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大和出撃5


第十三章 昭和三十二年(1957) 朝霜の畦

霜の朝は、町の輪郭をいちど削ってから、また描き直す。

 

瓦礫の角も、道端の石も、畑の畦も、白い粉を薄くまとふと、急に「昔」になる。戦後の匂ひが薄れてきたと言はれる頃でも、霜は容赦なく、焼け跡の年を一晩で呼び戻してしまふ。そして私は、霜の朝が少し怖い。

 

怖いのは寒さではない。白くなることで、見えなかったものが見えてしまふからだ。土の上の足跡、車輪の跡、落ちた木の葉の影、折れた草の筋――そういふ「残り方」が、霜の上ではやけに鮮明になる。残るものが見えると、残らなかったものが目立つ。

 

篤志の足跡は、どこにも残らない。あの人は海へ行き、海は足跡を残さない。

その年の冬は、早かった。

 

まだ十一月の半ばだといふのに、朝、障子を開けると庭の隅が白い。息が白い。湯呑を持つ指先がすぐ冷える。母は布団の中で咳をした。咳は乾いてゐて、骨に当たるやうな音がした。

 

私はすぐ湯を沸かし、母に含ませ、背をさする。背中の骨が、ますます小さくなっていくのが分かる。国が豊かになるとか、町が便利になるとか、その言葉の向うで、母の身体だけは確実に細くなる。

 

「……百合、今日は寒いねえ」

 

母が笑ふやうに言った。笑ふのは、咳を隠すためだ。私はその癖を知ってゐる。

 

「うん。……霜が降りた」

 

「霜が降りると、畑がきれいだよ」

 

母は言ふ。きれい――母にとって「きれい」は、怖いものではない。きれいだと感じられることが、そのまま生きてゐる証になる世代だからだ。私は母のその強さに、いつも助けられる。

 

私は弁当を包み、鞄に入れ、懐に小さな桜の袋をそっと押し当てた。艶なき布に刺した桜。その袋の中に、押し花が眠ってゐる。花びらは乾いて、音も匂ひもしないのに、触れると胸の奥が「春」を思ひ出す。

 

「行ってきます」

 

「気をつけて。……足元、滑るよ」

 

母の言葉にうなづき、私は戸を出た。外気が頬を刺す。霜の匂ひは、いつも少し鉄臭い。燃料廠の鉄ではない。冬の空気が持つ、硬い匂ひだ。

学校へ行く道は二つある。町の中心を通る道と、畑の畦道を抜ける道。

 

中心の道は、この頃少し賑やかになった。新しい商店が出来、看板の文字が増え、朝から自転車が行き交ふ。ラジオ屋の前には相変はらず人が集まり、ガラス越しに映る箱――テレビを覗き込む。「景気がいい」といふ言葉も、もう冗談ではなくなりつつあった。

 

けれど私は、賑やかな道が苦手だった。人の声の中にゐると、自分の胸の底の静けさが浮き立ってしまふ。私は自分の静けさを、あまり人に見せたくない。見せれば「いつまで」と言はれる気がするからだ。

 

だからその朝、私は畦道を選んだ。畑と田の間を縫ふ、細い道。土の匂ひがして、風が通り、遠くの山の線が見える道。

 

畦は霜で白かった。草の先に小さな氷の粒が並び、朝日が当たると、きらりと光る。その光は美しい。美しいのに、どこか痛い。篤志の夢に出た軍帽の帽章の光が、こういふ冷たい光だった。

 

私は靴の紐を締め直し、ゆっくり歩いた。靴底が霜を踏むと、きゅっ、と小さな音がする。冬の朝の音は、どれも控えめだ。

 

畦道の曲がり角まで来たとき、私は思はず足を止めた。

 

霜の上に、靴の跡が残ってゐた。

 

まだ新しい。細長い足跡が、畦の上をまっすぐ続き、途中で少しよろめき、また整ふ。誰かが、今朝ここを歩いたのだ。畑へ行く農家か、早番の工場勤めか、あるいは学校へ向かふ子どもか。

 

私はその跡を見つめた。ただの足跡。ただの誰かの歩み。それなのに、胸が妙にざわついた。

 

足跡は、残る。陸の上では。

 

篤志の足跡は、残らなかった。海へ行く前に彼が歩いた道にも、もう残ってゐない。港の土も、いまは別の足で踏み固められてゐる。けれど今、ここに残る靴跡は、霜がある間だけ、確かに「誰かの存在」を示してゐる。

 

私は、ふっと思った。

 

――篤志さまの足跡も、もし陸に残ってゐたなら。

 

考へた瞬間、胸が熱くなった。そんなことを考へても仕方がない。仕方がないのに、霜の朝は、仕方がないことを平気で心に浮かべさせる。

 

私は足跡の横に自分の足を置いてみた。靴の大きさが違ふ。跡の方が少し大きい。男の靴だらうか。あるいは、農作業の長靴かもしれない。私は一歩、足跡の中へ足を入れてみた。

 

霜が、きゅっ、と鳴った。

 

足跡の縁が崩れ、霜が粉になって舞ふ。輪郭が、私の靴底の形へ変はる。たったそれだけのことなのに、私は息を止めた。

 

――踏んだ。――昔の面影を。

 

「面影」と言ったって、これは誰か知らぬ人の靴跡だ。篤志のものではない。それでも――私は、かつての「追ひかける癖」を、霜の上で再演してゐた。

 

あの日、港で私は走りたかった。走って、袖を掴みたかった。けれど走れず、ただ手だけを振った。そのまま、足跡の続きが見えない場所へ、彼は行った。

 

霜の上の足跡は、いま私に「続き」を見せる。どこへ行ったかが分かる。だから私は、確かめたくなった。

 

――もし、君がここを歩いたなら。――私は、どれほど遅れても、追ひかけるのに。

 

私は足跡を追って二歩、三歩と踏んだ。踏むたび、霜の白さが消え、土の色が出る。白が剥げて、地の色が現れる。それは、教科書の地図に青を塗ったときと似てゐた。薄いものに、自分の色を重ねる。見えないものを、見えるやうにする。

 

足跡を踏んで、私は自分の足の重さを知った。「生きてゐる」足の重さ。死者の足は、もう霜を崩さない。その事実が、優しくも残酷でもある。

 

