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昭和14年

  • 山崎行政書士事務所
  • 5月6日
  • 読了時間: 41分

序幕:新たな年、終わらぬ戦意

 昭和十三年末まで、軍の依頼を絶え間なくこなし続けた印刷所。徹夜の連続で疲弊しきったまま、年を越えたところで戦争が終わる見込みはなく、東京の空気は相変わらず戦意高揚の掛け声に支配されていた。 迎えた昭和十四年(1939年)一月、世界の動きはさらに騒がしく、日本も中華大陸での戦闘を止める気配を見せない。ラジオでは「欧州情勢も怪しい」とささやかれるが、一般市民にとっては“支那事変”を支えねばならないという日常が続くばかりだ。 下町にある印刷所で働く幹夫や戸田、堀内、社長らは、もはや戦火に呑まれた中での生存を目指すしかない――この一月も、また軍のポスターを刷る日々が始まる。

第一章:年明けも終わらぬ徹夜

一月上旬、普通であれば正月気分に湧くはずの街も、戦意鼓舞の標語や献納運動のビラで賑わい、祝賀の雰囲気は薄い。

  • 印刷所では「新春特別戦果報告」「兵士への応援メッセージ」など、軍からの新年向け大口依頼が相次ぎ、職人たちは実質休みなしで機械を動かし続ける。

  • 社長は「去年も年末年始なんてなかったが、今年はさらに忙しい……」と唸り、戸田は「紙配給も軍が優先、納期も極端に短い。もう断る余地がない」と苛立ちをにじませる。

 幹夫と堀内はまたもや帳簿や警察への届け出に追われながら、昼夜逆転の徹夜を続行。年明けだというのに、印刷所の空気は一層殺伐としたものに変わり、疲れで話す言葉も少なくなっていた。

第二章:静岡の父、正月のなき里

一月中旬、幹夫の下宿には父(明義)から書き初めのような形で一枚の便箋が届いたが、その文面はむしろ沈痛な報告だった。

  • 「正月などない。若者は戦地、畑は半ばを軍施設に奪われ、残った家族も疲れ果てている。

  • 茶の管理もままならず、今年の収穫見込みは激減だろう。戦が終わらぬ限り、何も変わらない……わしは年老いた身体でどうにか残る畑を守るが、いつどうなるか分からない。」

 幹夫は息を詰まらせる。「去年の今頃はまだ拡張を回避していた父さんが、今や畑の半分以上を奪われてる……。これが戦争の現実か」と痛感し、涙がこみ上げる。 ただ、下宿から窓を見やっても、二つの風鈴は寒さでほとんど揺れず、音を鳴らすことすらない。「父さん……ごめん」と声を絞って、また印刷所へ駆け戻る。

第三章:警察の制圧、情報一元化

一月下旬、警察は戦時体制下の情報管理をさらに強化して、印刷所へ定期的に「軍仕事の進捗と紙の配給状況」を報告させるよう要求する。

  • 職人たちは、軍への納品と警察への届け出が増大し、書類仕事だけで徹夜になるケースも。機械の前で印刷し、合間を見て報告書を書くという地獄のような状況。

  • 社長は「このまま何年も続くのか?」と絶望し、戸田と堀内は疲労で顔がやつれている。反抗など考える余地すらなく、ただ軍の要求を満たしつつ警察に報告を続けるしかない。

 徹夜続きで言葉少なくなった職人たちは、国全体が戦争へ突き進むのを止める術がないと悟り、淡々と作業するのみ。もはや戦意高揚の文面を見ても「どこか他人事」のように感じるが、それを作っているのは自分たち――という苦い矛盾を抱えていた。

第四章:冬の夜、風鈴のわずかな調べ

月末、夜中に一時下宿へ戻った幹夫は、窓を開ける。冬の凍える風が部屋に入り、二つの風鈴が震え、小さくチリンという音を作った。

  • その音は昨年、そして一昨年の静穏な日々を思い出させるが、もう取り戻せない夢のようにも感じる。

  • 「父さん……畑が奪われていく一方で、俺は軍の印刷を毎日刷り続けている。二つの音があったって、何も変わらない」と悔しそうに呟くが、すぐに疲労で意識がかき消されるように眠りに落ちる。

 部屋にはこの短い合奏を聴く者はいない。幹夫の意識は朝になればまた工場へ行き、軍の命令書を受けとり紙をセットする。昭和十四年が始まっても、戦争の足音はますます大きくなり、二つの風鈴の響きはか細いままだ――。

結び:凍てつく冬、終わらぬ戦争

昭和十四年一月、日中戦争はさらに拡大を続け、国内では総動員体制がより厳格化。東京の印刷所は軍の大口依頼に追われる日々を変えられず、警察の報告義務にも苦しむ。

  • 静岡の父は大半の茶畑を奪われ、残るわずかな畑で細々と茶を育てるだけ。

  • 幹夫は徹夜の連鎖で心身をすり減らし、二つの風鈴がわずかに鳴る音さえ遠い昔の夢のようにしか感じられない。

冬の夜が凍えるほど冷たく、風に乗ったチリンという音は「昔、東京と静岡が穏やかにつながっていた日々」を思い出させるが、それを力に変える余裕すらない。戦乱は止まず、下町の機械の轟音は続き、昭和十四年という年もまた戦争の渦へと沈んでいく。幹夫と父は、それでも生き延びるしかない――その悲痛な意志だけがかろうじて彼らを繋ぎとめている。


序幕:冷え込む冬と限りない戦火

 昭和十四年(1939年)が始まって一か月余り。 日中戦争はいよいよ大陸の奥へ奥へと進行し、日本国内は総動員体制をさらに強化していた。東京の下町にある印刷所でも、幹夫や戸田、堀内、そして社長らが、相変わらず軍の大量印刷を昼夜問わず続けるしかない日々が続く。 ラジオからは「戦局有利」「国民一丸」と盛んに叫ばれ、警察や当局は「治安維持」と称して紙の配給や印刷内容を厳格に統制する。 窓の外はまだ冬の寒さが厳しく、下町の路地には乾いた冷たい風が吹きすさぶ。昭和十四年二月——幹夫たちにとっては絶望と疲労に塗れた毎日の続きだった。

第一章:軍印刷、止まぬ徹夜

二月上旬、印刷所には年が明けても途絶えぬ軍の依頼が押し寄せ、徹夜作業が当たり前の状態が継続している。

  • 「華中での大攻勢」「奥地への進攻」といった報道にあわせ、宣伝ポスターや報告パンフが次々作成され、軍から納期を厳守するよう厳命される。

  • 職人たちはもはや麻痺したように機械を回し、社長は「もうどこまでこれが続くのか分からない」と頭を抱える。

 戸田は終わりの見えないスケジュールを引き受け、堀内は紙の在庫管理と警察報告に追われる。幹夫はインクの匂いにまみれ、眠気を振り払いながら、一日でも多く耐えられるよう心を殺すしかない。

第二章:静岡の父、冬越しの光

二月中旬、幹夫が下宿で一瞬眠りにつく前に目をやると、父(明義)からの短い手紙が届いていた。

  • 「軍に奪われた畑はもうどうしようもないが、わずかに残した区画で何とか冬を越せそうだ。茶の芽は小さいが、来月には少しでも収穫できればと望んでいる。

  • これも戦争がすぐに終わると思えぬ限り、陳情など何の効果もない。ただ、おまえが身体を壊さぬことだけを祈るよ……」

 幹夫は目を閉じ、微かな安堵と苦渋が交錯する。「父さん、まだ少しでも茶を育てているのか……よかった。でも俺はここで軍ポスターを延々と刷るしかないんだ……」 夜、窓を開けると凍てつく風が入り、二つの風鈴を動かすが音は出ず、ただ小さく揺れるだけ。「音さえ凍えたか……」と幹夫は溜息をつき、また布団に倒れ込むように眠る。

