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死を選ばぬ意志

 夜の静岡は、昼の静岡よりもずつと端正である。昼は街が人間に媚びる。看板は笑ひ、硝子は光を売り、車は喧噪を誇る。だが夜になると、街は急に自分の骨組だけを残し、余計な肉を削ぎ落す。幹夫はその削ぎ落された街の姿が好きだつた。削がれて残るものは、いつも冷たく、そして美しい。

 市民体育館を出た幹夫の身体はまだ熱かつた。シャツの下に汗が乾ききらず、肩の奥に鈍い痛みが沈んでゐる。痛みは確かで、確かなものは慰めにはならぬ。慰めとは曖昧さの贈り物である。だが幹夫は慰めを欲しない。欲しないと言ひながら、実は欲してゐる。その矛盾の所在が、いつも彼の胸を汚した。

 呉服町の方へ歩くと、青葉通りの灯が木の葉を裏から照らし、枝影が舗道に薄い刺青のやうに落ちてゐた。刺青は肉体の上の形式である。形式は美を生む。だから幹夫は、街路樹の影さへ美しいと感じた。ところが美しいと感じた瞬間に、彼の内側で何かが嘲笑した。――お前はまた「感じてゐる」だけだ。感じてゐるだけで、何もしない。何もしない美は装飾である。装飾は死んだものの粉だ。

 青葉おでん街の一角に、湯気が立つてゐた。屋台の鍋から上がる湯気は、夜の冷えにぶつかつて白い塊になり、すぐに崩れて消える。男たちが肩を寄せ、頬を赤くして笑ひ、黒い出汁を啜つてゐる。彼らの喉仏が上下するたび、幹夫は妙に目を逸らせなかつた。喉の動き――あれは肉体の真実である。思想ではなく、理念ではなく、ただ「飲む」といふ行為がそこにある。行為は責任を伴ふ。責任を伴ふ肉体は、しばしば下品でさへ美しい。

 幹夫はその下品さに惹かれながら、同時に嫌悪した。嫌悪は彼の最後の規律である。嫌悪があるうちは、まだ堕ち切つてゐない。だが嫌悪だけでは何も作れない。嫌悪は否定の形式でしかない。否定ばかりの人生は、いつか自分自身を否定する。

 静岡駅前へ近づくと、最終に近い列車のアナウンスが、冷たい風に乗つて途切れ途切れに届いた。ロータリーの街灯は白く、駅のガラスは夜を映し、改札の向うでは人々が急いでゐる。急ぐ背中には目的がある。目的のある背中は美しい。幹夫には目的がないのではない。目的を目的として信じ切れないのである。信じ切れない者の歩みは、どうしても「それらしく」ならない。

 幹夫は駅の跨線橋へ上がつた。橋の上から見る線路は、黒い帯のやうに真つすぐ伸びてゐる。やがて遠くからライトが二つ近づき、鉄の塊が風を裂いて走り抜けた。轟音と振動が橋を揺らし、幹夫の肋骨の内側までも共鳴させる。機械は冷酷であるが、冷酷であるがゆゑに美しい。機械の美は、ためらひの不在から生まれる。

 幹夫は一瞬、機械のためらひのなさに、自分の終りを重ねた。終りは、たしかに一つの解決だ。解決はいつも簡単な顔をする。簡単な顔をするものほど危険だ。幹夫は自分の掌が欄干を強く握りしめてゐるのに気づいた。握りしめる力は、恐怖から出たのではない。恐怖なら、手は緩む。握りしめるのは、意志である。――少なくとも、意志であつてほしい。

 列車が去ると、音は急に吸ひ込まれ、夜はまた元の沈黙に戻つた。沈黙は、音よりもはるかに多くのことを囁く。幹夫は橋を降り、駿府城公園の方へ歩いた。城の石垣と濠の水は、昼には観光の顔をするが、夜には「形式」の顔をする。石は石として冷たく、水は水として黒い。その冷たさと黒さが、幹夫には頼もしかつた。

 濠の前で立ち止まると、水面は街灯の光を細く切り刻み、切り刻まれた光はゆらゆらと揺れてゐた。揺れは美しい。だが美しい揺れは、時として人間の決断を溶かす。溶かすものは危険だ。危険なものは、たいてい甘い。

 幹夫は欄干の冷えた金属に指を置いた。指先の皮膚が金属に吸ひつく。金属の冷たさは正確で、正確さは倫理に似る。倫理は、人に「やれ」とは言はない。「できる」とだけ言ふ。――できる。できる、と言はれた瞬間、人は自分の内側の卑怯さと向き合はねばならぬ。

