大和出撃4
- 山崎行政書士事務所
- 2025年12月29日
- 読了時間: 41分

第八章 昭和二十七年(1952) 講和成り
春の終りは、毎年、胸のどこかが忙しくなる。桜が散り、若草が濃くなり、風の匂ひが冬の残りを押し退けてゆく。その「押し退ける」力が、私には時に痛い。季節は勝手に前へ進む。私だけが、あの日の港の高台に置き去りのままなのに。
昭和二十七年の春は、町じゅうが言葉の忙しさに包まれてゐた。
「講和」「独立」「主権回復」「サンフランシスコの条約が発効する」
難しい言葉が、掲示板からも、新聞からも、ラジオからも、いっせいに飛び出してくる。子どもたちが「先生、こうわってなに」と首を傾げ、先生たちが「戦争が終って国がひとり立ちすることよ」と説明する。言葉は整ってゐる。けれど私は、その整ひ方に落ち着かなさを覚えた。
戦争が終った、といふのなら――。それは、いつ終ったのだらう。八月十五日か。それとも、篤志の電報が届いた日か。あるいは、去年、夕虹が出た堤で、私の靴音が軽くなったときか。
「国がひとり立ちする」――その「国」とは、誰のことだらう。私の中の国は、ひとり立ちどころか、ずっと膝を抱へてゐる。
四月の半ば、学校から一枚の通達が回ってきた。薄い紙に、役所の判を押したものだ。
「四月二十八日、講和条約発効。これを記念し、校旗ならびに国旗掲揚。児童生徒に趣旨を説き、式をおこなふこと」
国旗――日の丸。白地に紅のひとつ。
戦後、旗の話題はどこか居心地が悪かった。掲げること自体が悪いといふより、掲げると途端に思ひ出してしまふものがある。声を揃へた万歳、整列、号令、そして「送り出す側」が背負はされる顔。
けれど通達が来た以上、学校は従ふ。校長先生は職員室で、皆に言った。
「児童に余計な熱を煽らず、しかし、独立の日として節度をもって行ひませう」
節度。その言葉が、いまの時代の「正しさ」なのだらう。戦時は熱が正しさで、戦後は節度が正しさになる。正しさは、いつも形を変へて人に被せられる。
それでも、旗を掲げるとなれば、旗が要る。校旗はあったが、国旗は、学校の倉庫のどこかにしまはれたままだった。古い布は黄ばみ、端がほつれてゐると聞いた。
「新しいのを用意しませう」
若い先生が言った。彼女は私より少し下で、終戦のころはまだ幼かったといふ。彼女にとって旗は、血の匂ひより、行事の匂ひに近いのだらう。
新しい旗――その言葉が、ふと胸に残った。新しい旗。国は新しくなる。では、私は?
その日の帰り道、私は小さな布屋の前で足を止めた。白い晒と、紅の染料。店先には戦後らしい品が並び始めてゐた。ガラスの瓶、アルマイトの鍋、色つきの布。まだ少ないけれど、確かに「増えてきた」と言へる。
店の女主人が、私を見るなり言った。
「先生、旗かい? この頃、よく出るよ」
私は頷いた。女主人は白布を計り、紅の丸を縫ひつけるための糸も出してくれた。
「うちの娘もねえ、学校で小旗を振るんだってさ。『ばんざい』するのかねえ」
「……するかもしれませんね」
私は曖昧に笑った。「ばんざい」といふ言葉が、舌に触れるだけで胸が痛む。けれど、いまの子どもたちが言ふ「ばんざい」は、あの日の「ばんざい」と同じではない――そう思はねば、私は教師を続けられない。
旗の布を抱へて家に帰ると、母が縁側に出てゐた。咳はこの頃、また少し増えた。春先の湿り気のせいか、夜になると胸が鳴る。
「何を買うてきた」
「……旗を作る布。学校で必要で」
母は白布を見て、しばらく黙ってゐた。それから箪笥の奥を探り、小さく畳まれた布を取り出した。
古い日の丸だった。白は黄ばみ、紅は少し褪せてゐる。端は擦り切れ、どこかに小さな焦げ跡もある。
「……これは、お父さんが大事にしとった」
父は戦地へ行ったわけではない。港で働き、空襲で家を守り、終戦の前に病で逝った。父の旗は、万歳のための旗ではなく、ただ「家にあったもの」として残ってゐたのだらう。
母はその旗を膝に置き、ゆっくり言った。
「新しいのを作るのはいい。……でも、古いのも捨てんでおくれ」
私は頷いた。捨てない。捨てられるほど、私は上手に生きてゐない。
母が針箱を出し、私も一緒に座った。白布に紅い丸を縫ひつける。手仕事の音は、静かで、どこか祈りに似てゐる。針が布を通るたび、私は思ふ――この丸は、太陽なのか、血なのか、桜なのか。
桜。紅。篤志。
袖の中に忍ばせた押し花が、指先の記憶として疼いた。
四月二十八日。「独立の日」――と町は言った。
朝から空気が少し違った。駅前の役場に旗が揚がり、商店の軒先にも小さな旗が出る。新しい布の白さが、やけに眩しい。白が眩しいのは、久しぶりだった。戦後しばらくの白は、粉ミルクの白で、紙の白で、どれも「足りぬ」白だった。今日の白は「見せる」白だ。
学校でも、子どもたちを校庭に並ばせた。私は整列の列の端に立ち、帽子の紐を直してやり、よそ見をする子を叱る。叱りながら、胸の奥で別の声が言ふ。
――また並ばせるのか。――また、揃へるのか。
校長先生が短い訓示をした。
「今日は、日本が――自分の足で立ち直る日です。勉強して、働いて、よい国を作りませう」
子どもたちは、意味が分かったやうな分からぬやうな顔で聞いてゐる。それでも「よい国」と言はれると、うなづく子が多い。子どもは「よい」といふ言葉が好きだ。私は、その純さが痛かった。
そして、国旗掲揚。
新しく作った旗が、風にひらりと翻った。白地の中の紅い丸が、空の青にくっきり浮かぶ。その瞬間、私の目の奥で、別の光景が重なった。
灰色の船体。鉛の海。港の高台。万歳の声。声を出せずにゐた、あの春の自分。
旗が上がっていく。紐が滑り、旗が風を抱き、ひらひらと高くなる。「高くなる」ことが、怖かった。高くなるほど、遠くなる気がする。国が前へ進むほど、篤志は過去へ沈んでいく気がする。
子どもたちの中から、自然に声が上がった。
「ばんざーい!」
何人かが続き、やがて小さな波のやうに広がった。私は息が止まった。あの日と同じ声ではない、と分かってゐるのに、身体が先に怯える。
校長先生は軽く手を上げ、声を抑へるやうに言った。
「はい、静かに。……今日は、心の中で喜びませう」
心の中で。私はその言葉に、救はれた気がした。私は声を出さずに済む。声を出さずに、篤志を思へる。
式が終はり、子どもたちは教室へ戻っていった。私は職員室へ戻り、湯呑のお茶を一口飲んだ。喉の奥がまだ硬い。紅い丸が、目の裏に残ってゐる。
若い先生が、明るく言った。
「先生、なんだか、すごい日ですね。国が戻ったって感じ」
別の先生は、新聞を畳みながら言った。