第三章:警察による検閲の強化

二月下旬、警察が「印刷物検閲の徹底化」を掲げ、印刷所へ連絡を入れてくる。

  • あらゆる案件はもちろん、軍の命令印刷においても作業工程を細かく報告する義務が生じ、「用紙の浪費」「不正使用」が疑われぬよう、帳簿をさらに細分化して提出しなければならない。

  • 幹夫や堀内は徹夜作業の合間に書類を作り、戸田は警察担当者とのやり取りに忙殺される。社長は疲弊を通り越して「もう何でもするから印刷所を潰さないでくれ……」と自嘲する。

 職人たちは陰で「ビラ勢力なんてとっくに消えたのに、まだ疑うのか」と嘆くが、声を上げれば自分たちが処分されるかもしれない。結局、軍と警察に徹底して従うしか術はなかった。

第四章:夜の凍える風、風鈴の小さな残響

月末、夜になっても気温が上がらず、東京の下町は零度近い寒さに包まれる。

  • 幹夫がまた徹夜明けに少し休もうと下宿へ戻り、窓を開ければ、冷たい風が部屋を抜け、二つの風鈴がわずかに揺れて、**チリ……**という小さな音をつくる。

  • 「父さん、まだ茶を……俺は戦争を刷りつづけるだけ……」幹夫はその音を聴きながら、顔を覆うようにしゃがみ込む。疲れで動けず、涙すら出ない。

 機械の轟音と戦意高揚の叫びが頭を巡り、「これが昭和十四年の冬か……」と呟くや否や眠気に抗えずに意識を落とす。数時間後にはまた軍の命令書が待つ印刷所へ向かわねばならない。

結び:戦時下の暗夜、かすかな鳴り響き

昭和十四年二月、日中戦争の激化と総動員体制のもとで、東京の印刷所は軍印刷に没頭し続け、徹夜が当然の毎日。

  • 静岡の父は僅かに残った茶畑を護りながら、もう一冬だけ越えたいと願うが、徴用と戦争の波に翻弄されている。

  • 警察の検閲は強まり、紙と印刷物は完全に国の管理下となり、ビラどころか民間活動すら消滅寸前。

夜の下宿で、二つの風鈴が冷たい風にチリンとわずかな音を合わせる。その音はかつての繋がりを微かに呼び起こすが、戦争の現実は容赦なく人々を踏み潰していく。幹夫は父との絆を思いながらも、この冬を越えていくしかないと歯を食いしばるのだった。


序幕:春浅き戦時の街

 二月まで続いた徹夜地獄で、東京の印刷所は完全に戦争の歯車となりつつあった。 新聞やラジオは引き続き日中戦争の「大攻勢」「支那事変克服」などと報じ、街には相変わらず戦意高揚の標語が溢れる。 しかし月日は巡り、暦の上では昭和十四年(1939年)三月、冬の寒さが少しずつ和らいでいる。それでも印刷所の空気は冷えきっており、幹夫や戸田、堀内、社長らは疲弊しながらも軍の宣伝印刷を優先するしかない日々を続けていた。

第一章:紙の制限とさらなる徹夜

三月上旬、印刷所では軍からのさらなる命令書が届き、「華南前線の進展」をアピールする大量ポスター・パンフの印刷が求められる。

  • 徹夜が止まず、職人たちは体力の限界を超えて働く。社長は「年度末というのに、民間は皆無。軍需のみで店を回している状態だ」と嘆息。

  • 紙の配給は軍の指示どおりに行われ、幹夫や堀内はその管理や警察報告を兼任しながら、インクまみれの夜を越える。

 戸田は再三「人手が足りない」と訴えるが、戦時下では職人を増やすのは難しく、「あるメンバーでやりきれ」と軍に言われるのみ。結局、一人あたりの負担が増え、疲れが限界に近づいている。

第二章:静岡の父、春の茫漠

三月中旬、幹夫は夜更けに下宿へ帰り、父(明義)からの手紙を開封する。

  • 「かろうじて茶の芽が動き出したが、人手不足で管理が追いつかない。軍施設に転用された区画に、どうやら倉庫か兵器置き場をつくるらしい。

  • 町役場も戦時色が増し、“日本が大勝利する”と掲げているが、そのぶん農村の負担が高まり、わしらはげっそり痩せるばかりだ……」

 幹夫は読みながら顔を伏せ、「父さん、もう限界なのに、春が来ても畑は奪われて……」と苦悶する。 下宿の窓を開ければ、夜風がまだ冷たく、二つの風鈴がかすかに小さく揺れるが、音にはならない。『鳴ってくれ……』と心で乞うが、ただ沈黙のまま小刻みに震えている。

第三章:警察の巡回と安らぎの無さ

三月下旬、警察が年度末に向けた巡回を増やし、「印刷所の進捗と紙の利用状況」を厳格に確認する。

  • 幹夫や堀内は「こんなにも軍仕事をやっているのに、まだ疑われる可能性があるのか」と呆れつつ、要求どおり書類を揃えて提出する。

  • 反戦ビラなどはもう徹底的に消されたか、噂にすらならない。印刷所に来る案件は軍のものばかりで、職人はみな心を無にして徹夜をこなす。

 社長は「ここまで頑張って印刷しても、何かのきっかけで店が取り潰されるかもしれない」と神経を尖らせ、戸田や堀内も「反抗しないのに、なぜこんなに怯えなきゃならないんだ」とやりきれない思いを噛みしめる。 幹夫は機械の轟音のなかで、「父さんに申し訳ない」と汗を滲ませながら、紙をひたすら送り込む作業を続ける。まともに眠る時間はほとんどなく、心が麻痺していくような感覚を味わっていた。

第四章:夜の寒暖と風鈴の小さな鳴り

月末にかけて、夜はまだ肌寒いが日中には春の陽射しが顔を覗かせる気候になる。

  • 幹夫がある夜、徹夜明けの短い仮眠を取りに戻り、窓を開けると、ほんの少しだけ暖かい風が部屋を撫で、二つの風鈴チリン……と揺らす。

  • その瞬間、幹夫は薄い涙を滲ませ、「少しは春なんだな……でも、戦争はいつ終わる?」と声を漏らす。

 また眠りにつけば、数時間後に目を覚まし、印刷所へ戻る毎日。完全に回らなくなった頭で「これが昭和十四年三月か……」と虚ろに思う。 外ではラジオが「支那事変、終結近し」と叫ぶが、実際には戦線が膠着しつつ奥地へ広がる報を伝えている。幹夫はチラリと二つの風鈴を見ても、それがもう希望を語るような存在とは思えなくなっていた。