足跡は、畦の端で途切れてゐた。誰かが畑へ降りたのだ。私はそこまで行き、畑の黒い土を見下ろした。霜の白と、土の黒の境目が、細い線になってゐる。

 

私はその境目に立ったまま、胸の中で名を呼んだ。

 

――篤志さま。

 

声には出さない。声に出せば、霜の静けさが割れてしまふ。割れると同時に、自分の中の何かも割れてしまひさうで怖い。

 

私は手袋の上から、懐の桜袋を押さへた。そこに触れると、胸の奥の熱が落ち着く。袋の刺繍の凹凸が、指先に「形」を与へる。形があると、人は立ってゐられる。

 

遠くで、誰かの咳が聞こえた。たぶん、早起きの農家の老人だ。その咳の音が、母の咳と重なった。私は急に心細くなり、足跡の続きから目を逸らし、学校へ向かって歩き出した。

 

霜の上を踏むたび、白が消える。消える。残らない。霜が溶ければ、足跡はすべて消える。消える前に私は踏んだ。踏んで、確かめた。

 

――私は、まだ追ひかけてゐるのだと。

学校へ着くと、子どもたちが吐く息が白かった。

 

「先生、寒い!」「手がいたい!」「霜柱、立ってた!」

 

霜柱――子どもは霜を遊びに変へる。私はその力に、いつも救はれる。悲しみを遊びに変へられるのは、強さだ。

 

「手を洗ったら、ちゃんと拭くのよ。濡れたままだと、もっと冷えるから」

 

私はいつものやうに言ひ、教室へ入った。黒板の前に立つと、教師の身体に戻る。それがありがたい。教師の言葉は、私の私情を隠してくれる。

 

昼休み、校庭の隅の麦畑(学校で育ててゐる小さな区画)へ子どもが走り、霜柱を踏んで遊んだ。ざくざく、と乾いた音。私は窓からそれを見ながら、朝の畦道の靴跡を思ひ出した。霜の上の痕跡は、踏めば崩れる。崩れることで、かへって「踏んだ」ことだけが身体に残る。

 

――思ひ出も、さうなのかもしれない。形として残さうとすれば、崩れる。崩れるけれど、踏んだ感触だけは残る。だから私は毎年、歌にして残すのだ。紙の上なら、霜が溶けても消えない。

夕方、家へ帰ると、母は縁側で日向にゐた。咳はまだあるが、今日は少し穏やかだ。私はほっとした。

 

「寒かったらう」

 

母が言ふ。私はうなづき、朝の畦道のことを話したい衝動に駆られた。けれど、話せば母はきっと心配する。「そんなところで足を滑らせたら」と言ふだらう。それだけではない。足跡を踏んだ私の心の中まで、母は察してしまふ。察してしまふから、母は痛む。母を痛ませたくない。

 

だから私は、別のことを言った。

 

「霜柱、子どもが喜んで踏んでた」

 

母は笑った。

 

「子どもは、寒さも遊びにするねえ」

 

「うん」

 

私は台所へ立ち、湯を沸かした。湯気が立つと、家の中が少しだけ柔らかくなる。母の背をさすり、湯を含ませ、咳が治まるのを待つ。その間、私は懐の桜袋を指で撫でた。針で咲かせた桜は、冬でも消えない。

 

夜、母が眠ったあと、私は机に向かった。帳面を開く。紙は年を重ね、私の指の癖を知ってゐる。灯は小さく、しかし今年も手元だけは照らす。

 

私は朝の霜の白さを思ひ出した。畦に残る靴の跡。誰のものでもないのに、昔の面影を呼んだ跡。その跡を踏んで確かめた、自分の「追ひかける癖」。霜が崩れる音。足の裏に残った、冷たい感触。

 

鉛筆を握り、私は今年の一首を書いた。

朝霜の 畦に残りし 靴の跡昔の面影 踏みてみるなり

書き終へると、私は鉛筆を置き、息をひとつ吐いた。霜は溶ける。足跡は消える。けれど、踏んだ感触は消えない。消えないから、私は生きてゐる。

 

そして、来年――私はまた少し年を取る。鏡や窓に映る自分が、少しずつ変はっていくのを見るだらう。それでも私は、君に会ふために変はらぬままゐたいと、どこかで願ふだらう。

 

霜の朝の足跡のやうに、消えさうで、確かにそこにあったものを、私はこれからも踏んで確かめていくのだ。

 

第十四章 昭和三十三年(1958) バス窓の紅

鏡の前に立つと、私はいつも「今の自分」を見損なふ。

 

見損なふ、といふのは、醜いといふ意味ではない。ただ、目が探してしまふのだ――あの日の自分を。昭和二十年、港の高台で声を出せずにゐた娘の顔を。袖の中に桜一片を隠し、闇の匂ひを恐れ、土塊を握りしめて泣いた娘の顔を。

 

鏡に映るのは、もちろん、その娘ではない。けれど、どこまでが「変はった私」で、どこからが「あのままの私」なのか、線が引けない。線が引けないから、私は毎年、紙の上に線を引く。歌にして、年にして、「今年」と「去年」を分ける。

 

昭和三十三年のある朝、私は鏡の前で、戸棚の奥から小さな紅を取り出した。

 

紅は、いつ買ったものだったか、正確には覚えてゐない。たぶん、正式になった頃――初給料の年の帰りに、店先で見つけて、つい手が伸びたのだと思ふ。けれど私の暮しに「紅」を置く場所がなくて、ずっと戸棚の奥へ押し込んだままになってゐた。

 

紅を塗るといふことが、私にはまだどこか「贅沢」に思へた。戦時中、紅は敵だと言はれた。戦後しばらくは、紅を塗る余裕など無かった。教師になってからは、紅は「派手」だと言はれさうで怖かった。女の身なりは、いつだって世間の目に縛られる。縛られることに慣れた私たちは、縛りが解けても自分でまた縛ってしまふ。

 

けれど、その日は――県の講習会のため、市の方へ出る用があった。毎年のことではない。遠足のやうに、私は少しだけ緊張してゐた。

 

母が布団の中から言った。

 

「百合、今日は街へ行くんだらう。……顔色、悪く見えないやうにしなさい」

 

「顔色?」

 

「先生が青い顔してたら、子どもが心配する」

 

母の言ひ方は、叱るやうで叱らない。「女は身なりを整へよ」と言ひたいのではなく、「生きてるふりをしなさい」と言ってゐるやうに聞こえた。母は、私がふと沈むのを恐れてゐる。咳の合間の沈黙に、母はいつも目を凝らしてゐる。