「戻った、か……。戻ったのは、紙の上だけかもしれんぞ」
「でも、自由になったって」
「自由は、腹を満たしてくれん」
笑ひが起こる。戦後の笑ひは、いつもどこか苦い。けれど、その苦さを笑ひに変へられるのは、強さだとも思ふ。
私は黙ってゐた。国が戻った。自由になった。けれど、私の中の「君」は戻らない。私の自由は、君に縛られたまま、ほどける気がしない。
その日の授業で、子どもが私に言った。
「先生、日本はもう戦争しないの?」
教室が静かになった。子どもたちが私の顔を見る。先生の答へが、正しさになるからだ。
私は一瞬、言葉を探した。憲法だの条約だの、子どもにどう言へばよいのか。それよりも、私の胸の底の海が、答へを邪魔する。
私は結局、こう言った。
「……しないように、みんなで考へるの。戦争は、悲しいから」
子どもたちは「うん」と頷いた。その「うん」が、本当に未来まで続くことを祈りたかった。祈りたかったのに、私は祈るといふ行為そのものに、どこか恐れがある。祈りは、裏切られてきたから。
家へ帰ると、母がラジオの前に座ってゐた。放送は「独立」を繰り返し、街の様子を伝へ、演説の声を流してゐる。母はそれを聞きながら、ぽつりと言った。
「……長かったねえ」
長かった。母は、国のことを言ってゐる。けれど私は、別の長さを思ふ。篤志が沈んでからの長さ。毎年、桜を詠み続けてきた長さ。まだ七年なのに、私の中では七十年のやうに重い。
母が咳き込み、私は背をさすった。掌の下で、母の骨が細くなってゐるのが分かる。国が独立しても、母の身体は独立しない。老いは、どの条約よりも確実に進む。
夕飯は麦飯だった。けれど今日は、少しだけ白い米が混じってゐた。学校での配給の融通だ。白い粒が混じるだけで、母の目がほっと緩む。
「やっぱり、白いのはうれしいね」
「うん」
私は笑った。この笑ひだけは、無理ではなかった。国の大きな話より、椀の中の白い粒の方が、いまの私たちには確かな希望だ。
夜、母が眠りについたあと、私は机に向かった。外ではまだ、どこかで祝いの声が聞こえる。小さな花火の音も、遠くでぱちんとした。それらが「祝ひ」だと分かってゐるのに、私の胸は静かだった。
帳面を開く。紙の上には、これまでの年の歌が並んでゐる。瓦礫町の土、闇市の煤、掠れた地図の青、麦畑の風、夕虹の堤。国は変はっていく。町も変はっていく。私も、少しずつ変はってゐるはずだ。教師になり、靴を履き、母を支へ、日々を回す。
それでも、変はらないものがある。君を失った日の痛みの輪郭。桜を見た瞬間に胸がほどける癖。名を呼べば呼ぶほど、遠さが確かになる寂しさ。
今日は国が新しくなったと言ふ。旗も新しい。けれど私の中の旗は、あの日の港に立ったままだ。あの灰色の海へ向かって、声を出せずに手だけを振った、あの私のままだ。
鉛筆を握り、私はゆっくり書いた。
講和成り 旗新しき 國にして變はらぬ我れは 君をのみ恋ふ
書き終へると、胸の奥が静かに熱を持った。国がどれほど新しくなっても、私の恋は新しくならない。新しくならないことを、恥ぢなくていい――今日だけは、さう思ひたかった。
私は帳面を閉ぢ、袖の中の布包みに触れた。桜一片。古いのに、いつまでも紅い。旗の紅と、桜の紅と、血の紅が、胸の底でゆっくり混ざり合って、結局ひとつの色になる。
その色の名を、私は知ってゐる。
――君。
第九章 昭和二十八年(1953) 白き蒸気
あの門を、私は二度とくぐらないつもりでゐた。
燃料廠――海軍燃料廠。戦争の匂ひと油の重たさが、いつも空気の底に沈んでゐた場所。私はそこへ動員され、そこで篤志に出会ひ、そして彼を送り出した。私の人生が折れた箇所は、いまでも地図に印を付けられるほど確かな形で、あの門のあたりに残ってゐる。
けれど、昭和二十八年の春、校長先生が職員室の机を叩きながら言った。
「今年は社会科で“産業”をやる。――工場見学に行かう」
工場見学、といふ言葉は軽い。子どもたちの目が輝く言葉だ。遠足に似てゐる。バスに乗る。お菓子を持つ。普段見られぬ機械を見る。けれど、私にとってその行き先は、軽い言葉では括れなかった。
「燃料廠の跡に、いまは民間の工場が入ってゐる。煙突も新しく立った。復興の象徴だ。子どもに見せるにはよい」
復興の象徴。その一言で、私は返事を遅らせた。象徴――人は象徴といふ言葉で、いろんなものを丸めてしまへる。痛みも、後悔も、喪失も。丸められたものの角が、いつも私の胸だけに残る。
「綾瀬先生、あなたも来てくれますね。道も分かるし」
校長先生は悪気なく、私を頼りにした。私は教師だ。子どもたちの前で、私情で断るわけにはいかない。それに――どこかで私は思ってゐた。いつかは、あの門をもう一度くぐらねばならぬ、と。逃げてゐる限り、私はいつまでもあの港の高台から動けない。
「……はい」
声が少しだけ掠れた。校長先生は気づかぬふりをして、日程表を配った。
当日、空は高く、風が乾いてゐた。春の湿り気が抜け、初夏へ向かふ匂ひがする。校庭の片隅に植ゑた麦はすでに穂を立て、風が通るたびさらさらと鳴った。去年はその音に怯えた。けれど今年は、怯えの上に「仕事」が重なって、私は少しだけ平気な顔が出来る。
子どもたちは弁当を抱へ、帽子の紐を締め、列を乱しては叱られ、笑ひながら集合した。
「先生、バスに乗るの?」「煙突って、雲まで届く?」「工場の人、こわい?」
私は笑ひ、叱り、帽子を直しながら、
「ちゃんと並ぶの。工場では騒がない。質問は手を挙げて」
と、いつものやうに言った。いつものやうに言へる自分が、どこか他人のやうでもあった。この口は、戦時中には号令を飲み込み、終戦後には悲しみを飲み込んできた口だ。いまは教師の言葉を並べてゐる。口は器用だ。心より器用だ。
町を抜け、バスは海の方へ向かった。車窓の外を、いろんなものが流れていく。
小さな商店に、色つきの布が並びはじめた。自転車に荷を積んで走る男が増えた。駅前の角には、見慣れぬ黒い箱――「テレビジョン」と札を出した店があり、白い点のやうな人の群れが覗き込んでゐた。画面の中で誰かが動く、と聞く。子どもが窓から身を乗り出し、「先生、あれなに!」と叫ぶ。
「映るラジオみたいなものよ」
と私は言って、窓から引き戻した。映るラジオ――そんな言ひ方しか、まだ出来ない。新しいものが増えていくのは、嬉しいはずなのに、私は「増える」といふことに慣れてゐない。増えるほど、失ったものが相対してしまふからだ。
やがて、空の端に、細い柱のやうなものが見えた。
煙突。一本ではない。二本、三本――高さの違ふ鉄の柱が、空へ伸びてゐる。そのうちの一本から、白いものが立ち上ってゐた。
