山崎行政書士事務所物語(コメディ小説)第5話「内容証明は感情を運ばない」※本作はフィクションです。登場人物
- 山崎行政書士事務所
- 2月8日
- 読了時間: 7分

・出来事は創作であり、手続や書類に関する描写は一般的な範囲の表現です。個別の案件は事情により必要書類・手順が変わります。作中の表現は特定の案件の結論を示すものではありません。
ホワイトボードの右上に、駅名ステッカーが四枚。『新静岡』、『日吉町』、『音羽町』、『春日町』。
その横に、赤字で書かれた時刻。
14:15
さらに、その下には、プリンターが勝手に吐き出した「名言(※当事務所判断)」が貼ってある。
『それ、残ってない。』『でも、残せる。』『要件定義、未完。』『MVPで、勝つ。』
「先生……これ、壁が強くないですか?」
ゆいが、ポスター筒を抱えたまま言った。壁の言葉が、だんだん人格を持ってきている。
「強いね。けど、真理も混ざってる」
みおが付箋を貼る。
(① 内容証明)
「今日は“言葉の修羅場”です」
「言い方」
さくらが、机の上に一枚の紙束を置いた。置いた瞬間、紙が怒っているように見える。見えるだけ。たぶん。
「先生。今日の依頼者、文章が……熱いです」
りなががPCを立ち上げながら言う。
「先生、熱い文章って、なんか“いい話”になりそうですよね」
「内容証明で熱いのは、だいたい火傷する」
あやのが静かに頷いた。
「火傷してる方が来ます。たいてい」
相談者は、紙より先に“気持ち”を置いていく
10時ちょうど。ドアが開いて、入ってきたのは、スーツ姿の女性だった。きちんとしているのに、肩に“疲れ”が乗っている。
「あの……こちらで、内容証明の文章を見てもらえるって……」
「はい。一般的な範囲で、文章の整理や表現の整えはお手伝いできます」
山崎先生が落ち着いた声で言うと、女性は少しだけ息を吐いた。
「ありがとうございます。正直……頭がぐちゃぐちゃで」
あやのが、椅子を引きながら微笑む。
「大丈夫です。ぐちゃぐちゃのままでも、話していいですよ。“順番”は、こちらで一緒に整えます」
女性は、机の上に封筒を置いた。封筒から出てきたのは、A4が数枚。……赤ペンで、びっしり。
りながが思わず囁く。
「……赤ペンの密度、怒りのログ……」
みおが即座に訂正する。
「怒りはログじゃないです。イベントです」
「イベントって言い方も怖いよ」
女性は、紙を指で押さえながら言った。
「これ、私が書いたんですけど……読み返すと、怖くて。でも、相手に分からせたくて……!」
さくらが、紙の一文を目で追っただけで言った。
「先生。これ、句読点がキレてます」
「句読点がキレる、って何」
「“!”が多いです。あと“絶対”が多いです。あと“二度と”も多いです」
「三段攻撃やめて」
「冷静に書いたつもり」が、一番熱い
山崎先生は、紙の冒頭を読んだ。そして、静かに顔を上げた。
「……“冷静に”書いたつもりですか?」
女性が頷いた。
「はい。冷静に書きました。だから“!”は三つに抑えました」
「抑えた結果が三つなのか」
りながが小声で言う。
「通常運転だと十個ぐらい……?」
みおが付箋に追記する。
(② !は削る)
ゆいが、なぜかキャッチコピーを思いついた顔をする。
「“感情は三つまで”……!」
「広報、黙って(本日1回目)」
あやのが、女性の目を見て言った。
「“分からせたい”って、すごく自然な気持ちです。ただ、文章って……気持ちが強いほど、相手に“届く”より先に、“刺さる”こともあって」
女性が、少しだけ目を伏せる。
「刺さってほしいんです」
「刺さると、相手が“防御”に入っちゃうこともあるので……“読ませる”方向に寄せた方が、結果として伝わることもあります」
女性はゆっくり頷いた。
山崎先生も頷く。
「一般論としてね。内容証明って“気持ちを運ぶ”というより、“何を・いつまでに・どうしてほしいか”を、後から見ても分かる形で残すイメージなんだ」
りながが、反射で言った。
「証跡……!」
みおが頷く。
「証跡です」
さくらも頷く。
「残るやつです」
ゆいが小声で言う。
「残る、流行ってますね」
“事実”と“感情”を分ける作業は、だいたい大変
山崎先生は紙の上に、ペンで二つの枠を書いた。
事実(いつ・何があった)
要望(どうしてほしい・いつまで)
「まず、ここに“事実”だけを入れよう。それ以外の言葉は、いったん別の場所に置く」
女性が不安そうに言う。
「でも……それだと、私の気持ちが消えませんか?」
あやのが即答する。
「消えません。むしろ、守れます。気持ちは、雑に文章に混ぜると、相手に踏まれます」
さくらが淡々と付け足した。
「踏まれた気持ちは、戻りません」
「さくらさん、重い」