 

私は笑ってごまかし、鏡の前で紅を指に取った。ほんの少し。口の端に置き、上唇に薄く伸ばす。濃く塗れば、誰かの視線が刺さる。薄くなら、気づかれぬ。気づかれぬ程度で、私は十分だった。

 

鏡に映る口元に、かすかな色が宿った。

 

「……まだ、若い顔だね」

 

思はず、胸の中で呟いた。声には出さなかった。出せば、泣きさうだったからだ。

 

若い――といふ言葉が、私にはいつも二重に刺さる。篤志は、永遠に若い。私は、ゆっくりと年を取る。その差の分だけ、私は毎年、目の奥に小さな恐れを抱へる。

 

――私が老いてしまったら、君に会ったとき、君は私を見つけられるだらうか。――君は、若いままの顔で、老いた私に気づくだらうか。

 

馬鹿げた想像だと分かってゐる。死んだ人と会ふ段取りなど、誰も知らない。けれど、分からないからこそ、人は勝手に「約束」を作る。その約束がないと、生きていけない日がある。

 

私は桜袋を懐へ入れ、鞄を持った。母の方を振り向くと、母は布団の中から私の顔をじっと見てゐた。

 

「……薄いけど、いい色だよ」

 

母がそう言って、小さく笑った。私は頬が熱くなり、目を逸らした。

 

「すぐ帰るから」

 

「無理して走るんじゃないよ。バスの乗り降り、気ぃつけて」

 

母はいつも、心配を「足元」に落とす。心のことを言へば、私が苦しくなると知ってゐるからだ。私は「うん」と頷き、戸を出た。

バス停には、すでに人が並んでゐた。

 

スーツ姿の男、買ひ物籠を抱へた女、学生帽をかぶった少年。その列の端に立つと、私はいつも、自分が少しだけ「町の一員」になった気がする。戦後の数年、私はどこへ行っても「余り物」のやうだった。遺族にもなれず、嫁にもなれず、ただ生きることだけが仕事だった。いまは、列に並ぶ。順番がある。順番に従ふ。それだけのことが、私には時々ありがたい。

 

バスが来た。エンジンの唸りが近づき、排気の匂ひが風に混じる。車体はまだ新しくない。塗装にくすみがあり、窓枠に小さな錆が見える。けれど「走る」といふこと自体が、戦後の奇跡のやうにも思へた。

 

車掌の鈴が鳴り、乗客がぞろぞろと乗り込む。私は乗り口の段を上がりながら、ふと足元を確かめた。母に言はれた「足元」が、脳裏で鳴る。靴の踵が段に引っかかりさうになる。私は息を詰め、ゆっくり上がった。

 

座席は硬い。窓は、ところどころ曇ってゐる。私は窓側に腰を下ろし、鞄を膝に置いた。

 

バスが動き出すと、町の景色が、ひとつの布のやうに後ろへ流れていった。田の畦、瓦の屋根、電柱、商店の看板――そして、遠くに見える海の青。

 

海は、いま朝の光を受けて薄く光ってゐた。穏やかな顔だ。けれど私は、海を見れば必ず、底を想像してしまふ。底の青。君の眠る場所。

 

バスの中では、誰かが新聞を広げてゐた。紙の擦れる音が、妙に耳に残る。隣の男が、連れの男に言った。

 

「これからは、家電の時代だってよ。洗濯機だの冷蔵庫だの、テレビだの」

 

連れは笑って、

 

「うちはまだラジオで精一杯だ」

 

と言った。私はその会話を、聞いてゐるふりをして聞かなかった。「これから」の話は、私には少し眩しすぎる。私の「これから」は、いつも「君のいないこれから」だからだ。

 

車窓の外で、川が見えた。堤があり、草が揺れ、そこを自転車が走る。堤の道を見ると、夕虹の年の靴音を思ひ出す。あのとき私は、靴音が君に届けばいいと思った。いまも同じことを、私はどこかで思ってゐる。

 

バスが橋を渡ると、窓ガラスに、ふいに自分の顔が映った。

 

外の景色と重なって、私の顔が浮かぶ。田んぼの緑の上に、私の頬。電柱の線の上に、私の眉。空の淡い青の中に、私の目。

 

そして、口元に――薄い紅。

 

私は思はず、じっと見つめた。窓の中の私は、少しだけよそ行きの顔をしてゐる。教師の顔でも、娘の顔でもない。「街へ出る女」の顔だ。

 

その顔が、意外なほど若く見えた。頬の線がまだ柔らかく、目の下の影も、母のそれほど深くない。私は胸の奥で、ふいに笑ひさうになった。

 

――まだ、私は若い。――君に会ふとき、私はまだ、若いままでゐられるかもしれない。

 

その瞬間、胸の奥が、きゅっと縮んだ。

 

若いままで会ひたい――といふ願ひの裏には、恐れがある。老いが怖い。老いれば、君との差が広がる。君は若いまま、私はしわだらけになる。それが、私には耐へがたい。

 

私は窓の映り込みから目を逸らし、懐の桜袋を指で押さへた。袋の上の刺繍の桜は、艶なき布に、いまも咲いてゐる。咲いてゐる桜は、毎年の春と同じやうに、私の胸を持ち上げる。

 

ふいに、前の席から若い女の笑ひ声がした。振り向けば、二十そこそこの女が、髪を結ひ、膝に小さな包みを抱へてゐる。隣には同じくらゐの男。二人は小声で何かを話し、時折顔を見合わせて笑ふ。笑ひの間合ひが、近い。

 

私は、その近さに目が留まった。二人の間にあるもの――それは、未来の匂ひだった。「帰る家」がこれから出来る匂ひ。私が持ち得なかった匂ひ。

 

胸が痛む。けれど嫉妬ではない。ただ、私は思ふ。

 

――篤志さま。――もし生きてゐたら、私も、あんなふうに笑ったのだらうか。

 

想像の中の私は、きっともっと明るかった。もっと甘えた。もっと勝手だった。「行かないで」と言へたかもしれない。でも、その「かもしれない」は、現実にはならない。

 

バスは、鈴を鳴らして停まり、また走る。停まっては走り、走っては停まる。その繰り返しの中で、私は自分の人生の歩みに似たものを感じた。止まって、走って、また止まる。進んでゐるやうで、同じところを巡ってゐるやうでもある。