白い蒸気。
それを見た瞬間、胸の奥が、ひどく古い匂ひを思ひ出した。油、鉄、蒸気、汗。燃料廠の匂ひ。
子どもたちは騒いだ。
「うわぁ、でっかい!」「雲が出てる!」「煙、白いね!」
白い――その言葉が、胸に刺さる。戦時の煙は、黒かった。空襲の煙は黒く、焼ける匂ひがして、人を怖がらせた。白い蒸気は、怖がらせない。むしろ「働いてゐる」匂ひがする。それでも私は、煙突を見ると身体のどこかが縮む。
バスが停まり、私たちは降りた。門が見えた。
あの門。もちろん、同じ形ではない。看板は海軍のものではなく、民間会社の名になってゐる。制服の警衛もゐない。代りに作業帽の男が立ち、名簿を確認してゐる。けれど、門の土台の石だけは、どこか見覚えがあった。石は時代を選ばない。踏まれても黙ってゐる。
私は一瞬、足が止まりさうになった。そのとき、子どもが私の袖を引いた。
「先生、早く!」
私はうなづき、息を深く吸って、門をくぐった。
――ただの工場だ。――いまは戦争の場所ではない。――私は教師として来てゐる。
自分に言ひ聞かせるやうに、私は歩いた。
工場の中は、暑いのにどこかひんやりしてゐた。鉄の熱と、蒸気の冷たさが混じってゐる。機械の唸りが絶えず、床は微かに震へてゐた。案内の男が声を張る。
「こちらはボイラーで蒸気を作りまして――」
子どもたちは目を丸くし、メモ帳に意味の分からぬ文字を真似て書く。私はそれを見て、少しだけ救はれた。子どもは未来そのものだ。意味が分からぬままでも、目を開いて覗き込む。戦争の頃の私たちは、覗き込むより先に「信じろ」と言はれた。いまの子どもたちは、信じる前に「何?」と聞ける。その差は、小さく見えて大きい。
案内の男は、機械の音に負けぬやうに説明を続ける。私は教師としてうなづき、時折質問し、子どもが危なさうなところへ寄れば手を引いた。手を引きながら、私はふと、ある配管の曲がり角に目を留めた。
そこは――戦時中、篤志が私に声をかけた場所に似てゐた。配管の番号。「合ってゐますか」油の匂ひのする指先。
私は喉の奥が熱くなるのを感じた。その熱さを隠すため、私は子どもたちへ声をかけた。
「ここは危ないから、線の内側から出ないのよ」
教師の声が、私自身を支へる。声に出してゐるうちは、私は「いま」にゐられる。
見学の途中、私たちは屋外へ出た。外の光が眩しい。そして、目の前に――煙突が立ってゐた。
高い。戦時中より、ずっと高い気がした。いや、実際に高いのかもしれない。復興の工場は、人の欲と同じやうに上へ伸びる。煙突は空を突くやうに立ち、頂から白い蒸気を吐いてゐる。
その蒸気が、風にほどけながら、空へ吸はれていく。白く、柔らかく、どこにも引っ掛からず、ただ上へ。
私は、その白さを見て、不意に手が動いた。気づけば、胸の前で指を組んでゐた。
合掌。
誰に見せるでもない、反射の祈り。戦時中、私たちは「勝て」と祈った。終戦後、私は「生きろ」と祈った。いま私は――何を祈ってゐるのだらう。
子どもが叫ぶ。
「先生、煙、雲になるよ!」
雲になる。雲は空のものだ。空は、あの人のものでもある気がした。海の底へ届かぬなら、せめて空へ。空へ届けば、いつか雨になって海へ落ちるかもしれない――そんな子どものやうな理屈が、胸の奥で静かに生き返った。
私は、白い蒸気の筋を目で追ひながら、心の中で言った。
――篤志さま。――ここは、もう戦の場所ではありません。――人が働く場所になりました。――煙は、砲火ではなく、蒸気です。――白い蒸気が空へ上がっていきます。――あなたも、見てゐますか。
手を組んだまま、私は息をひとつ吐いた。不思議と、胸が少し軽くなった。煙突は、かつては軍需を支へるためのものだった。いまは暮しを支へるためのものになってゐる。同じ鉄が、違ふ意味で空へ向かってゐる。
――意味は変はる。――時代は変はる。――けれど、空へ向かふものは、いつだって祈りに見える。
私はそんなふうに思ひながら、合掌を解き、教師の顔に戻った。
「ほら、みんな。煙突を見上げるときは帽子が落ちるよ。押さへて」
子どもたちは笑ひ、帽子を押さへ、また見上げた。笑ひ声が、機械の唸りの上を軽く飛んでいく。その軽さが、今日の白い蒸気に似てゐた。
帰りのバスで、子どもたちは疲れて眠りはじめた。窓に額を寄せて寝る子、膝の上で弁当箱を抱へて寝る子。私はその寝顔を見ながら、胸の奥で静かに思ふ。
――この子たちを、二度と戦へ送りたくない。
「送りたくない」といふ言葉は、私には鋭い。私は送ってしまった。送らされた。送る言葉を持たされてしまった。だから、送りたくないと願ふことは、私にとって贖ひでもある。
家へ戻ると、母が縁側で日向にゐた。咳はあるが、今日は少し穏やかだ。私は土産話として、煙突のことを話した。
「白い蒸気がね、空へ上がっていって……雲みたいだった」
母は、ゆっくりうなづいた。
「煙が上がるってのは、働いとる証拠だねえ」
「うん。……戦争の煙じゃなくて」
その言葉のあとが続かず、私は湯を沸かしに立った。母はそれ以上問はなかった。問はぬことで、私の中の海をそっとしておいてくれる。母の優しさは、いつも言葉ではなく、止めることで出来てゐる。
夜、母が眠ったあと、私は机に向かった。今日の白い蒸気が、まだ目の裏に残ってゐる。煙突の高さが、胸の中で一本の柱になって立ってゐる。あの白さは、私の涙を洗ってくれたわけではない。けれど、涙の流れ道を一度、空へ向けてくれた気がした。
私は帳面を開き、鉛筆を削り、息を整へた。今年の一首は、もう決まってゐた。あの瞬間、私は確かに手を組んだ。白い蒸気を、言葉の代りに空へ送った。
鉛筆が紙を擦り、私は書く。
燃料廠の 煙突高く 白き蒸気空へ手を組み 祈る掌
書き終へて、私はしばらく手のひらを見た。油に汚れたこともある掌。土塊を握った掌。闇市で着物を手放した掌。いまは教師の掌で、子どもの帽子を直し、手を引き、危なさうな肩を押し戻す掌。その掌が、空へ向かって祈れる――それだけで、私はまだ人間でゐられる。
白い蒸気は、どこへ行ったのだらう。もう見えない。けれど、見えないものが消えたわけではない。桜も、散って見えなくなっても、春の約束だけは残る。
私は帳面を閉ぢ、袖の中の布包みに触れた。薄紅の一片は、今日も静かだった。静かなまま、私の祈りの根にある。
第十章 昭和二十九年 遠雷の波音
海が、もう一度「怖いもの」になった年だった。
戦争が終わって、焼け跡が低くなり、闇市の灯が少しずつ薄れてゆき、私は「海はただの海」に戻りつつあるのだと思ってゐた。篤志のゐる海だけが特別に深く、青く、重たく――それ以外の海は、潮の匂ひを運び、魚を運び、船を運ぶ、暮らしの海へ戻るのだと。