結び:春に埋もれる戦乱の生活

昭和十四年三月、日中戦争が続くなか、東京の印刷所は軍のポスター・チラシ印刷に忙殺され、相変わらず徹夜の日々。

  • 静岡の父は奪われた茶畑を横目に、わずかな区画で耐えるが、人手不足で収穫も思うようにならない。

  • 警察の監視は徹底され、民間の自主的な印刷や反戦ビラなどは完全に消え去り、職人たちは表情を失ったまま機械に向かう。

春の暖かい風が二つの風鈴を微かにチリンと鳴らしても、誰もその音を希望とは呼べないほど疲れ切っている――戦争がいつ終わるのか分からず、昭和十四年はなお深い闇の中で季節を進めていく。幹夫は父の手紙を読むたびに「何も守れないまま終わっていくのか」と苦悶を抱えながらも、ただ生き延びるしかなかった。


序幕:春の陽ざしと重苦しい日常

 昭和十四年(1939年)の春。 下町の空には桜の花びらが舞いはじめ、日差しは穏やかさを取り戻しつつあるように見える。だが、日中戦争は泥沼化を続け、国内の総動員体制はいよいよ強化されており、徹夜の軍印刷を続ける東京の印刷所には休息らしい休息がない。 ラジオは「大陸での作戦は順調」と盛んに報じつつも、実態はさらに奥地へと進む苦しい長期戦を示唆している。幹夫や戸田、堀内、社長らは、その矛盾をかみしめながら、昼夜を問わず印刷機を回すしかない現実に押し潰されそうになっていた。

第一章:軍印刷に塗りつぶされる春

四月上旬、印刷所には華北・華中戦線の「戦果報告」を宣伝する新たなポスターやパンフレットが舞い込み、従業員はますます徹夜の頻度を上げて対応する。

  • 桜が咲いても、職人たちが花を見る余地は全くない。日が沈めば機械を回し、夜が明けても機械を止める間もなく、眠る時間は数時間だけ。

  • 社長は「これほどの長期徹夜が続けば、もう身体がもたない」と顔面蒼白になっており、戸田は紙の配給をめぐる当局とのやり取りで精神をすり減らす。

 堀内は警察への細かな報告や在庫管理に追われ、幹夫は機械の轟音の中で意識が飛びそうな身体を奮い立たせていた。皆、いつ終わるとも知れない戦争に倦みつつも、軍からの命令に従う以外の道が見つからない。

第二章:静岡の父、春の畑を見つめる

四月中旬、幹夫が夜更けに下宿へ立ち寄ると、父(明義)からの短い手紙が届いていた。

  • 「桜は咲いたが、畑の大半を軍に奪われ、若者も兵役でいない。春を感じても、心が何も動かない。

  • それでも、わずかな区画で茶の芽が出ているのを見ると、不思議と生きねばと思う。おまえも徹夜だと聞くが、倒れぬように……」

 幹夫は手紙を読み、重い息を吐く。「父さん……残るわずかな茶畑で、まだ生きようとしているのか。俺は戦争の歯車として、このまま何を生きてるんだ……」 夜、窓を開けると、かすかに花の匂いが混じる春の風が入るが、二つの風鈴はあまりにも静かで、音を出そうとしない。「父さんも俺も、もう心が凍りついてるのか……」と、幹夫は胸を痛めながら布団に沈む。

第三章:警察の監視とビラの影

四月下旬、警察は依然として情報統制を徹底し、印刷物の検閲を継続している。

  • もう反戦ビラなどは見かけぬ時代であり、警察は「民衆が戦争への疑問を抱く余地はない」と胸を張る。

  • 印刷所に対しては軍の仕事を優先しているかどうかを監視し、「怪しい動きはないか?」を定期的に尋ねる。しかし職人たちは「そんな暇も紙もない」と正直に応じるしかない。

 社長は苦笑いで「これだけ軍に協力してるんだから疑われるはずないが、ますます管理が厳しくなる一方だ」と呆れ、戸田や堀内は徹夜の合間に膨大な帳簿整理を余儀なくされる。 幹夫は「こんなに苦しんでまで戦争を支えている。でも俺たちは生きるためにやるしかない……」と絶望と疲労を同時に味わいながら、ちぎれるように夜を越える。

第四章:夜の春風、風鈴のわずかな調和

月末、冷え込みが和らぎ、夜の空気には花散るあとのしっとりした湿度が漂う。

  • 幹夫が仕事を終え深夜に下宿へ戻ると、部屋の空気は少し暖かく、窓を開けてみれば、二つの風鈴が微かな風に誘われてチリンと重なった。

  • その一瞬だけ、かすかな合奏が聞こえ、幹夫は思わず立ち止まる。「まだ……ほんの少しだけ音が出るんだな……」

 だが、その音はすぐに消え、幹夫は疲れきった足で布団へ倒れ込む。「父さんの畑に春が来ても、人がいなければ意味がない。俺たちがどれだけ軍のポスターを刷っても、この戦争は終わらない……」と重い思考を抱え、眠りへ沈む。 外では夜風が一瞬だけ強まり、風鈴をもう一度揺らすが、幹夫の耳に届くことはなく、深い眠気に包まれた部屋が静寂を取り戻す。

結び:春に埋もれる嘆きと戦争の永続

昭和十四年四月、国内は総動員下で日中戦争の長期化を受け入れ始め、東京の印刷所は軍の依頼に追われ続ける日常を抜け出せない。

  • 静岡の父は少し残った茶畑で春を感じながらも、兵役に取られた若者の不在と軍の資材徴発に苦闘する。

  • 警察の情報統制は強まり、印刷所では徹夜と帳簿管理に追われ、かつての民間印刷やビラ勢力は完膚なきまでに消えている。桜が散り、夜の風は春の香を運びながら、二つの風鈴をわずかに鳴らす。しかし、そのチリンという音はもはや儚い名残にすぎず、戦争の轟音と徹夜の疲労にかき消されていく。国民総動員の社会で、幹夫と父は遠く離れながら、それぞれ春を感じる余裕もないまま、戦時の日々を耐え抜いていくしかなかった。


序幕:燃えるような初夏と続く徹夜

 四月をまた軍の膨大な印刷依頼に追われながら乗り切った東京の印刷所。 日中戦争の長期化はいよいよ泥沼に入り、国内の総動員はさらに徹底化していく。ラジオが連日「支那事変の前線はさらに奥地へ」「戦果拡大」と伝え、街頭には喜びのポスターが溢れる一方、現場でそれを刷る職人たちは息をする間もないほど疲弊していた。 昭和十四年(1939年)五月――もはや春の爽やかさを超えて、夏の手前の熱が下町を包む中、幹夫や戸田、堀内、そして社長たちは休みのない徹夜生活を続けるほかに道がなかった。

第一章:徹夜の連鎖、民間の消失

五月上旬、印刷所には軍からの「戦果報告チラシ」「国民勤労奉仕ポスター」「献金キャンペーンのパンフ」などが山のように積まれ、職人たちは昼夜を問わず機械を稼働させる。

  • 民間からの仕事は事実上なくなり、わずかに町内会の戦時行事のチラシが少しある程度。

  • 社長は目の下に隈を作り、「もはや民間印刷は壊滅だ。うちは軍の印刷だけで店を持たせてる。逆らえば潰れるから、仕方ないが……」と吐き出す。

 戸田は用紙の配給と納期スケジュールで頭を抱え、堀内は在庫管理と警察報告に加え、新人の指導にも手を回す。しかし離職する職人は増える一方、補充は難しく、幹夫も徹夜の合間に度重なる仮眠を取るだけで身体を持たせている状態だ。