市の方へ着くと、景色が急に「角ばって」きた。

 

建物が高くなり、道が広くなり、人の流れが速い。商店の看板は派手になり、ガラス窓に品物が並ぶ。戦後すぐの闇市の灯とは違ふ、正しい明るさがある。その明るさの中で、私は自分が少しだけ薄くなるのを感じた。明るい場所では、影は目立つ。私の影は、いつも君の形をしてゐる。

 

講習会は、県の出先のやうな建物で行はれた。教室のやうな部屋に先生たちが集まり、指導主事といふ役人が前で話す。「教育の民主化」とか「平和教育」とか、綺麗な言葉が並ぶ。私は頷きながら、紙にメモを取った。綺麗な言葉を否定したいわけではない。ただ、綺麗な言葉で包めないものを、私は知ってゐる。包めないものの手触りを知ってゐるから、綺麗な言葉だけで安心できない。

 

休憩時間、同僚の先生が私に言った。

 

「綾瀬先生、今日、口紅してる? 珍しいね」

 

私は思はず頬が熱くなった。目立たぬやうに薄く塗ったつもりが、女の目には分かる。

 

「……ほんの少し。顔色が悪いと、母に言はれて」

 

先生は笑った。

 

「いいと思う。先生も女だもの。……たまには」

 

たまには。その言葉に、私は小さく頷いた。「女だもの」と言はれると、どこか救はれる。私はずっと、女であることを「役目」に変へて生きてきた。娘である役目。先生である役目。遺族でない者の役目。けれど、女であることそのものを、こんなふうに軽く肯定されたのは久しぶりだった。

 

講習が終はり、私は帰りのバスまで少し時間があった。駅前の店を覗く。布屋の前を通ると、鮮やかな反物が目に入る。若い女が、赤い布を手に取ってゐる。私はその赤を見て、ふと桜の色を思った。桜は赤ではない。薄紅だ。薄紅は、私の恋の色だ。

 

私は小さな化粧品売り場の前で足を止めた。鏡があり、女たちが口元を触ってゐる。私はそこへ入る勇気はなかった。紅を買ひ足す余裕など、いまもない。それに、紅を塗り直すほど、私は「今日」を長引かせたくなかった。今日を長引かせれば、明日が遠くなる。明日は母の咳がある。明日は学校がある。私は、暮しへ戻らねばならない。

 

その代り、私はガラス窓に映る自分を、もう一度だけ見た。

 

薄い紅。まだ、若い顔。

 

そして私は、胸の中で、静かに言った。

 

――君に会はむと。

 

会はむ――と、古い言ひ方で思ふのは、私がまだ、あの時代の言葉で恋をしてゐるからだ。新しい言葉で「会いたい」と言へば、現実に会ひに行ける気がしてしまふ。会ひに行けないのに、会ひに行ける気がするのは苦しい。だから私は、古い言ひ方で願ふ。古い言ひ方は、願ひを願ひのままに留めてくれる。

帰りのバスは、行きより混んでゐた。買ひ物袋を抱へた女が多い。男は新聞を畳み、煙草を揉み消し、外を見てゐる。私はまた窓側に座れた。運がよかった。

 

バスが走り出すと、また景色が流れ、窓に自分が映る。私は、行きと同じやうに、ふっと自分の顔を見る。けれど、行きの顔とは少し違った。

 

街の明るさを一度浴びたせいか、私の顔は少しだけ現実の輪郭を帯びてゐた。若い――と思ったのに、目の奥には疲れもある。口元の紅も、ほんの少し薄れてゐる。薄れてゐることが、かへってよかった。紅が薄い方が、私らしい。私は派手に生きる女ではない。派手に生きるより、静かに生きて、静かに恋をして、静かに年を重ねる女なのだ。

 

窓の向うで、田んぼが戻ってきた。畦が見え、風が草を揺らす。風景が、私の暮しの匂ひに戻る。戻ることに、私はほっとした。街の明るさは眩しいが、眩しすぎる光は、私の影を濃くするからだ。

 

ふと、バスが小さな坂を上がったとき、遠くに白いものが見えた。港の灯台か、工場の煙突の白い蒸気か。白は、いつも私の目を止める。篤志の襟の白、軍帽の光、白い蒸気、灯台の白――白は、私にとって「待つ」色だ。

 

私は窓に映る自分の口元を見た。薄い紅。白い風景の中で、赤は目立つ。けれど薄いから、叫ばない。叫ばぬ紅が、私の恋の形だと思った。

 

そのとき、胸の中に、言葉がふっと浮かんだ。今年の歌が、もうそこにあった。

 

私はバスの揺れの中で、それを胸の内に何度もなぞった。声に出さずに。誰にも聞かせずに。ただ、君へ。

家へ着くと、母が待ってゐた。「遅かったね」と言ひながらも、母の目は私の顔を見て、安心したやうに緩んだ。

 

「……ちゃんと帰ってきた」

 

母のその一言が、私の今日の疲れをほどいた。私は台所へ立ち、湯を沸かし、母の薬を用意し、夕飯を作る。暮しが戻る。戻ることが、私を支へる。

 

夜、母が眠ったあと、私は机に向かった。鏡は伏せた。鏡を見れば、また「今の自分」を見損なふ。私は紙の上でだけ、自分を正確に見たい。

 

帳面を開き、鉛筆を削る。灯の下で、今日のバス窓を思ひ出す。流れる景色。ガラスに浮かぶ自分の顔。薄い紅。まだ若いと思ってしまった胸の熱。そして、「君に会はむ」と願ってしまった心。

 

私は静かに書いた。

バス窓に 映る我が顔 紅薄くまだ若きまま 君に會はむと

書き終へて、私は懐の桜袋をそっと押さへた。君は、若いまま。私は、まだ若いと信じたい。その二つの「若さ」を、いつかどこかで重ねられるなら――

 

私は、今日も生きていける。

第十五章 昭和三十四年(1959) つるりと光る

国道が黒く光るやうになったのは、春の終り頃だった。

 

雨の翌朝、いつもの道に出ると、土埃の匂ひがしない。代りに、まだ乾ききらぬアスファルトの、ねっとりした匂ひが鼻へ入った。熱い鉄と油を混ぜたやうな匂ひ――燃料廠のそれとは違ふのに、同じ「時代の匂ひ」だけは、どこか似てゐた。

