけ聞くな。息も聞け」

録音の最後に、瀬名は少し笑った。

「名探偵によろしく」

湊が目を丸くした。

「名探偵って……誰のことですかね」

小野寺が笑った。

「君じゃない?」

湊は耳まで赤くなった。

山崎は、十五枚目のポスターをもう一度見た。

「Azureの不安、まずはあなたの“声”から始めましょう」

声は、表だけにあるとは限らない。裏にもある。沈黙にもある。そして、間違った場所に置かれたQRコードにもある。

新清水駅に、新静岡行きの列車が入ってきた。

短い路線を、何度も往復する静鉄の列車。

十五駅のポスターは、これからもそこにある。

誰かの不安を受け止めるために。誰かの嘘を見抜くために。そして、誰かの本当の名前を、いつか本人へ返すために。

 
 
 

Instagram​​

Microsoft、Azure、Microsoft 365、Entra は米国 Microsoft Corporation の商標または登録商標です。
本ページは一般的な情報提供を目的とし、個別案件は状況に応じて整理手順が異なります。

※本ページに登場するイラストはイメージです。
Microsoft および Azure 公式キャラクターではありません。

Microsoft, Azure, and Microsoft 365 are trademarks of Microsoft Corporation.
We are an independent service provider.

​所在地:静岡市

©2024 山崎行政書士事務所。Wix.com で作成されました。

bottom of page