第二章:静岡の父、最期の抵抗

五月中旬、幹夫が下宿で仮眠をとる前、父(明義)からの手紙を読む。

  • 「残った畑を何とか耕しても、作業できる者が足りず、茶の芽が伸びきれない。今期の収量は激減だ。

  • 軍はさらに施設を拡張する気配があるらしく、町役場は“戦争が長引くなら協力してほしい”と繰り返す。わしはもう抵抗が虚しく感じられ、ただ諦めかけている……」

 幹夫は紙を握りしめ、「父さんが『諦めかけている』なんて……」と胸をえぐられる思いで小さく呟く。「ここでも、毎晩ポスターを刷るばかり……父さん、ごめん……」 夜、窓を開ければ、初夏の風が入り込むが、二つの風鈴はかすかに揺れるだけで音を立てない。「もう、音すら出せないのか……」と唇を噛みながら、再び布団に倒れ込む数時間後に印刷所へ向かう現実が待ち受ける。

第三章:警察の監視と報告義務

五月下旬、警察がさらに「印刷所は軍の仕事を優先しているか、配給紙を正しく使っているか」を厳しく取り締まる。

  • 幹夫や堀内は「これだけ軍仕事をこなし、民間なんてほぼないのに、なぜまだ疑うんだ」と溜息をつきながらも、報告書を提出し続けるほかない。

  • 社長は「一度でも警察に逆らえば、店が終わる。紙の無駄遣いが疑われるだけで罪になるかもしれない」と戦々恐々。戸田は「はいはい、徹夜で書類も作りますよ……」と自嘲する。

 反戦ビラや民間活動などは完全に途絶え、職人たちは「誰ももう、戦争を疑う声を出せない時代だ」と口にするが、声にしても虚しい。結局、軍と警察に従って徹夜を重ねるだけの日々が続く。

第四章:夜の生温い風、風鈴の沈黙と一度の音

月末、幹夫が深夜に下宿へ戻るとき、外は湿度が高く、生温い風が吹いている。

  • 窓を開けると、二つの風鈴がむなしく揺れる。いまは音が出るか出ないかは偶然に委ねられているようだ。

  • 一度だけチリンと短い合奏を作り、幹夫ははっと顔を上げる。「まだ……鳴るんだな。でも、もう父さんの畑も消えかけて、俺の印刷所も軍のもの……」と苦く微笑む。

 次の瞬間、風が止み、音はもう聞こえない。幹夫はそこに小さな希望を見出すべきか、虚しさを感じるべきかさえ分からず、打ちひしがれた思いで布団に沈んでいく。数時間後にはまた、印刷機の騒音と蛍光灯の下へ戻らなければならない。

結び:初夏の闇と続く戦争の影

昭和十四年五月、日中戦争の行方はまだ見えず、国内総動員は一段と徹底された。東京の印刷所は軍の宣伝物にかかりきりとなり、職人たちは疲労で心が壊れそうだが、離れる先もなくただ従うしかない。

  • 静岡の父は茶畑の維持を諦めかけるほど追いつめられ、幹夫の心をさらに痛めつける。

  • 警察の監視は厳しさを増し、紙の使い道ひとつにも報告が必要な状況で、過去にあった自由な印刷の面影は消え失せた。

湿度を帯びた初夏の夜風が二つの風鈴を揺らすが、それは一瞬のチリンという音を残してまたすぐに沈黙する。戦争の嵐は依然として止まず、幹夫と父は歯を食いしばって生き抜くしかない――そんな息苦しい時代が続くなか、それでもわずかな音に希望を見出すことさえも難しくなっていた。


序幕:夏近き空と絶えぬ戦況

 五月まで徹夜続きで軍の宣伝物を刷り続けた東京の印刷所。 戦場は依然として中国大陸奥深くへ拡がり、国内の総動員体制もますます強められ、戦時の苦しみに出口は見えない。 昭和十四年(1939年)六月、梅雨の気配が漂いはじめる下町の空気は湿り、しかし戦意高揚のスローガンが上書きされるように町中に貼られている。 幹夫や戸田、堀内、そして社長を含む印刷所の一同は、すでに休息を諦めたように紙とインクの海で毎日をやり過ごしていた。

第一章:さらなる紙の統制、徹夜の深度

六月上旬、印刷所はまた軍の新しい依頼を受ける。「華北戦線での新たな成果を広報するポスター」「支援を募る官製チラシ」など大量の印刷が一度に押し寄せ、職人たちは昼夜逆転に拍車がかかる。

  • 紙の配給は軍が握り、余剰分をまったく許さない。杜撰(ずさん)な扱いをすれば処罰対象になるため、一枚一枚に神経を尖らせる。

  • 戸田は「スケジュールが詰まりすぎて、ひとつでも遅れが出たら崩壊だ」と声を落とし、堀内は報告書作成に追われる。

  • 幹夫は印刷機の前で、汗とインクに塗れながら眠気と戦う。社長はそんな様子を見て、「今年の夏もまた地獄の徹夜か……」と虚ろに笑うしかない。

第二章:静岡の父、梅雨に沈む畑

六月中旬、深夜に下宿へ戻った幹夫が父(明義)からの手紙を開封する。

  • 「梅雨入りし、茶畑は雨で十分潤うはずだが、肝心の耕す人がいないので管理が追いつかない。徴兵と軍の監視で町は荒れ、残る老若だけでどうにもならず、雑草がはびこる場所も増えた……

  • わしも体力が衰え、農具の補充もままならない。戦争が続くうちはもう仕方ないと皆が諦め顔だ。おまえも相当無理をしているだろうが、どうにか持ちこたえて……」

 幹夫はその文面を読み、涙が滲む。「父さん……雑草が生え放題の茶畑なんて、想像したくない。俺はここで軍のポスターを刷り、父さんの畑はどんどん廃れていく……」 窓を開けるが外は雨音が強く、二つの風鈴はほとんど揺れず、沈黙のまま。彼はかすかな湿気を感じるだけで、目を閉じ、また数時間の仮眠へ沈む。

第三章:警察の巡回、ビラの亡霊

六月下旬、警察が相変わらず“軍印刷の在庫・進捗”を細かく調べに来る。

  • 「どこかで反戦ビラが見つかった」とか、「一部の大学生が批判した」とかいう噂が流れるが、それも小さな範囲で、印刷所が関与しているわけではない。

  • 幹夫や堀内は「そんな余裕も紙もないし、前線のビラ勢力なんてとっくに壊滅だろう。警察が疑ってどうするんだ」と内心呆れるが、口に出せば店が危ない。

 社長は警察に愛想を振りまき「軍の仕事を最優先にやってますよ」と必死で対応し、戸田は資料を整え、堀内は「何も怪しいことなどない」と帳簿を提示する。 職人たちはそれをよそに徹夜作業を続ける。もはや黙々と刷るだけの日々に、疲労と諦観が混ざり合う空気が満ちていた。

第四章:雨の夜、風鈴のかすかな響き

月末、梅雨の雨が止んだ晩、幹夫は深夜に帰宅し、ふと窓を開ける。蒸し暑いながらも雨上がりの風が通り、二つの風鈴が短くチリンと合わさる。

  • その瞬間、幹夫はふいに過去の平穏を思い出す。静岡の父や、民間印刷で稼げた頃、風鈴がよく鳴っていた夏の夜……。

  • 「今は、そんな日々は戻らない。だけど……父さんがまだ茶畑にいる限り、俺もここで生きるしかない」と言い聞かせ、涙を噛み殺す。

 外の雨音が遠のき、街の路地にはラジオの音だけがわずかに漏れてくる。戦争の足音は止まらない。幹夫は布団に沈むと、また数時間後には機械の轟音へ向かう――昭和十四年六月の終わり、日々は変わらず戦争のために費やされていくのだ。