 

道は、つるりとしてゐた。車の轍でぼこぼこになってゐた砂利道が、黒い皮を一枚貼られたやうに平らになり、朝の光を受けて鈍く照り返す。照り返しの眩しさに目を細めると、道の上に空が薄く映った。黒い道に青が映る――その取り合せが、私にはふいに「海」のやうに見えた。

 

道端には、ローラー車がまだ停まってゐた。大きな鉄の輪を二つ抱へ、腹の底から唸るやうな音を出す。作業着の男たちが、煙草をふかしながら話してゐる。

 

「これで泥はねが減るな」「バスも揺れんで済む」「車が増えるけえ、道も追いつかんと」

 

「車が増える」――その言葉が、私の胸の奥をくすぐった。車が増えれば、道は伸びる。道が伸びれば、町はつながる。つながるほど、暮しは便利になる。

 

便利になる。それは良いことのはずなのに、私は、道が平らになるほど、自分の胸の中の凹みが目立つ気がして、落ち着かなかった。

 

つるりとした道は、足を取られにくい。霜の朝の畦のやうに、足跡をくっきり残すこともない。残らない。残らないことは、前へ進む者には都合がよい。けれど私は、残らないものばかりを抱へて生きてきた。だから、残らない道を前にすると、胸が急に熱くなる。

 

――この道がどれほど滑らかになっても。――君へ続く道は、どこにも出来ない。

 

私は、鞄の中の帳面の重さを確かめるやうに、手のひらで押さへた。紙だけが、残る。私の残し方は、それしかない。

春になると、町の人々は「めでたい」の言葉をよく口にするやうになった。

 

めでたい――といふ言葉が、戦後の私には長いこと遠かった。けれど昭和三十四年の春、めでたい話は遠くの家のことではなく、国じゅうの話になった。

 

皇太子さまのご成婚。

 

駅前の電器屋の前には、いつもより人が集まり、ガラス越しに箱を覗き込んでゐた。「テレビジョン」と札を下げたあの箱が、この頃はもう「映るラジオ」ではなく、皆の「目」になってゐる。結婚の日――四月十日が近づくにつれ、町は妙に浮き立った。女たちは「お妃さまが綺麗らしい」と囁き、男たちは「これでテレビがまた売れる」と笑った。

 

学校でも、子どもが騒いだ。

 

「先生、ミチコさまって、普通の人なんだって!」「うち、あの日だけ隣の家でテレビ見るんだ!」「結婚の車、馬が引くんだって!」

 

私は黒板に字を書きながら、子どもの声の波を聞いた。結婚。馬車。祝ひ。

 

その言葉が胸に触れるたび、私の中の「婚約」の二文字が疼いた。許嫁――その言葉は、戦争と一緒に古くなったやうに扱はれる。けれど、私にとっては古くなることのない言葉だった。

 

昼休み、若い先生が私に言った。

 

「綾瀬先生も、見ますよね? ご成婚」

 

「……たぶん」

 

「たぶん、って。町中が見るのに」

 

私は笑ってごまかした。町中が見る。町中が祝ふ。それが、私には少し怖かった。祝ひは、ひとつの方向へ人を揃へてしまふ。揃ふことの恐ろしさを、私は知ってゐる。

 

その日の帰り道、母が縁側で言った。

 

「百合、隣の佐伯さんち、テレビを買うたんだって」

 

「……そう」

 

「ご成婚の日にね、皆で見るんだとさ。……うちも、行くかい」

 

母は、さりげなく言った。さりげなく言ひながら、私の顔を見てゐる。母は私の胸の中の海を、いつも目で測ってゐる。

 

私は少し間を置いてから答へた。

 

「……行っても、いいよ」

 

母はほっとしたやうに頷いた。母にとっての「めでたい」は、国の祝いといふより、娘の表情が少しでも明るくなる望みだったのだらう。

四月十日。

 

佐伯さんの家には、ほんたうに人が集まってゐた。座敷に畳を敷き詰めるやうに座り、皆がテレビの方を向く。テレビは小さく、画面は白黒で、時々砂嵐が走る。それでも、そこに「都」の空気が映ってゐるのが分かった。遠い東京の道路――人の波――旗――馬車――。

 

「出た、出た!」

 

誰かが小声で叫び、座敷の空気がきゅっと締まる。画面の中を、白いものがゆっくり動く。お妃さまの白いドレスが、光の中で淡く揺れる。

 

私は、息を止めた。白。白はいつも、私の胸の奥のどこかを痛くする。篤志の襟の白。灯台の白。工場の白い蒸気。夢に光った軍帽の帽章。

 

白は、待つ色でもある。そして、今日の白は「嫁ぐ白」だった。

 

画面の中で、若い二人が並んでゐる。世の中が「おめでたい」と言ふ姿。それを見ながら、私は不意に自分の手のひらを見た。

 

――もし、篤志が帰ってゐたら。

 

私は、こんなふうに隣に並べたのだらうか。人に祝はれ、母に笑はれ、白いものに包まれて、私は「お嫁さん」になれたのだらうか。

 

隣で母が、小さく息を吐いた。咳ではない、溜息に近い息だった。

 

私は母の横顔を見た。母の目は、画面の白を見てゐるやうで、別の何かも見てゐる。娘の未来の「なかった」道を、母も一緒に見てしまったのだらう。

 

佐伯さんの家の者が、笑って言った。

 

「いいねえ、今の世は。戦争が終って、やっとこさ、こんな祝いが出来る」

 

誰かが頷き、誰かが「ほんと、ほんと」と言ふ。私は頷けなかった。祝いが出来る世は確かにありがたい。けれど、祝いが出来る世になったからといって、死んだ人は戻らない。戻らないことの形が、かへってくっきりする。

 

画面の中で、馬車が進む。道路は広く、まっすぐで、人が両側にぎっしり並ぶ。その「道」を見て、私は、朝の国道の黒い光を思ひ出した。道が伸び、道が磨かれ、道が誇らしくなる。

 

――道が誇らしくなるほど、私の心は置いていかれる。

 

私は、懐の中の桜袋を指で押さへた。刺繍の桜の凹凸が、指先に小さな抵抗を返す。抵抗があるから、私は崩れない。

 

式が終る頃、佐伯さんが笑ひながら言った。

 

「百合ちゃんも、綺麗にしとるんだから、ええ縁があるよ」

 