 卑怯さは、しばしば美の衣裳を着る。

 死の衣裳を着る。

 幹夫は死を美にすることができると、若い頃から信じたかつた。死を美にできれば、生の醜さを贖へる気がした。醜さは、何か一つの純粋な線によつて洗ひ流されるだらう、と。だが濠の水は、純粋ではない。泥の匂ひがし、藻が沈み、夜のゴミが漂ふ。ここで身を投じるなら、それは完成ではなく、ただの吸収である。水は人間を形式にしない。水はただ、人間を分解する。

 分解は、解決ではない。

 分解は、責任の放棄である。

 幹夫の胸の奥に、急に嫌悪が立ち上がつた。嫌悪は、自分の死を拒む嫌悪ではない。死を「逃げ」として選ばうとする自分への嫌悪である。逃げる死は美しくない。美しくない死は、結局ただの汚れである。汚れは生にもあるが、生の汚れは行為によつて磨く余地がある。死の汚れは、磨く手がない。

 幹夫は水面を見つめながら、ふと気づいた。

 死を選ぶことは、思ひのほか容易い。

 容易いことは、意志を要しない。

 意志を要しないものに、美は宿らない。

 そのとき、濠の向うの道を、ひとりの男が走つて行つた。夜のランナーである。白い息を吐き、腕を振り、一定の速度で暗闇を切つてゆく。走る姿勢は、まさに形式であつた。誰に見られてゐるわけでもないのに、男の背中は律儀に自分の規律を守つてゐる。幹夫はその背中に、久しぶりに羨望ではなく尊敬を感じた。尊敬は、嫉妬よりも冷たい。冷たい感情ほど、長く残る。

 走者の足音が遠ざかると、夜はまた沈黙した。沈黙の中で、幹夫は自分に言ひ聞かせた。

 ――死を選ばぬこともまた、選択である。

 選択とは、両方の扉が開いてゐるときにだけ成立する。片方の扉だけが開いてゐるなら、それは運命だ。幹夫は運命を信じない。運命を信じないことが、彼の誇りであり、同時に罰でもある。誇りはいつも孤独を伴ふ。孤独が重くなる夜には、開いてゐる扉の方へ、つひ身を預けたくなる。だが身を預けることは、選択ではない。選択は身を預けないことである。選択は、踏みとどまることである。

 幹夫は欄干から手を離した。手のひらに金属の冷たさが残り、汗がその冷たさを薄く濡らした。生の感触は、いつもこんなに取るに足らない。取るに足らないものに耐えることが、生きることだとすれば、生は死よりもずつと難しい。難しいことの側にだけ、美は宿る。――幹夫はその理屈を、今夜は自分の肉体で信じることにした。

 彼は歩き出した。歩幅を一定にし、肩の力を抜き、呼吸を深くする。一定の歩幅は、今夜の彼の制服であつた。制服は他人から与へられるものではない。与へられた制服は慣習に過ぎない。自分で着る制服だけが、意志の形式になり得る。

 公園の出口を出ると、街の灯が再び近づき、コンビニの自動ドアが乾いた音を立て、路面電車のない大通りを車が流れてゐた。日常は何事もなかつたやうに続いてゐる。続いてゐることが残酷だ。だが残酷さに耐へることが、死を拒む唯一の形式だ。

 下宿へ戻り、階段を上がり、六畳の部屋の電灯を点けた。白い光が壁を曝し、机の上の紙の白さを際立たせた。白は潔白の色ではない。白は、これから汚れる余地の色である。幹夫はその余地を恐れずにゐたいと思つた。余地は堕落の入口でもあるが、行為の入口でもある。

 彼はノートを開き、たつた一行だけ書いた。

 ――明日も、身体を使ふ。

 書き終へると、妙な安堵が来た。安堵は危険だ。安堵は努力を止めさせる。だが幹夫は安堵を否定しなかつた。否定しない代りに、安堵を形式へ変へることにした。つまり、寝る。寝て、起きる。起きて、また行為をする。行為の反復の中に、魂の逃げ場所を減らしてゆく。魂は鍛へられぬ。鍛へられぬなら囲ふしかない。囲ひは規律によつてしか作れない。

 幹夫は電灯を消した。闇が部屋を満たすと、窓の外の街灯が薄い四角い光を障子に映した。光の中に、彼の影が短く現れ、すぐに溶けた。影は毎晩消える。だが彼は消えない。消えないことが、重い。重いことが、意志である。

 闇の中で、幹夫は静かに目を閉ぢた。

 死を選ばぬ意志は、英雄の宣言ではなかつた。

 それはただ、今夜を越えるための、冷たい歩幅の一定さに過ぎなかつた。

 
 
 

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