結び:長雨の季節と止まらぬ闇

昭和十四年六月、梅雨とともに湿度が増す東京だが、印刷所はさらに軍需の徹夜仕事に拍車がかかり、職人たちの苦悩は深まるばかり。

  • 静岡の父は荒れゆく畑を前に、「戦争が終わる気配なし」と諦めかけている。

  • 警察の取り締まりは継続し、ビラや反戦の声は完全に消え去った。

夜の合間、二つの風鈴がわずかにチリンと鳴る瞬間だけが、かろうじて幹夫の人間性を繋ぎ留めていた。雨音と戦意高揚の雑音が入り混じる下町で、彼らはまだ、先の見えない戦時下の日々を耐え忍び、どこまでも機械を回し続けるしかなかった。


序幕:夏の重苦しき暑気と止まらぬ徹夜

 六月まで連続して軍の宣伝物を刷り続けた東京の印刷所は、とうに余力を失いかけていた。 日中戦争の泥沼化はなお続き、日本国内では総動員体制がいっそう強まり、新聞やラジオは「大陸奥深くへの進撃」を声高に報じている。 下町の通りには夏本番の陽射しが照りつけるが、幹夫や戸田、堀内、そして社長たちにとっては“戦争のための徹夜”が続く日常に変化はなく、まともに休む暇もないまま昭和十四年(1939年)七月を迎えていた。

第一章:さらに増す軍のポスター印刷

七月上旬、印刷所にはまた大量の軍ポスター・パンフの発注が押し寄せる。

  • 「華北・華南両面での進撃」「戦果拡大の報」「国民総動員のための献納運動」など、多岐にわたる宣伝印刷を次々と仕上げる必要があり、部数も膨大。

  • 社長は「紙の配給は最低限しかもらえず、ギリギリで回している。増産要求にどう応えるんだ」と頭を抱えるが、軍に逆らえない。

 戸田は夜通しスケジュールと在庫管理に追われ、堀内は警察への報告や納品記録で徹夜が常態化。幹夫は機械の前で朦朧としながら、終わりなき印刷を続ける。暑い夜には冷房などなく、汗とインクと鉄のにおいに埋もれながら、黙々と作業する以外に手段がない。

第二章:静岡の父、夏の疲弊

七月中旬、幹夫がわずかに戻った下宿で、父(明義)からの手紙を読む。

  • 「梅雨が明けて暑さが厳しくなるが、人手不足で畑が十分に手入れできない。わしも体力が限界で、軍施設に奪われた区画の監視も厳しくなっている。

  • 若者が兵役に取られ、老若ばかりでは、この先の夏をどう乗り切るか……。だが、茶の樹はまだ生きている。おまえも東京で耐え抜いてほしい。」

 幹夫は心がえぐられるように感じる。「父さん……茶の樹がまだ生きているって……。俺はもう心が死にかけている気がするのに」と呟き、目を閉じてわずかな仮眠に入る。 夜に窓を開けると熱帯夜の空気が重く、二つの風鈴は微かに揺れるが、音にはならない。彼は息を呑んで、「昔は夏の風が涼しかったのにな……」と嘆息する。

第三章:警察の監視、抵抗の消滅

七月下旬、警察による紙の使用チェックや印刷内容の検閲は常態化し、職人たちは「軍の印刷しかしていない」ことを示し続ける。

  • ビラ勢力は久しく姿を消し、民間行事もほとんど潰えた。警察が巡回に来ても、「こちらは全部軍の指示に従ってます」と伝えるしかなく、疑われる余地もない。

  • 社長は「こうまで徹底してやってるのに、警察はまだ監視の手を緩めない。そりゃあ、どこかで抵抗が起きるのを恐れているんだろうが……」と呆れつつ、破滅的な徹夜に皆が耐えている状況。

 戸田や堀内は紙の在庫が底をついたらどうするのか、いつ軍から「もっと刷れ」と無理難題が来るのかに怯えながら、ギリギリで業務を回すしかない。 幹夫は無言で機械と向き合い、「戦争を刷ってる……」という意識を薄めなければ正気を保てないまま、日々の睡眠は数時間にとどまる。

第四章:夏の夜、風鈴の一瞬の合図

月末、東京の暑さは極まり、夜も寝苦しい空気が滞る。

  • 幹夫が深夜に下宿へ戻り、いつものように窓を開けると、生温い風が吹き込み、二つの風鈴がほとんど音を立てずに小さく触れ合う。

  • 一瞬だけチリン……と短い調べを感じ取った幹夫は、「父さん……俺たちはまだ繋がってるんだろうか」と心で問いかけるが、答えはない。

 疲労にまみれた身体で布団に沈むとき、彼はただ「茶の樹が夏を越えるなら、俺もここで夏を越えてみせる」とかすかな意思を抱く。 しかし戦場も国内も、収束どころか戦闘が拡大し続けている報を伝えるラジオを耳に、幹夫はその思いが儚いものかもしれないと苦々しく呟く。翌朝にはまた印刷所の徹夜が待ち受けるのだ。

結び:炎暑の下で続く戦争の轟音

昭和十四年七月、日中戦争がさらに奥深くへと火を広げるなか、日本国内は総動員体制が“生活のすべて”を戦争へ捧げる形へと近づいていた。

  • 東京の印刷所は軍の指示を受けて徹夜を連鎖し、警察に報告し、紙の配給を切らさぬよう走り続ける。

  • 静岡の父は人手不足と軍施設の拡張に苦しみつつも、わずかな茶畑を守ろうとするが、この猛暑を乗り切れるかどうかも分からない。夜、二つの風鈴がかすかにチリンと揺れる一瞬だけが、かろうじて幹夫の意識を保たせる要素となるが、その音も戦争の轟音にかき消されそうなほど小さい。暑さと戦火の狭間で、彼らはただ、夏を生き抜くしかない――それが今の昭和十四年の冷厳な現実だった。


序幕:酷暑と総動員のはざま

 七月までにむせかえるような暑気と徹夜を通り抜けてきた東京の印刷所。 日中戦争はなお続き、軍は大陸の広範囲に進出を試み、国内では「完全なる総動員体制」の声がいよいよ高まっている。 昭和十四年(1939年)八月、下町の空には入道雲がそびえ、蝉が鳴きわめくが、印刷所の職人たちはすでに暑さや情勢を味わう気力すら奪われていた。

第一章:軍からの激烈な追加依頼

八月上旬、印刷所にまたしても軍から特別大口の依頼が届く。「華南攻略の大攻勢を鼓舞するポスター」「兵士への支援と献金を促すチラシ」など、短期間で大量の印刷を行わねばならない。

  • 社長は「これ以上刷れと言われても、人手も紙も足りない。だが、断れば店が潰される……」と苦しげに眉をひそめる。

  • 戸田と堀内は交互に徹夜でスケジュールと在庫を整理しながら、紙の配給を何とか確保しようと奔走。

  • 幹夫は機械に張り付き、ノルマをこなすだけの毎日。印刷所が高温多湿のサウナ状態になり、職人の何人かは熱中症のような症状で倒れるほどの過酷さだ。

第二章:静岡の父、酷暑を嘆く

八月中旬、幹夫が印刷所での徹夜を終え、一瞬だけ下宿に戻る夜更け。父(明義)からの手紙が届いている。

  • 「今年の夏は例年になく暑く、茶畑の管理が追いつかない。人手も不足で、伸びきった雑草を取り除くのに骨が折れる。

  • 軍の施設はさらに拡張され、役場が“まだ土地を出せ”と圧をかけてくる。まるでわれわれの生活を根こそぎ奪い去るかのような軍の動きに、反対などできる余裕もなく……」