けれど、昭和二十九年の三月。魚屋の台から、まぐろが消えた。
駅前の魚屋は、昔から声の大きい男で、戦時中も戦後も、配給の隙を縫って何かしらを並べてゐた。その台に、いつもなら厚い切り身が乗るはずのところが空になってゐる。
「今日は入らんのですか」
私が訊くと、男は顔をしかめ、声を落として言った。
「……南の海で、変な灰が降ったんだと。船が浴びたとかでな。魚が怖いって話で、問屋も渋ってる」
灰。海の上の灰。
その言葉が、私の胸の底へ、冷たい水を流し込んだ。海は、戦争が終わっても、まだ人を殺せるのだ――そんな当たり前を、あらためて思ひ知らされた。
家へ帰ると、母が縁側で針仕事をしてゐた。咳は、冬より少し軽い。けれど、息の端にいつも薄い湿り気が残る。私は買ひ物籠を置きながら、なるべく平らに言った。
「魚、今日は少ないって。……海で、灰が降ったんだってさ」
母は針を止め、糸を引いたまま、しばらく黙った。それから、ぽつりと言った。
「……海は、きれいな顔をして、時々、急に牙をむく」
母の言葉は、いつも短い。短いけれど、よく当たる。私は返事が出来ず、ただ台所の水を張り替へる手を動かした。水の音が、妙に大きく聞こえた。
学校でも、その話はすぐに広がった。子どもが給食の汁を覗き込みながら、「先生、魚は食べちゃいけないの?」と訊く。先生たちは職員室で、新聞を回し読みし、顔を寄せて囁く。
「放射能って書いてある」「原爆のときの、あれだらう」「また海が汚れるのかねえ」
「放射能」――といふ言葉を、私は嫌でも知ってゐる世代だった。爆弾の話だけは、どうしてもこの辺りでは「遠い国のこと」にならない。けれど私は教師だから、恐怖をそのまま子どもの前へ出すわけにはいかない。
「怖がりすぎないの。分からないことは、勝手に大きくしない」
口ではそう言ひながら、胸の内では、海の底の青が濃くなっていくのを感じてゐた。篤志を呑んだ海が、今度は見えない灰を呑んだのかもしれない――そんな想像が、夜になるほど力を持った。
夏が近づくにつれ、町には別の匂ひが増えた。
新しい制服の匂ひ。
駅前の掲示板に、募集の紙がまた貼られた。「保安隊」「警備隊」――そして、いつの間にか、新聞は「自衛隊」といふ言葉を大きく扱ひ始めた。男の子たちは、紙を見て、冗談めかして笑ふ。
「また軍隊か」「いや、軍隊じゃないんだとさ。守るだけだって」
守るだけ――その言葉は、あまりに都合がよく聞こえた。守ると言って、どこまでが守りで、どこからが攻めなのか。私は戦争を「理屈」で経験してゐない。「日々」で経験した。理屈はいつだって綺麗で、日々はいつだって汚れてゐる。
ある日、通学路の角で、若い男たちが列を作って歩いてゐるのを見た。同じ背丈、同じ歩幅。帽子――硬い庇のある帽子。その庇の下の影が、あの日の篤志の顔を呼び起こした。
私は思はず足が止まった。ほんの一瞬だ。けれど、その一瞬で、身体の中の時計が、昭和二十年へ針を戻す。
その帽子の金具が、夕日にひかり、きらりと光った。まるで星のやうに。
私は目を伏せ、通り過ぎた。見続ければ、現実の男の帽子が、篤志の軍帽にすり替はってしまふ。すり替はったら、私はその場で立てなくなる気がした。
家に帰ってからも、その光が目の裏に残った。母は私の顔を見て、何も言はなかった。母は、私が何を見たのか、すぐに察したのだらう。察しても、言葉にしない。言葉にすれば、こちら側の堤が崩れると知ってゐるから。
その夜、私は袖の内の布包みに触れた。桜の押し花。薄紅は、変はらず乾いてゐる。乾いたまま、私の指の熱だけを吸ふ。
――君の帽子は、いまどこにあるのだらう。――海の底に沈んだのだらうか。――それとも、どこかで燃えてしまったのだらうか。
考へても答へがない問いは、夜の中で膨らむ。私は鉛筆を持たずに布団へ入った。書くには、まだ早い気がした。その年の言葉は、もっと深いところから引き上げねばならない、と。
秋。瀬戸内は、秋風が立つと波が硬くなる。外海の荒れ方とは違ふ。島々に囲まれ、どこかおとなしいはずの海が、急に筋張った顔を見せる。波は高くなくても、音が重くなる。岸壁に当たる水の音が、腹にひびく。
母の咳も、秋口にまた少し増えた。気温の変はり目は、病の根を揺らす。夜半、母が咳き込むと、私は跳ね起きて背をさすり、湯を含ませる。湯を飲ませるたび、母の喉の奥で、どこか遠い海鳴りのやうな音がする。それが怖い。海鳴りは、いつだって「戻らぬもの」を運んでくるからだ。
その頃、ラジオは海の事故を繰り返し報じてゐた。北の海で船が転覆したとか、台風で船が遭難したとか、名前の知らぬ港の名が、夜の家の中へ入り込んでくる。私は、報道のたびに手が止まる。海の話を聞くと、私の身体は勝手に喪服を着る。
「また、海で……」
母がぽつりと言った。私は返事をせず、ただラジオのつまみを少し絞った。ニュースの声が遠くなる。遠くなっても、意味は消えない。
その夜、風が強かった。家の戸が微かに鳴り、障子の紙がかさりと擦れる。町はすでに寝静まってゐるのに、海の方だけが起きてゐるやうだった。どん、と鈍い音が、遠くから繰り返し届く。
最初、それが何の音か分からなかった。雷かと思った。けれど空は光らない。雨も落ちてこない。
――波だ。
瀬戸内の波が、岸に当たって鳴ってゐる。ただそれだけのことなのに、その音は遠雷のやうに腹へ響き、私の胸の奥の古い砂を揺らした。
どん。どん。どん。
それは、砲声に似てゐた。大和の砲が撃たれる音を、私は実際に聞いたことはない。けれど戦時中、遠くの砲の響きは、町にも届いた。腹の底を撫でるやうな低い音。その音がすると、人は無意識に黙り、耳を澄ませる。命が、音の方へ引っ張られる。
私は布団の中で、目を開けたまま、暗闇を見つめた。隣の布団で母が眠ってゐる。母の寝息は浅い。私は耳を澄ます。海鳴りと母の息が、交互に来る。
どん。すう。どん。すう。
その規則が、怖いほど整ってゐた。まるで、世界が「いまも続いてゐる」と告げてゐるやうで。
私は胸の中で、名を呼んだ。
――篤志さま。
声には出さない。声に出せば母が起きる。母を起こすほどのことでない、と自分に言ひ聞かせる。けれど、名を呼ばずにはゐられない。
――篤志さま。――聞こえますか。――波が、砲のやうに鳴ってゐます。――あなたの海が、いまも鳴ってゐます。
目を閉ぢた。閉ぢれば眠れると思ったのに、波音はかへって近づいた。音が耳の中に入り込み、ふと身体が軽くなる。
私は、いつの間にか眠りへ落ちてゐた。
