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山崎行政書士事務所物語(コメディ小説)第5話「内容証明は感情を運ばない」※本作はフィクションです。登場人物


・出来事は創作であり、手続や書類に関する描写は一般的な範囲の表現です。個別の案件は事情により必要書類・手順が変わります。作中の表現は特定の案件の結論を示すものではありません。

ホワイトボードの右上に、駅名ステッカーが四枚。『新静岡』『日吉町』『音羽町』『春日町』

その横に、赤字で書かれた時刻。

14:15

さらに、その下には、プリンターが勝手に吐き出した「名言(※当事務所判断)」が貼ってある。

『それ、残ってない。』『でも、残せる。』『要件定義、未完。』『MVPで、勝つ。』

「先生……これ、壁が強くないですか?」

ゆいが、ポスター筒を抱えたまま言った。壁の言葉が、だんだん人格を持ってきている。

「強いね。けど、真理も混ざってる」

みおが付箋を貼る。

(① 内容証明)

「今日は“言葉の修羅場”です」

「言い方」

さくらが、机の上に一枚の紙束を置いた。置いた瞬間、紙が怒っているように見える。見えるだけ。たぶん。

「先生。今日の依頼者、文章が……熱いです」

りなががPCを立ち上げながら言う。

「先生、熱い文章って、なんか“いい話”になりそうですよね」

「内容証明で熱いのは、だいたい火傷する」

あやのが静かに頷いた。

「火傷してる方が来ます。たいてい」

相談者は、紙より先に“気持ち”を置いていく

10時ちょうど。ドアが開いて、入ってきたのは、スーツ姿の女性だった。きちんとしているのに、肩に“疲れ”が乗っている。

「あの……こちらで、内容証明の文章を見てもらえるって……」

「はい。一般的な範囲で、文章の整理や表現の整えはお手伝いできます」

山崎先生が落ち着いた声で言うと、女性は少しだけ息を吐いた。

「ありがとうございます。正直……頭がぐちゃぐちゃで」

あやのが、椅子を引きながら微笑む。

「大丈夫です。ぐちゃぐちゃのままでも、話していいですよ。“順番”は、こちらで一緒に整えます」

女性は、机の上に封筒を置いた。封筒から出てきたのは、A4が数枚。……赤ペンで、びっしり。

りながが思わず囁く。

「……赤ペンの密度、怒りのログ……」

みおが即座に訂正する。

「怒りはログじゃないです。イベントです」

「イベントって言い方も怖いよ」

女性は、紙を指で押さえながら言った。

「これ、私が書いたんですけど……読み返すと、怖くて。でも、相手に分からせたくて……!」

さくらが、紙の一文を目で追っただけで言った。

「先生。これ、句読点がキレてます」

「句読点がキレる、って何」

「“!”が多いです。あと“絶対”が多いです。あと“二度と”も多いです」

「三段攻撃やめて」

「冷静に書いたつもり」が、一番熱い

山崎先生は、紙の冒頭を読んだ。そして、静かに顔を上げた。

「……“冷静に”書いたつもりですか?」

女性が頷いた。

「はい。冷静に書きました。だから“!”は三つに抑えました」

「抑えた結果が三つなのか」

りながが小声で言う。

「通常運転だと十個ぐらい……?」

みおが付箋に追記する。

(② !は削る)

ゆいが、なぜかキャッチコピーを思いついた顔をする。

「“感情は三つまで”……!」

「広報、黙って(本日1回目)」

あやのが、女性の目を見て言った。

「“分からせたい”って、すごく自然な気持ちです。ただ、文章って……気持ちが強いほど、相手に“届く”より先に、“刺さる”こともあって」

女性が、少しだけ目を伏せる。

「刺さってほしいんです」

「刺さると、相手が“防御”に入っちゃうこともあるので……“読ませる”方向に寄せた方が、結果として伝わることもあります」

女性はゆっくり頷いた。

山崎先生も頷く。

「一般論としてね。内容証明って“気持ちを運ぶ”というより、“何を・いつまでに・どうしてほしいか”を、後から見ても分かる形で残すイメージなんだ」

りながが、反射で言った。

「証跡……!」

みおが頷く。

「証跡です」

さくらも頷く。

「残るやつです」

ゆいが小声で言う。

「残る、流行ってますね」

“事実”と“感情”を分ける作業は、だいたい大変

山崎先生は紙の上に、ペンで二つの枠を書いた。

  • 事実(いつ・何があった)

  • 要望(どうしてほしい・いつまで)

