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御門台駅の銀河改札

 幹夫青年は、御門台駅のホームの端で、しばらく線路を見下ろしてゐました。 冬の空気は透明で、鉄の匂ひがまっすぐ鼻へ来ます。息を吐くと白い息がふうっと出て、駅の白い灯にいちど膨らまされ、それから闇の方へほどけて消えました。

 消えるのに、あたたかい。 幹夫は、また思ひました。

 (ことばも、白い息みたいならいい。  出て、消えて、でも少しあたたかい。)

 けれど幹夫の胸の中のことばは、息みたいに軽くありません。 冷えた小石みたいに角ばって、ポケットの底でごろごろしてゐます。

 ――「遅い。」 ――「いまさら。」 ――「でも言はないと、もっと遅い。」

 そんな見えない裁判官が、胸の中でこつこつ机を叩いてゐました。 机の上には、送られないままの短い文が、切符みたいに何枚も並んでゐるのです。

 ホームの向うで、静鉄の電車が一つ、すうっと入ってきました。 車輪の音が、コトン、コトン と、夜の石を正確に刻みます。 その正確さは、星の運行みたいでした。星は急がないのに遅れません。 幹夫は、星のその態度が、ひどくうらやましく思へました。

 電車が止まり、ドアが開くと、あたたかい空気が一すじ流れ出ました。 その流れに押されて、幹夫の白い息が少し曲がりました。 曲がった白い息は、なぜだか“門”の形に見えました。 門、といふ字の、あの四角の空きぐあひです。

 (御門台だ。)

 御門台――。 名前の中に“門”が入ってゐると、駅も道も、どこか「通るもの」の顔をします。 通るもの。 改札を通る。 踏切を通る。 そして、言葉も、胸の内から外へ通る。

 幹夫は、ホームの階段を下りて、改札の方へ歩きました。 改札の灯は緑で、薄い硝子の向うに、ぽっと小さく光ってゐます。 緑の光は、叱りません。 ただ「どうぞ」と言ってゐるだけです。

 幹夫は改札の前で、ふと立ち止まりました。 改札は、御門台の“御門”のやうに見えました。 人間の胸の中にも、見えない改札がある。 そこに切符――つまり、ひとこと――を通せるかどうかで、夜は変はるのです。

 そのとき、改札の横で、ちいさな音がしました。

 かしゃ。

 何かが落ちた音です。 見ると、学生らしい子がポケットを探ってゐました。 探り方がまじめで、すこし急いでゐて、すこし不安さうです。 足元には、小さなカードケースのやうなものが転がってゐました。 それが駅の白い光を拾って、いちどだけ銀色に光りました。

 幹夫の胸の裁判官が、すぐ机を叩きかけました。

 ――関はるな。 ――面倒だ。 ――見なかったことにしろ。

 けれど改札の緑の灯は、まるで信号のやうに静かに言ってゐました。

 (いま。)

 “いま”は短い。短いから、言ひ訳が入りこめません。 幹夫は、考へる前に屈んでゐました。 屈んで拾って、差し出しました。

「こんばんは」

 自分の声が出たことに、幹夫は少し驚きました。 でもその驚きは、白い息みたいにすぐ消えました。 学生は、ぱっと顔を上げ、白い息を吐きました。

「あっ……ありがとうございます。ほんと、落とすと怖くて」

 怖い。 そのひとことが、幹夫の胸に小さく刺さりました。 幹夫もずっと、同じ怖さを持ってゐたのです。 言葉を落とすのが怖い。 落として誰かに踏まれるのが怖い。 だから胸の中へ握り込んで、ますます冷やしてしまふ。

 幹夫は、余計な説明をしませんでした。 説明は長くなり、長いものは重くなります。 幹夫はただ言ひました。

「……よかった」

 それだけで、学生の肩が少し下がりました。 肩が下がると、空気も下がって、楽になります。

 学生は改札を通りながら、振り向いて小さく言ひました。

「メリークリスマス……ですかね」

 幹夫は、その言葉がいちど胸の中へ入って、それから出ていくのを感じました。 出ていくのは、白い息みたいに短くていい。 幹夫は、照れながらも言へました。

「……メリークリスマス」

 たった一行の会話。 たった二息ぶんの音。 それだけで、改札の緑の灯が、すこし星の灯に近づいた気がしました。

 幹夫は改札の前に戻り、しばらく緑の灯を見ました。 灯の丸い点は、銀河の中の信号みたいです。 通せば通れる。 通さねば、いつまでも門の外で寒い。

 幹夫はポケットからスマホを出しました。 画面の白い光は正確で、すこし厳しい。 けれど今夜は、改札の緑の点が、その白さに薄い“にじみ”を足してくれる気がしました。 にじむ白は叱りません。 にじむ白は、息を通します。

 幹夫は長い文を書きませんでした。 改札を通るには、切符は一枚でいい。 ひとことも、一つでいい。

 幹夫は、たった一行だけ打ちました。

 ――「御門台。改札の灯が星みたい。元気?」

 送信すると、胸の中で、なにかが小さく発車しました。 汽笛は鳴りません。 でも、改札の門がひらいて、白い息が通るやうに、言葉が一つ通ったのです。

 幹夫青年は、御門台駅で大きな奇跡を見たわけではありません。 ただ、落ちたものを拾い、ひとこと言い、ひとこと送っただけです。 けれど、その“だけ”があると、御門台の門はちゃんと開きます。 銀河改札は空の上だけでなく、冬の駅の足元にも、ひそかに置かれてゐるのでした。

 
 
 

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