夢の中で、私は港にゐた。
空は暗くない。夕方とも朝ともつかぬ、白っぽい明るさ。潮の匂ひが濃く、鉄の匂ひも混じってゐる。そして、遠くに灰色の巨体が見える。大和――と、夢の私はすぐに分かった。
その岸壁に、ひとりの男が立ってゐた。
背筋が真っすぐで、若い。制服は皺ひとつなく、襟の白が眩しい。そして――頭に、軍帽。
軍帽の庇が、こちらへ影を落とす。けれど、影の下の眼差しは、はっきり私を見てゐた。
「百合さん」
名を呼ばれた瞬間、胸の中に、熱いものが満ちた。夢の中なのに、声の温度が分かる。戦時の夜に一度だけ聞いた、あの「ご苦労さま」の優しさが、そのまま戻ってきたやうだった。
私は走らうとした。けれど足が動かない。砂の上に足が沈み、膝が重くなる。私は必死で声を出した。
「篤志さま……!」
声が届いたのか、彼は小さく笑った。その笑ひが、あまりに若い。死なずにゐる人の笑ひではなく、「死んでしまった人が、死ななかったやうに笑ふ」夢の笑ひだった。
彼は軍帽の庇に指をかけ、少しだけ持ち上げた。そのとき、帽章が月の光か何かを受けて、きらりと光った。
星のやうに。白い蒸気のやうに。夕虹の端のやうに。
私は、その光に目を細めた。眩しいのに、見てゐたい。見てゐなければ消えてしまふと、夢の私も知ってゐた。
「……帰りますか」
私は問うた。言葉が、やけに幼い。
彼は答へなかった。ただ、帽子をかぶり直し、静かに言った。
「ここは……うるさいですね」
その瞬間、波音が夢の中へ流れ込んだ。どん、どん、どん――遠雷のやうな波音。岸壁が震へ、海が鳴る。私は思はず、彼の袖を掴まうと手を伸ばした。
けれど、手の先が空を掴む。彼の身体は、波音の方へ透けていく。軍帽だけが、最後まで残るやうに見えた。帽章が、もう一度だけ光る。
「百合さん」
彼が言った。「……桜が、咲いたら」
そこまで聞いたところで、波音が一段大きくなり、夢の港が闇へ沈んだ。
私は飛び起きた。
暗い部屋。障子の向うに、風の気配。母の寝息。そして――波音。
どん。どん。どん。
夢ではない。現実の瀬戸内が、夜半に鳴ってゐる。
私は掌を見た。何も掴んでゐない。袖の中に、桜の布包みがあるだけだ。
泣きたかった。けれど声を立てれば母が起きる。私は布団の端を握り、喉の奥で泣いた。涙は、音を立てずに出るやうになってゐた。戦後の女の涙は、いつも静かだ。
波音が遠雷のやうに鳴るたび、夢の軍帽の光が目の裏に戻る。光はあまりに美しく、あまりに残酷だった。美しいものほど、失くしたときの穴が深い。
私は息を整へ、起き上がって机へ向かった。灯を点けると、芯の細い火が、私の手元だけを照らした。この光は、夢の光ではない。現実の光だ。だから、ここに言葉を置けば、少しだけ現実に踏みとどまれる。
帳面を開き、鉛筆を握る。手はまだ震へてゐる。けれど、震へる手でしか書けない年がある。
私は、今夜の波を思ひ出す。遠雷のやうな波音。砲声の記憶。夢路にひかる軍帽。戻らぬものが、戻ったやうに見えた一瞬。
それを、そのまま紙へ落とした。
遠雷の ごとき波音 聞く夜半夢路に君の 軍帽ひかる
書き終へると、胸の奥のざわつきが、少しだけ形を失った。夢は夢で、現実は現実だ。けれど、夢に出てきた君の軍帽の光が、嘘だとは思へない。嘘なら、こんなに胸が痛むはずがない。
私は帳面を閉ぢ、袖の中の桜一片に触れた。薄紅は、冷たくも温かくもなく、ただ静かにそこにある。海がどんな灰を被らうと、世の中がどんな制服を作らうと、私の春はここにある。
波は、まだ鳴ってゐた。けれど、私はもう一度だけ目を閉ぢ、眠りに戻らうとした。次の夢に、君が現れるかどうかは分からない。分からないからこそ――私は名を呼び続ける。
第十一章 昭和三十年(1955) 艶なき布に
その年、町の口ぶりが、少しだけ変はった。
「もう、だいぶ戻ったねえ」「景気が上向くらしいよ」「この頃は、あれだ、家電とか云ふのを買ふんだとさ」
駅前の電器屋の前に人が集まってゐるのを、私は何度か見た。ガラス越しに、箱のやうなものが並び、そこに「テレビジョン」と札が下がってゐる。子どもたちは、休み時間にその話をする。
「先生、うちの近所の家、映るやつ来たんだって!」「相撲が見えたって!」「すごいよ、口が動いてるの!」
私は笑って、「よそ見してないで、黒板を見なさい」と言ふ。教師の声は整ってゐる。けれど胸の底では、別の声が小さく言ふ。
――「戻る」って、どこへ。
戻ったのは、町の灯かもしれない。品物の数かもしれない。けれど、篤志へ戻る道は、ひとつも増えない。私の「戦後」は、誰かの言ふほど早く終はらない。
春先、校長先生が職員室で私に言った。
「綾瀬先生、今年も代用で頼むが……来年あたり、正式の手続きが進むかもしれん。資格のこと、そろそろ整へておきなさい」
「資格」――それは希望であり、同時に現実だった。代用教員の給金は、いつも不安定だ。支払いが遅れたり、手当が削られたり、年度の終りには「来年は分からん」と言はれる。母の薬代、米代、冬の炭代。帳面の数字は、いつも私の息を浅くした。
「はい」
私は頷いた。頷くしかない。教師として立ってゐるうちは、私にも「明日」があるふりが出来る。母にとっても、私にとっても、それは大事なことだった。
けれど現実は、机の上の帳簿より手荒だった。春の終り頃から、母の咳がまた増えた。夜更けに胸が鳴り、薄い痰が絡む。息を吸ふたび、どこかで紙が擦れるやうな音がする。私は背をさすり、湯を含ませ、寝息が落ち着くまで隣に座る。その間、灯の下で、資格のための本を開く。けれど目は文字を追ってゐても、耳は母の喉の音を数へてゐる。
「百合」
ある夜、母がふいに私の手を握った。骨ばった手のひらが、私の指を掴む。
「……無理をしなさんな」
「無理してないよ」
口ではさう言った。けれど、無理をしてゐない者の手は、こんなに荒れない。私は自分の指の節を見て、笑ひさうになった。笑へば泣きさうだった。
母は目を閉ぢたまま言った。
「仕事、足りんのだらう」
私は返事をしなかった。返事をすれば、母の胸に罪悪感が乗る。母は私の重荷になりたくない。私は母を重荷だと思ひたくない。その二つの願ひが、いつも同じところで擦れて、言葉にならない音を立てる。
翌日、私は学校の帰りに、町の仕立屋の前で足を止めた。看板の字は褪せてゐるが、入口には反物が吊るされ、布の匂ひが外へ漏れてゐる。仕立屋の奥から、ミシンの足踏みの音が聞こえた。
たったん、たったん。
その音は、工場の機械の唸りよりずっと小さい。けれど一定で、生活の拍子のやうに続く。私はその拍子に、なぜか心が引き寄せられた。
