想定の裏側
- 山崎行政書士事務所
- 2025年12月29日
- 読了時間: 6分

想定とは、清潔な言葉だ。清潔な言葉ほど残酷なものはない。清潔な言葉は、泥の匂いを消してしまうからだ。
役所の机の上に、色刷りの地図が広がっていた。海岸線に沿って、帯のような色が塗られている。黄から赤へ、赤から濃い赤へ。美しいグラデーションだ。美しいものほど危険だ。美しさは、死を図柄に変える。図柄になった死は、たいてい誰かの会議で“共有”される。
私はその地図に、何度も判を押してきた。「避難の原則」「周知徹底」「想定最大」文字は整っている。整った文字ほど不潔だ。整った文字は、息の匂いを持たない。
窓の外は海で、冬の光を被った青が、無関心に揺れていた。青は無関心の色だ。無関心は残酷で、残酷だから正しい。正しい海の前で、人間の準備はいつも滑稽に見える。滑稽に見えるから、私たちは数字に逃げる。数字は臭いを持たない。臭いを持たぬものほど危険だ。
昼の終わり、地図を丸めて筒に入れたとき、紙が鳴った。乾いた音。正しい音。その正しさが、なぜか胸に刺さった。紙は軽い。軽い紙が、重い肉を動かす。肉を動かされることを、人は「備え」と呼んで安心する。安心に似たものほど危険だ。安心は、泥の匂いを忘れさせる。
帰宅すると、父が玄関で靴を脱いでいた。父の背中は小さい。小ささは弱さではない。重いものを背負いすぎた者だけが持つ縮み方だ。父は海沿いに生まれ、海沿いで働き、海沿いで老いた。海の匂いは父の皮膚に染みついている。染みついた匂いほど、言葉で剥がれない。
「また地図か」
父は筒を見て言った。声は乾いていた。乾いた声は涙を許さない。
「仕事だよ」
私は言った。仕事、と言えば全部が済む気がする。済む気がする言葉ほど危険だ。済んだと思った瞬間、匂いは消える。
父は、台所の水を飲みながら言った。
「想定ってのはな、来ないと信じるためにある」
私は笑いかけて、やめた。笑いは薄い。薄い笑いは、こちらの怖さを軽くする。軽くなった怖さほど、あとで重くなる。
夜、風呂から出た私は、スマートフォンを枕元に置いた。画面は白い。白は潔白ではない。白は、汚れを目立たせるための背景だ。白い画面の上で、通知の数字が光る。数字は冷たい。冷たさは正しい。正しい冷たさが、余計な感傷を叱る。叱られれば叱られるほど、胸の奥の熱は育つ。
眠りかけた頃、あの音が来た。短く、鋭く、喉の奥を掻くような警報音。音は軽い。軽い音ほど、現実を重くする。
画面が赤くなった。赤は血の色に似ているが、血でない赤もある。だがこの赤は嘘をつかない赤だった。「緊急」その二字が、白い部屋の空気を一瞬で薄くした。薄い空気は息を苦しくする。苦しさは現実だ。現実は臭い。
私は体を起こし、父の部屋の襖を開けた。父も起きていた。起きている目は乾いている。乾いた目は泣かない。泣かない目は、決断を早くする。
「来たな」
父が言った。来たな、という言い方が怖かった。怖いのは、言葉が落ち着きすぎていることだ。落ち着きすぎた言葉ほど、祈りになる。祈りに似た言葉ほど危険なものはない。祈りは叶わぬから強い。叶わぬ強さが、現実を壊す。
次の瞬間、家が掴まれた。揺れは、波ではない。波は反復する。反復は秩序に似る。秩序に似たものほど危険だ。揺れは秩序を拒む。床が床でなくなり、壁が壁でなくなり、時間が時間でなくなる。棚の皿が鳴り、ガラスが細い声を上げ、箪笥が呻いた。呻きは内へ落ちる。内へ落ちる声は、喉の奥で血の味になる。血の味は温かい。温かい現実は、どんな想定より強い。
私は父の腕を掴んだ。腕は骨ばっていて、驚くほど軽かった。軽い骨ほど胸に刺さる。揺れの中で、父が笑った。薄い笑いだった。薄い笑いは照れの仮面だ。仮面は、怖さを人に見せないための装置だ。
「ほらな。想定が来る」
揺れが止まると、空気が異様に静かになった。静けさは、破壊の前にだけ降りる。静けさは、世界が息を止める合図だ。その静けさの中で、遠くからサイレンが聞こえ始めた。サイレンは、人間が発明した“海の声”だ。人工の声ほど残酷なものはない。人工の声は、遅れて届く。
