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塔の見える坂でストラップが切れた――イスタンブール、ガラタの午後

エミノニュの桟橋を出ると、ガラタ橋の下からバルック・エキメキ(魚サンド)のにおいが立ちのぼり、ディーゼルの匂いと一緒に風が鼻をくすぐった。対岸の丘には、円錐帽をかぶったガラタ塔がぴんと突き出ている。歩き出してすぐ、サミット(ゴマのリングパン)の屋台で小銭を落とした。1リラ硬貨が石畳をシャリンと転げ、坂を駆け下りる。追いかける前に、近くの少年が蹴らずに靴の側面でそっと止め、掌に載せてくれた。「Buyurun(どうぞ)」。私は「Teşekkürler」と受け取り、ついでにサミットを一つ買うと、屋台の親父がナイフできっちり半分にして「Afiyet olsun(召し上がれ)」と笑った。半分は私へ、半分は鳶用だ――そう言って、空へちぎって投げる。白い翼が弧を描いて、パンは空で消えた。

塔へ向かう坂道は、思っていたより急だった。石畳に足を取られた拍子に、斜めがけバッグのストラップがブツンと切れた。焦っていると、路地の奥から古いミシンの音。「Kolay gelsin!(お疲れさま)」と声をかけながらのぞくと、年季の入ったテーラーが椅子から立ち上がり、手招きした。彼は私のバッグを手に取ると、「Beş dakika(5分ね)」とだけ言い、革端を斜めに落とし、太い糸で八の字に縫い直していく。作業の途中、銅の盆を提げたチャイ屋が「チャーイ、チャーイ」と通りかかり、チューリップ型グラスが二つ置かれた。私は砂糖なし、テーラーは角砂糖を二つ。縫い目が最後のひと針で締まるころ、グラスの底に残った赤い琥珀が光った。

代金を払おうとすると、テーラーは手を振って「Çay parası kadar(お茶代くらいで)」と言う。私は素直に多めに置き、彼のミシン台の端にはナザール・ボンジュウ(青い目玉のお守り)が揺れているのに気づいた。「Göz değmesin(悪い目が当たりませんように)」。彼はそれを一つ、私のバッグに結び付けてくれた。

塔の展望回廊は、海風が強かった。ボスポラスの銀色の筋、金角湾に浮かぶ渡し船、丘の向こうからアザーンが重なって聞こえる。手すりにもたれて目を閉じると、人と海鳥と汽笛の呼吸が一拍ずつ合っていく。隣では地元のカップルが自分撮りに苦戦している。私は「撮りましょうか」と申し出て、彼女のスカーフが風に踊るのを見て、さっきテーラーに教わった通り端をひとねじりして襟に通すと、布はたちまちおとなしくなった。シャッターのあと、彼らは「Sağ ol(ありがとう)」と笑い、私の手首の青いお守りを見つけて親指を立てた。

坂を下り、カラキョイのカフェで一息。椅子に座るやいなや、灰色の街の猫が当然のように膝に乗ってきた。テーブルの上の地図が猫の尻尾で半分隠れ、残った半分に「Kadıköy」の文字。店主が「Bu bizim patron(それうちのボス)」と肩をすくめ、グラスのチャイを一つサービスしてくれる。猫が私のサミットの袋を鼻で押してくるので、ゴマの欠片を指先でつまんで渡す。すぐに「yasak!(だめ!)」と店主が飛んできたが、猫はもう満足して、地図の上で丸くなった。

フェリー乗り場でイスタンブルカードのチャージに手間取り、機械の前で右往左往していたら、後ろの青年が「Bir daha dene(もう一回やって)」。表示のトルコ語をゆっくり読み上げ、“bip”という音が出るまで付き合ってくれた。「Güle güle kullan(たっぷり使ってね)」と笑って去っていく。お礼に小さなロクムを渡そうとしたが、彼は手を振って「Sonra birine ver(次は誰かに)」と言った。

船に乗ると、甲板のベンチは潮で少し濡れていた。隣の老人が紙ナプキンを二枚差し出し、私はそれを折って座布団代わりにする。売り子のチャイを受け取ると、波の揺れで少しこぼす。老人は笑って、ポケットから白いハンカチ。目が合うと「Afiyet olsun」。カップの中の琥珀色が、ガラタ塔の石肌の色とどこかでつながって見えた。

夕暮れ、岸に戻ると、橋の上では釣り人が糸を垂らし、下の屋台からレモンと焼き魚のにおい。私は一本だけバルック・エキメキを買い、片手で食べながらテーラーの店をもう一度のぞいた。彼はまだミシンに向かっていて、私のバッグを見ると「Nasıl?(具合は?)」と目で訊く。私はストラップを指でつまんでぐっと引く。縫い目は微動だにしない。「Tamam(ばっちり)」。彼は胸に手を当て、私も同じ仕草で返した。

夜の灯りがともるころ、塔は昼より少し近く見えた。今日一日の小さな出来事――転がった硬貨、八の字の縫い目、半分こしたサミット、風に負けないスカーフのひとねじり、チャイのしみを拭いた白いハンカチ、カードの**“bip”の音、青いお守り――それぞれが、石の街にやわらかい温度**を足してくれる。

イスタンブールは“物語の大都市”だけれど、心に残るのは大河のような歴史より、ポケットサイズの手当てだ。誰かの手が結び、誰かの声が教え、誰かの膝に猫が居座る。塔のてっぺんの灯りが一瞬だけ瞬いた。私はバッグのナザールを指で触り、心の中で**“Görüşürüz”**(またね)と小さくつぶやいた。明日もたぶん、坂は急で、風は気まぐれだ。でも、八の字の縫い目があれば大丈夫。

 
 
 

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