大正期の静岡に生きた少年の成長物語
- 山崎行政書士事務所
- 2025年5月10日
- 読了時間: 6分
父と対峙するたびに、わたしは自分の名前から逃れられないような気分に陥る。伊藤幹夫――上の兄姉が七人もいる家の末っ子にして、士族の血を受け継ぐ者という響きが付与され、それをわたしは誇りとも束縛とも区別がつかずに背負わされている。大正三年という年の春、わたしは十三歳になったばかりだが、古い格式ばかりがやけに重たい家の空気を、肺の底に押し込められたような息苦しさのまま噛みしめていた。
わたしの父、伊藤親房は旧幕臣の家柄を自負し、いつも堂々と静岡城址付近を馬で往復しては、己の身体と心を緊えんとしている。彼はわたしを、その内面の空気の定まらなさを見抜いたかのように厳しく見つめ、武家の精神に従うことこそがわたしに課せられた使命だと言わんばかりの口調で責め立てるのだ。「幹夫、おまえに家の名を汚すことだけは許さん」と。 もちろん、彼が使う言葉はもっと短く、冷然としている。だがわたしには、その冷たさが当主としての矜持に裏打ちされた父の深い自己陶酔のように思えてならない。
父のそうした態度を古くさいと感じつつ、わたしは畳の敷かれた暗がりで、自分が本当に望むことを確かめようとする。わたしは時折、姉の文江が高等女学校を出た後も「もっと学びたい」と言い募る姿を見る。そのとき母は困ったように彼女の口を封じようとするが、姉の落ち着き払った目は相変わらずの静けさで母を射すくめる。それを視線の端に捉えるとき、わたしは自分と姉を隔てる何かがあるように感じて、複雑な苛立ちと羨望が入り混じった感情の暗い影を引きずる。
大正デモクラシーという言葉を浅井先生から初めて聞かされたとき、わたしの耳の奥では何か乾いた空気が急激に湿度を帯び、鱗のようにめくれ上がった。その浅井卓磨という教師は、声をひそめるように、「いま政治は、新しい風によって動かされている。君たち若者こそが、その気配を嗅ぎとらねばならない」と言った。わたしはその言葉を正面から受け止める準備をしていない気がしつつも、まるで自分の存在が外部の大きな流れに適合していく兆しを、無理にでも信じ込みたかった。
ある日、わたしは父を裏切るような形で、河合千之助という同級生と町に出た。父が興味を示さない「産業」や「工場」の話がいまのわたしには痛いほど輝いて見えたからだ。千之助の父は浜松の楽器工場の職工長であり、聞くほどに異様なまでの精密作業に喜びを感じる人々の世界がそこに広がっているという。「幹夫、いつか浜松に来て、ピアノの製造現場を見てみろよ。オルガンの音は世界を変えられるんだ」。 千之助はそんなことを笑い混じりに囁いた。その声を聞くたび、わたしは家で朽ちかけた柱に支えられた座敷とは別の空気を喉に通すようであった。
ある夏、静岡で起こった米騒動をわたしは身近に経験してしまう。父が県庁の官吏として憔悴しきった表情で帰宅すると、家の中でも誰もが息を呑み、戸締まりを厳にするといった事態だった。夜道にたいまつをかざして喚き散らす群衆の響きが薄紙のような心を掻き裂いていく。 しかも、それは誰か特定の悪意が暴走したのではなく、「国や高い地位の者たちが民衆を見下している」という共通の怒りの噴出なのだと、浅井先生から言い聞かされた。わたしはその言葉をどこか他人事のように聞くしかなく、しかし身体の内側では、追い詰められた人間の叫びと、士族として護られたわたしの狭苦しい“安定”が、ひび割れのように縫い合わせられていると感じる。
