大東・遺族編
- 山崎行政書士事務所
- 2025年6月12日
- 読了時間: 4分
――副題:祈りのかたち
序章 香の煙、骨の重さ
静岡県・焼津市。港町の一角にある古びた一軒家。その仏間には、白木の遺影台が置かれていた。写真の中で穏やかに笑う青年――水島亮介。その顔を見上げる老女の眼は、濡れていなかった。ただ、深く、深く、澄んでいた。
「泣いたのは、三日目で終いにしました」
母・水島和代、六十二歳。戦後世代にして、昭和の女。彼女は声を震わせることなく、焼香に訪れる近所の者にそう語った。
骨壺は重かった。中身は、ほとんどが識別不能な白濁の塊だった。艦から送られた官給品――破れた制服、燃えた手帳、そして唯一残ったポケットの中の紙片、「一死以テ大罪ヲ謝ス」。
彼女はそれを見て、微笑んだ。
「バカな子だね。けど、立派だったよ」
第一章 戦後と息子
亮介の死は、マスコミにとっては「過剰な義務感による殉職」、あるいは「統制されぬ現場の暴走」として処理された。彼の名が報じられたのはわずか数行。地方紙の社会面の片隅だった。
それを和代は無言で切り抜き、仏壇に貼った。
彼女は語る。
「亮介はね、小学校のとき“憲法ってなんで変えちゃいけないの?”って言って、先生に怒られてね。帰ってきて、悔しそうに泣いてた」
亮介は、何かを背負っていた。和代はそれが“祖父の幽霊”であることを知っていた。旧海軍の特攻兵として出撃命令直前に終戦を迎えた祖父――亮介の「おじいちゃん」が、生前に繰り返した言葉。
「国家というのは、生きている者より、死んだ者の方が多く支えているのだ」
和代は、亮介に言ったことがある。
「そんなに死に急ぐな」
すると息子は笑って、
「急がないよ。選ぶだけだよ」
と言ったのだった。
第二章 弔意という欺瞞
亮介の葬儀には、町内の人々が集った。香典には、同僚たちの名があった。だが、政府関係者は来なかった。
送られてきたのは形式的な弔辞と、勲章一つ。「危険業務従事者功労章」。それを渡されたとき、和代は言った。
「これがあの子のすべてですか」
返答はなかった。
後日、海上保安庁から一本の電話が入った。
「息子さんの最期の行動について、報道対応上“組織命令ではない”とする必要があります。誤解のないよう、ご理解ください」
和代は静かに答えた。
「ええ、わかっています。あの子は、誰にも命令されずに、勝手に死んだんでしょう」
受話器を置いた後、仏壇の前で独りごちた。
「誰のためにもならない死って、あるのね。あの子のためだけの死。…一番、潔い」
第三章 母の声明
葬儀から四十九日。和代は地元の市民会館で、報道陣の前に立った。突如届いた講演依頼は、町の若者に向けての安全講話だったが、彼女は違う話をした。
「息子が死んだ海を、わたしは見たことがありません。でも、見えます。きれいな海です。でも、怖いです。あの海は、何も言わないんです」
「けれど、あの子は言いました。“日本は誰のもの?”って」
「わたしは答えられなかった。いまも答えられません。でも、あの子は、答えを探して出て行きました。結果は…ご存じの通りです」
「わたしの祈りは、国家に届きません。でも、神さまには届くと信じています。だから今日も、香を焚きます。“あなたの死が、誰かの勇気になりますように”って」
講堂は静まり返っていた。報道陣はメモを止め、学生は俯いた。言葉に酔うことなく、涙を誘うことなく、和代はただ祈るように語った。
それは、華やかな言葉の一切を拒絶した、母の国家論だった。
終章 記憶の海へ
その後、和代は東京にも、永田町にも、一度も行くことはなかった。慰霊碑の建立の話も断った。政治家からの接触には、丁寧に断りの手紙を返した。
「うちの子は、国の役に立ちたいなんて言わなかった。ただ、自分が納得する死を探してた。それが、たまたま国だっただけです」
亮介の部屋は、そのまま残された。机の上には、折りたたまれた地図、手帳、そして最後まで持ち歩いていた紙片。
「一死以テ大罪ヲ謝ス」
和代は、それを仏壇の香炉の下に納めた。
夏のある日、海辺の防波堤で小さな子どもが、手を合わせていた。通りがかった和代に、子どもの母親が話しかける。
「うちの子、海の向こうに“神さまがいる”って言うんです」
和代は静かに笑った。
「そうかもしれないね。うちの息子も、たぶんあそこにいるわ」
そして、海に向かってひとこと。
「今日も見ててね」
波は答えなかったが、その静けさはどこまでも清らかだった。





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