私は笑って頭を下げた。笑ふのが礼儀だ。戦後、女の礼儀は「笑って受け流す」ことを多く含むやうになった。本当のことを言ってはいけない場面が増えた。言っても仕方がない。言えば場が凍る。だから、笑ふ。

 

家へ帰る道すがら、母がぽつりと言った。

 

「……お嫁さん、白かったねえ」

 

「うん」

 

「……百合も、白が似合う顔なのにねえ」

 

私は返事が出来なかった。白が似合ふ、などと言はれると、胸の底の赤が疼く。桜の薄紅。血の紅。そして、口に薄く置いた紅の名残。

 

白は似合っても、私は白い道を歩けない。私の道は、海の底へ沈んだ人のところで止まってゐる。

夏が来ると、国道の黒はさらに黒く、つるりと光るやうになった。

 

車が増えた。トラックが増えた。バスも新しい車体が入って、走りが軽くなった。道が滑らかになると、車は速くなる。速くなると、人は急ぐ。急ぐと、道端の花を見る者が減る。

 

学校の門の前を、トラックが通ると、粉じんが減った代りに、排気の匂ひが残る。子どもたちが道へ飛び出さぬやう、私は以前より口やかましくなった。

 

「国道は危ないの。車が速いから」「左右を見てから渡りなさい」「ふざけて飛び出したら、命がなくなるよ」

 

「命がなくなるよ」――その言葉は、教師としては強すぎるかもしれない。けれど私は、命がなくなることを知ってゐる。知ってゐる者の言葉は、ときに硬くなる。

 

子どもが言った。

 

「先生、車があったら便利だよね。どこでも行ける」

 

「……そうね」

 

どこでも。その言葉が、胸の中で引っかかった。どこでも行けるなら、君のところへも行けるのか。国道がどれほど整っても、海の底へ続く道はない。「どこでも」は、結局「生きてゐる者の地上のどこでも」だ。

 

私は黒板に地図を描き、道を引きながら、心の中では違ふ地図を見てゐた。碧く塗った君の海。その海へは、どんな舗装も届かない。

九月の終り、ラジオが低い声で繰り返した。

 

伊勢湾台風。

 

遠い湾の名なのに、私の胸の底の海が反応した。高潮、堤防決壊、流された家、行方不明――。言葉は淡々としてゐるのに、内容は瓦礫町の記憶を引きずり出す。

 

母がラジオの前で、長いこと黙ってゐた。咳も忘れてゐるやうに、ただ音を聞いてゐる。

 

「……また、たくさん死んだんかねえ」

 

母の声が震へた。私は母の背を撫でた。撫でても、慰めにはならない。慰めにはならないけれど、掌が触れてゐることだけは確かだ。確かさは、こういうときに必要だ。

 

その晩、雨がこちらでも降った。台風の本体ではない。けれど湿った風が吹き、戸が鳴り、外がざわつく。私は眠れず、夜更けにそっと外へ出た。

 

国道は、街灯を受けて濡れてゐた。つるりとした舗装が、雨の水を薄く広げ、黒い鏡のやうに光ってゐる。光の筋が、道路の上を伸びて、どこまでも続くやうに見えた。

 

私はその光の上に立ち、息を吸った。雨の匂ひ。アスファルトの匂ひ。そして、どこかに混じる潮の匂ひ。

 

道は、これほどまでに整へられ、光ってゐるのに、海は、また人を呑む。戦争が終っても、災ひは終らない。人が何かを整へても、世界は簡単には整ってくれない。

 

私は、黒い道を見つめた。この道は、明日になれば乾き、また人を運ぶ。荷物を運び、希望を運び、子どもたちの未来を運ぶ。皆は前へ行く。車は速く、国は急ぐ。

 

その急ぐ背中を見てゐると、私の胸の底の「待つ」だけが、ひどく熱くなった。置いていかれる寂しさではない。追ひつけないのは、時間ではない。追ひつけないのは、君そのものだ。

 

――国道がどれほど光っても。――君への道は、光らない。

 

胸の奥が、じりじりと焼けるやうだった。涙が出る前に、私は懐の桜袋を強く押さへた。布の上の刺繍が、濡れた空気の中でも確かに「花」の形を持ってゐる。その形が、私を引き戻す。

 

私は小さく、声にならぬ声で名を呼んだ。

 

――篤志さま。――あなたのゐる海は、今夜も遠い。

 

道の光はまぶしい。けれど、そのまぶしさは、胸の暗がりを照らしてはくれない。照らしてくれないから、私は胸が焦げる。

年の終り、母の咳はまた少し増えた。冬の気配が近づくほど、母の身体は季節の変はり目に敏感になる。私は湯を沸かし、薬を用意し、背を撫で、灯を守る。暮しは忙しい。忙しければ、忘れられる――と誰かは言ふ。けれど私は知ってゐる。忙しさは、忘れさせてはくれない。ただ、思ふ時間を夜へ追ひやるだけだ。

 

夜、母が眠り、家が静かになったとき、私の胸の奥の熱は、また顔を出す。あの濡れた国道の光。つるりとした黒。その上で、私は君の遠さを測った。

 

帳面を開く。鉛筆を削る。紙の上に言葉を置けば、焦げる胸に、少しだけ風が入る。

 

私は書いた。

国道の 舗装つるりと 光る頃恋しさつのり 胸を焦がせり

書き終へたあと、私はしばらく手を止めた。国は前へ進む。道は光る。けれど、私の恋は、進むほど燃える。燃えて、燃えて、灰にならぬまま残る。

 

外では、また車が一台、遠くへ走っていった。エンジンの音が小さくなり、やがて消える。消える音を聞きながら、私は思ふ。

 

君の靴音だけは、消えない。消えないから、私は今日も生きてしまふ。

第十六章 昭和三十五年(1960) 高度き鶴

鶴は、吉い鳥だと教へられてゐた。

 

子どものころ、正月の床の間には、松と鶴の絵が掛かり、祖母は「鶴は千年」と言って笑った。戦後になってからは、鶴はまた別の意味を帯びた。広島の平和公園へ折り鶴を捧げると聞き、紙の鶴が「平和」の形になるのだと、誰もが口にした。

 

けれど昭和三十五年の空に私が見た鶴は、紙でも鳥でもなく――で出来てゐた。

 