「まず、ここに“事実”だけを入れよう。それ以外の言葉は、いったん別の場所に置く」

女性が不安そうに言う。

「でも……それだと、私の気持ちが消えませんか?」

あやのが即答する。

「消えません。むしろ、守れます。気持ちは、雑に文章に混ぜると、相手に踏まれます」

さくらが淡々と付け足した。

「踏まれた気持ちは、戻りません」

「さくらさん、重い」

りながが、紙の中の一文を指さす。

「先生、この“あなたは最低です”って部分……」

さくらが首を横に振る。

「捨てます」

「早い!」

女性が慌てる。

「でも、それが一番言いたいところで……!」

山崎先生は、丁寧に言った。

「言いたい気持ちは分かる。ただ、“言いたい”と“残す”は、別の問題になりやすい。残したいのは、相手の人格評価じゃなくて、“要求”と“経緯”の方が、後で困りにくいことが多い」

みおが付箋に追記する。

(③ 人格評価は残さない)

ゆいが、うっかり言う。

「じゃあ“最低”は“残念です”に……」

さくらが睨む。

「先生、広報が勝手に柔らかくしてます」

「広報、黙って(本日2回目)」

句読点で意味が変わる戦争

文章を整え始めた頃。りながが突然、真顔になった。

「先生、句読点の位置、これ……意味変わりますね」

「変わるね」

「“お支払いください、期日は…”と“お支払いください期日は…”だと、怖さが違う……」

「後者はホラーだね」

みおが、まるで監査官のように言った。

「句読点は、運用です」

「全部運用にするな」

さくらが紙を指でトントン叩く。

「“催告”って単語、強いです」

女性がドキッとして言う。

「強い方がいいかなって……」

あやのが優しく言った。

「強い言葉は、強い反応を呼びやすいです。目的が“連絡を取ってほしい”なら、強さは逆効果になることもあって」

女性が、少し考えて言った。

「……じゃあ、私は何をしたいんでしょう」

山崎先生は、まっすぐに言った。

「そこだね。文章は、目的が決まると、急に整う」

14:15、来るべき人が来る

文章が“事実と要望”の形になってきた頃。インターホンが鳴った。

ピンポーン。

みおが無言で時計を見る。りなも見る。ゆいも見る。あやのも見る。さくらは、最初から見ている。

14:15

「……来る」

りなが、息だけで言った。

ドアが開く。キャップを深く被った人物。例の、謎の人。

低い声で、丁寧に。

「失礼します。……少しだけ」

視線が、机の上の文章に落ちる。赤ペンが減り、段落が整い、句読点が落ち着いてきた“再構築後”の紙。

謎の人が言う。

「それ……感情、残る?」

女性が戸惑う。

「え……?」

謎の人は続けた。

「残るのは“紙”だけじゃない。相手の反応も、次のやり取りも、全部残る。だから……“何を残すか”を選ぶのが、いちばん大事」

みおが、静かに頷いた。さくらも頷く。ゆいが小声で感動する。

「……深い」

山崎先生が女性に目を向ける。

「今の言葉、分かる?」

女性は少し迷って、それから頷いた。

「……はい。“怒り”を残すんじゃなくて、“次に進むための言葉”を残す、ってことですよね」

謎の人は、満足したのか、机にステッカーを置いた。

『柚木』

「じゃ。証跡、大事なんで」

いつものように去っていった。

ドアが閉まる。

りながが、ステッカーを持ち上げて言った。

「先生、五駅目……!」

さくらがホワイトボードに貼る。『春日町』の隣に、『柚木』。

地図が、確実に伸びている。

内容証明は感情を運ばない、でも——

女性は、整った文章を見つめた。最初に持ってきた紙とは、別物だった。

「……これ、私の言葉ですか?」

あやのが、はっきり言った。

「はい。“あなたの気持ち”を、踏まれにくい形にしただけです」

女性の目が、少し潤む。でも表情は、軽くなっている。

「……怒り、消えてないです。でも、なんか……前に進めそうです」

山崎先生は頷いた。

「それが大事。内容証明は、感情を運ぶ船じゃない。でも、感情が沈まないように、“形”を作ることはできる」

その瞬間、プリンターが静かに動いた。勝手に、でも今回は邪魔じゃない。

吐き出された紙には、一行だけ。

『句読点は、平和。』

りながが吹き出す。

「先生、プリンター、急に平和主義!」

みおが付箋を貼る。

(④ 句読点=平和)

さくらがプリンターに言う。

「今日だけ、褒めます」

「今日だけなんだ」

今週のチェックリスト(一般論)

  • 文書は「事実」と「要望」を分けると読み手が理解しやすい(感情は別枠で守る)

  • 強い言葉は強い反応を呼びやすいので、“目的(何を達成したいか)”に合わせて選ぶ

  • 句読点・日付・固有名詞の表記ゆれは、後から効いてくる(“残る文章”ほど丁寧に整える)

駅名ステッカー

  • 1枚目:新静岡

  • 2枚目:日吉町

  • 3枚目:音羽町

  • 4枚目:春日町

  • 5枚目:柚木

プリンター被害状況

  • 今回は平和主義(ただし信用はしない)

  • 「句読点は平和」を勝手に印刷(なぜ)

次回予告

「うちの子、書類は苦手なんです」――だいたい苦手なのは飼い主。次回、ペットと名義と、飼い主のうっかり

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