 幹夫はヘロヘロの身体でそれを読み、「父さん……さらに畑が奪われるのか……」と歯を食いしばる。 窓を開けると夜の熱帯夜の空気が流れ込み、二つの風鈴が微かに触れ合ったが、ほとんど音にならない。蒸し暑い風が部屋を泳ぐだけで、幹夫は溜息をついて短い仮眠に沈む。

第三章:警察の監視、息苦しさの頂点

八月下旬、警察の統制は更にきつくなり、印刷所へ「製版段階からの報告」「廃材の扱い」にまで厳重な監査を行うという通達が入る。

  • かつてビラを警戒していた時期を遥かに凌ぐ厳しさで、軍印刷しかしていないにもかかわらず、書類作業が増え続ける。

  • 戸田は「これでもし書類にミスがあれば、店を閉鎖されるかもしれない……」と青ざめ、堀内は「在庫廃材の処分すら要報告なんて、正気じゃないよ」と疲れきった笑みを浮かべる。

  • 幹夫は怒りや苛立ちを通り越して、ただ従うしかないと思い知らされる。「父さんが畑を守れないように、俺もここで逆らえない……」と虚しさを噛みしめるしかなかった。

第四章:夜の熱帯夜、風鈴の儚い合奏

月末、深夜に下宿へ戻った幹夫は、窓を開けてほとんど動かない空気に肩を落とす。

  • 生温い夜風が一瞬だけ吹き込み、二つの風鈴が短くチリンと合わさる音を発する。その音はかつてよりも弱々しく、今にも消え入りそうだ。

  • 幹夫は「父さん、茶畑、もうダメかもしれない……俺もこうして戦意高揚を助ける仕事をしてる。何を守ってるんだろう……」と吐露し、汗だくのまま布団に沈む。

 頭には軍の命令書や警察の統制が浮かんで離れない。翌日もまた、徹夜でポスターを刷る現実に襲われる。 チリンという微かな音だけが、東京と静岡の過去を思い出させるが、それを繋げる力にはもうならないほど、幹夫は疲弊していた。

結び:焦熱の夏と終わらない歯車

昭和十四年八月、日本はさらに日中戦争の拡大へ踏み込み、国民総動員法を徹底化。東京の印刷所は軍の印刷に休みなく駆り立てられ、警察に監視されて身動きが取れない。

  • 静岡の父は酷暑のなかで少しの畑を耕しているが、軍施設に圧迫され、生活が成り立たなくなりつつある。

  • 下町の夜は熱帯夜で、二つの風鈴がチリンとわずかに鳴っても、その音は疲労と絶望に沈む幹夫を救い上げるほどの力はない。

戦火は終わらず、総動員はますます苛烈になる。彼らは何を守り、何を失うのかも分からぬまま、歯車のように機械を回し続けるしかない。暑い夏が夜風にかすかに吹くころ、二つの風鈴が鳴らす音は、その一瞬でかき消されてしまう――この国の行き先は、まだ暗い闇の先にあるとしか思えなかった。


序幕:秋を感じられない戦時下の始まり

 八月まで続いた猛暑と徹夜の連鎖が、東京の印刷所を極限まで追い詰めていた。 日中戦争の長期化は止まるどころか、国民総動員法が日常に深く根を下ろし、紙も人もどんどん戦局へと動員されていく。 それでも暦の上では昭和十四年(1939年)九月に入り、下町にはかすかな秋の気配が漂う。蝉の声は消え、遠くでコオロギが鳴く夜もあるが、印刷所の職人たちがそれを味わう余裕は微塵もなかった。

第一章:軍印刷に終わりの見えない徹夜

九月上旬、印刷所に再び「華南華北での“攻勢”を宣伝するポスター」や「戦時献金・物資供出の奨励チラシ」の大口発注が舞いこむ。

  • 職人たちは当然のごとく昼夜兼行で作業し、徹夜は当たり前。人員が足りず、交代要員も限られているため、疲弊しきった体に鞭打って紙とインクにまみれるしかない。

  • 社長は「去年からずっとこうだが、終わりが見えない……」と嘆き、戸田は「一度でも納期を落とせば、店が崩壊するかもしれない」と苦い顔。

 幹夫や堀内は、警察へのこまめな報告や紙の在庫管理に追われる日常に慣れてしまい、もはや何の感情も湧かないほど無気力に作業をこなす。黒々としたインクのにおいだけが、この時代の現実を突きつけるように漂っている。

第二章:静岡の父、秋の耕作を諦める

九月中旬、幹夫がわずかな仮眠を取りに下宿へ戻ると、父(明義)から一通の手紙が届く。

  • 「茶畑は人手不足と軍施設のさらなる拡張で、もう半分どころか残りさえ耕作が難しくなってきた。秋の耕作をほとんど諦め、最低限の収穫で糊口をしのいでいる。

  • 町役場も“国の勝利”と叫ぶが、わしら老人と女手に何ができるか……。おまえも身体を壊すなよ……」

 幹夫は「父さん……もう秋の収穫すら困難か……」と頭を抱え、夜風が少し冷たくなった窓辺に目をやる。 二つの風鈴がぶら下がっているが、疲れ果てた彼にはそれを揺らす気力さえない。 「ごめん、父さん……俺は軍のポスターをどれだけ刷っても、そっちを守れない」と嘆息するように布団へ倒れ込み、再び数時間後には機械の音へ向かうしかない。

第三章:警察の監視、残るわずかな抵抗の影すらなく

九月下旬、警察の巡回では「ビラや反戦活動がなくなったこと」を改めて確認しているという噂を、職人の一人が耳にする。

  • 「そもそも紙も配給制で、軍が握っている以上、ビラなど作れないし、誰も戦争に異を唱える余地もない」と幹夫たちは感じる。

  • 社長は「軍仕事に埋もれていれば、印刷所は少なくとも生き残れる。逆らったら終わりだから」と達観したように言い、戸田や堀内も頷くしかない。

 そして、今月もまた徹夜は絶えることなく続き、幹夫は「何のために、誰のために印刷しているのか、もう考える気力もない……」と心の底で呻く。だが手を動かさなければ店が潰れ、自分も生きられないという現実がある。

第四章:夜の秋風、風鈴のかすかな調べ

月末、秋の風が路地を冷やし始め、夜には虫の声が微かに届く。

  • 幹夫が深夜に下宿へ戻り、窓を開けると、生温い中にも涼しさを含んだ風が二つの風鈴をわずかに揺らす。チリンと短い音が重なり合った。

  • その一瞬の音に、幹夫はかつて父と語り合った茶畑の風景や、民間印刷で活気があった頃を思い出すが、「でももう……あの頃には戻れない」と思い、黙って布団へ崩れ込む。

 空にはうっすら月が見えるが、戦時色の濃い街には貼り付いた大きなポスターが醜悪なまでに目に飛び込む。 翌朝、また軍の命令書が届き、幹夫は再び轟音の工場へ向かう。昭和十四年九月がこうして過ぎ去り、もう戻らない日々だけが刻まれていくのだった。