秋が深まり、学校で行われた政治家の松本公平による講演会は、わたしの中に最終的な亀裂を決定づけたかもしれない。松本は壇上から強い語調で、「政治は遠い上空の星の話ではなく、地上で暮らすすべての人々の問題だ」と我々中学生に告げた。どうしようもなく父に支配された空気に追随していた自分の存在が、まったく異なる軸で測られはじめる。“ここではないどこか”の可能性が形作られ、それは無責任な夢想のような甘さを帯びながらも、同時に鋭く脳髄を刺激してやまない。
さらに、農村部で出会った北村元春という青年団の指導者は、人間のあらゆる境遇を超える固い決意を滲ませていた。差別の構造を是正するために、自ら泥にまみれて子どもたちに読み書きを教える姿。彼の手や足はひび割れて荒れ果てていたが、それでも北村は躊躇なく微笑んだ。わたしの父が掌の届く範囲だけを潔癖に守ろうとしていたのとまるで対照的に、北村は世界を広く捉え、汗をかく行為によってその歪みを多少でも癒やしてゆく――その確信を湛えている。「幹夫くん、君はここにいて、何を感じる?」 彼に問われたとき、わたしは自分の全身の骨格が微妙にずれ動くような感覚を覚えた。答えられない。けれど、この黙りこそがいまの自分の限界そのものなのだ。
家では、長兄が陸軍士官学校へ行き、父は相好を崩して誇らしげにしている。姉は女としての地位向上に熱心な校長のもとでさらに学ぼうとするが、母がそれを理解できずに家庭は荒涼とした空気で満たされる。 そこでわたしは、息苦しさを突破するようにして、父の前で県庁へ入りたい、政治や社会を変えたい、とこぼすように言ってしまう。父の目は明らかな怒りを含んで斜めに歪む。「幹夫、士族の生まれにかこつけてわけのわからん政治ごっこに傾くなど、百年早い」 わたしは膝を折り、畳に額をつけながら喉奥の乾きに耐えた。口の中が苦くなる。しばらくして父は静かな声でこう言った。「……だが、おまえが家名を汚さぬなら、思いどおりやってみろ」 わたしはその言葉を聞くと、汗まみれの身体が急に怖ろしいほど軽くなった気がした。軽くなりすぎて、これは危うい高揚だとも思う。だがわたしは、自分が新しい水路へ踏み込んでいく予兆を確かに感じていた。
やがて、大正十四年、わたしは東京へ行く決意を固める。静岡駅のプラットフォームに立ったとき、兄や姉、そして母が揃っている背後で、父は抑制された目をわたしに向けていた。長い列車の車体がうねるように鳴り、わたしの身体は過去と未来のあわいを揺れ動く。 あの米騒動の夜の混乱。北村元春の荒れた大きな掌。河合千之助の語った機械の黎明。姉のさらに先を学びたいという焦燥と誇り。どれもがわたしの胸中で警鐘を打ち鳴らしている。 列車が動き始め、窓の外に家族の姿が遠ざかる。父の背筋が微動だにせず立っているのを視認し、その佇まいを記憶に刻む。かつて頭上に重くのしかかっていた父の存在が、今ではわたしを突き放し、旅立たせるための装置のようでもある。「まだ、行けるのか――」 小声でそう自問するとき、静岡の町と茶畑、そして自分が少年時代に感じてきた封印された息苦しさが、ひとつの光景として堆積していく。わたしはそこから生え出した“芽”のように、その古い地層の隙間を割って、新しい予感の中へと伸びてゆくのだろう。 大正の末から昭和へ、列車は地響きを上げる。顔を窓に寄せ、わたしは耳の奥で浅井先生の声を反芻しながら、それでも強く握った拳の中に微かな震えを感じている。まだ、わたしは父や古い秩序を捨てきれていない。茶の香も、槍の先に貼り付くほどの厳しさも、幹夫という名に込められた士族の系譜も、わたしの細胞に焼き付けられている。 それでも、あるいはそれゆえにこそ、わたしは行くのだ、と自分に向かって繰り返す。どこかへと走り去る列車の軋みのように、ずっと途切れずに鳴り響く思考を抱えながら。





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