私は玄関の防災袋を掴んだ。袋は妙に重い。重い袋は棺に似る。似ているから嫌だ。父は靴を履きながら、窓の外を見ていた。
「船を……」
父が言いかけた。船。その一語が、父の人生の形だった。形は美しい。美しい形ほど危険だ。形は、崩れるときに人を殺す。
「行かない」
私は言った。自分の声が思ったより強かった。強い声は決意のふりをする。ふりをしているうちに、決意は骨になる。骨になった決意は、後で自分を縛る。私は父の手首を掴み、引いた。
外へ出ると、町が町でなくなりかけていた。停電した街灯、傾いた塀、割れた瓦。それでも人々は、まだ“いつもの顔”を探そうとしている。いつもの顔を探す習性が、人間の弱さだ。弱さは恥に似る。恥は、生き残った者の印だ。
遠くで、海の方角が妙に低く見えた。低い海は、喉の奥の暗さに似る。暗さは正しい。正しい暗さが、余計な美化を拒む。私は父と坂道を走った。走る背中は美しくない。美しくない背中は物語にならない。物語にならないことが、唯一の救いになることがある。
丘の上の神社に着いたとき、息が喉に引っかかった。喉が締まる。締まる喉は感情移入だ。自分の恐怖だけではない。下で走り遅れる誰かの恐怖が、喉へ移ってくる。境内には人が集まり、誰もが同じ方向を見ていた。見る、という行為は裁かれる行為に似る。海に裁かれる。
最初に見えたのは、波ではなく、線だった。白い泡の線が、水平に伸びてくる。白は潔白ではない。白は、黒を際立たせる背景だ。白い線の後ろに、黒い壁が立ち上がった。黒い水。黒は闇の色ではない。黒は、光を抱えた色だ。抱えた光が、街の屋根に反射して、いっそう不潔に光る。
町が飲まれた。飲まれる音は、意外なほど鈍かった。鈍い音は骨に来る。骨に来る音は思想を剥ぐ。剥がれた思想の下に、私は自分の中の汚さを見た。助けたい、助けられない、助けるべき、助ける資格がない。言葉が渦を巻く。渦は美しい。美しい渦ほど危険だ。渦は、意味を求める。意味は麻酔だ。麻酔を欲しがる者は、悲鳴を物語に変えてしまう。
父が、隣で呟いた。
「黒いな」
それだけだった。その一言が、役所の“色分けされた地図”を、私の胸の中で粉々にした。地図の赤は赤だった。だがこの黒は、赤より重い。重い色ほど、数字を拒む。
私は、ふいに思った。想定とは、来ないと信じるためのものではない。来たときに、来たと認めるための“試験紙”なのだ。だが試験紙は、濡れれば破れる。破れる紙ほど、正しい。
夜明けが来た。空が白んだ。白い夜明けは優しい。優しさは油断を生む。油断は、あとで胸を切る。海の上には漂流物が浮き、街の匂いが泥の匂いに変わっていた。泥の匂いは正直だ。正直な匂いほど残酷だ。
私はポケットから、昨夜机で丸めた地図の筒を取り出した。濡れていた。紙は血を嫌う。だが泥も嫌う。嫌っても濡れる。濡れた紙は、もう清潔に戻れない。戻れないものほど、後で役に立つ。
私は筒を開き、破れた地図の裏を見た。白い余白。その余白に、私は鉛筆でたった二字を書いた。
「匂い」
これを忘れたら、また同じ紙を作る。同じ言葉を並べ、同じ赤を塗り、同じ安心を配る。安心は危険だ。危険な安心は、必ず誰かを遅らせる。
父が私の肩に手を置いた。手は冷たかった。冷たさは正しい。正しい冷たさが、泣きそうな胸を叱る。父は言った。
「生き残ったな」
生き残った、という言葉は残酷だ。残酷だから真実だ。真実は甘くない。甘くないから腐らない。私は頷かなかった。頷きは楽だ。楽な頷きは、すぐ物語になる。私はただ、破れた紙を握りしめた。紙は軽い。軽い紙が、いまは骨のように重い。
南海トラフという名前は、ニュースの音声の中では平らだ。平らな言葉ほど危険だ。平らな言葉は、黒い水の匂いを運べない。だから私は、運ぶ。匂いを。泥の重さを。サイレンの遅れを。そして、あの白い線が黒に飲まれる瞬間の、鈍い静けさを。
清潔な物語にされないために。私自身が、また“想定”の白さに眠らないために。





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