結び:秋深き闇と消えない戦火

昭和十四年九月、泥沼の日中戦争はさらに拡大し、国内の総動員体制も強化され続ける。東京の印刷所は軍の依頼だけがひたすら降ってきて、徹夜労働が途切れない。

  • 静岡の父は実質的に茶畑を諦める段階へ追い込まれ、収穫すら困難。軍施設の拡張に地元も抗えず、老人と女手だけでどうにもならぬ状況。

  • 警察の監視は万全で、ビラや反戦の動きは皆無。職人たちは憔悴しながらも、ただ軍に従って印刷を続ける。夜風に揺れる二つの風鈴がチリンと鳴る瞬間だけが、遠い昔にあった静かな絆をほんの一瞬思い出させるが、すぐにまた印刷所の轟音へ意識が引き戻される。秋が深まっても、戦争は終わらない――そんな絶望のなかで、幹夫たちは日々を溶かしていくばかりであった。


序幕:深まりゆく秋と消えぬ戦意

 九月を経て、日中戦争の泥沼化は変わらず、国民総動員体制はさらなる厳しさを増していた。 ラジオや新聞は「大陸での前進」「戦局有利」と繰り返す一方、消耗戦の長期化が現実となり、人も物も際限なく軍へ動員される社会となっている。 東京の下町の印刷所では、幹夫や戸田、堀内、そして社長らが、もう息をつく暇もないほどの徹夜作業で軍のポスターやパンフを刷り続ける毎日だ。 昭和十四年(1939年)十月、秋がすっかり深まろうとしているが、彼らに季節を味わう余裕はない。都市の空気は相変わらず重苦しく、戦争が終わりのない底へ引きずっていくように思われた。

第一章:軍の注文、さらなる増量

十月上旬、印刷所に届いた軍からの新規依頼は、前月からの倍近い部数で追加のポスター・チラシを求めるものだった。

  • 「華南奥地への進撃をアピールする報道ポスター」「戦費捻出のための愛国献金呼びかけチラシ」など、要求は多岐にわたり、納期は極端に短い。

  • 社長はさすがに「この量を今の人数で刷るなんて無茶だ」と頭を抱えるが、軍に逆らえば店が終わるだけ。

 戸田と堀内は徹夜で人員スケジュールや紙の配給を調整し、幹夫は機械の前で昼も夜も休みなく紙を流す。夏から続く過労に加え、職場は秋になってもほとんどクーラーも暖房もない環境で、疲労と寒暖差が身体を蝕んでいる。

第二章:静岡の父、焦る日々

十月中旬、深夜に下宿へ戻った幹夫が父(明義)からの手紙を開封すると、「ついに茶畑をほぼ放棄する状況に至った」と告げられていた。

  • 軍施設が周辺まで拡張され、役場が「国のために残る土地も差し出してくれ」と再三説得してくる。

  • もはや少人数では管理できず、茶の実りは激減し、秋の収穫を諦めざるを得ない。

 幹夫はしばらく言葉を失う。「父さん……こんな形であの緑の畑が消えていくなんて」と胸をえぐられる思い。「俺も軍の印刷を刷り続けてる以上、止めるすべはない……」と苦しい心を抱えたまま、2〜3時間だけ仮眠を取り、また印刷所へ向かう。

第三章:警察の監視、形骸化する「安泰」

十月下旬、警察が引き続き「印刷所が軍の指令どおりに動いているか」を確認しに来る。

  • 幹夫や堀内は、もはや疑われる要素はないと考えるが、警察は形式的に在庫や帳簿を確認し、「問題なし」と告げて去っていく。

  • 職人たちは「こんな日々でも警察に目をつけられずに済んでいるのは、ある意味“安泰”なんだろうが……」と苦笑いし、「もう何のために生きているか分からない」と自嘲する。

 社長は「我々は軍の紙を刷り、警察に従っている。ビラなどはないし、民間仕事もない。つまり何も問題がない……それがこんなに苦しい現実とはな」と虚ろに笑い、戸田も「逃げ場がないからね……」と肩を落とす。

第四章:秋の風、風鈴の小さな残響

月末、秋が深まり、夜の冷気が強まる頃、幹夫は夜の合間に下宿へ戻る。

  • 窓を開けると冷たい風が入り込み、二つの風鈴がかすかにチリンと短い合奏を作り出す。

  • 幹夫はその音を耳に、父の茶畑がもう失われつつある現実に胸を苦く震わせる。「戦争に巻き込まれ、あれだけの畑が……。俺はポスターを刷り続ける歯車……」と唇を噛む。

 やがて風が止み、音も消える。幹夫は短い仮眠を取り、翌朝早く印刷所へ。昭和十四年十月もまた、彼らの人生をひたすら戦争のために搾取し続ける歯車として過ぎ去っていくのだ。

結び:秋の深まりと消えゆく大地

昭和十四年十月、日本はますます深く日中戦争へ傾斜し、東京の印刷所は軍の大量印刷をこなす地獄の日々を続行。

  • 静岡の父は茶畑を手放す寸前で、軍施設の拡張に対してもう抗えない。

  • 警察の監視は形骸化するほど徹底しており、印刷所は“問題なし”とされるものの、そこに自由も希望もない。夜風に揺れる二つの風鈴がチリンと短く鳴る瞬間だけが、幹夫にかつての緑溢れる畑や民間の明るい記憶を微かに呼び戻す。しかし戦争は止まらず、時間も人々の心も容赦なく奪っていく。ここに生きる者たちは、ほんの短い音に縋りながらも、遠い日に失われたものを思い知るばかりであった。


序幕:晩秋の気配と変わらぬ戦局

 十月も終わり、下町の空気は冷え込みを伴いながら秋が深まりつつあった。 しかし、日中戦争の泥沼は依然として続き、国内では国民総動員と戦時統制がさらに強化されている。 東京の印刷所では、幹夫や戸田、堀内、そして社長らが、軍から途切れることのない印刷依頼を受け続け、徹夜の生活を常態化していた。 昭和十四年(1939年)十一月、この戦争の長期化の中、かつての息吹を思い起こさせる要素はほとんど消え失せ、ただ一日一日を乗り切ることで手一杯の毎日が始まる。

第一章:軍印刷の苛烈化

十一月上旬、印刷所には「戦果報告ポスター」や「国民総動員の訴え」を強化するための新規依頼がどっと押し寄せる。

  • 冬に向けた物資動員や兵士への送金呼びかけなど、様々なテーマのビラや冊子を作る必要があり、部数も莫大。

  • 職人たちは半数以上が徹夜をこなすローテーションを強いられ、社長は「こんな量、どうすれば……」と呻きつつ軍に逆らえず受注。

 戸田は用紙とスケジュールの管理で神経を張り詰め、堀内は警察への報告と納品管理で一睡もできない日が増えた。幹夫は機械の轟音に包まれ、何を考える余裕もなく、かつての平穏を思い出せないほど疲弊している。

第二章:静岡の父、燃え尽きる畑

十一月中旬、幹夫が下宿で手にした父(明義)の手紙には、茶畑のほぼ大半を諦めた状況が綴られていた。

  • 「もう耕しているのはほんの一部だけ。それさえ軍の施設で踏み荒らされる危険があり、正直維持が難しい。

  • 若者がいないこの地に、来年の希望を語る人も少なくなった。戦争が終わる気配はなく、わしも年老いた身体で何をできるか……すまないな、幹夫……」

 幹夫はその文面を読んで、胸が軋む。「父さん、本当にもう茶畑が消える……。俺はここで戦争を刷るしかないなんて……」と思わず膝が震える。 夜、窓を開いても、冷たい秋風に二つの風鈴はわずかに揺れるだけで音を立てない。「もう、音すら出ないのか……」と呟いて、再び短い仮眠を取って工場へ向かう日々が繰り返される。