店の女主人――私より少し年上の、目つきの鋭い女が顔を出した。
「あら、先生。何か要るの?」
私は一瞬ためらった。教師が内職を探すのは、みっともないと見る目もある。けれど、みっともないかどうかで、母の咳は止まらない。
「……仕立ての手伝ひ、ありませんか」
女主人は私を上から下まで見た。それは値踏みといふより、同じ女同士の計算の目だった。
「針は?」
「……持てます。昔、母に仕込まれました」
女主人は短く頷いた。
「じゃあ、夜できるかい。工場の作業着が増えてね。縫ひが間に合はん。家で縫って持ってきてくれりゃ、出来高で払ふよ」
作業着。艶のない、灰色の布。人の汗を吸ひ、油に染まり、洗っても白くならない布。私はその言葉を聞いたとたん、胸の奥で、篤志の制服の白い襟がちらりと光った。白は遠い。いま私の手に来るのは灰色だ。
「……やります」
そう答へる声は、意外と確かだった。生きるための言葉は、恋の言葉より強い。
その夜、私は押入れの奥から、裁縫道具を出した。針箱。糸巻。針山。裁ち鋏。そして、裁ち板。
裁ち板は、父がまだ生きてゐた頃、母が嫁入り道具のひとつとして持ってきたものだ。木目に傷があり、角は丸くなり、年月が指先に伝はる。その板の上で、母は何枚もの着物を裁ち、繕ひ、私の浴衣を縫ひ、父の襦袢を繕ってきた。女の時間が、木に染みてゐる板だった。
母は布団の中から、私の手元をじっと見てゐた。咳は少ない。けれど、目が冴えてゐる。
「……やるのかい」
「うん。ちょっとだけ」
「ちょっと、で済めばいいがねえ」
母の声には、心配と、どこか申し訳なさが混じってゐた。私はその混ざりを見ないふりをして、布を広げた。
仕立屋から預かった反物は、灰色に近い紺。艶はない。触るとざらりとして、肌にすべりの良い絹とは違ふ。働く布――といふ感じがした。そこへ白いチョークで印を付け、型を取る。線が走るたび、布の上に「形」が生まれる。形が生まれると、私は少しだけ安心する。形は、崩れさうな心の足場になる。
鋏を入れる。しゃり、と乾いた音。
布が切り離されるたび、私は思ふ。人の暮しも、時代も、こんなふうに音もなく切り離されていくのだらうか。戦前と戦後。戦中と講和。そして、彼と私。
切り離された布片を重ね、針で留め、ミシンの前に座る。うちのミシンは古い足踏みで、母の嫁入りの頃のものだ。錆びかけた部分もあるが、油を差せばまだ動く。私は足を踏む。
たったん、たったん。
針が上下し、糸が布を貫いていく。縫ひ目が等間隔に並ぶのを見ると、胸の奥の不揃ひなものが、少しだけ整っていく気がした。針は、時を縫ふ。縫ふたびに、いまの私と、明日の私がつながる。
けれど、布の匂ひに混じって、ときどき油の匂ひが立つと、燃料廠の記憶がよみがへる。あのときも油の匂ひの中で、私は声をかけられた。
「この配管の番号、合ってゐますか」
私はミシンを止め、指先で縫ひ目を撫でた。縫ひ目は、まるで足跡のやうに続いてゐる。誰かが歩いた跡。帰れぬ道の跡。
母が布団から言った。
「百合、手元の灯、もう少し近づけなさい。目を悪くする」
「うん」
私は灯を寄せた。灯が寄ると、布の色がよく見える。艶のない紺。その色が、ふいに軍帽の紺に見えた。夢でひかってゐた、あの軍帽。胸がきゅっと縮む。
私は深く息を吸ひ、足を踏み直した。たったん、たったん。音が、気持ちを現実へ引き戻す。夢ではなく、生活の音。生活の音がある限り、私はまだ崩れない。
内職は思ったより量があった。学校から帰って夕飯を作り、母の咳が落ち着くのを待って、灯を点けて針を持つ。夜が更ける。縫ひ目が伸びる。窓の外の虫の声が遠くなる。夜明け前の冷えが忍び寄る。
私は、いつの間にか「針の時間」を持つやうになってゐた。昼は先生の時間。夜は娘の時間。その狭間に、許嫁の時間がひっそりと棲む。
ある晩、作業着の縫ひ目を揃へながら、私はふと、袖の内側の布包みを思ひ出した。桜の押し花。あの一片は、何度も包み直してきたせいで、手拭ひの端が擦り切れ、布の毛羽が花びらへ移り始めてゐた。このままでは、いつか花が破れてしまふ気がした。
私はミシンを止め、裁ち板の上に、余った布片を一枚置いた。艶なき布。作業着と同じ布。そして裁ち鋏で、小さな四角を切り、巾着ほどの袋の形を作った。
「何を作るんだい」
母が訊く。私は少し間を置き、正直に言った。
「……花を、守る袋」
母は何も言はなかった。何も言はず、ただ咳をひとつして、目を閉ぢた。その沈黙に、私は感謝した。説明を求められれば、私は泣いてしまふ。
袋を縫ひ、口に紐を通す。そのままではただの灰色の袋だ。私は針山から一本、細い針を取り、糸巻きの中から、昔の紅い糸を探した。母の古い着物をほどいたときに出た、少し褪せた紅。桜の色には足りないが、血の色ほど強くもない。――その曖昧な紅が、いまの私にはよかった。
私は裁ち板の上に袋を置き、針に糸を通した。糸の先を舌で湿らせると、どこか懐かしい味がした。昔、母がそうして糸を通すのを、私は膝の上で見てゐた。女の時間は、いつも小さな仕草で受け継がれる。
そして私は、袋の表に、桜を縫ひ始めた。
五つの花弁。中心の小さな点。花弁の縁を、ほんの少しだけ膨らませるやうに刺す。針が布を行き来するたび、紅が布の上に残る。
艶なき布に、花が咲く。
私は息を止めて縫った。縫ひ目が乱れれば、花が歪む。花が歪めば、私の中の「君」も歪む気がした。馬鹿な理屈だと分かってゐる。分かってゐても、手は正確さを求める。
針は踊る――といふほど軽やかではない。けれど、針が上下するたび、私の胸の底に沈んでゐたものが、少しだけ浮かぶ。浮かんで、また沈む。その繰り返しが、まるで呼吸のやうだった。
母の寝息が、途中で細くなった。私は顔を上げ、母を見た。母は眠ってゐる。眠りの顔は、若い頃の面影がほんの少し戻る。私はまた針へ戻った。
花の輪郭が出来上がった頃、私はふと、篤志の横顔を思ひ出した。出撃前夜、闇の道で渡された押し花。あのとき彼は言った。
「来年も……桜が咲いたら、見てください。私の代りに」
私はその約束を守ってゐる。守りすぎるほど守ってゐる。守ることだけが、私の生き方になってしまった。
けれど今夜、私は「守る」だけではなく、「咲かせる」ことをしてゐる。艶のない布の上に、紅を置き、花の形を与える。それは、海の底へ届かぬ代りに、陸の上で君をもう一度立たせるやうな行ひだった。
最後の一針を刺し、糸を裏で結ぶ。私は袋を持ち上げ、灯に透かした。紅は褪せてゐる。けれど、それでも確かに花だ。
私は袖の中から布包みを取り出し、押し花をそっと袋へ収めた。袋の口を紐で結ぶと、花はもう擦れない。紙も破れない。私の掌の中で、小さな「春」が守られた。
