午後の制服
- 山崎行政書士事務所
- 2025年12月22日
- 読了時間: 6分

その日の静岡の午後は、街全体が一枚の刃で磨かれてゐるやうに澄んでゐた。駿府の空は冬へ移る手前の乾きを帯び、光は湿りを拒んで、あらゆる輪郭を尖らせた。歩道の白線は白線として冷たく、電線の影は影として正確で、呉服町の硝子戸に映る人影さへ、どこか測量図のやうに歪みなく見えた。
幹夫はその光の下を歩きながら、ふと自分の衣服の曖昧さに気づいた。白いシャツ、灰色のズボン、くたびれた革靴。――どれも「着てゐる」といふより、身に纏つてゐるだけである。纏ふといふ言葉には、怠惰な余白がある。余白は温情の顔をするが、肉体を不誠実にする。幹夫は近頃、その不誠実さを最も憎んでゐた。
県立の高校の前へ来ると、門の内側から一群の音が溢れ出した。部活動の号令、靴の踵の乾いた衝突、笑ひ声の軽い破片。校舎の壁は淡い黄土色で、午後の光に洗はれてゐる。そこから出てくる少年たちは、ひとつの色に統一されてゐた。黒い詰襟、紺のブレザー、白いシャツの襟。女子の制服も、同じやうに規則の線を持つてゐる。制服――といふ言葉は、ただの衣服の種類を指すのではない。制服は社会が若い肉体へ着せる最初の「形式」である。形式のない美は、ただの発散に過ぎない。幹夫はそのことを、今さらながら息の奥で確かめた。
門から吐き出される生徒たちは、まるで整列を解かれた小さな部隊のやうに、自然に二列、三列の流れを作つて歩道へ出てくる。彼らの肩の高さ、歩幅の癖、鞄の揺れは、微妙に違ふ。にもかかはらず、制服はそれらの差異を一枚の黒い面に吸ひ取り、群れを群れとして成立させる。幹夫はその「成立」の気配に、奇妙な安心を覚えた。
近代は個人を讃へる。個性を尊び、自由を掲げ、束縛を疑ふ。だが自由といふものは、しばしば形を持たない。形を持たないものは、容易に醜くなる。醜さは必ずしも醜い顔をして現れない。むしろ善意の顔をし、柔らかな言葉を伴ひ、責任の所在を曖昧にする。その曖昧さが、幹夫には何より耐へがたかつた。
制服は、曖昧さを許さない。
制服の襟は首を締め、ネクタイは喉を選び、ボタンは胸を閉ぢる。閉ぢるといふことは、隠すことではない。閉ぢることで輪郭が際立つ。輪郭の際立つたものは、美へ近づく。幹夫は、少年たちが「自由」であるより先に、制服によつて輪郭を与へられてゐることに、残酷なほどの美を見た。
信号の前で流れが止まり、生徒たちは一斉に立ち止まつた。横断歩道の白線の手前で、集団がきちんと止まる。その瞬間、幹夫は胸の内側で、何かが静かに整列するのを感じた。立ち止まることさへ、形式の中に収まると美しい。止まることの美――それは運動の美よりも、むしろ危険な美である。止まる美は、死の美に近い。死は、動かないことによつて完成するからだ。
しかし幹夫は、すぐにその考へを振り払つた。死を美へ接続することは容易い。容易い道へ踏み込むのは、彼にとつて恥である。恥は、まだ意志が生きてゐる証拠だ。幹夫は恥を嫌ひながらも、恥を手放すほど堕落してゐないことを確かめた。
信号が青に変はり、生徒たちは再び流れ出した。今度は歩幅が揃ふ。靴音がひとつのリズムを作り、制服の布が同じ方向へ揺れる。幹夫はそのリズムを、行進曲の遠い残響のやうに感じた。行進は目的地へ向かふためではない。行進は「向かふ」といふ形を保つために行はれる。目的はしばしば裏切るが、形は裏切らない。形を裏切らないものに、幹夫は救ひを求めてゐたのだ。
そのとき、制服の列の中に一人、少しだけ異物がゐた。上着の前を開け、シャツの襟を崩し、鞄を肩から斜めにぶら下げてゐる少年である。周囲の整ひに対して、その崩れは目立つ。だが幹夫は、その崩れを「反抗」とは見なかつた。反抗は、自由の名のもとに形式を捨てることではない。形式を知つた上で、形式へ刃を当てることである。少年の崩れは刃ではなく、ただの未熟な緩みだつた。緩みは美を腐らせる。幹夫は緩みを嫌つた。