第三章:警察の巡回、完全な情報統制

十一月下旬、警察が再び印刷所を巡回し、帳簿や在庫の細部まで確認する。

  • いまや反戦ビラなど完全に姿を消したという報告がなされ、警官の一人は「よろしい、おたくは十分に国策に協力している。引き続き勤めてもらう」と言い残して去っていく。

  • 職人たちは「これだけ軍の仕事をやっていれば、疑われるわけもないが……もう商売というより軍の下請けにすぎない」と失笑を漏らすしかない。

 社長は「これでも店は安泰といえば安泰だが、実際は徹夜続きで皆壊れかけている……」と暗い顔で漏らす。戸田や堀内も無言で作業に戻り、幹夫は機械の音に飲み込まれるように紙を流し込み続ける。

第四章:夜の冷気、風鈴のかすかな鳴り

月末、冷え込みが強くなり、夜の風が初冬の気配を帯びはじめる。

  • 幹夫が深夜に下宿へ戻り、窓を開けると、凍えるような風が流れ込み、二つの風鈴が短くチリンと合わさる音を作り出す。

  • その響きは小さく、しかし明確に幹夫の胸に突き刺さり、「父さん……茶畑を守れずとも、まだ生きて……俺もここで生き延びるしかない」と心で呟く。

 だがすぐに風が止み、音も消える。一瞬のチリンが終わると、幹夫はまた布団へ崩れるように眠り、翌朝早く軍のポスター印刷へ向かう――昭和十四年十一月も同じ轍を踏んで過ぎていく。

結び:深まる冬、収束なき戦い

昭和十四年十一月、日中戦争の長期化は続き、東京の印刷所は軍の大量印刷を徹夜でこなし、警察の情報統制に従うしかない日々。

  • 静岡の父は、茶畑を事実上諦めざるを得ず、軍施設の拡大に生活を奪われる寸前である。

  • 幹夫らは疲労困憊しながら、ただ従わないと生きられないと悟り、歯を食いしばって印刷を続ける。夜の下町には、二つの風鈴が僅かにチリンと鳴る瞬間だけが、かつての繋がりを思い起こさせるが、それも戦争という巨大な闇にかき消されるほど小さく脆い。冬の足音とともに、終わりを知らない戦の足音がさらに重く響く――そんな寒々しい十一月を彼らはやり過ごすしかないのであった。


序幕:年の瀬に漂う戦時の陰

 十一月を耐え抜き、冬の冷たい空気が東京の下町を包み込む。 日中戦争は泥沼から抜け出せないまま、国民総動員法を背景に国内の統制がますます強化され続けている。 印刷所では、幹夫や戸田、堀内、そして社長たちが、相変わらず軍の大口印刷をひたすら受注し、ほとんど休む暇もなく機械を回し続けていた。 昭和十四年(1939年)十二月、ふつうなら年の瀬の慌ただしさと正月の気配が漂うころだが、ここでは戦時下の暗い影が一層濃くなり、徹夜の連鎖は一向に途切れなかった。

第一章:軍からの年末強化命令

十二月上旬、印刷所に届いた軍の依頼は、これまでのポスターやチラシをさらに補強するための**「年末年始に戦意をさらに盛り上げる」**という趣旨の膨大な制作だった。

  • 「支那事変はまだ終わらず、国民を鼓舞せねば」という名目で部数も大幅に増え、納期もさらに厳しい。

  • 社長は「これ以上無理だ」と顔を曇らせながらも、断る術はなく、戸田や堀内は徹夜作業を組むしかない。

 幹夫は機械の前に立ち尽くし、「年末を迎えても、結局戦争の印刷に追われるだけか……」と思いつつ、インクと紙のにおいに溺れるように仕事を続ける。職人たちの疲弊はもう限界に近いが、軍への納期を落とせば店が崩れることは分かりきっている。

第二章:静岡の父、最後の灯

十二月中旬、幹夫が深夜に下宿へ戻り、父(明義)から届いた手紙を読む。

  • 「今年は畑の大半を軍施設へ取られ、残ったわずかな区画も人手不足と疲労で耕しきれなかった。

  • 戦争が終わる気配はなく、町の人も“来年こそ勝利を”と空虚に唱えているが、実際には若者がいないまま冬を越せるかどうか……。わしは何とか生きているよ。おまえも身体を壊すな。」

 幹夫は目を伏せ、「父さん……茶畑はもう手が回らないのか……」と涙ぐむ。その夜、寒風吹き込む窓辺で二つの風鈴を見上げるが、指先もかじかむ冷たさで動かす気力もない。「ごめん、父さん……」という声にならぬ呟きで、また数時間の眠りに溺れる。

第三章:警察の年末巡回、沈黙の中の継続

十二月下旬、年末の監視強化として警察が印刷所を巡回し、「印刷物の正確な記録」「配給紙の正当使用」を確認。

  • 幹夫らは「軍仕事しかしてない」と繰り返し、帳簿を提出。もはや疑いをかけられる余地すらなく、警察は形式的に「結構、引き続き協力を」と言って去る。

  • 社長は「これで年末年始も徹夜が続くな……」とやるせなく漏らし、戸田と堀内は慣れきった事務報告に疲れきった顔。

 職人たちは年末の浮かれた行事どころか、戦争を支える歯車として過ごすしかなく、印刷所は例年の年越し行事をすべて中止。徹夜シフトを組んで納期を守るだけの毎日だ。

第四章:大晦日の夜風、風鈴の一瞬

大晦日になっても、印刷所では依然として軍向けの印刷が止まらず、幹夫もまた徹夜シフトの合間に下宿へ立ち寄る。

  • 窓を開けると、冷たい夜風が入り込み、二つの風鈴がほんの一瞬だけチリンと鳴り合う。

  • その短い調べに、幹夫はふと昔の年越しを思い出すが、すぐに「父さんの茶畑はもう維持できない。ここも軍の仕事に追われ、年越しなどない……」と苦い思いに沈む。

 布団に倒れ込みながら、「これが昭和十四年の年末か。もう戦争が長く続きすぎて、何が正月かも分からない」と唇を噛む。翌朝にはまた機械の轟音に呼ばれる運命だ――彼はその運命を受け入れるしかないと、目を閉じる。

結び:年の瀬を奪われたまま戦争へ

昭和十四年十二月、日中戦争の泥沼から抜け出せず、日本国内は全面的な総動員を日常とする社会へ傾ききっていた。

  • 東京の印刷所は軍の大量印刷を昼夜こなし、警察の監視に従い、ほとんど年末行事を感じる余裕もない。

  • 静岡の父は茶畑を守り切れず、軍施設に土地を奪われ、わずかな耕作だけではどうにもならず、来年への希望も見えない。

夜更けの下宿で、幹夫が瞼を閉じる直前、二つの風鈴が一度だけチリンと鳴った。その響きは過去の平和な暮らしを思い起こさせる儚い名残。だが、戦争の轟音が彼らの時間を押し流し続け、昭和十四年の年の瀬を奪い去っていた。こうして新たな年を迎えるのに、誰も祝う気力はない――戦争がいつ終わるのか、もう誰も見通せないまま、日々の徹夜へ飲み込まれていくのだった。

 
 
 

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