胸の奥が熱くなり、私は思はず袋を額に当てた。祈るやうに。抱くやうに。
――篤志さま。――いま夜の針で、あなたを咲かせました。
言葉にしてしまへば、泣き声になる。だから、私はただ、袋の上の小さな桜を見つめた。
艶なき布に咲く花は、豪奢ではない。けれど、豪奢でないからこそ、暮しに寄り添ふ。私の恋も、もう豪奢には戻れない。戻れない恋が、暮しの中で息をする場所を、私は針で作ったのだ。
翌朝、私は袋を懐に入れ、学校へ行った。教室では、子どもが騒いでゐる。
「先生、昨日テレビ見た!」「先生、うち、洗濯の機械が来るんだって!」
新しいものの話題に、子どもの目が光る。私は笑って、黒板に字を書く。黒板の粉が舞ひ、白い線が伸びる。白い線の中に、私はいつも見えない海を描いてしまふ。けれど、懐の中には小さな桜がある。それだけで、今日は少しだけ立ってゐられる。
放課後、仕立屋へ作業着を届けに行った。女主人は縫ひ目を確かめ、短く言った。
「綺麗に縫ふねえ。先生の手だ」
先生の手。その言葉が、少し嬉しかった。針を持つ手も、チョークを持つ手も、同じ私の手だ。私の手が働いて、母の咳が少しでも楽になるなら、それでいい。
帰り道、私は川沿ひを歩いた。夕方の風が吹き、堤の草が揺れる。私の靴音が、こつ、こつ、と軽い。その音の中に、夜の針の音が重なる。たったん、たったん。ちくり、ちくり。
音が重なって、私はひとつの拍子になる。恋と生活が、同じ拍子で続く――それが、昭和三十年の私だった。
年の瀬、母が珍しく言った。
「百合。……あんた、えらいね」
「えらくないよ」
私は笑ってごまかした。えらい、と言はれるのは、どこか怖い。えらいと言はれた途端、人は「これからも出来る」と決めつける。私は、出来るかどうか分からない日々を、ただ繋いでゐるだけだ。
けれど、その夜、帳面を開いたとき、私は確かに思った。私は今年、針で「咲かせた」のだと。
裁ち板の上で、艶のない布を広げ、針を踊らせた。その布は作業着の布で、暮しの汗を吸ふ布で、きっと誰かの働く背を包む布だ。その布の切れ端に、私は桜を縫ひ、君を咲かせた。擬りでもいい。擬りだからこそ、私は生き延びられる。
私は一首を記した。
裁ち板に 針を踊らせ 縫ふ桜艶なき布に 君を咲かせむ
鉛筆を置き、懐の中の小さな袋を指で押さへた。袋の中には押し花が眠り、袋の表には紅い桜が咲いてゐる。海の底へは届かぬ。けれど、私の胸の奥へは届く。
そして、来年。校長先生の言った「手続き」がほんたうになるなら、私は初めて「正式の給料」を手にすることになる。その給料を、まず母へ渡すと決めてゐた。母の掌へ、私の働きの重さを置く。その帰り道、海の方に白いものが見えるだらう――灯台の白さのやうに。
第十二章 昭和三十一年(1956) 初給料
その年の夏、新聞の片隅に、妙に胸へ刺さる一文を見つけた。
――「もはや戦後ではない」。
経済白書だか何だか、難しい言葉の並ぶ記事の中に、それだけが釘のやうに打ち込まれてゐた。町の人々は、どこか誇らしげにそれを口にした。
「戦後じゃないんだってよ」「これからは良くなるって話だ」「ようやく、普通の暮しになるんかねえ」
普通――といふ言葉を、私はもう一度噛みしめた。普通とは、何だらう。
朝、弁当を包み、学校へ行き、子どもに字を教へ、夕方、夕飯を作り、夜、母の咳を聞きながら帳面をつけ、灯を消す。それが普通なら、私はたぶん、もう何年も普通をやってゐる。けれど、胸の底に沈んだ海だけは、戦後のまま、いや、昭和二十年のまま、変はらず冷たい。
国がどう名づけても、私の中の時間は名づけられない。名づけられないから、毎年、歌にして帳面へ置く。置けば、少しだけ「今年」が「去年」と分かれてくれる。
昭和三十一年の「今年」は、皮肉なほど、はっきりした印を持ってやって来た。それが――初給料だった。
春先、学校へ、役所から封書が届いた。
薄い茶封筒に、朱い判。私は職員室の端でそれを受け取り、しばらく指先を離せなかった。紙の薄さが、なぜか重かった。校長先生が眼鏡越しに見て、短く言った。
「……正式だ。おめでとう」
代用教員――その札が、やうやく外れる。外れる、といふのは喜ばしいことのはずなのに、私は胸の奥がひりついた。
「おめでとう」と言はれると、私はいつも、篤志の電報の日を思ひ出す。あの日、下士官は定型句で「名誉の戦死であります」と言った。名誉――その言葉の中に、祝ひの形が混じってゐた。私はそれが嫌だった。だから私は、祝はれることに、どこか怯える癖がついてゐる。
それでも、役所の紙は紙で、現実は現実だった。正式になれば、給金が整ふ。配給の扱ひも、わずかだが良くなる。何より――母に、少しでも楽をさせられる。
私は封書を胸に抱へ、家へ持ち帰った。
母は縁側にゐた。咳は相変はらず、波のやうに来たり引いたりする。けれど、その日は日向の光が柔らかく、母の頬の影も薄かった。私は封書を差し出した。
「母さん。……これ、学校から」
母は封書を見て、すぐに察したらしく、目を細めた。
「……やっと、だねえ」
「うん」
「よかった。……よかったよ」
母はそう言って、ふいに咳をひとつした。咳のあと、息を整へながら、ぽつりと続けた。
「百合。お父さんが生きてたら、喜んだよ」
私は返事が出来なかった。父も、篤志も、生きてゐない。喜ぶ人が生きてゐないのに、私だけが「よかった」を持つのは、どこか釣り合はない。けれど母の顔を見てゐると、釣り合ひの理屈など言へなかった。
母の「よかった」は、私の肩の荷を少しでも下ろしてやりたいといふ祈りだった。その祈りに、私は黙ってうなづくしかない。
給料日が近づくと、職員室の空気が少し浮き立った。
若い先生たちは、どこかそわそわしてゐる。「今月は何を買はう」といふ話が、ひそひそと、しかし確実に広がる。ラジオの修理、扇風機の月賦、子どもの靴――戦後の「買ふ」といふ行為は、贅沢ではなく、暮しの骨組を作ることになり始めてゐた。
私はその輪に加はれなかった。加はれなかったといふより、加はる前に胸の中で決まってゐた。
初給料は、母へ。その一点だけが、まっすぐだった。
給料は、白い封筒に入って渡された。「給与」と朱で書かれ、角がきちんと糊付けされてゐる。封筒の手触りは、電報の薄い紙とは違ふ。破れさうで破れない、役所の紙の硬さがある。その硬さが、私の背筋を正した。
校長先生が一人ひとり名前を呼び、封筒を手渡してゆく。私は呼ばれ、立ち上がり、封筒を両手で受け取った。両手で受け取る――小さい頃から「大切なものは両手で」と教へられた。両手で受け取ると、重さがはっきり分かる。紙の中の重さ。暮しの重さ。私の背中を押す重さ。