りながが、紙の中の一文を指さす。
「先生、この“あなたは最低です”って部分……」
さくらが首を横に振る。
「捨てます」
「早い!」
女性が慌てる。
「でも、それが一番言いたいところで……!」
山崎先生は、丁寧に言った。
「言いたい気持ちは分かる。ただ、“言いたい”と“残す”は、別の問題になりやすい。残したいのは、相手の人格評価じゃなくて、“要求”と“経緯”の方が、後で困りにくいことが多い」
みおが付箋に追記する。
(③ 人格評価は残さない)
ゆいが、うっかり言う。
「じゃあ“最低”は“残念です”に……」
さくらが睨む。
「先生、広報が勝手に柔らかくしてます」
「広報、黙って(本日2回目)」
句読点で意味が変わる戦争
文章を整え始めた頃。りながが突然、真顔になった。
「先生、句読点の位置、これ……意味変わりますね」
「変わるね」
「“お支払いください、期日は…”と“お支払いください期日は…”だと、怖さが違う……」
「後者はホラーだね」
みおが、まるで監査官のように言った。
「句読点は、運用です」
「全部運用にするな」
さくらが紙を指でトントン叩く。
「“催告”って単語、強いです」
女性がドキッとして言う。
「強い方がいいかなって……」
あやのが優しく言った。
「強い言葉は、強い反応を呼びやすいです。目的が“連絡を取ってほしい”なら、強さは逆効果になることもあって」
女性が、少し考えて言った。
「……じゃあ、私は何をしたいんでしょう」
山崎先生は、まっすぐに言った。
「そこだね。文章は、目的が決まると、急に整う」
14:15、来るべき人が来る
文章が“事実と要望”の形になってきた頃。インターホンが鳴った。
ピンポーン。
みおが無言で時計を見る。りなも見る。ゆいも見る。あやのも見る。さくらは、最初から見ている。
14:15
「……来る」
りなが、息だけで言った。
ドアが開く。キャップを深く被った人物。例の、謎の人。
低い声で、丁寧に。
「失礼します。……少しだけ」
視線が、机の上の文章に落ちる。赤ペンが減り、段落が整い、句読点が落ち着いてきた“再構築後”の紙。
謎の人が言う。
「それ……感情、残る?」
女性が戸惑う。
「え……?」
謎の人は続けた。
「残るのは“紙”だけじゃない。相手の反応も、次のやり取りも、全部残る。だから……“何を残すか”を選ぶのが、いちばん大事」
みおが、静かに頷いた。さくらも頷く。ゆいが小声で感動する。
「……深い」
山崎先生が女性に目を向ける。
「今の言葉、分かる?」
女性は少し迷って、それから頷いた。
「……はい。“怒り”を残すんじゃなくて、“次に進むための言葉”を残す、ってことですよね」
謎の人は、満足したのか、机にステッカーを置いた。
『柚木』
「じゃ。証跡、大事なんで」
いつものように去っていった。
ドアが閉まる。
りながが、ステッカーを持ち上げて言った。
「先生、五駅目……!」
さくらがホワイトボードに貼る。『春日町』の隣に、『柚木』。
地図が、確実に伸びている。
内容証明は感情を運ばない、でも——
女性は、整った文章を見つめた。最初に持ってきた紙とは、別物だった。
「……これ、私の言葉ですか?」
あやのが、はっきり言った。
「はい。“あなたの気持ち”を、踏まれにくい形にしただけです」
女性の目が、少し潤む。でも表情は、軽くなっている。
「……怒り、消えてないです。でも、なんか……前に進めそうです」
山崎先生は頷いた。
「それが大事。内容証明は、感情を運ぶ船じゃない。でも、感情が沈まないように、“形”を作ることはできる」
その瞬間、プリンターが静かに動いた。勝手に、でも今回は邪魔じゃない。
吐き出された紙には、一行だけ。
『句読点は、平和。』
りながが吹き出す。
「先生、プリンター、急に平和主義!」
みおが付箋を貼る。
(④ 句読点=平和)
さくらがプリンターに言う。
「今日だけ、褒めます」
「今日だけなんだ」
今週のチェックリスト(一般論)
文書は「事実」と「要望」を分けると読み手が理解しやすい(感情は別枠で守る)
強い言葉は強い反応を呼びやすいので、“目的(何を達成したいか)”に合わせて選ぶ
句読点・日付・固有名詞の表記ゆれは、後から効いてくる(“残る文章”ほど丁寧に整える)
駅名ステッカー
1枚目:新静岡
2枚目:日吉町
3枚目:音羽町
4枚目:春日町
5枚目:柚木
プリンター被害状況
今回は平和主義(ただし信用はしない)
「句読点は平和」を勝手に印刷(なぜ)
次回予告
「うちの子、書類は苦手なんです」――だいたい苦手なのは飼い主。次回、ペットと名義と、飼い主のうっかり。





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