小説「通す構成」
- 山崎行政書士事務所
- 2025年9月6日
- 読了時間: 6分

朝、叶多はネクタイをきゅっと締めた。ベストの胸ポケットには、折り畳んだA3の白紙。そこに今日も“道筋”を描く。ポスターの自分は言っている――「申請フローも、RBACも。通す構成は整えて」。
電話が鳴った。「すみません、灯台ベーカリーの鶴田と申します。週末の港まつりに出店する予定なんですが、保健所の臨時営業の申請、提出ボタンが押せなくて……それに、会計アプリの権限がぐちゃぐちゃで、スタッフが結局みんな“管理者”に……」
「大丈夫です。今から伺います」叶多は端末を抱え、玄関で律斗に会釈した。
「状況は?」「申請フローが詰まり、現場のRBACが崩れてます。両方、通します」律斗は目元を緩める。「任せた。迷ったら順番に戻れ」
1 紙に道を描く
灯台ベーカリーは小さな店だった。バターの香りに、焦りの匂いが混じっている。「うちは家族と学生バイトさんでやってるから、アプリの設定とか詳しくなくて……」店主の鶴田は、焼きたてのブールを差し出しながら苦笑した。
叶多はテーブルにA3を広げ、四角い付箋を並べた。「まず、申請です。何を、誰が、どの順番で」付箋には「臨時営業」「火気使用」「仮設電気」「食品表示」の文字。そこへ悠真からメッセージが届く。《障害時の持参提出条項、今年も有効。証跡はスクショ+ログ》「助かります」叶多は小声で呟き、付箋の右上に赤丸を書き加えた。
「次はアプリの権限。RBACって言います。役割ごとにできることを分ける仕組みです」「え、うちは三人しかいませんよ」「三人でも、です。店主(Owner)/会計(Cashier)/販売(Staff)。払い戻しは会計だけ、価格改定は店主だけ。売上の閲覧は全員OK。これなら“誤操作”と“悪気のない混乱”を防げます」
鶴田の目が少し柔らかくなる。「なるほど……でも設定は難しくないですか?」「今、一緒にやりましょう。僕の好きな作業です」
叶多はチェックリストを読み上げ、鶴田がタブレットを操作する。「アクセス権、変更完了!」タブレットが軽い音を鳴らした。「やった!」鶴田が子どものように笑う。それに釣られて叶多の口角も上がる。
2 “待ち”を消す
午後、事務所の会議室。「保健所のポータル、送信ステップで止まります」奏汰が画面を見せた。悠真が椅子を引き寄せる。「ブラウザの互換モード、オフ。添付はPDF/Aに。障害時は持参提出可」「持参提出、か……」鶴田が不安げに言う。「窓口、混んでますよね」
「待ち時間をなくしましょう」叶多は付箋の列の左端に、太い矢印を書いた。「順番を変えます。 まず保健所に“障害のための事前相談”の電話。必要書類をFAXで先出し。並行して、現場の食品表示と手洗い場の写真を撮影。役割分担は――」
「現場は私が行くよ」陽翔がふわりと手を挙げた。「のんびりですが、確実に」「申請パッケージは僕が束ねる」蓮斗がキーボードを叩く。「命名規則はこの形に」「規程上の根拠は私が押さえる」悠真が条文を開く。「ぼ、僕は……!」奏汰が背筋を伸ばした。「チェックリストの未完了項目に“アラート”付けます!」
律斗は全員を一瞥して頷いた。「行こう。迷う人の地図になる」
3 変わるのは“空気”から
保健所の窓口。混み合うロビーで、鶴田は肩をすぼめていた。叶多は前に立ち、深く礼をして要件を伝える。声は熱いのに、決して荒くない。「電子申請の障害のため、持参提出をお願いしたく――必要なログはこれです。提出書類はこちら。飲食物の一覧、調理体制、アレルゲン表示、手洗い設備の写真、各一部。担当の方の確認が早まるよう、項目順に並べています」
窓口の職員が目を見開き、次の瞬間、作業に取り掛かった。「こんなに揃っているなら、受付までお持ちします。少々お待ちください」
鶴田がささやく。「……空気が変わりましたね」「構成を整えると、相手の“次の一手”も整います」叶多は微笑む。「通す構成って、そういうことなんです」
