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安倍川に散る花

  • 山崎行政書士事務所
  • 1月14日
  • 読了時間: 6分



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第一章:安倍川のほとり、老舗和菓子屋「安倍屋」

 駿河湾に注ぎ込む安倍川(あべかわ)――。静岡の山々から流れだす川のほとりに、古い瓦屋根の店構えを保つ老舗の和菓子屋「安倍屋」がある。その看板娘が、十九歳の乙女(おとめ)。家業を継いだ父や兄とともに“安倍川餅”を作り続けているが、彼女はただの商いとしてではなく、「餅づくり」を“芸術”の域まで高めたいという奇妙な意志を宿していた。

 乙女は幼い頃から、朝に渦巻く湯気や米の甘い香り、杵(きね)で餅をつく重厚(じゅうこう)な衝撃音に心酔してきた。だからこそ、この和菓子に魂を注ぎ込めば、ある種の“究極の美”に達するのではないか――と、漠然と思いはじめたのだ。

 だが店は最近、近代化された市街地に押し流されそうになっている。大手の菓子メーカーが参入し、若い客層はモダンな洋菓子や珈琲(コーヒー)店へ流れてしまう。乙女の父は苦々(にがにが)しい顔つきで、「安倍川餅なんぞ、所詮(しょせん)昔の人が喜ぶもの」と嘆く。そんな中、乙女は尚(なお)も「昔のままの製法こそ美の真髄(しんずい)」と言い張り、経営の苦境にあっても、ひたすら生地をこね、きな粉と餡(あん)の調合を工夫する日々に没頭していた。

第二章:夜の川辺と“剣術奉納”の噂

 ある夜更け、乙女は小さな湯桶(ゆとう)に餅生地を仕込み終えると、母屋の障子(しょうじ)越しに外を伺(うかが)っていた。涼しい夜風に乗って、安倍川の川原で人影が動いているような気配がする。 翌朝、客として来た近所の爺(じい)さんから、「川岸で軍人上がりの古参たちが“剣術形(かた)”を奉納する集まりを企てているらしい」との噂を聞く。いわく、各流派が月夜にこっそり集い、刀を振るう儀式めいた行為をするという。 乙女はその話に妙な惹(ひ)かれを覚えた。武家の名残を感じさせる影たちが、血と陶酔に近い何かを求めている気がしたからだ。彼女の内部で“芸術”への欲望と“死”の誘惑が、うっすら結びつきはじめる。

第三章:剣士との遭遇――血の匂い

 そして月の明るい夜、乙女は居ても立ってもいられず、安倍川の川原へ足を運んだ。渡し舟跡の少し上流にある広い砂地では、十数人の軍服に似た上着を着る男たちが、思い思いに刀を振るっていた。 その光景は、型の鍛錬(たんれん)というよりも、死の間際に光る狂気(きょうき)のようだ。川のせせらぎと月明かりが、彼らの動きを白く照らす。乙女は息を呑(の)んだ。 ふと一際(ひときわ)精悍(せいかん)な青年剣士が目に入る。まだ二十歳そこそこと思われるが、その剣筋からは凄絶(せいぜつ)な美が放たれ、周囲の古参たちさえ一瞬見惚(みと)れているように見えた。彼は斬り結ぶ形の途中で、まるで自らの肉体が刀そのものになったかのように鋭く回転し、一瞬の止めをかざす。 そのとき、ほんのわずかに鼻孔(びこう)をくすぐる鉄(てつ)の臭いを乙女は感じ、彼の血が騒いでいるのではないかと戦慄(せんりつ)した。“これが、美の破壊力?”。彼女は“餅づくり”が生み出す柔らかな艶(つや)と、この剣が見せる“刃(やいば)の美”を、不可思議な次元で結びつけて感じ始める。

第四章:芸術としての餅と“死の閃き”

 乙女は再び夜に川原を訪れ、稽古を終えて一息ついている青年剣士にそっと声をかける。名前を聞けば、彼は鳴海(なるみ)と名乗った。元は武家の家系らしく、戦後は職を転々としながらも、剣の修行だけは捨てられないという。 「どうして、こんな奇妙な形で剣を振るうの?」 乙女が尋ねると、鳴海は低く呟(つぶや)く。 「剣は死と隣り合わせで輝く。生きている人間の最上の美は、死と背中合わせになったときに閃(ひらめ)くんだ……」 その言葉は乙女の胸を強く打つ。それは彼女が餅をこねる時に感じる“生地の限界を越え、透明(とうめい)な白さが現れる瞬間”の感覚にも重なってくる。“生と死のコントラスト……それこそ美の核心?”