嫌ひながら、彼はまた別のことも感じた。緩みがあるからこそ、他の制服の緊張が際立つ。緊張があるからこそ、制服は衣服ではなく「規律」に見える。規律は、少年たちの内側にあるのではない。まず布地として外側にあり、外側から内側へ浸透してゆく。幹夫はその浸透の仕組みに、社会の冷たい知恵を見た。冷たい知恵は、時に美しい。
幹夫は自分の首もとを触つた。開いた第一ボタンの隙間が、ひどく無防備に感じられた。無防備は優しさのやうでいて、実はただの怠慢である。彼は指先でボタンを留めた。シャツの襟が首を抱き、喉のあたりに、僅かな圧が生まれた。その圧は不快ではない。むしろ、やつと自分の肉体が輪郭を与へられたやうに思へた。
彼は歩きながら、少年たちの背中を見送つた。制服の背中は、未来へ向かふ矢のやうに直線的である。未来があるから美しいのではない。未来があると信じ込めるから、美しい。信じ込めるといふことは、一種の無知である。無知は罪だと大人は言ふ。しかし無知には、確かな形式がある。形式がある無知は、時として知恵よりも潔い。幹夫はその潔さを、今は羨むより先に、畏れた。
高校の角を曲がると、校庭が少し見えた。砂の上に白いラインが引かれ、鉄棒があり、ゴールネットがある。そこには「競技」といふ形式がある。形式の中で汗をかく肉体は美しい。汗は清潔ではないが、汚さの中の正しさである。正しさは慰めではない。正しさは、次の行為へ向かふための冷たい猶予だ。
幹夫は、ふと自分の過去を思ひ出した。自分もかつて制服を着てゐた。あの頃の自分は、制服の力を理解してゐなかつた。制服を束縛と感じ、自由を夢見てゐた。だが自由の後に待つてゐたのは、束縛の不在ではなく、束縛の不在が生むだらしない余白だつた。余白は快楽を招き、快楽は意志を鈍らせる。鈍った意志は美を保てない。保てない美は、ただの虚飾である。
幹夫はそれを、身に沁みて知つてゐた。
だからこそ、彼は制服を見て心を動かされた。制服が欲しいのではない。制服が象徴する「形式」を、今、自分の肉体へ取り戻したいのだ。形式は与へられるものではない。与へられた形式は、ただの慣習である。形式を美にするには、自分で選び取らねばならない。選び取ることは、痛みを伴ふ。痛みを伴はぬ形式は、飾りに堕ちる。
幹夫は足を止め、街路樹の影の中で、静かに背筋を伸ばした。背筋が伸びると、胸郭が開き、呼吸が深くなる。深い呼吸は、思想を鎮める。思想が鎮まつたところに、意志が現れる。意志は言葉ではない。筋肉の緊張として現れる。
遠くで、校舎の鐘が鳴つた。音は乾いてゐる。乾いた音は、午後の光と同じやうに、情緒を拒む。幹夫はその拒み方に、ひとつの誇りを感じた。情緒は人を甘やかす。甘やかされた肉体は、いづれ形を失ふ。形を失つた肉体に、美は宿らない。
生徒たちの群れは、もう見えなくなつてゐた。制服の黒は角を曲がり、街の雑踏へ溶け、やがてただの記憶の線になる。それでも幹夫は、あの瞬間の整列を、眼の裏に焼きつけたまま歩き出した。
彼は決めた。今日から、自分の生活に制服を作らう、と。布地としての制服ではない。行為としての制服である。起きる時間、姿勢、歩幅、呼吸、鍛錬、言葉の節度。――さういふものを、誰にも命じられずに、自分で命じる。それが可能なら、彼は「自由」といふ曖昧な言葉を、ようやく一つの形にできるだらう。
夕方の光が少しずつ低くなり、幹夫の影が長く伸びた。影は街路の白線を跨ぎ、彼より先へ進む。影は制服を着ない。影はただ光の法則に従ふ。幹夫はその無責任さを羨む気にはなれなかつた。無責任な自由より、責任ある形式の方が、彼には美しかつた。
彼は歩いた。胸もとのボタンの圧を確かめながら。あの午後の制服が、もうどこにも見えぬことを知りながら。見えぬものを、しかし意志で再び纏ふことができる――そのことだけが、静岡の乾いた午後に、彼の肉体を少しだけ誠実にした。





コメント