港の方角へ伸びた新しい道の先で、巨大なクレーンが何本も立ち、腕を空へ突き出し、煙突の吐く白い蒸気と並んで、空を切り裂くやうに見えた。その姿が、どうにも「鶴」に似てゐた。首を伸ばして空を覗く鶴。羽を広げて止まってゐる鶴。そして、止まってゐるのに、どこか「飛び立ちさう」な鶴。

 

鶴は本来、希望の象徴のはずなのに。私はその鉄の鶴を見上げるたび、胸の奥が冷えた。希望の色ではなく、戦争の色を思ひ出すからだ。

昭和三十五年、町の音が変はった。

 

前年、国道が舗装され、黒くつるりと光るやうになった。その道を走る車の数が、この年は目に見えて増えた。朝、窓を開けると、遠くでエンジンの唸りが絶えず、トラックの荷台ががたんと鳴る。煤ではなく、排気の匂ひが漂ひ、風の中に油が混じる。

 

復興が終り、いよいよ「発展」といふ段へ来たのだと、誰もが言った。店先には、洗濯機、冷蔵庫、テレビ――「三種の神器」などと呼ばれて、家電が神さまのやうに持ち上げられてゐた。神器、といふ言葉を軽々しく使ふことに、私はどこか落ち着かなかった。本当の神器は、昔から天皇陛下のものだと教へ込まれてきた世代である。「神器」が台所へ降りてきた世の中を、ありがたいと思ふべきなのか、薄ら寒いと思ふべきなのか、私にはいまだ判じきれない。

 

朝の支度の最中、母が咳をした。咳は相変はらず、季節の端で増えたり減ったりする。背をさすると、骨が薄く、しかし確かに温かい。

 

「……車の音が、朝からうるさいねえ」

 

母が言ふ。私は湯呑を差し出しながら頷いた。

 

「道が良うなったけえね。皆、走るんよ」

 

「走るのはええが……走り過ぎるのも、怖いねえ」

 

母の「怖い」は、足元の怖さだけではない。私はそれを知ってゐる。戦争のころ、世の中は走り過ぎた。走り過ぎて、止まるときは崩れ落ちた。母は同じ崩れを、二度見たくないのだ。

 

私は「そうじゃね」とだけ答へた。家の中では、政治の話もしない。世界の話もしない。母の胸を、余計にざわつかせたくないからだ。それに私自身、言葉にしてしまふと、胸の底の海が騒ぎ出すのが分かってゐた。

 

懐へ手を入れる。艶なき布に刺した小さな桜袋。その中で、押し花の一片が、乾いたまま眠ってゐる。触れれば、指先だけが春を知る。

 

「行ってきます」

 

「気ぃつけて。車が速いけえ」

 

母の言葉は、いつも足元へ落ちる。私は頷き、戸を出た。

学校へ行く道すがら、国道の向うに、煙突が見えた。

 

去年まで一本だけだった白い蒸気の筋が、今年は二本、三本と増えてゐる。蒸気は雲へ混じり、空が薄く霞む。霞んだ空は、どこか戦時の空を思ひ出させる。黒い煙ではない。白い蒸気だ。頭では分かってゐるのに、身体は素直に安心しない。

 

校門の前では、子どもが列を乱してゐた。最近の子どもは、声がよく出る。戦争を知らない世代の声だ。私は帽子の紐を直しながら、笑って叱った。

 

「はい、並ぶ。車が来るけえ、道へ出たらいけんよ」

 

子どもたちは「はーい」と返事をして、またすぐ笑ふ。その軽さが眩しい。眩しいほど、私の胸の底の暗がりが自分のものだと分かる。

 

職員室に入ると、机の上に新聞が広げてあった。大きな見出しの字が、いつもより荒々しい。

 

「国会周辺 騒然」「安保めぐり 衝突」

 

安保――日米安全保障条約。改定がどうだ、批准がどうだ、デモがどうだ。ラジオも新聞も、春からずっとその話題を離さない。遠い東京の話のはずなのに、なぜか身近に感じてしまふ。「平和」をめぐって人が声を上げる姿を、私は放っておけない。

 

若い男の先生が言った。

 

「先生方、署名、回します。安保に反対の意思表示を――」

 

日教組の話だ。教師の世界にも、熱は入ってきてゐる。戦争の教訓として「平和」を唱へることは正しい。けれど、私の中には別の恐れがある。

 

――声を揃へることの恐れ。――一つの方向へ人を押し立てる恐れ。――「正しさ」の名で、異なる者が排除される恐れ。

 

それは戦時の恐れだ。戦時は、反対意見は「非国民」になった。いまは「民主主義」の世だと言はれる。けれど、群れが熱を持つとき、人は簡単に誰かを追ひ詰める。それを私は知ってゐる。

 

署名の紙が、私の机へ回ってきた。同僚の目が、さりげなく私を見る。「署名するのが当然」といふ空気。その空気が、かつての「万歳」の空気に似てゐて、私は喉の奥が乾いた。

 

私は鉛筆を握ったまま、ほんの一瞬だけ迷ひ、そして、名前を書いた。小さく、書いた。大きくは書けない。けれど書かずにゐると、私は自分が嫌になる。

 

名前を書くと、胸の奥の海が少しだけざわめいた。ざわめきは「よくやった」と言ってゐるのか、「また同じことをするのか」と責めてゐるのか、分からない。

 

若い先生は紙を受け取り、嬉しさうに頷いた。

 

「ありがとうございます。これで――」

 

彼の言葉の先は、私の耳に入らなかった。私はただ、窓の外の空を見た。春の空は澄んでゐるはずなのに、遠くの蒸気で薄く霞んでゐる。霞んだ空の向うに、見えない何かがまた動き出してゐる気がした。

六月のある日、放課後に佐伯さんの家へ行くと、テレビの前に人が集まってゐた。ご成婚のときほどの祝いの空気ではない。皆、顔が硬い。

 

画面の中で、東京の街が揺れてゐる。人が押し合ひ、警官の帽子が波に呑まれ、声が飛び交ふ。白黒の画面のざらつきの中でも、「怒り」だけははっきり分かった。

 

「……亡くなったそうだよ。若い女の学生さんが」

 

誰かが言った。座敷の空気が凍った。

 

若い女。その言葉に、私の胸がきゅっと縮んだ。戦争で死ぬのも、デモで死ぬのも、同じ死だとは言へない。けれど「若い女の命が、騒ぎの中で失はれた」と聞くと、私はどうしても、あの春の自分を重ねてしまふ。声を出さずに送り出した、あの自分。声を上げても守れなかった命。どちらも結局、命が戻らないことには変はりない。