第五章:肉体を極限まで追い込む

 以降、乙女は餅づくりに没頭しながらも、自分自身の肉体を追い込むようになっていく。夜中まで杵を振り下ろし、米粉に何度も打ちつけるその重労働を、彼女は苦痛ではなく陶酔(とうすい)として受け止める。まるで剣士が死を伴う修行をするのと同じ次元で、自身の“芸”を突き詰めようとするのだ。 髪を振り乱しながら、血豆(ちまめ)ができるほど大きな杵を振るう姿は、それまでの静謐(せいひつ)な和菓子作りのイメージを超えている。時には勢いあまりに指先を傷つけ、微かな血が餅の生地に溶け込む瞬間さえある。しかし乙女はそこに“禁忌(きんき)な美”を見る。

 やがて彼女は、「餅づくりの極致に達すれば、あの剣術が示す死の閃きと同じ高さに立てる」と確信を抱きはじめる。まるで餅が純白の極限まで打ちのめされると同時に、自分の心と身体も洗練されていく……。

第六章:狂宴(きょうえん)の夜――安倍川の桜

 春、安倍川沿いには桜の花が咲き誇り、夜には花びらが風に乗って川面(かわも)を流れていく。古参たちの“剣の奉納”が再び行われるという噂が立ち、乙女も飛んでいくように向かう。 その夜は満月が川面を照らし、花びらが水面(みなも)に漂う光景はまるで現実離れしている。鳴海は白い道着(どうぎ)を纏(まと)い、剣を抱いて待ち受ける。乙女の姿を見とめ、彼は静かに頷(うなず)く。 「君も、ここまで来たんだね……」 剣士たちが一人ずつ形を披露し、最後に鳴海が大きく刀を振りかざしたとき、乙女は思わず駆け寄り、手にした餅を刀の刃先に捧(ささ)げるように差し出す。もち米が潰(つぶ)れ、きな粉が舞い散り、甘い匂いが夜気に混ざり込む。その甘さと刀身の冷ややかさが、奇妙に調和し、一種の“血の香り”に近い錯覚を呼び起こす。

第七章:散る花と、二人の邂逅(かいこう)

 ついに、鳴海は刀を横一線に振り抜き、乙女の指先をかすめる。二人は同時に息を詰め、そこに危険な官能(かんのう)が走った。乙女が微かに指を切り、血が白い餅の上にぽとりと落ちる。その一瞬、川辺の桜吹雪(さくらふぶき)が大きく舞い上がり、月光を受けて舞う花びらが川面に散ってゆく。 その幽玄(ゆうげん)たる光景と、乙女の血が混ざった餅、そして鳴海の刀が響(ひび)き合った瞬間、乙女の胸中にきわめて強烈な満足感が込み上げてくる。それは生と死の狭間(はざま)で体得した“美”の閃光(せんこう)だ。

 「やっと見つけたのかもしれない……私が餅づくりで求めていたものは、ここにあったのね」 乙女が呟(つぶや)くと、鳴海は刀を静かに鞘(さや)に納め、川のほうへ目をやる。桜の花びらは依然として川面を漂い、遠くへ消えていく。鳴海は深い溜(ため)息をつき、剣先を微かに震わせながら言う。 「俺も、この死と生の境目にある刹那(せつな)こそ、剣の目的だと思っていた。……お前も同じものを見ていたんだな」

終章:安倍川に散る花

 夜が明けるころ、乙女と鳴海は静かに川を後にする。周囲の古参たちや町の人々は、その奇妙な“儀式”に呆気(あっけ)に取られているが、二人の間には確かな共振(きょうしん)があった。 翌日、乙女は何食わぬ顔で店の仕事をこなす。客にふるまう安倍川餅は、かつてない滑らかさと深い味わいを持つようになったと評判だ。「一体どうやってこんなに滑らかな餅を?」と問われても、乙女はただ微笑(ほほえ)むだけ。 桜の花びらが安倍川に散り落ち、流れ去るさまは、一方で“死”をも連想させる儚(はかな)い光景だが、そこに三島由紀夫的なエロスとタナトス(生と死の二面性)を仄(ほの)めかす。「生きてこそ、美がある」という確信と、「死を思うからこそ美が極まる」という逆説が、一瞬のうちに手を携(たずさ)えたのだ。

 乙女は自分の身体を極限まで酷使して作りあげる餅に、あの夜の血と刀と花びらの記憶を宿している。鳴海もまた、剣の稽古を続けるとき、川面に散った花が刃に乗る幻影(げんえい)を思い出すだろう。 そして誰もが見過ごす中、安倍川のせせらぎは相も変わらず、その花びらを運んでいく。“生も死も、いずれは同じ流れに溶けゆく”というように。儚くも強烈な美と死の同居が、夜明けの光に淡く照らされて幕を下ろすのである。

 
 
 

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