封筒を受け取った瞬間、職員室の窓の外で、子どもたちの声が上がった。昼休みの校庭で、縄跳びの足音が軽く跳ねてゐる。その軽さが、どこか遠いものに思へた。軽い声の向うで、私は封筒の重さを掌に感じてゐる。
私は封筒を開かなかった。中身を数へてしまへば、すぐに現実の足し算が始まる。米、炭、薬、灯油、布――数字は、夢を削る。初給料だけは、数字にする前に、母の掌へ渡したかった。
家へ帰る道は、いつもより長く感じた。
封筒は鞄の奥に入れたのに、重さが体温のやうに伝はってくる。途中の商店で、白い砂糖が少しだけ並んでゐるのを見た。卵が、以前より手に入りやすくなった。小さな変化が、町の角に増えてゐる。
「戦後じゃない」――と人が言ふのは、こういふ角の増え方のことなのだらう。けれど、角が増えるほど、私は逆に「欠けた角」のことを数へてしまふ。数へてしまふ女は、世の中の速さにいつも遅れる。
家の戸を開けると、母が台所にゐた。珍しく、竈の前に立ってゐる。咳が出るから、私が止めてゐたのに。
「母さん、立たなくていいのに」
母は振り向き、少し悪戯っぽく笑った。
「今日は……赤飯にするほどでもないけどね。芋を、少し甘く煮ようと思って」
甘い、といふ言葉が胸に沁みた。甘さは、戦後の一番の贅沢だった。甘いものは、命の余裕の証だった。
私は鞄を置き、膝をついて、母の前へ行った。そして、封筒を取り出した。
「……これ」
母は一瞬、目を見開いた。それから、手を拭ひ、ゆっくりと封筒を受け取った。母の手のひらは、昔より小さい。骨が浮き、皮が薄く、温かさが儚い。
「百合……」
母の声が震へた。母は封筒を開けようとしたが、私は首を振った。
「開けなくていい。……母さんが持ってて」
「でも、あんたも――」
「いいの」
私はそれ以上言はなかった。言へば、涙が混じる。言葉にしたくない。初給料は、説明ではなく、手渡しの行為そのものが答へでいい。
母は封筒を胸に抱へ、しばらく黙ってゐた。その沈黙の中で、私は母の目の端に光るものを見た。母は泣かない。泣けば私が困ると知ってゐる。母はいつも、泣かぬことで私を守ってきた。だから、泣きさうなときは、黙る。
私はその沈黙を破るやうに、台所の鍋を見た。
「芋、焦げるよ」
母ははっとして、鍋の蓋を開けた。甘い湯気が立ち上る。湯気の匂ひが、ふいに私の喉を緩めた。私は息を吐き、肩を落とした。その瞬間、封筒の重さが、少しだけ身体から外れた。
母の掌に渡った。それだけで、私は「娘」に戻れた。
夕方、母が「少しは自分のものも買ひなさい」と言った。封筒の中身を母が確かめたらしく、思ったよりも多かったのか、母の目が少しだけ強くなってゐる。
「いいよ」
私が言ふと、母は珍しく譲らなかった。
「だめ。あんたの足袋も穴があいてる。……先生が穴だらけじゃ、みっともない」
「みっともない」といふ言葉に、私は笑ってしまった。みっともない――その尺度で、母はまだ私を「世間の中に立たせよう」としてゐる。それが母の愛だ。
私は結局、少しだけ金を受け取り、夕暮れの町へ出た。足袋と、糸と、母の薬の追加。そして――白い晒を少し。桜袋を縫ひ直すためでもあり、母の寝具を繕ふためでもある。
買ひ物を終へる頃には、空が藍へ落ちかけてゐた。帰り道、私は自然に海の方へ足が向いた。港へ行くつもりはなかったのに、足が覚えてゐる。昭和二十年の春の足の癖が、まだ私の靴底に残ってゐる。
海風が来た。潮の匂ひが鼻へ入る。瀬戸内の匂ひ――島の影の匂ひ。波は高くない。けれど、海はいつも海だ。穏やかな顔をして、底は見せない。
そのとき、視界の端に、白いものが立った。
灯台。
港の端の小高いところに立つ灯台は、昼にはただの白い柱だ。けれど夕暮れから夜へ移るころ、灯台は急に「目」になる。白い柱のてっぺんに灯が点り、ゆっくりと回り、一定の間隔で海へ光を投げる。
私は立ち止まり、灯台を見上げた。白い。白い光。白い柱。
白いものを見ると、私はいつも胸の奥のどこかが、ひとつだけ明るくなる。篤志の襟の白。軍帽の帽章の光。工場の白い蒸気。夕虹の淡い色。それらが、灯台の白に重なっていく。
灯台の光は、誰かを「待つ」ためにある。帰る船を見失はぬために。暗い海で迷はぬために。ただ、それだけの役目だ。けれど、その役目が、私にはたまらなく切なかった。
――君を待つやうに。
私が待ってゐるのは、帰らぬ船だ。帰らぬ人だ。戻らぬ春だ。それでも、待つといふ行為だけが、私の身体に残ってゐる。
灯台の光が一度、海の上を掃いた。白い筋が波の上を滑り、遠くへ消える。消える瞬間、私は胸の中で名を呼んだ。
――篤志さま。
答へはない。けれど、灯台は答へるやうに、もう一度光った。一定の間隔で、誰にでも、同じやうに。その無私さが、かへって優しかった。
私は買ひ物袋を握り直し、家へ向かって歩き出した。靴音が、こつ、こつ、と堤の砂利を叩く。その音の向うに、灯台の白が背中を押してゐる気がした。
夜、母は芋の甘煮を皿に盛り、私の前へ置いた。
「ほら。今日は、少し甘いよ」
私は箸をつけ、甘さが舌に広がるのを感じた。甘さは、泣きさうになる。甘いものを食べて泣くなど、子どものやうで恥づかしい。けれど、初給料の日の甘さは、恥ぢてもよい気がした。
母は私を見て、ふっと笑った。
「……百合。あんたの顔、今日はちょっとだけ明るい」
私は照れ隠しに皿を見た。
「灯台がね、白かった」
母はうなづいた。母は、何も訊かない。白い灯台が、何の白に繋がってゐるのか。その白が、誰を待つ白なのか。母は訊かない。訊かぬことで、私の胸の底の海を、今日もそっとしておいてくれる。
母が眠りについたあと、私は机に向かった。帳面を開く。今年の言葉は、もう決まってゐた。
封筒の重さ。母の掌の温かさ。帰り道の灯台の白さ。待つ、といふ行為の形。
私は鉛筆を走らせた。
初給料 母に届けて 帰る途灯台白し 君待つごとし
書き終へたとき、私は灯を見つめた。灯は小さい。けれど、灯台の白さを思ひ出せるだけの明るさがあった。
もはや戦後ではない――と世は言ふ。けれど私の中では、戦後はまだ終はってゐない。終はってゐないからこそ、私は今日も、母へ給料を渡し、灯台を見上げ、君の名を胸の中で呼ぶ。
国がどれほど前へ進んでも、私の恋は、待つといふ形でしか歩けない。それでも――待つことは、生きることの一つの形だと、今年の白い灯台が教へてくれた気がした。





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