ほどなく仮受付印が落ちた。鶴田の目にうるみが浮かぶ。「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」
4 夜のリハーサル
その夜、港の仮設テントで“本番前リハ”を行った。陽翔が手袋を配り、奏汰が温かいお茶を回す。「返品フロー、練習しておきましょう」叶多はアプリ画面を示す。「スタッフ権限で返品はできません。会計の承認が必要。承認のログは自動で残ります。――はい、鶴田さん、“誤って返品”してみてください」「えい……あ、止められた」「代わりに会計役の私が承認する。これでOK。トラブルのとき、手順が道しるべになります」
悠真が照明の影を確かめながら言う。「衛生管理の掲示、もう少し入り口側に」蓮斗は在庫と価格表を突き合わせ、「釣り銭の最適配分」をメモに起こす。陽翔はスタッフ全員の顔を見て、「寒くなったらここに戻って温まりましょう」と笑う。奏汰は何度もチェックリストを見直して、最後に自分の胸に小さな付箋を貼った。**“初心”**と書いてある。
夜風が冷たくなるころ、叶多はポケットの中のA3を折り畳んだ。もう、線は足りている。
5 本番の朝、走りながら整える
祭りの朝。最初の山を越えたと思った矢先、別の山が来た。「アプリ、同時アクセスが増えて読み込みが遅い!」奏汰が叫ぶ。「焦らない」律斗の声は低い。「切り分けだ。ネットワークか、端末か、アプリか」
「僕が行きます!」叶多は走った。テントの裏で電波強度を測り、会計専用端末だけをモバイルルータに切り替える。「“支払い端末は会計の権限だけ”――RBACが効いている。切り替えの影響は最小限で済む」鶴田が頷く。「行ける!」
次は突然の雨。行列が崩れかけた瞬間、陽翔が傘を配り、奏汰が行列の最後尾に「ここが最後尾」の札を掲げる。悠真はスタッフ同士の連絡手段を“必要最低限のグループ”に再編し、連絡のノイズを減らした。蓮斗は販売ペースを見て、在庫回しの号令を飛ばす。「メロンパンの次はクロワッサンの山を前へ!」
叶多は深呼吸し、声を張った。「みんな、落ち着いて! 順番通りにやれば必ず進みます! 会計は右、販売は左、返品は奥。迷ったら僕のところへ!」人の流れが、音を立てずに整っていく。雨音がBGMに変わる。
6 通過印
昼過ぎ、保健所の担当者がテントを訪れた。「現地確認に来ました。手洗い、表示、温度管理――問題なし。仮の許可は本許可へ。後日、書類を送ります」
鶴田が何度も頭を下げる。叶多は胸の前で小さく拳を握った。通った。
会場のスピーカーから軽快な音楽が流れ、焼きたての匂いが風に溶ける。列の最後尾で、奏汰が誰かのベビーカーを押しながら「どうぞ前へ」と笑っている。陽翔はスタッフに温かい紅茶を配り、蓮斗は売上の速報を鶴田に見せて「午後は価格据え置きで行けます」と静かに支える。悠真はロゴ入りの書類ケースに、今日の証跡を順番通りに重ねていく。
「叶多さん」背中から声がした。振り向くと、鶴田が小さな紙袋を差し出している。「今朝焼いた、いちばんのブールです。息子が名付けた“青い灯台”ってパン。――ありがとうございました。僕、これからは怖くないです。順番がわかったから」
叶多は受け取ったパンの温もりに、ほんの少しだけ目を細めた。「困ったときは、また一緒に整えましょう。通す構成で」
エピローグ 燃える場所
夕方、事務所に戻ると、律斗がホワイトボードに一本の線を引いていた。「おかえり。結果は?」「通りました。申請も、現場も」「よくやった」律斗は頷き、青い線の端に小さな丸を描く。「ここが今日の“完了”だ」
叶多はネクタイを緩め、窓の外の港を見た。静かな海。けれど、胸の中の火は消えない。叫ぶ必要のない、長く燃える火だ。人の不安と手順の隙間で、いつでも灯せるように。
ポスターの自分がまた小さく語りかけてくる。「申請フローも、RBACも。通す構成は整えて」
明日も誰かの申請と、誰かの画面の中に、道を描こう。全力で――でも、静かに。




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