 

テレビの向うで、人が叫んでゐる。「平和を守れ」「安保反対」声は大きいのに、私の胸には届かなかった。届かなかったのは、声が嘘だからではない。届く前に、胸の底の海がそれを呑み込んでしまふからだ。

 

平和。平和といふ言葉は、私の人生から一番遠いところにある。戦争が終って十五年。国は豊かになり始め、道は光り、家電が「神器」と呼ばれ、笑ひ声も増えた。けれど、平和は「形」ではない。心の底で、それを本当に信じ切れるかどうかだ。私はまだ、信じ切れない。

 

その夜、私は家へ戻り、母の寝顔を見た。母の胸は上下してゐる。その上下だけが、いま私にとっての平和だと思った。大きな言葉ではなく、ただ息が続くこと。朝が来ること。湯が沸くこと。その小ささこそが、私には切実だった。

夏休みが近づき、学校では「社会科の見学」として、港の工場へ行く話が持ち上がった。

 

校長先生は言った。

 

「いまの時代を子どもに見せんといけん。工場が増え、船が作られ、国が働いてゐる。――戦争のためではなく、暮らしのために」

 

その言葉に、私は「本当に?」と胸の中で問い返してしまった。戦争のためではなく、暮らしのために。それが正しいことは分かってゐる。けれど、鉄と油と煙の匂ひは、私の中ではどうしても戦争へ繋がる。

 

それでも私は教師だ。子どもたちに「いま」を教へるのは、私の仕事だ。私は名簿を作り、弁当の注意を書き、列を組む段取りを整へた。

 

見学の日、港へ向かふバスの窓から、私はあの「鶴」を見た。

 

クレーンが何本も立ち、空へ腕を伸ばしてゐる。下では鉄が鳴り、溶接の火花が飛び、男たちが帽子を被って走り回る。煙突から白い蒸気が立ち、空が薄く曇る。その曇りの中で、クレーンの腕が、まるで大きな鳥の羽のやうに見えた。

 

子どもたちが騒ぐ。

 

「先生、でっかい鶴がおる!」「鳥じゃないよ、あれクレーン!」「でも鶴みたい!」

 

鶴みたい――子どもは正直だ。私は、笑って頷いた。

 

「ほんとじゃね。……鶴みたいじゃ」

 

笑ひながら、胸の奥だけが冷えた。鶴は本来、平和や長寿の象徴だ。なのに目の前の鶴は、鉄で出来てゐる。鉄の鶴が作ってゐるのは、船だ。その船は商売のためかもしれない。けれど、商売の船も、ひとたび時代が狂へば、戦の船になる。私はそれを、身に沁みて知ってゐる。

 

工場の案内係の男が、子どもたちへ声を張った。

 

「これからは輸出の時代ですけえ。船が要るんです。世界へ荷物を運ぶ。平和じゃないと商売になりませんからね」

 

平和じゃないと商売にならない。その言葉に、私は救はれるやうで救はれなかった。平和を「商売の条件」として語ることの軽さが、どこか恐ろしかった。平和は条件ではない。誰かの命で出来た穴を、埋めたくても埋められない私には、平和は条件ではなく、祈りだ。

 

見学の終り、港の端で子どもたちが弁当を広げた。潮の匂ひがする。海は穏やかに見える。けれど海は、底を見せない。

 

私は少し離れた場所に立ち、煙突と鶴を見上げた。白い蒸気の向うで、クレーンがゆっくりと動く。鉄の腕が、空を掻く。その動きは、鳥が羽を広げるのに似てゐるのに、どこまでも無機質だ。

 

ふと、その瞬間、ほんたうの鶴が――空の高いところを、すうっと横切った。白い点のやうに見えただけだ。鳥なのかどうか、確信はない。けれど私は、その白い点を「鶴」と呼びたかった。

 

紙の鶴でも、鉄の鶴でもない、ほんたうの鶴。祈りの鶴。それが、煙突の霞んだ空を裂いて飛んだ。裂く、といふ言葉が、胸に痛いほど合った。空は裂け、私の胸も裂ける。裂けたまま、縫ひ合はされずに年月だけが過ぎる。

 

私は、懐の桜袋を押さへた。袋の中の押し花は、いまも薄紅だ。薄紅の一片が、私の時間を昭和二十年に結びつけて離さない。

 

――平和は、遠い。――君は、なお遠い。

 

その二つの遠さが、その日、同じ高さで胸に落ちてきた。

家へ帰ると、母が縁側にゐた。咳は少ない。私の顔を見ると、母はほっとしたやうに笑った。

 

「港は暑かったらう」

 

「うん。……煙突の蒸気で、空が白うなっとった」

 

「働いとる証拠だねえ」

 

母はそう言って頷いた。母の世代は、働く煙を「暮しのしるし」として見る。その見方が、ありがたい。私もさう見られれば、心はずいぶん楽になるのだらう。

 

けれど私は、心の中でそっと言った。

 

――あの煙の匂ひの先に、戦争が戻りませんやうに。

 

祈りは声に出さない。声に出せば、母を不安にさせる。不安は、咳を呼ぶ。私は母の胸に、これ以上波を立てたくない。

 

夜、母が眠り、家が静かになった頃、私は机に向かった。帳面を開き、鉛筆を削る。灯の火は細い。けれど手元だけは照らす。その小ささが、いまの私の平和だ。

 

今日見たものを、ひとつひとつ思ひ出す。鉄の鶴。煙突の白い蒸気。霞む空。空を裂く白い点。テレビの向うの叫び声。「平和」をめぐって死んだ若い女の話。そして、海の底に沈んだ篤志の遠さ。

 

私は息をひとつ吐き、言葉を置いた。

高度き鶴 煙突の空 裂き飛びぬ平和は遠し 君はなお遠し

書き終へると、胸の奥の熱が、少しだけ形を失った。形を失っても、消えるわけではない。消えないから、私はまた来年も書くのだらう。消えないものを抱へたままでも、日々を回していくために。

 

窓の外では、遠くをトラックが走り、エンジン音が小さくなって消えた。道は伸び、車は増え、国は速くなる。その速さの中で、私は今日も、置き去りの恋を抱へてゐる。

 
 
 

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